「久しぶりだな、シャーローン! ヤーシャール!」
「久しぶりだね、ラズワルド。元気そうでなによりだ」
オフムエルが先触れとしてやってきていたので、ラズワルドは二人を入り口で出迎えるつもりだったのだが、当日ラヒムが起き上がれない程の不調となり、出迎えずラヒムの看病をしようと ―― だが「大丈夫ですよ、俺が様子見ていますので」とバルディアーが言ってくれたので、馬に乗りハーフェズとシャープールを連れ、城門前で待っていた。
「それにしても、凄い荷物だな」
彼らの後ろには荷物運び用の驢馬車が何台も連なっており、それは彼らが神殿にたどり着いても、まだ最後尾が門をくぐることが出来ない程の列であった。
「王都にはこの三十倍くらいの荷物が運び込まれたらしいぞ」
「らしいって……ああ! ヤーシャール、最下層まで行ったの……キルス? キルスじゃないか!」
ヤーシャールの文様が大きくなっていることに気付き ―― 話をしながら三柱とキルスは、ラズワルドの邸へと向かった。
まずはキルスと
そして、連れてきたファルジャードの息子を、二柱とその最側近、そしてキルスにお披露目した。
「ファルジャードの息子。名前はアシュカーンだ」
ヤーシャールは慣れた手つきでセリームから息子を受け取り、抱きかかえる。
「未来の諸侯王か」
ヤーシャールの胡座にすっぽりと収められたアシュカーンは、自分をのぞき込む、青い顔の持ち主たちを不思議そうに見上げている。
「可愛いな。ラズワルド、この子のほっぺ触ってもいい?」
トミュと二人きりで流浪の狩り生活を送っていたシャーローンは、生まれたての動物は見たことは何度もあったが、人間の赤子を見るのはほぼ初めて。
ぷくぷくと幸せが詰まっていそうな、つるつるの頬が気になって仕方なかった。
「構わないぞ、シャーローン。だが注意深く触れ、赤子の肌は柔らかい。そしてわたしたち神の子の力を持ってしても、払うことができない魅了の力を持っている」
ラズワルドは大まじめにそう説明し、
「……魅了」
シャーローンはヤーシャールの胡座で涎を垂らしながら笑い、手足を動かしているアシュカーンを見る。
「触ってみれば分かる」
シャーローンは恐る恐るアシュカーンの頬を、弓矢の鍛錬で固くなった指で押してみる。アシュカーンは機嫌よく声を上げて笑い返す。
「柔らかくて気持ちいい! 可愛いね! ねえ、ヤーシャール」
未だかつて触れたことのなかった柔らかさに、シャーローンの顔がほころぶ。
「そうだな、シャーローン。ラズワルドも、
「今はすっかり固いけどな」
ヤーシャールに「ほれほれ」と自分で頬を引っ張りながら「もう赤子じゃないんだぞ」と ―― その態度は赤子ではないが、非常に子供じみていたが、胡座にアシュカーンを乗せている大人は、それに関してはなにも言わなかった。
シャーローンに赤子の抱き方を教え抱かせ、途中で
「なあなあ、ヤーシャール」
「なんだ、ラズワルド」
「ヌーシュザードの姪の名前って知ってるか?」
「
「わたくしめも……答えられず申し訳御座いませぬ」
女が軽視されていることもあり「娘を産んだ」までは届くのだが、娘の名などについては、問われることはない。
「そこまで恐縮せんでもいい、カイヴァーン」
「代わりにもなりませぬが、ヌーシュザードの姉でラズワルド公柱が尋ねられた姪の母親であるロクサーナーは、先年末にもう一人、娘を出産いたしました」
「娘? あの子、姉になったのか。きっと今頃、妹を可愛がっているんだろうなあ」
マルギアナで出会った赤子と、見たこともないその妹のことを思いながらラズワルドは笑う ―― ただしそれは、人間社会の柵からもっとも遠い所に居るラズワルドだからそう思うのであり、実際姉妹は父親の罵声と母親の涙のもと暮らしている。
マルギアナの名家の娘が嫁ぐ相手ともなれば、相手も当然ながら名家。そして名家に必要なのは跡取り、娘を立て続けに二人産んだロクサーナーは夫とそれよりも遙かに厳しい姑に「次はない」と言われている。
「……そうだな。折を見て、二人の名前を聞いておく」
ラズワルドよりは世俗の柵を知っているヤーシャールは、姉妹はラズワルドが思っているような幸せを得ていないことは分かっている。
「そうか。頼んだぞ、ヤーシャール」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ヤーシャールとシャーローンがアッバースへとやって来た表向きの理由は、フラーテスの遺品をラズワルドに届け様子を見るためだが、真の目的はファルジャードに情報を届けることにある。
ラズワルドの邸に招かれたファルジャードはまず長年に渡る気象記録を受け取った。策謀などとは無関係な記録を読むのは、ファルジャードにとって楽しみだが ―― その先の国防となると心は躍らないが、仕方のないことでもある。
次に情報についてだが、祖廟襲撃事件の後、神の子たちはフラーテスから話を聞くために、馬の扱いが巧みなシャーローンを送った ―― 部下のサッタールたちを引き離し、シャーローンは馬を駆り、最速でフラーテスの元にたどり着き、兄弟たちが書いた手紙を渡す。目を通したフラーテスは「分かった」と。そして ――
「フラーテスじいちゃんに、”トミュからなにか話を聞いていないか”って言われて、色々と話したんだ。そしたら、幾つかフラーテスじいちゃんに頼まれて、ばあちゃんが調べたことがあって、それをばあちゃん俺に聞かせてくれてたんだ」
だから魔王に対して共同戦線を張ったところで、おかしいことではない。
ペルセア王国内から出ることのできないフラーテスと違い、トミュはその身一つで何処へでも行けた。
「マッサゲタイを魔物から守るのと引き替えということで?」
二人がどんな取り決めをしたのかは永遠の謎だが ―― フラーテスは王都と国を優先し、魔王を滅ぼさなかった代償に、様々なことをした。
「そこは聞いてないけど、ばあちゃんはフラーテスじいちゃんに頼まれたことを、俺に聞かせて死んじゃったんだけど……俺、どれが重要な話なのか、分かんないんだよね。だからばあちゃんから聞いて覚えていることを、全部ファルジャードさんに話す……だけどね、ばあちゃん、言付けて欲しいことは、マッサゲタイ語で残したんだ」
マッサゲタイ語は言葉のみの言語で、文字を持たない ―― 文字のない言語は珍しいものではなく、むしろ文字と言葉の両方が存在し、それが「公用語」として広く認識されているペルセア語のほうが珍しい。
「マッサゲタイ語は分かるのでご安心を」
「良かった。それで俺の話の前に、ヤーシャールから話があるんだよね」
「そうだ。シャーローンはラズワルドたちのところで待っていてくれ」
「分かった」
まだシャーローンに王家と魔王に関しては、告げる時期ではないので、席を外させ、ファルジャードは、地下神殿の最下層まで
「まず俺が地下神殿に入ったのは、祖廟を襲撃された事件の後、情報を得るためだ。ラズワルドとハーフェズのように、軽快には進めなかったが、なんとかたどり着き、そこで
故郷と地上の境で
「まずは封印の贄の失敗に関してだが、
これはファルジャードにとっては、想定の範囲内であった。そもそも神が、魔王に捧げられた贄に興味あるはずもなく、また贄が正しくなかったかなど、どうでもよいこと。
「次に
「再度確認とは?」
「魔王に関してだ。
三百年に渡る伝承は、様々なものが抜け落ち、神の意思もすっかりと曖昧になっている。唯一分かるのは、神はペルセアに神の子を遣わすことだけ。
「お望みは?」
「魔王を滅ぼすこと、この方針は揺らいでいなかった」
「それは良か……魔王を滅ぼすことは、出来るのですか? 封印ではなくて?」
最初のペルセアと最初のメルカルトの子の力を持ってしても、魔王は封印することしかできなかった。
最初のメルカルトの子の能力がどれほどのものか、ファルジャードは知りようもないが、顔の文様の大きさからラズワルドと同程度だと考えられる。
「ペルセアの能力を言っているのだろう?」
最初のペルセアは魔王に下っており、その力を身に取り込んでいた。今でも王家はその力を僅かに受け継ぎ、魔王の器となる危険を孕んでいるのだが、最初のペルセアと今の王族の能力となれば ―― 最初のペルセアのほうが強いのではないだろうかと、ファルジャードは予想した。
「最近の王族は、なにか特別な能力を持っているようには見えませんので」
「そうだな。魔王から与えられた能力を持っていた
「やはりそうですか」
「なのでラズワルドは、最初の神の子以上の力を持っているのだ。ラズワルドが神の子として最大の能力を所持していると思ってくれて、間違いはない」
「
「そうだ。次に
「ラズワルド公から聞きました。人間の成長を阻害すると」
奴隷たちと共に「火は人類の進歩の証」と叫びながら、火打ち石を振り回していたラズワルドの姿を思い出し ―― 今は深刻な状況なのだが、ファルジャードは思わず笑いがこみ上げてくる。
「そうだ。なので百年前、魔王を滅ぼそうと王家に神の子を送ったものの、ラーミンにより阻止された」
神は人の営みや国の繁栄やなどには大して興味を持たない。ただ打ち勝てば良い、それだけで、確実に滅ぼすことのできるフラーテスを送った。
「ラーミンの件は聞いております」
対するラーミンは精霊として長く人の側にいる ―― 人間らしい考え方や行動などについて、それは熟知していた。
「そのラーミンなのだが、どうもファリドを欲しているらしい」
「ファリド……ファリド公ですか?」
あまり詩的表現が得意ではないファルジャードには言い表せないが、人間の金髪とは違う、光と見紛う頭髪と慈悲と憂鬱の両方をたたえたような表情。
「ファリド本人から聞いたのだが、ラーミンはファリドを自分のものにしようとしているのだそうだ。幼い頃、実際ラーミンに誘拐された。その時は精霊王が手を回してくれて事なきを得たそうだが、諦めてはいないそうだ」
誘拐に関して、”何故”という疑問はファルジャードにはなかった。
天上に咲く青い薔薇を欲しいとラーミンが考え行動に移したところで ―― 当然という気すらした。
「それはまた、困りますね」
「ファリドを欲しているのはラーミンだけではないようで、魔の山近くでラズワルドたちを襲った
「それはまた。例え成功したとしても、ラーミンに取り上げられてしまうでしょうに。それにしても、ファリド公を手に入れる……ですか」
「精霊が我々神の子を手に入れられるのは、人界にいる時のみ。神の世界に戻ってしまえば手出しは出来ない。そして我々は地上では人の寿命しか持たない。あいつ等はファリドを手に入れることに焦っている」
「フラーテス公とラズワルド公が居た時期に、行動に出たのはそれが理由ですか」
「そうだ。魔王側は魔王復活とファリド奪取、この二つが行動原理になっている」
「それは……こちら側にとっては、最悪ですね」
ヤーシャールの話を聞いたファルジャードは少しばかり思案したが ―― まだ聞いていない情報があるので、それらが出そろうまではと、頭を軽く振る。
「ヤーシャール公のお話ですと、魔王の贄を入れ替えた者は分からないのですよね」
ここは神にとっては重要視されるものではないが、人間たちにとっては重要な意味を持つ。ファルジャードはここの調査を独自で行うことに決めた。
「そうだ」
「宝剣の在処については、なにか分かりますか?」
人間が魔王を討つのに必要な宝剣。
持ち出されハーキムやラズワルドが「何処にあるのか分からない」と漏らしたそれは ――
「宝剣は国外に持ち出された」
「国外ですか。ハーキムが感じ取れなくても不思議ではありませんが、ラズワルド公すら追えないというのは」
「他国の神殿に収められてしまった。さすがにいまだ信仰されている別宗教の神殿となれば、ラズワルドも無遠慮に覗きはしない」
神の子の目を欺くためには、神の力を。
ヤーシャールが語るには、持ち出された宝剣はすぐさま水に浸され、ラーミンの力により地下水脈を通り西南のヘルサン川へ。そこで待っていた
ペルセア王国のから見て西、ダマスカス王国の更にその先にある、古代より栄えた王国ミスル。
「海路を使ったのは追い辛くするため……我々が
「そうだな。なによりラーミンは水の精霊。川や海などを操るのはお手の物だ」
ヤーシャールは
「俺が
「大いに……っ!」
ヤーシャールの話からラーミンの狙いを察知したファルジャードは、一言も告げずに立ち上がり、勝手知ったる
「ヤーシャール公! 宝剣の在処を王に教えましたか?」
「ああ、教えた。宝剣はペルセア王家に渡されたものだがな。そうそう、宝剣を作ったのは精霊王。祀られている神が人に与えた神器ではないので、信仰の対象として取り返そうとしても無理だ」
「ヤーシャール公、ラーミンの策の基幹が分かりました。あいつの狙いはペルセア王国の滅亡です」
敵の狙いを寸分違わず言い当てた。