ハーフェズの主、最期の青を語る

「世俗で出来ることは、そのくらいとして……誰か何か意見はないか」

 いかにしてフーシャングを更迭し、インドラにとってもっとも就任して欲しくはない、頭脳、肉体、精神全てが切れ者である王子アルデシールを、どのようにしてアッバースの総督にするか? ファルジャードは考えを巡らせる。

「ファルジャード」
「なんだ、ハーフェズ」

 そのファルジャードに、ハーフェズが挙手し、話し掛けてきた。

「今の話を聞いて思ったんですけれど、宝剣を盗んだ者と大厄災ラーミンの思惑、一致しませんよね。でも盗む時、大厄災ラーミンは協力していましたよね。これってどういうことなんですか?」

 ラーミンは魔王を討たせまいと、王都の水脈を人質にとった。
 王都は宝剣を安置する祖廟の近くに作る必要があったのだが、宝剣が盗まれたことにより、王都を移動させても問題はなくなる。
 ラーミンの長年の努力が無駄になった……とも言える。

「そうだな……魔王の部下にも様々な閥があるのかも知れないな。あるいは、最近閥ができたとか。だが閥争いが起こっているのだとしたら、大厄災ラーミンが手を貸すことはないか」

 人間が魔王を倒すことのできる唯一の武器・宝剣。これが盗まれたという事柄だけを見れば、魔王を討たれまいとする部下たちが取った行動と、簡単に言えるのだが、内実を知ると、部下が盗むとは考え辛い。

「ラズワルド公、よろしいですか?」
「なんだ? ラヒム」
「俺はあんまり魔王に詳しくはないんで、聞きたいのですが、魔王が倒されると体が消えて、魔の山が下がり、地下水脈を塞ぐんですよね」

 ラヒムはペルセア王国に魔王というものが存在していると知ってはいるが、それがどのような形をしたもので、倒すとどうなるかなどは知らない ―― 多くの者たちも、ラヒム同様ではあるが。

「そうだ」
「例えば魔王が復活したら、どうなるんですか? 魔王が封印されている地下から、その身を移動させたら、魔の山は下がって地下水脈に影響するんじゃないんですか?」

 王都を人質にとったラーミンの策は、魔王を倒させないため、だけではなく、魔王の復活そのものを阻止していることになる。

「……ああ、そうか。魔王が復活したら、そうなる……おかしいな。それを知らないラーミンじゃないだろう。魔王の復活を願っていないとは思えんしなあ」

 パルハームにファルジャード、シャープール以外は、魔王がペルセア王の体を乗っ取り復活しようとしていることを知らない ―― 知っている三人は、ラーミンは魔王の体はそのまま地中の支えにして、新たな体を手に入れようとしているのだろうと思い至った。
 だがこの考えと、理由をまだラズワルドに語るわけにはいかない。
 アルダヴァーンが「アルデシールが即位してから」と言っている以上、彼らに逆らう術はない。
 ラズワルドは三人の態度に不審を懐かなかったが、隣にいるハーフェズはなにかを感じ取り、話題の方向性を移動させることにした。

大厄災ラーミンは、なにか別のことを考えているのではありませんか? ただ俺たちは、それを考える情報が足りないだけで」

 ハーフェズはラズワルド同様、事情を知らないので、嘘をついてはいない ―― 気付いていることに触れないだけで。

「そうかも知れないな。ところで、宝剣を盗んだのは、本当に王子なのか?」
「ラヒム、なにか引っかかることでも?」
「ラズワルド公のご命令で、俺やハーキムたちも宝剣の在処を知っているが、基本宝剣の在処は神の子とその側近、ペルセア王族と祖廟の神殿長しか知らないもんなんだろ? 過去に存在した王子が疑われているが、過去の祖廟の神殿長は怪しくないのか? ってことだ」

 神殿長の座に就ける程ともなれば、魔術を理解できるし、また祖廟の神殿長だったジャラールの顔見知りだったと考えてもおかしくはない。

「そう言われてみると……謎が次々とわき出てきて、困りますねえ。みんなもなにか、疑問ありませんか? 些細な疑問でいいんですよ。っていうか、疑問を。はい、ハーキム! 次はワーディさんに聞きますから、考えておいてくださいね」

―― 振られるとは思っていたが……

 ハーフェズに疑問を提示するよう促されたハーキムは、良い機会だと少しばかり気になっていた出来事について語る。

「…………あのな、宝剣についてなんだが、宝剣は今どこにあると思う?」
「分かりませんけれど」
「宝剣ってのは、精霊王が作った魔王を封じることのできる剣なんだろう? そんな代物の気配が感じ取れないってこと、あると思うか?」
「感じ取れ……てないんですよね?」
「そうだ。王家付きの精霊使いたちはどうか知らないが、俺は感知できない。一応、ここアッバースからでも、魔王の気配くらいは察知できるようにはなったんだがな。となると宝剣があるのは魔王の元……なんだろうが、なんか違うというか……多分、宝剣のほうが魔王に勝る・・だろうから、感じ取れる筈だが、俺には感じ取れない」

 魔王が封印されている魔の山。そこは人間に害をなす、大きな力を持った精霊が集う場所でもあり、精霊使いの才を持つハーキムは、アッバースからかなりの離れているが、魔の山に精霊たちが居ることを感じ取れる。だが精霊王が作った宝剣らしきものの存在は分からないでいた。

「ラズワルドさま、感じ取れますか?」

 ハーキムは精霊使いとしての才は優れているが、所詮人の範疇。
 半神の能力には到底及ばない。

「感じ取れないな」

 ラズワルドも”そう言えば”と探ってみたが、ペルセア王国内にそれらしい気配はなかった。

「精霊王が持ち帰ったとか?」
「それもなさそうだが、たしかに精霊王が作った宝剣を、魔王やラーミンの奴が、どうこうできるとは思えんなあ」
「精霊王と大厄災ラーミンって、そんなに力の差あるんですか?」
「精霊王に言わせると、ラーミンくらいなら片手でひねり潰せるそうだ。どこをどうひねり潰すのかは知らんし、大言壮語かもしれないが、ラーミンが精霊王には刃向かわないところを見ると、まるっきり嘘というわけでもないんだろう」
「なるほど。ややこしい問題が一杯ですね。ワーディさん、疑問ありませんか!」

 答えを出すことなく、疑問だけをハーフェズは求める。

「え、あ……あ……」

 もう少し時間が稼げるかと思っていたワーディは、声をかけられしどろもどろになるが、

「軽く、軽く。もう雑談ですから、気楽にどうぞ」

 ハーフェズは気にしない、気にしないと、ワーディの意見を求める。ワーディは散り散りになっていた考えをなんとかまとめ ――

「あの……人間は見捨てられたりしないのか」
「精霊王には軽く見捨てられてますけど、あの闇の精霊はまあ、どうでもいいや。えっと誰に見捨てられると?」
「宝剣がないと、人間は魔王と戦えないんだよな」
「らしいですね」

 魔王と戦ったこともなければ、戦う予定もないハーフェズは”はいはい”と軽く頷きながら同意する。

「戦えないってことは、魔王を倒せないってことだよな」
「まあそうですね」

 武装神官の本懐は魔王を討つことなので、倒せないのは武装神官としては悔しいところだが、上記通り、ハーフェズにはあまり関係ないので、先ほどと同じ軽さで同意する。

「じゃあ今、人間は魔王を倒せないんだよな」
「ええ、まあ、そうなりますね」
「魔王を倒せなくなった人間の世界に、主神は神の子を送ってくれるものなのか?」

 ワーディが言いたかったのは、神に見捨てられないのか? ということ。
 それを理解したハーフェズは、目を見開き、

「………………あっ! ファルジャード!」
「それは、盲点だった。パルハーム殿、シャープール卿、どうなんだ?」

 声を掛けられたファルジャードも、その可能性について慌てて尋ねる。彼の慌てぶりに、本当にそれに関しては気付いていなかったのだな……と、ラヒムとハーキムが顔を見合わせた。彼らもそれ・・に関しては、考えてはいなかった。

「人の身であるわたしには分からぬ」
「元神の子のわたしも、明確なことは言えぬが、たしかに我らは人が魔王を討つのを助けるためにやってきているのだから、その手段が途絶えたとなると……」

 尋ねられた二人も答えられず ―― やや混乱している場に、一人の男性が手を上げて発言許可を求めた。

「よろしいだろうか」
「サラミス殿、なにか?」
「ラズワルド公に、一つお聞きしてから、意見を述べたいのだが、よろしいだろうか? ファルジャード卿」
「意見を述べるのは構わんが、ラズワルド公への質問は、俺はなにも関知出来ぬ。ハーフェズ、いいか?」
「構いませんよ、サラミスさ……サラミス卿」

 実父を人前で”卿”付けで呼ぶのは照れるなあ……と思いながらも、ハーフェズはしっかりと卿と呼び、許可を出す。

「では。ラズワルド公」
「なんだ? フェルガナサラミス

 フェルガナとは改宗しメルカルト教徒となったサラミスの現在の名。
 この名が正式名称なのだが、サラミスのほうが通りが良いので、名を授けたラズワルドが「わたし以外は、元の名で呼んでよし」としているため、皆はサラミスと呼んでいる。
 ちなみにサラミスの腹心でありハスドルバルも改宗後テルメズと名を変えたが、こちらも旧名を使うことを許可されていた。

「わたくしめや、アサドを臨席させたのは、様々な視点からの意見を欲してのことと解釈して、間違いは御座いませぬか?」

 未だ異教徒ゆえ異国人であるアサドは、他宗教と王家の根幹に携わる部分を聞かされ ―― 他の者たちの態度から、本当のことなのだと感じ取り、冷や汗をかいている。

「そうだ、王侯、貴族、奴隷、神官、年齢など、様々な階級を集めて意見を聞きたいと考えている」

 アサドの内心などラズワルドは知らず、きっぱりと言い切る。
 回数こそ少ないが、長年の手紙のやり取りと、ナスリーンからラズワルドの性格を聞いているサラミスは、そうだろうと ――

「然様で。では、サマルカンド諸侯王の部下となって間もない、異国人であるわたくしめが懐いたことを一つ」
「なんだ?」
「宝剣の在処を知っているのは、基本、王族男児、神殿長、神の御子とその側近とのことでございますが……神殿長パルハーム殿は、元神の御子とお聞きいたしました。パルハーム殿以外に、人となられた神の御子はいらっしゃいますか?」
「多分いる……」

 尋ねられたラズワルドは、サラミスが何を言いたいのかすぐに理解した。

「サータヴァーハナには”堕ちた神”という存在が御座います。元神の御子が魔王に与していないと断言することは出来ますかな」

 一切の躊躇いなく、保身のためにと言葉を濁すこともなく、サラミスは言い切る ―― 神の子を目の前にして、元神の子ではないのかと。室内は一瞬にして静まり返った。

「貴様! なんたる侮辱!」

 そんな中一番に動いたのは、パルハームの側近であるトゥーラジ。
 彼は床に置いていた剣を掴んで鞘から抜き、ファルジャードの隣に座り発言したサラミスに鋒をつきつける。
 突きつけられた方は、微動だにせず ―― 波の音が響き、

「トゥーラジ!」

 パルハームが叱責する。

「パルハームさま!」
「ラズワルド公が、様々な意見を聞きたいと言われたのを、聞いていなかったのですか。そうでなくとも、神の子の御前で抜刀など」
「申し訳御座いませぬ」
「ラズワルド公、部下の躾がなっておらず、まことに申し訳御座いませぬ」

 ラズワルドの正面にいるパルハームが深々と頭を下げ、剣を鞘に戻したトゥーラジが非礼を詫び退出しようとするが止められた。

「気にしていないし、トゥーラジ、退出しなくていい。お前の意見だって聞きたいのだからな、元の席につけ。あと死のうなんて思うなよ。宝剣と魔王絡みの問題は、打ち明けられる人間が少なく、なかなか意見が集まらないのが最大の問題だ。この先、お前の意見が必要な場面が多々あるはず、分かったな、トゥーラジ。で、サラミスフェルガナが指摘した元神の子かあ。それなら合点がいく。なあ、パルハーム」
「ええ。人の身となっても、人以上の力を有していることも、珍しくはありませんので」

 人間では持ち得ない滅魔の力を所持しているパルハームが同意する。

「この五十年以内に神の子ではなくなったもので、地上に残っている者か。記録とかはないよな、パルハーム」

 神殿長ジャラールがなにかを知っており、魔王の僕マジュヌーンがそれを消そうと動いたという事実があるため、あまり情報のない彼らだが、この五十年という期間だけは絞ることができていた。

「ありませんが……たしかに、わたしが人になる前に、数名神の息子が人となったと、フラーテス公からお聞きしたことが」

 神の子に関する記録、それも神の子ではなくなった者の存在など、残っているはずもなかった。
 ラズワルドはしばし考え、

「念のために、メルカルトに聞いてみよう」

 もしも元神の子が宝剣の盗難に関わっているのであれば、魔王討伐最大の好機・・・・・だと考え、地上に元神の子がいるかどうかについて、主神に問うことに決めた。

「聞けるのですか?」

 地上の知識に関しては精通しているファルジャードだが、残念ながら神秘関係の能力は持ち合わせておらず、祈ってみたところで光りが舞うわけでもなければ、精霊の囁きを聞く才の欠片もない。

「地下神殿の最下層まで行けば、メルカルトに会えるからな。そこで聞く」
「なるほど……」
「ただな、すぐには聞きに行かない。他にも聞きたいことが生じるだろうから、二年後、スィミンとカーヴェーが結婚するときに王都に戻った際に聞く。二人の結婚を祝ったあとに地下神殿を昇る・・。それまでに、どうしても主神に聞かねば分からないことをまとめておくように」
「宝剣の在処なども?」
「それは、精霊王に聞いても……あいつじゃ駄目か。多分メルカルトに聞けば分かる。ただあらかじめ言っておくが、わたしが地下神殿に入り最下層まで行って帰ってこられるのは、あと三回だ。バルディアー」

 ラズワルドは立ち上がり、絹製の青い服を脱ぐ。バルディアーもそれを介添えし、ラズワルドは上半身裸になった。
 そして背を向け、深藍の長い髪を手で一本に束ね持ち上げる。
 青い金で描かれたメルカルト文様は、背中の中程まで。

「随分と文様、大きくなっただろう? ファルジャード、セリーム」

 下宿していた二人の家に遊びに行き、泊まった時に服を脱いで寝るのだが、その時の青で覆われていたのは項まで。
 彼らが王都を発ってから、ラズワルドは地下神殿最下層へと行き、黒髪は深藍に変わり、銀で描かれていたメルカルト文様は金に変わり、文様が描かれる青い肌は項までであったが、今は背中の中程まで。

「地下神殿まで降りられると、文様が大きくなると聞いてはおりましたが」

 ラズワルドとファルジャードは再会後、少し立場が変わったことと、成長したこともあり、今までこの明らかな変化を見せる機会はなかった。

「全身が神の文様で覆われると、故郷に帰らなくてはならなくなるんだ」
「え……それは……」
「わたしたち神の子は、人としての寿命を終えると、全身神の文様で覆われ、何も地上に残すことなく天へと帰る。人としての寿命の他に、地下神殿の最下層に何度も行くと、帰ることになる訳だ。わたしは元々人である部分が少ないから、三度が限界だ。だから、質問はしっかりと集めておいてくれよ、ファルジャード」

 ファルジャードは神の文様が浮かぶ背中を前に、深く跪拝した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 更迭に遷都に宝剣の在処に、疑問の選定など ―― するべきことが随分と多くなったところで、話し合いはお開きになった。
 もっとも偉いラズワルドが最初に退出し、次々と偉い順 ―― 神殿長、諸侯王といった順で部屋を後にする。

「サラミ……お父上」

 ラズワルドと共に部屋から出たはずのハーフェズが、相変わらず軽い足音で、先ほどの場から出たサラミスの元へと駆け寄ってきた。

「どうした? ハーフェズ」
「先ほどの意見、ラズワルドさまがお喜びでした……”感謝している”とのことです」
「そうか。役目を果たせて良かった」
「それとは別に、あの……」
「なんだ? ハーフェズ」
「トゥーラジさんが悪いわけでも、お父上が悪いわけでもないんですけど、ああいう意見は結構危ないので、気を付けて下さいね」

 息子に心配されたことが分かったサラミスは、黄金色の短い頭髪を撫でる。

「心配を掛けたな。だがな、ハーフェズ。あの場では言わなくてはならないのだよ」
「え、ま……その」
「なあに、何時でも命を賭けて意見を述べるわけではない。身命を賭して意見を述べるに値する主君がいるときのみしか言わん」
「あー……」
「ファルジャード卿、そしてラズワルド公は、下々の意見を聞いて下さる御方だろう?」
「はい、そうですけど」
「ハーフェズはどんな意見でも聞いてもらえる、良き御方の部下だから、わたしは安心できる」
「ラズワルドさまは……はい! ファルジャードも、良い奴ですから、がんがん意見言っていいと思います! あの、その、でも無理しないで下さいね! じゃあ、俺ラズワルドさまの所に戻ります!」

 軽やかにラズワルドが待つ部屋に戻るハーフェズと、息子の後ろ姿を、愛おしげに見つめるサラミス。

「あの状況で、あの意見を言えるって、さすがハーフェズの親父さんだよな」
「親子だな」

 動じずに元神の子の可能性について意見しているサラミスの姿を見て、ラヒムとハーキムは「離れていても親子だ」と、深く感じ入っていた。