ハーフェズと主、まるっきり関係のない話

 唐突に目の前に現れた自分の息子 ――

「ファルジャードも赤子の頃は、こんなに可愛かったのかな」

 ファルジャードの子を、セリームが抱いて神殿から邸へと連れ帰ると、既に邸の一角に赤子の部屋が用意されていた。
 ファルジャードは乳母を置くことはせず、産んだ女奴隷に育てるよう指示し ―― 自分が子守りなどができないことを重々承知しているファルジャードは、自分の部屋でセリームが赤子をあやすのを眺める。

「どうだろうな。誰も赤子の頃の話はしなかったし、俺も聞いたことはなかったから」

 人里から離れた所に、老人二人と共に暮らしていたファルジャードは、赤子を見る機会は少なく、触れる機会はほとんどなかった。
 王都にやって来てから、初めて間近で見て、少しばかり触れたりしたが ―― かつて自分が赤子だった頃まで思いを巡らせることはなかった。

「そうか……きっと、可愛かっただろうな」

 頭髪の色は違うが、榛色の瞳は父親ファルジャード譲り。右の目尻近くに泣きぼくろがある。セリームは笑顔でふくふくとしたアシュカーンの頬を、指で出来る限り優しく撫でる。
 セリームも子供の扱いに関しては、ファルジャードとそれほど変わらず不慣れであった。自分の子が居るわけでもなければ、弟妹がいるわけでもないセリームは、大勢の奴隷たちと一緒に居た時も、赤子を抱くような機会はなかった。
 王都に住むようになってからは、偶に赤子を抱き上げることはあったが、女ではないので子守の仕事が回ってくることもなく ―― こうして赤子抱いて、ただ時を過ごすのはセリームにとって初めて。

「……」

 赤子を抱いている笑顔のセリーム。
 笑顔には笑顔なのだが、その笑顔はいままでファルジャードが見たことがあるものとは、違う気がした。
 ファルジャードは胡座にアシュカーンを乗せているセリームに近づき、強めに頭を掴む。

「な、なに、ファル……」
「抱きたい。今すぐ」
「……突然なにを……」

 赤子を腕に抱いたままセリームは押し倒される。

「俺の子を抱いているセリームに欲情した」

 セリームの目をまっすぐ見つめて、はっきりとファルジャードは告げる。

「え、え……ええー。あ、待って、アシュカーンが」
「脇に置いておけば大丈夫だろう」
「大丈夫って……ちょっと待って」
「待てない」
「待てと言ってるんだよ、ファルジャード!」

 赤子を抱いて居ないほうの手でファルジャードを殴り、セリームは体を起こす。大声を上げたが赤子が泣くことはなかった。

「預けてくるから、待ってて」

 乱れた襟元を直しながら立ち上がり、赤子を抱いて部屋を出た。
 ファルジャードは殴られた腹をさすり ―― アシュカーンを生母に渡し、部屋へと引き返した。

―― アシュカーンを抱っこしている姿に欲情って……あれ? アシュカーンを置いてきたら、もう欲情はしない……まあ、それならそれで

「入るよ、ファルジャード」

 部屋に戻るとファルジャードがおり、

「用意は整っている」
「いつの間に?」

 部屋に入るや否や、抱き上げられ敷き詰められたクッションの上に、落とされるかのような勢いで横にされ、そのままファルジャードが乗ってきた。首を絞められなくても、窒息しそうになるんだな……と、他人ごとのように、激しい口づけをされ ―― 後のことはセリームは朧気にしか覚えていないが、目覚めると敷き詰められたクッションの上ではなく、寝台に移動していた。
 寝室はファルジャードの意向で、無用なものは一切置いていないので、大金持ちの寝室にしては非常に簡素。むろん寝具は高価だが、部屋の広さの割には、物が少なくこの時代の金持ちの部屋とは到底思えないものであった。

「セリーム。目が覚めたか?」

 起き上がろうとしたのだが、体が言うことを利かず、絹製の敷布シーツが敷かれた寝台の上でもぞもぞと動いていると、扉が開き手に大きな籠を持ったファルジャードが入ってきた。
 ファルジャードは寝具に近づき、籠を床に置き ―― 眠っているアシュカーンを取り出すと、セリームの隣に寝かせた。
 ”一体なにを?”といった表情のセリームと、何も知らずすやすやと眠っている我が子。

「セリーム」
「どうしたの? ファルジャード」
「何故かセリームと息子が一緒にいるのを見ると、興奮する。どうしたものか?」

 ファルジャードはセリームに再びのし掛かる。

「なんで興奮するの? いや、興奮するのはいいよ。それは構わないけれど、アシュカーンを誰かに預けて」 

 体はきついが、セリームとしては性行為を拒否するつもりはない。だが赤子を枕元において、情交する趣味はない。
 セリームの拒否に対するファルジャードの答えは、

「ラティーナ帝国の皇帝には、赤子に陰茎を吸わせることを好む皇帝がいるとか」

 ”そんな知識要らない”の一言で却下できる代物であった。

「ファルジャード!」

 渾身の力を込め重い足でファルジャードを蹴り飛ばし、セリームは自身でも驚くような力を発揮し起き上がり、眠っているファルジャードの赤子を戻し、部屋の外へと連れ出した。廊下には赤子の母親が居たので渡し ――

「セリームが息子と一緒にいるのを見ると、無性に性的興奮を覚えるのだ」
「はーん。で?」

 ファルジャードは息子を連れてラズワルドの邸に息子アシュカーン連れでやって来て、自分と息子とセリームの訳の分からない状況を語った。
 聞かされたラヒムは「なに言ってるんだ、こいつ」といった表情を隠さず。

「セリーム以外が息子を抱いていると、興奮するかどうかを知りたくてな」
「……ま、いいけど。ちなみに、息子の母親が抱きかかえている姿は?」
「全く興奮しないな」
「はーん。じゃあ、今の状況は?」

 今はハーフェズが抱き上げ、ラズワルドがのぞき込んでいる状態。

「俺の下半身は、ぴくりとも動かん」
「だろうな。ハーフェズに興奮するようになったら、終わりだろ」
「同意する」
「興奮するの、セリームさんだけなんじゃないのか?」
「それを確かめたくてな」

 脇で聞いていて、頭痛を覚えたハーキムだが、赤子を抱き上げないという選択肢はないので、ハーフェズから受け取り腕に抱く。

「どうだ?」
「抱けるような気がする。いや、抱けるな」

 ファルジャードの断言に、

「…………謹んで辞退させて下さい」

 ハーキムは”やめて下さい”と ――

「じゃあ俺が抱き上げてみるが……どうだ?」

 次にラヒムが赤子を抱いてみる。

「ハーフェズ並に、感じんなあ」
「普通、そうだろうよ」

―― 俺よりラヒムのほうが、余程抱く対象になると思うのだが……諸侯王の趣味が分からん……分かりたくもないし、ラヒムのほうが対象と……ハーフェズは諸侯王とラヒムが言うのも分かる。なんというか……押し倒そうとしたら、押し倒し返されるとしか思えない

 自分よりも線が細く、顔の作りも柔和な二人の会話を聞きながら、ハーキムはそう思ったが、もちろん何も言わなかった。
 ちなみにバルディアーとワーディが抱き上げると、ファルジャードはかなりの劣情を覚え ―― そのままワーディを寝室へと連れ込む。

「いろんな人に抱っこしてもらえて、良かったなアシュカーン」
「一番はラズワルドさまにに抱っこしてもらうことですよね、アシュカーン」
「そう言えば、あの子、元気で大きくなったかなあ」
「あの子? 誰のことです? ラズワルドさま」
「マルギアナで抱っこさせてもらった赤子。ヌーシュザードの姉の娘」

 魔王が復活しかけ、魔の山近くまで行く際に出会った、一応・・神の子ヤーシャールのはとこにあたる子供。

「ああ。もう三年経ちましたから、おっきくなってるでしょうねえ」

 ラズワルドは非常に気に入り、アシュカーン王子・・宛ての手紙にも書いたほど。

「そうだろうな。ところで、あの子、名前なんていうんだろうな」
メルカルト神に忠実ハミルカルな僕ではないことは、確かでしょうね」

 名前を尋ねたのだが、お決まりの答えしか返ってこず。その後、魔の山に近づき、危うく魔王を葬りかけるなどの大事があり、聞く機会を失ったまま。
 アシュカーンに似たぷくぷくとした頬は忘れていないのだが ――

「ヤーシャールに聞いたら、分かると思うか?」
「ヤーシャール公もきっとメルカルト神に忠実ハミルカルな僕とか聞いていないかと。跡取り息子ヌーシュザードの息子くらいなら、耳に入ることもあるでしょうが、嫁いだ姉が産んだ娘の名前となると、噂に登りそうにありませんし」
「そっか……そうだよなあ。あの子、なんて名前なんだろう。なあ、アシュカーン」
「きゃっ! きゃっ!」
「分かるわけないか」

 ”ちょっと席を外します”と、我が子を置いてワーディと共に消えたファルジャードの用事が済む迄、ラズワルドはアシュカーンを満喫した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 十代後半のラヒムと十五歳のハーキム、両者ともども童貞である ―― 幼少期に陰茎を切り落とされたラヒムを童貞といって良いかどうかは不明ではあるが、どちらも女性経験はなく、また男性経験もない。

「……」
「……」

 十五歳のハーキムが童貞なのは、珍しいことでもなかった。
 一年以上口淫を仕掛けたり、仕掛けられたりを繰り返し、互いに「そろそろ頃合いかなあ」と ―― 婉曲に言い表せば肌を重ねる、露骨に言えば性交に関して覚悟を決めたのだ。
 燃え上がって……ではなく、覚悟を決めるとなるのは、童貞同士が同性相手に性交渉 ―― それも片方は陰茎がない。

「それ、挿れるんだよな」
「無理矢理しなくても、いいんじゃないか?」

 ラヒムの陰茎がないのを、補うのかと言わんばかりにハーキムの陰茎は大きかった。そうは言っても彼の場合、体格が大きいので、それに見合っているとも言えるのだが、とにかく邸内にいる男たちやファルジャードの比べて立派だった。

「だが、やるといった以上、やらないと、バルディアーに迷惑をかける」
「それは確かにそうなんだが」

 二人とも関係を持つことに異存はないのだが、やり方が今ひとつ分からず。
 そういう店に行けば良いのは分かっているし、金も時間も充分あるのだが、二人ともどうもそういう気分にはなれず ―― 『そうだ! 分からないなら、覗けばいいじゃないか!』と気付いてしまい・・・、ワーディがファルジャードに抱かれている所を、覗き見しに向かう。
 そこで行為を見ていると、バルディアーが念のためにと、追加で潤滑油と飲み物を持ってやってきた。

「なにをしているんだ?」

 戸口に差し入れを置いたバルディアーに、二人は関係を持ちたいのだが、分からないので技術を見て盗むことにしたのだと、正直に答えると、

「俺に聞けばいいのに」

 二人の成長を喜ぶかのような、優しい表情で、教えてあげるよ ―― と。

「いや……それは……」

 かなり悲惨な経路で男娼として売られたバルディアーの古傷に触れてはいけないと、二人とも最初からバルディアーに聞くことは頭になかった。

「そんなに気を使わなくていいよ。教えるから、行こう」

 バルディアーは二人の背を押し、嬌声が漏れ聞こえる部屋から遠ざけ、必要なものを用意してからラヒムの部屋へ ―― 男性同士の性行為で必要なものが揃っているのは、ファルジャードが使うため持参したものだが、好きに使っていいぞとも言われているので、幾つか拝借してきたのだ。
 主に必要な行為を教え、

「特に慣らすのは丹念に……普通は指二三本分くらいでいいんだけど……」

 長くも短くもなかったバルディアーの男娼人生において、ハーキムほどの大きさを持つ客はいなかった。

「平均的な大きさで、少し慣らしたほうがいいと思うなあ」

 店にも巨根の客は来ていた。あまりに大きいと、割増料金を取り、相当慣れた男が相手をしていた ―― 男娼時代のバルディアーには、そういった客が振られることはなかった。

「平均的な大きさで慣らすってのは、具体的に言うと?」
「俺がラヒムと性行為をする」
「……え? お前、そっちも出来るの?」

 「これぞ神の子の奴隷」と誰もが認め、ラヒム曰く「詐欺だろう、アレ」と評する美貌を持つハーフェズと一緒にいるのであまり目立たないが、バルディアーも単体で見れば、容姿は良い方である。もっとも男娼時代は覇気なく色艶にも今ひとつ欠けていたので、今ほど美しかったわけではないが、それでも当時、少ないながらも固定客がいた程度には整っている。

「どっちも出来るよ。男娼楼の客って、実は抱かれるために来る男のほうが多いんだ」

 男娼時代は若くて可愛い男だったろうと、今の姿からも容易に推測でき ―― ラヒムは男に抱かれるの専門だとばかり思っていた。もっともラヒムは、自分が誰かを抱くという想像ができない体なので、どうしても無意識のうちに抱かれる側で考えてしまう。

「へ……へえ……。バルディアー、俺で勃つのか?」

 ”実は抱かれるために来る男のほうが多いんだ”
 かなり衝撃の事実を聞かされたのだが、ラヒムは持ち前の頭脳で『ああ、そうか。男にぶち込みたいのなら、最悪道ばたで殴って無料でできるが、男を咥え込みたいとなると、殴って従わせるのは難しいか……精神的なことで、勃たなくなるって言うからなあ。その点金を払えば……なるほど、納得だ』需要と供給と男性の生理について理解した。

「ラヒムみたいな若くて格好良い男性相手なら、問題はないよ。……今だから言えることだけど、幼児に口を攻められるのが好きな人相の悪い壮年の男性とか、少年に尻穴を抉られるのが好きな、肥え太って禿げている誰が見ても醜男な中年とか……色々居るんだ」

 ”うん、あの時の俺、頑張った”
 そんなバルディアーの心の声がラヒムとハーキムは聞こえた気がした。

「そりゃ……大変だな……思っていた以上に大変だ」
「大変と言えば大変だけどね。まあ俺はまだあの頃は子供だったから、大体抱かれる側で、攻めるのはそんなに得意じゃないけれど、初心者じゃない……あっ!」
「どうした? バルディアー」
「あのさ、ラヒムは男に抱かれるのは、本当に初めて?」
「経験はない」
「そっか……」
「どうした? バルディアー」
「俺、初めての男性って抱いたことないんだよね。回された客は、どれも経験者ばかりだから。本当に初めての男の人は……」
「違うものなのか?」
「そうだねえ。俺が初めて経験した時は、相当手慣れた成金中年だったよ。上客で初物好きだから、その一回きりだけど、多分下手ではなかった。最初の頃は、下手なのと当たるとキツかったなあ」
「そうか……」
「ちょっと待ってくれたら、俺これから初物買って練習してくるよ」
「そこまでして貰わなくてもいい! お前にそんなことさせるくらいなら、ハーキムに初物買わせにいく!」
「ああ。俺も同感だ」

「あ、それは無理だとおもう。初めての子に、ハーキムは無理。ハーキムの今の身分なら買えるけれど、可哀想だから辞めてあげて。そしてハーキムは優しいから、きっとできないだろうし。そうなると、その子叱られるしさ」

 店で上玉の初物といえば、大体七、八歳の子供を指す。
 普通は壊さない程度の大きさの慣れた上客に宛がうのだが、ハーキムはラズワルドの奴隷なので、欲しいと言えば店は「神の子に献上」という形で、最高の初物を「潰しても良い」と、差し出すことは明白。
 少年を前に経験の有無はともかく、優しいハーキムが無理強いできるとは、バルディアーとしても考えられず ―― 最上客ハーキムをその気にさせられなかったら、その少年は折檻の果てに殺されてしまう。

「……(そんなに可哀想な目に遭うのか、俺)」
「……(ラヒムに対しては優しくないのか、俺)」

 元専門だった人物バルディアーから無理と言われたが、わざわざ初物を買って教えてもらうのも悪いというか、そんなことはして欲しくなかったので、二人はバルディアーから説明を受けるだけにし、二人だけで成し遂げるから心配しなくていい ―― 告げて一週間が経過した。

「あまり手間取っていると、バルディアーが買いに行ってしまう」
「分かってるっての、ハーキム。……というか、お前が掛かって来ない限り、俺にはどうすることもできないんだが」

 自分たちの為に、好きでもないことをさせるわけにはいかないと ―― 初めて繋がった際のラヒムが上げたのは「お前! ぜったい……腕、突っ込んだだろ! 腕だろ……腕ある……あああ。嘘だああ」おおよそ嬌声とは言い難いものであり、

「多分俺もそう言うと思うよ」

 翌日、起き上がることができなかったラヒムに、『きっと固形物は食べられないよね』と、覚えのあるバルディアーは、水で割ったヨーグルトに、塩胡椒と刻んだ薄荷ミントをくわえたドゥーグを持ってきて、やつれたラヒムがこぼした愚痴を聞き、思いっきり同意した。
 ラヒムは四日ほど寝込むはめになった。
 その間の食事だが、ラズワルドは体調を崩している者を責めるような思考は持ち合わせていないので、労るだけであった。

「ゆっくり休めよ。食事は心配するな」

 ただ運良く、キルスがやって来たので ―― 彼に事情を説明し、食事を担当してもらい、更にキルスが滞在する間に、ある程度慣れることを目的に、

「絶対、腕、突っ込んで……るだろ。きっと……肘まで……腕あるー。なぜ……」
 
 かなりの頻度で繰り返し、忘れ去られた海神ボウルーネーセーヌスの泣き言を背に、キルスがアッバースを去る頃には、

「一回なら、次の日には持ち越さない」

 努力は実った。実る必要のある努力なのかどうかは、甚だ不明ではあるが。