ハーフェズの主、最後を望む

「世話を掛けたな。ファルナケスに褒美をやっておいてくれ」

 サブアとサマネアの二人に寝具の使い方を説明してから、ラズワルドは自分の寝室へと入り、本日の室内不寝番であるシャープールに褒美を与えるよう指示する。

「畏まりました」
「明日から色々と教えなくてはなあ……他人への服の着せ方や三助ケセジの仕事、少しは文字を教え、あとは馭者も出来るようにしたいし、簡単な料理も作れるようにしてやりたいなあ」

 ラズワルドは奴隷二人に教えようとしていることを、次々と上げながら、先ほど奴隷二人に使い方を教えた枕に頭を乗せと、シャープールが近づき、ラズワルドに絹の寝具を掛ける。
 部屋の内側不寝番がハーフェズ以外の時は、こうして自分に寝具を掛けさせている ―― 神の子が自分で毛布を引張り掛けるほうが珍しいのだが。
 奴隷の二人に教えたいことを語っているうちにラズワルドは眠りに落ち、シャープールは神の子の眠りを妨げぬよう動かず、静かに辺りの気配を窺う。
 ラズワルドの寝所には波の音が聞こえ、星明かりが届く。寝所から続く露台バルコニーには、ふくろうイニスの止まり木が作られており、そこでイニスは首をぐるぐると回している。
 ふくろうイニスはここの他にも幾つかの止まり木を作ってもらっており、さらには部屋も与えられている。
 自分の鳥に部屋を与えるのは、王侯貴族の間では珍しいことではない。もっとも飼われるのはほぼ鷹であり、ふくろうは珍しい。
 星明かりが日の光の下では薄紅色に色づく花崗岩の床を照らし出す。

「…………」

 絹の寝間着を着て絹に包まれ、将来夫になるやもしれない精霊王の闇に懐かれ眠っていたラズワルドが”むくり”と起き上がる。

「ラズワルド公。水をお持ちいたしましょうか?」

 ラズワルドはいつも、眠ると朝まで起きない。

「そうだな」

 そのラズワルドが珍しく夜半に目を覚ました。
 シャープールが杯に注いだ水を一気に飲み干してから、ラズワルドは露台バルコニー伝いで、隣室へと移った。
 シャープールは廊下に控えている外付きの不寝番に声を掛け、ラズワルドは紙と筆を用意し、小さな紙片になにか・・・を書き付けた。

「シャープール」
「はい」
「フラーテスが帰った」
「……」
「眠っていたら、いきなり”帰るゆえ、挨拶にきたのじゃあ”って。起きて気配を窺ったが、もう地上に気配は残っていない」
「あ、ああ……お帰りになられたのですか」
「そうだ。それをパルハーム、まずは伝えておこうと思ってな。よし、墨も乾いたな」

 ラズワルドは記し墨が乾いた紙を細く折り、青い布で包む。

「イニス」

 ラズワルドに呼ばれたふくろうイニスは、のっしのっしと言いたくなるような歩きでラズワルドの元へとやってきて、首を回す。

「お前は相変わらずだなあ。これをパルハームのところに届けてくれ」

 イニスの足に手紙を包んだ青い布を縛り、そう言いつける。了承したとばかりにふくろうイニスは鳴き声を上げ ―― 星の瞬く空へと飛び出した。

「シャープール」
「はい、なんで御座いましょう、ラズワルド公」
「ファルジャードに人をやり、フラーテスが帰ったことを伝えてくれ。それと、明日パルハームを交えて話したいことがあるので、時間を作るよう伝えてくれ」
「畏まりました」
「では、寝るとするか」

 翌日、ラズワルドの邸にパルハームとファルジャードがやってきた。

―― もの凄く、場違いなのだが

 朝に「フラーテスが神の国へと帰った」と知らされた彼らは「それは、それは」だったのだが ―― その後、重要な話し合いをすると言われ、話し合いの場を作ればいいのだろうとクッションを運び、酒や酒器の用意などをし、

「なにを言っているのだ、お前も来るんだハーキム」

 用意が終わったので、辞します……となったところ、ラズワルドに「お前たちも話を聞くんだ」と言われ……ハーキムは以前、奴隷廃止云々の時に話を聞かれた時以上の場違いを感じつつ下座についた ―― 昨日サブアとサマネアだけは、席を外すことを許された。
 席にはラズワルド、ハーフェズ、バルディアー、ファルジャードにサラミスにアサドとセリーム、シャープールとパルハームと彼の側近トゥーラジ。
 ジャバードとメティ、そしてサブアとサマネア以外の奴隷の面々とアルサラン。
 彼らを前にしてラズワルドは、昨晩フラーテスが故郷へと帰ったことを告げ、

「パルハーム、フラーテスからの伝言を伝える。”御主が寿命を終えたら、きちんと迎えにくる、大丈夫、神の国へと連れてゆくら安心せよ、パルハーム。このフラーテスを信用せい”だそうだ。フラーテスはお前のこと、結構心配してたぞ」
「最後までフラーテス公にご心配をおかけしてしまったようで」
「気にすんな……さて、ここから、俗世関係の問題になるんだが。ファルジャード、二三年以内に、マッサゲタイが大きく・・・攻めてくる可能性があるそうだ」

 ペルセア王国の北東と国境を接しているマッサゲタイ王国、この国が侵攻を掛けてくるとき、まず戦場となるはサマルカンド。

「理由などをお教え願えますでしょうか? ラズワルド公」
「大きな理由は、家畜の減少。フラーテスがマッサゲタイに居ることにより、マッサゲタイ領の魔物の活動も抑えられたいた。それにより、家畜が被害に遭う確率も減っていた。その結果、深刻な食糧不足に陥ることが、あまりなかった」
「神の子のお力は偉大ですな。ろくに信仰もせぬ輩の家畜まで救って下さるなど」
「トミュとの約束だったんだそうだ。フラーテス、女王トミュと引き分けた際に、話し合ったんだってさ。こうすることで、ペルセア王国があまり攻められず、民が戦争で死ぬことも少なくなるとな」
「なるほど」

 マッサゲタイ王国の侵攻理由の八割は飢餓。食べることは生きることに直結するため、彼らの攻めは苛烈である。

「その家畜の減少だが、魔物の活発化の他に、気候の厳しさが追い打ちを掛ける」
「気候ですか」
「これは神の子フラーテスじゃなくて、気象学者フラーテスとでも言うべきか、長年気象記録を取っていたんだそうだ。それで、そろそろマッサゲタイで寒さの厳しい年が数年続く期間になるとのことだ。この記録データは、シャーローンにファルジャードに届けるよう指示したから、それを見て判断してくれとのことだ。だが多分外れないだろうな」

 ファルジャードの育ての親でもあった、ペルセアでも名の知れた学者であったイマーン。フラーテスは彼との学術の交流があり、その縁で、ファルジャードが預けられたのだ。

「気象記録は楽しみですが、魔物と寒さの二つが同時に襲うとなると……来ますな」
「だろうなあ」
「まあ、マッサゲタイも今年は持ちこたえるでしょうから、その間に手を打ちます」
「なにをするんだ?」

 飢えたマッサゲタイは厄介だが、

「わたしが飢えを制御します」
「食糧を与えるということか?」
「そうです。満足いくほど与えるわけではありません。飢えるか飢えないか? そのぎりぎりの所に彼らを誘導します。彼らが”戦争を仕掛けるしかない”と思える状況と”戦争をしても勝てない状況だが、そうとは理解できない”状況を重ねて作ります。こうすることで、彼らは大敗いたします」

 ファルジャードの手により飢えを制御されたマッサゲタイを征するのは、容易いこと ―― ファルジャードが関わる戦争は、戦う前に勝敗は決している。

「心強い限りだ。そしてそんなファルジャードだからこそ話すが、ペルセア王国の王子であったフラーテスが魔王を討たなかった理由なのだが――」

 ラズワルドは精霊王・・・を連れて、フラーテスに問いただし、王子であり神の子であったにも関わらず魔王を討たなかった理由 ―― 魔王を討つと水脈が変わり、王都の水が涸れてしまうことについて語った。

「フラーテスはそれで諦めたが、わたしは諦めるつもりはない。ファルジャード、どうにか・・・・できるか?・・・・・

「お任せ下さい」

 パルハーム以外は初めて聞く内容だったため、誰もが痺れたかのように動けないでいたのだが、ファルジャードだけは先ほどマッサゲタイが攻めてくると言われた時よりも驚いた様子もなく返事を返した。

「驚いていないな、ファルジャード」
「まあ、そうではないかな……と、思っておりましたので。こうしてラズワルド公の御言葉を聞き、自らの推測が正しかったことが分かり、自らの才を正しく使っていることを確信いたしました」

 人の身である王でも、討てる可能性のある魔王。半神であるフラーテスが討てないはずがない。となれば、何らかの理由があったのだろうと、ファルジャードは考えていた。

「お前くらい察しが良ければ、気付いてもおかしくはないな、ファルジャード」
「ありがたき御言葉」
「魔王を討つことに関してだが、フラーテスに”エスファンデルとアルデシールどちらがいい”とも聞いた。フラーテスの答えは……ファルジャードなら分かるか?」
「アルデシール王子で御座いましょう」

 二択ゆえ、当てるのは簡単だが、ファルジャードの回答は、自信に満ちあふれており、聞いている者たちは、知っていたのではないかと錯覚するほど。

「本当に良く分かるな。お前、どこかで見てるのか?」
「ラズワルド公のような視界は持ち合わせておりませぬので、わたしのこれ・・は全て推測に過ぎませぬ」
「その推測が全て当たっているのだから、大したものだ。それで、どうしてアルデシールだと思ったんだ?」
「魔王を討つと王都の水脈が涸れる。これ・・を変えられないのであれば、王都を変えるしか御座いません」
「遷都と言うやつだな」
「はい。そしてそのことにフラーテス公が気付かなかったとは思えませぬ。かの公柱もそのことを考えたが、遷都には王と協議をする必要がある……フラーテス公は当時から現在に至るまでの諸王の王ペルセア国王は、その決断を下せる王ではないと判断なさった。となれば、次の王アルデシールを推されたのだろうと」
「アルデシールは遷都に頷くか?」
「遷都に頷くよう説得できる自信は御座います」

 フラーテスがアルデシールを推したのは、ファルジャードと年齢が近く、話を聞く素地があるというのも大きい。

「出来るか?」
「はい。なにせ祖廟から宝剣が盗まれたという事実も御座います」

 もともとナュスファハーンは、宝剣が安置された祖廟の近くという条件に見合った土地に作られた王都である。
 大前提である宝剣がなくなった今、ナュスファハーンに固執する必要はない。

「大陸貿易路を完備し、今まで通りに都市が繁栄し国が富みさえすれば、王はなにも文句は言いませぬ。それが俗世の支配者、所謂”王”というものです」
「へえー」
「ただ人々の心の問題も御座います。多くの者は、住み慣れた土地を離れたくはないと思うことでしょう」
「それはどうやって解消するんだ? ファルジャード」
「神の子の皆さま方が新しい都に住んでくだされば、人々は心安らかに新王都へと移り住むことでしょう」
「なるほどなあ」
「ただ遷都しない道もあります」
「あるのか?」
「灌漑施設である地下用水路カナートを整備し、水を引いてくるという手段です。大厄災ラーミンにより、北東の水脈が使えなくなるのであれば、ナュスファハーンの南西ザグロス山脈から水を引けばよいのです。実際ペルセア王国の農業を支えているのは地下用水路カナート。建築技術に問題は御座いません」

 ペルセア王国の繁栄を支えているのは貿易行路の要所の他に、この張り巡らされた地下用水路カナートにより、豊富に手に入る農作物も大きい。
 庶民が飢えない程度に食糧が供給されるどころか、麦類は国外に輸出できるほど ――

「遷都のほうが、手間が掛からないんじゃないのか?」
「ラズワルド公が仰る通り、遷都のほうが手間も金も掛かりませぬが、大厄災ラーミンの数百年を無駄にしてやれるという楽しみが御座います。多少金が掛かっても、我々人間は大厄災ラーミンの小賢しさになど負けぬと、そろそろ・・・・教えてやるべきかと」
「確かに。魔王を討たれた上に、王都の水脈まで復活させられたら、ラーミンのやつ形無しだな……アルデシールが王位を継ぐのは、十年後くらいだと聞いた。その間に、魔王を討った後の人々が生活できるようにしてくれ」
「はい」
「ファルジャード」
「はい」
「わたしが地上に居る間に、諸王の王シャーハーン・シャーと武装神官たちに、必ずや魔王を討たせる。そのために協力してくれ」
「喜んで」
「ファルジャード。おそらくお前とわたしが居る今しか、魔王は討てぬ」
「……」
「わたしと同じようなメルカルト文様を持った神の子は、また四五十年後には産まれてくるであろう。だがファルジャード、お前が生まれてくるという確証はない。お前のような人間は、それこそ千年に一人生まれれば良い方だろう。フラーテスがペルセア王族であり、神の子でありながら魔王を討てなかった最大の理由。それはフラーテスの時代にお前がいなかったからだ、ファルジャード。わたしとフラーテスの差はそれだけであり、天と地ほどの違いでもある」
「ラズワルド公」
「ファルジャードの話を聞いて思った。わたしが思った通り、魔王を討てるのはこの十年から二十年の間しかない。強い王となる存在があり、王と並ぶ権力を持つ知者が存在し、多少のことでは揺るがぬ豊かな国がある。これほどの条件が揃うことは、二度とないであろう。わたしは最後・・のメルカルトの子になる。この望み、叶えてくれるな? ファルジャード」

 神の子がどれほど降りてこようが、人間側が整わなければ、なにも変えられない ―― そして今、全てを変えられる好機ゆえ、自分が最後のメルカルトの子になるのだと、ラズワルドは断言した。

「仰せのままに」
「アルデシールが帰ってきたら、魔王討伐について話し合おう!」
「畏まりました。では話し合うために、アルデシール王子にはここアッバースの総督となっていただきましょう」
「いきなりなんだ?」
エスファンデルシャーハーン・シャー抜きで話し合うならば、このアッバースは最適です」
「抜きで話し合うのか?」
「彼は含めないほうがよろしいかと」
「そうか」

 魔王討伐、それと平行して行わなくてはならない遷都、もしくは灌漑工事。掛かる費用にその捻出方法や人員の確保など ―― 話し合うことは無数にあるのだが、ファルジャードの頭には、既にほぼ品目が並び、今から用意できることをしよう……という状態になっている。

「パルハーム殿。ラズワルド公のお望みを叶えるに当たって、王子をここの総督にしたい。ご協力願えるであろうか?」

 ここにはフーシャングというインドラと癒着した総督がいる。総督は余程の失態を犯さない限り替えられることはない。インドラにとって使い勝手の良い総督ゆえ、失態を犯さぬよう、また失態を犯したら補佐してやっていた。
 その総督を替えるとなると、色々と厄介事が生じるのだが ―― まずは総督の交代。

「王子が帰国したら、すぐにか?」
「そのつもりだ」
「了承した」

 総督はペルセア国王が直接任命する。
 現在の総督フーシャングは、先々代国王ファルナケス二世が任命した ―― フーシャングが任命されたのは、ファルナケス二世が死亡する一年ほど前のことで、もはや政務のほとんどは先代国王ゴシュターブス四世が取り仕切っており、彼が代理で任命していたということもあり、先代国王が即位してもそのまま。
 現在の国王エスファンデル三世は、戦いにしか興味がないので、治世とそれに携わる人員はすべて据え置きとなっている。
 先代国王が一年少々で死去したのだから、当然の措置とも言えるが ―― エスファンデル三世は本当に治世には興味無く、彼が国王の座を退くその時まで、替えられた総督はフーシャング唯一人。
 頻繁に総督を替えれば良いというものでもないが、治世に興味のないことを悟られるのは良くないことである ―― こうして、ファルジャードに付け入る隙を与えることになっていることからも分かるように。