ハーフェズと主、爪に驚く

 バスラ諸侯が連れてきた奴隷の一部を連れ帰ったラズワルドは「サブアとサマネアは、わたしの邸で働かせる。色々と食事を与えたいので、食べられるようにしてくれ」とシャープールにそのように依頼した。
 シャープールは奴隷に適切な食事を与えるよう指示を出し、二日に一度様子を確認する。
 二人はワーディほど酷くはなかったので、それほど掛からずに、ラズワルドの邸へと移動することになった。

「…………」
「…………」

 薄紅色の花崗岩で作られた、かつて薔薇の邸宅と呼ばれていた邸の前 ―― ここに住まう神の子の旗が、幾本も掲げられている。
 色褪せ一つない群青と金の旗、そして旗を支える支柱も金。
 二人は顔を見合わせ、再び旗が掲げられている門を見る。
 この辺りに建つ邸は、どの邸も大きいので、門には人が控えているのだが、ラズワルドの邸だけは、出入りを監視し、邸の警護にあたる見張りはいない。

「ま、まあ。神の子の御屋敷に、泥棒に入る馬鹿はいないよな、サブア」
「いやあ……入る馬鹿はいるかもしれないが、神罰が下って死ぬんじゃないか、サマネア」
「あー神罰」
「神罰……」

 二人はアッバースに到着してからしばらくは、この邸の近くのラズワルド付きの武装神官たちが、何時でも呼び出しに対応できるよう借りた邸で過ごしていた。
 アッバースまで一緒に来た仲間の奴隷たちは、その邸で働いており、偶に顔を出してもいいと言われている。

「勝手に入っていいのかな」
「行って良いって、ファルナケスさまに言われたけどな」

 このファルナケスとはシャープールに昔から仕えている男で、現在は武装神官の詰め所になっている邸の管理を担当しており、ラズワルドが連れ帰った奴隷たちも、彼が監督していた。
 そのファルナケスにラズワルドの邸に行くよう言われ、こうして二人でやってきたのだ。
 二人きりでやってきた理由は、邸が迷う心配もないくらいに近くにあることも一つだが、

「ファルナケスさまって偉い人だよな」
「ハーキム言ってたなあ。今の王さまの父親の名前と同じだから、きっと偉い人だって」
「そんな偉い人でも、この邸に入っちゃ駄目なんだろ」

 神の子が住まう御屋敷に足を踏み入れるなど、恐れ多くて出来ないと言われ ―― 二人を伴っていた神官フォルーハルも「わたし如きが近づくなど」と。自分たちよりずっと身分のある人たちが、挙って敬い恐れる場所に、奴隷の両親から生まれた、根っからの奴隷である自分たちが入っていいのか? 

「でも、行かないと罰を食らうよな? サブア」
「鞭打ちとか食事抜きは嫌だなあ……行くか、サマネア」

 かといって奴隷である二人は、他に選べる道もなく ――

「あ! サブア! サマネア!」

 門の前で右往左往していた二人は、声を掛けてきた人物を見て安堵する。

「ワーディ!」
「良かった! 二人とも、服を脱ぐのを手伝ってくれ」
「おお! いいぞ」
「小便か? その格好じゃあ小便するのも大変だろう」
「ああ、そうだ」

 二人は勢いでワーディと共に門をくぐった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ワーディは純白で肩口までの長さがあるクーフィーヤを被り、ラティーナ帝国発祥のカリガというサンダルを履き、群青色のズボンに金で縁取りされた黒のサッシュベルトを巻き、絹製の青い袖無し上衣を着て、銀貨が三枚入った籠を片手に市場バザールに、買い物にやってきた ―― 絹服を着て市場バザールで買い物をする奴隷というのは、非常に奇妙な存在なのだが、これには少々訳があった。

 サマルカンドから途中寄り道を経てアッバースに戻って来たラズワルドたちは、旅の垢を落とすと採寸し、新しい服を作らせた ―― まだ十代で成長期の彼らは、一年で随分と身長体重が変わった。そして十代の彼らだけではなく、おそらく・・・・二十代半ば前後のワーディも、心づくしの食事と適切な運動、そしてたっぷりの睡眠を取ることができるようになった結果、身長も少し伸び、体重も増えた。
 もちろん今まで着ていた服や、邸に残していった服でも足りる程度の変化だったのだが、

「きつめの服を着たら、また痩せてしまうかもしれないじゃないか」

 折角太ったのだから、その分服を広げねば、また痩せてしまうかもしれない! というラズワルドの意見により、ワーディも服を新調することになった。
 三日後に服は完成する ―― 完成するまでの間は、以前の服を着て過ごすのだが、ワーディは邸にあった自分の服を着させてもらう。
 当然ながら成長した分、体に合ってはいなかった。
 ラズワルドの元に来るまで、体に合わない古着しか着たことがないワーディとしては、これでも充分だったのだが、

「破けた服を着て歩くのも格好悪いから、短衣だけ着ていけよ」

 長袖に腕を通すのを手伝ってくれたラヒム「神の子の奴隷が、この格好で出歩いちゃだめだ」と言われたので、ワーディは袖無しの短衣をはおるだけにした。
 そして籠を持ち、ラズワルドの元へと向かい、籠に銀貨を二枚貰い、

「苺か甘橙オレンジ、どちらかを見繕ってくれ」

 欲しいものを聞き、ワーディは一人市場へと向かった。
 約一年ぶりの市場バザール。顔なじみの者もいれば、初めて見る顔の者もいる。ワーディは市場バザールを歩き、そして一年前、よく果物を買っていた店で、

「銀貨二枚で買える分を」

 初顔・・の店番から苺を買った。
 店番は初めて見る・・・・・片腕のない男が、銀貨二枚も持ってきたことに驚いた。
 籠を受け取り銀貨を二枚手に取った店番は、片腕のない人の良さそうな男を安く見積もり、銀貨一枚も要らずに籠一杯になる苺を、銀貨二枚取っておきながら籠の半分ほどしか入れなかった。
 籠を渡されたワーディは、一年前より随分と少ないな……とは思ったが、食糧品の値段には高下があることは知っていたので「今の時期の苺は、銀貨二枚でこの位の量なのか」と、籠半分の苺を素直に受け取り帰っていった。
 店番は馬鹿な片腕の小金持ち・・・・だと嗤い、銀貨二枚をくすね・・・、自分の懐からワーディが買った分にあたる銅貨五枚を、売上金を放りこむ籠に入れておいた。
 店番の悪意など知らぬワーディは、ラズワルドが「うん、美味い。もう少し食べたいな」と言っていたので、翌日も再び同じ店へと行き苺を買うことにした ―― 新しい服はまだ完成してはいない。
 店番は再びかも・・が来たと ―― 今回は銀貨二枚をくすね、籠に一杯の苺を詰めた。
 ワーディは「今日もラズワルド公が喜んで下さる。早く持ち帰って洗おう」そんなことを考えながら、店を後にする。

 店番はラズワルドとワーディの関係を知らなかったが、周りの店の者はその関係を知っている ―― あの片腕の奴隷は、神の子から銀貨を二枚預かり、買い物にやってくると。庶民の市場バザールでは、銀貨一枚もあれば、その日店に並べている商品を全て買うことができる。

『経済を回すためには、金を使わなくてはならないのだ。例え僅かだとしてもな』

 神の子の口に入るのだから、献納させていただきますと言っていた店主たちに、ラズワルドはそう告げた ―― 「経済を回す」という言葉を理解できた市井の者は一人もいなかったが、神の子がそのように仰るのならば、ありがたく頂戴いたします……という形が出来上がっていた。が、ラズワルドが旅をしていたこの一年以内にアッバースを訪れた者は、そういった決まり事を知らない。店番は今日手に入れた二枚の銀貨もくすね・・・、明日も片腕の小金持ちワーディが来たら、かも・・にしていやると ――

「叔父さん! 助けて!」

 親族が開いている食堂で、顔なじみの他の客に、旅の話をしながら軽い食事を取っていたメティのもとに、甥がいきなりやってきて、大声で叫んだ。

「どうした? 誰かに襲われたのか?」

 メティは柄に手を触れ、立ち上がる。

「あー銀貨が! 銀貨が!」

 甥はメティの前で泣きながら崩れ落ちる。泣いている甥からは事情を聞けそうないと、メティは甥を残して姉夫婦の家へと急いだ。
 なぜ甥の自宅へ向かったのかというと、この姉夫婦はメティの親の仕事を継ぎ、商店を営んでいる。甥が「銀貨」と言ったので、店の売り上げ金の中に、武装神官をしている叔父メティに助けを求めたくなるようななにか・・・があったのだろう ―― 
 急ぎ実家の住宅権店舗に向かうと、店の前には人だかりがでてきており、

「どうした!」

 何事かと声を上げて近づく。そこには血まみれの男と、姉に謝る果実店の店主がいた。
 メティに気付いた姉は、銀貨を差し出した。

「こ、これ!」

 震えている姉の手の平に乗っている銀貨にメティが触れると、痺れが走り手を勢いよく離す。
 その仕草を見て、姉は銀貨を持ったまま泣き叫ぶ。

「やっぱりこれ、盗品なのね! いやあああ!」

 メティは盗品に触ると痺れ、それで判断できるという能力があった。魔を屠る力の副産物の一種で、持っていない者も大勢いる。ただこの能力を持っている者は、必ず魔を屠る力を所持している。
 両親が店を開いていたので、メティも幼い頃から店番などを手伝っていたのだが、偶に代金として受け取った硬貨や、父親が仕入れた品などを触ると痺れることに気付き、そのことを父親に告げた。
 息子メティが顔をしかめている理由が分かった父親は、店を継がせることを諦めた。
 この力は家族や周り近所の人も知っているので ――

「落ち着け、姉さん。どうしたんだ?」
「公の銀貨を盗んだ奴が、うちの商品を買ったのよ! わたし代金として、盗まれた銀貨受け取っちゃったのよ! どうしよう! どうしよう!」
「……公の銀貨」

 知らない血まみれの男と知っている果物店の店主を見て、メティは大体の想像がついた。

 市場バザールには色々な店が出ており、店を並べる者たちは、顔見知りである。本日果物店の店主は、街中の小さな神殿で、向かいの店の顔見知りに会った。
 そこで店主は「銀貨を寄付か」と話し掛けられ ―― ラズワルドが買い物に使っている二枚の銀貨のうち一枚は、誰が言ったわけでもないのだが、当然のように献納として神殿に収められていた。
 店主は昨日の売り上げに銀貨はなかった ―― 店へと戻り番をしていた男に銀貨を出せと詰め寄り、大声で怒鳴り付け、周りの者も協力して男から暴力的に銀貨二枚を取り上げた。
 だがこの銀貨は、今日の銀貨であり、昨日の銀貨ではない。
 店主は昨日の銀貨はどこだと ―― 二枚とも既に使われており、その一枚がメティの実家の店で使われ、もう一枚は妓楼で何時もは手が出せない高い女を買い、使い切っていた。
 メティの実家の店で買ったのは、この辺りでは見かけない意匠デザインの首飾りで、

「妓楼の女への贈り物を買ったと」

 小洒落たもので、抱いた女の贈り物になっていた。
 メティは銀貨をくすねた店番の身柄を預かり、話を聞くために治療をし、店番が女を買った妓楼へジャバードと共に向かった。

「と言う訳だ」

 妓楼の店主に事情を話すと、

「昨晩の売上金は、もうインドラさまに収めちまった……」

 雇われ店主は禿頭を抱えた。
 店主は隙あらば他人のものを盗むことに罪悪感などもたぬ人種だが、神の子の施しをかすめ取るほど卑しくもなかった。

「伝えておけばいいだろ」

 メティとジャバードは、あとはインドラと店主に任せたとばかりに立ち去ろうとしたのだが、事情説明に立ち会ってくれと店主に頼み込まれ ―― 地元出身の性であり柵。実家が商売をしている以上、そう無下にすることもできないので、二人は店主とともにインドラの邸へと出向き説明をした。
 火傷した顔半分を布で覆い隠し、クーフィーヤを被っているインドラの表情を、二人は読むことはできなかった。

「わざわざ教えて下さって感謝する」
「事情はお伝えしました。あとはそちらで対処を」
「お願いがある」

 絹のクッションを敷き詰めた大きな椅子に、腰を降ろしたままのインドラからの「お願い」 ――

「出来ることでしたら」

 インドラの態度は人に者を頼むそれ・・ではないが、メティとジャバードはインドラの傑出した能力を認め、自身の能力では及ばぬことを理解しているので、人間としては全く尊敬できない相手ながら、無礼な態度でも怒りを覚えることはなかった。

「今から昨晩の売り上げを全て集めて、神殿に献納したい」

 神の子ラズワルドの威光を使えば、この場でインドラを平伏させることも可能だが ―― 二人ともそのようなことはしなかった。

「……銀貨だけでもよろしいのでは?」
「手間だ、と言ったら、御主等は怒るかね?」
「いいえ。わかりました、たしかに神殿に収めます。……運ぶ馬車は貸していただけますかな? インドラ卿」
「もちろん」

 インドラは部下に命じ、昨晩の妓楼の売り上げを全て集め、革袋に詰めさせた。

「本来ならば、自ら神殿に出向き収めるべきところだが……後ろ暗い人生を送っている自覚があるので、神の子がおわす神殿に近づくのが怖ろしくてな」

 ”ああ、こいつインドラ自覚あるんだ”と ―― 二人は大人なので表情に出すことはなく、妓楼の売り上げを神殿に運び込み、事情を説明した。
 アッバースの有力者からの献納ゆえ、すぐに神殿長パルハームの耳に入り、

「銀貨二枚配った筈なのに、どうしてこうなった!」

 パルハームの元で力の使い方を習っていたラズワルドも知ることとなり ―― 神殿に金を貯め込むのは良くないので、僅かながらでも金を市中に回そうとしたのに、

「ざっと見ても、銀貨五十枚以上はありますね、ラズワルドさま」
「なんということだ!」

 灰燼に帰す状態。
 不本意極まりない! といった態度を隠さないラズワルドに、

「じゃあ、返しましょうよ、ラズワルドさま」
「え?」
「インドラは単に神罰とか厄介ごとを恐れて、小金を神殿に渡しただけのことです。心からの献納というわけでもありません。そんなもの、受け付けてやる必要もないでしょう」

 インドラがキアーラシュだと知っているハーフェズの態度は辛辣の一言である。

「まあ……」
「ラズワルドさまなら、この金を浄化することも簡単にできますよね。浄化して返せばいいんですよ。そうしたら、金が回ります」
「ふむ、良い案だなハーフェズ。……その革袋の金は、もう大丈夫だ」
「相変わらず、なんの動きもなしで!」

 ラズワルドは手間暇を掛けて空間を設えたり、仰々しく祈るようなことをせずとも、そういったことは出来る ―― ハーフェズたちはそれを良く知っているのだが、知っていても、やはり慣れないのが人間である。

「じゃあ、少し光祈でもするか?」
「そんな勿体ないこと、しなくていいです……ジャバード、一緒に返しに行きますよ」
「ハーフェズが行くのか」
「はい、この二人だけだと、またインドラに厄介事を押しつけられかねませんので」
「……ま、行くのは良いが、くれぐれも慎重にな、ハーフェズ」
「ラズワルドさまに慎重にって言われるとか、俺そんなに無謀でしたっけ?」
「わたしよりは、無謀ではないな」

 こうして昨晩の売り上げは全額インドラの元に戻った ――
 この事件の元凶は手癖の悪い店番なのは言うまでもないが、ワーディが一目で神の子の使いだと分からなかったことも、遠因として上げられる。
 ラズワルドの施しを掠めた店番は、普通の盗み以上の罰を科せられたが、ラズワルドの温情により、どこを切り落とされるでもなく、都市の追放だけで済まされた。
 ラズワルドとしては、人間を陥れるつもりはないので、盗みなどを働いて欲しくはなく ―― ならば、一目で神の子の使いだと分かるようにしなくてはならないとの結論に達した。

「……と言うわけで、ワーディはそれなりの格好をして市場バザールに出向かなくてはならないのだ」

 サブアとサマネアが来たので、簡素ながら宴を開くこととなり、その席でラズワルドはワーディが自分では脱ぎ着できない服を着て、出歩かなくてはならない理由を説明した。

「サブアとサマネアも、服を新調する。わたしの奴隷であることが、一目で分かる服が出来上がるまでは、窮屈だろうが邸で過ごしてくれ」
「…………」
「…………」
「二人とも、喋っても大丈夫だ。きっとファルナケスのことだから、喋るなって教えただろうが、まあ気にするな」
「…………」
「…………」

 ラズワルドに”喋って良い”と言われた二人だが、何を喋っていいのか分かるはずもなかった。

「二人とも緊張しているんですよ。慣れるまでは、我慢ですよラズワルドさま」
「分かった。サブアとサマネアが話し掛けてこなくとも、わたしは喋るからな。それで、二人の仕事だがワーディの生活の補佐と、わたしがこの邸にいる際の身の回りの細々としたこと。あとはこの邸にいるラヒム以外の者たちの体を洗うこと。小間使い兼三助ケセジだな。三助ケセジの仕事に関しては覚えて行けばいい」
「…………」
「…………」
「もともと細々したことはバルディアーとラヒムがしてくれていたのだが、二人とも忙しくなったんで、その穴を埋めてくれ」

 完全に無言の二人を眺め ―― 

「ワーディ」
「はい!」
「二人にここで働くに当たって、注意すべきことがあるのなら、教えてやれ」

 これから一緒に働き、補佐をしあう仲間である二人に声を掛けるよう促す。

「え、あ……」
「べつに訓示しろと言っているわけじゃない」
「訓示?」

 当然ワーディは訓示などという言葉は知らず。

「シャープールが朝、部下たちを一列に並べて喋っているあれだ」
「あ、ああ……はい。あの、サブア、サマネア、ここで働くと爪が伸びるようになる。爪が伸びたままだと怪我するから、最初の頃はまめに見せてくれ」

 ワーディの注意事項に、ハーフェズとラズワルドは顔を見合わせたが、

「それは大事だな。二人とも、ここはバスラと違って、カリガを履く生活になるから、足の爪も伸びるから気を付けろ」

 ハーキムもワーディと同じような注意を二人にする。
 なんのことだ? と驚いている一人と一柱を余所に、他の奴隷たちは爪の手入れについて熱く語り ――

「奴隷は爪伸びないのか」

 一段落ついたところで話を聞くと、肉体労働をしている奴隷は、ほとんど爪が伸びることはないのだと聞かされた。

「仕事をすることで、爪が削れてしまうんですよ、ラズワルド公」

 ラズワルドのお供と勉強、そして剣の稽古をする際には、特製の篭手をつけ、特注品の小さな軍靴を履いていた、生まれながらの奴隷でありながら、まったくそんな経験のないハーフェズも驚き聞き入る。

「へえー」
「あと靴を履かないので、足の爪もすり減ります」

 ラズワルドに買われる前は、素足で過ごしていたラヒムや、自由民だったが靴を買う余裕がなかったので裸足だったハーキムなどが、真の庶民の事情を説明する ―― ちなみにバルディアーは建物から出られず、体を動かすことのできない生活が長かったため、手足の爪は今よりも伸びが早かった。

「ほー……そうなのか。二人とも気を付けろ……というより、ワーディとハーキム、注意してやるように」
「はい」
「御意」

 二人の歓迎の宴は、無事に終わった。
 その後、二人を部屋へと連れて行き、

「ここがサブアの部屋だ。サマネアの部屋も同じような作りだから、ここで説明するが、寝る時はこの寝台に横になり、敷布シーツを体にかけるんだ。この筒状のものは枕といい、こうして頭を乗せる。分かったか?」

 ラズワルドはサブアの寝具に横になり、寝方を説明する。
 それというのも、かつてワーディを助けたあと、部屋を与えて眠るよう指示を出したまでは良かったのだが、寝台を見たことがなかったワーディは、絨毯が敷かれた床の上で横になっており ―― ワーディが寝台を知らないことにラズワルドたちが気づいたのは、最果てエスカテの砦で過ごすようになってから。それまでワーディは、寝台ではなく床の上で眠っていた。
 その話を聞き、説明を終えたからと去っていったラズワルドを見送ったサブアとサマネアは、

「俺も教えて貰わなかったら、床に寝てると思う」
「いや、床柔らかいしな」
「寝台って、あれなんだ」
「寝るための道具らしいけど、初めて見た」
「公柱が着ている服みたいに、輝いてるぞ寝台」
「神の子が寝た寝台に、俺が寝ていいのか?」

 ワーディが床に寝たのも頷けると ―― その後、服を脱ぎ寝台に横になった二人だったが、綿が詰まった敷き布団が敷かれ、絹の敷布シーツが掛けられた寝台に慣れず、結局初日は床に横になり眠った。