ハーフェズと主、ナスリーンに引き合わされる

 ハーフェズとバルディアーは正式な武装神官となった。
 目出度いことなので、主であるラズワルドが宴を開く。ただこの宴はラズワルドも臨席するため、出席者はファルジャード、セリーム、ラヒム、ハーキム、ワーディ、アルサランのみ ―― ラズワルドが臨席すると、緊張の面持ちになる者ばかりなので、そうならない面子を選んだ結果、この少人数になってしまったのだ。
 緊張しないのに選外になったナスリーンもいるのだが、ナスリーンは後日サラミスと共に親子で祝うことになっている。
 宴は薔薇色の邸ラズワルドのいえで行われたのだが、宴の参加者イコール邸の召使い。宴の料理を作るのも参加者 ――

「ラズワルド公がいいなら、いいんだが」

 羊肉を焼いているラヒムが、調理場に隣接している広間に作られた宴の場を眺めながら呟く。

「料理は温かいほうがいいそうだからな」

 樽に入っている葡萄酒を、柄杓で掬い酒器に移し替えているハーキムが答える。
 この二人は宴に参加しつつ、給仕をしていた。
 焼いた肉に果物に木の実、そして酒という宴の料理しては質素な品目で、歌や音楽もないのだが、会話が弾む。

「こんなにも楽しい宴は、久しぶりだ」

 炒って軽く塩を振った胡桃をかじり、セリームが注ぐ葡萄酒をかたむけながら、ファルジャードはそう言う。

「しょっちゅう宴に呼ばれてるだろ」

 サマルカンドの王になったファルジャードは、アッバースの権力者とよく宴で顔を合わせているのだが、それは毒や暗殺者などを警戒しながら、相手の腹を探るという作業を為ねばならぬばであって、セリームの肩を抱いて、気分良くほろ酔いになれるような場ではない。

「あれは、楽しくないんですよ、ラズワルド公」
「そうなのか。柵というやつだな」
「はい」
「ここではそういうのはないから、自由に飲め」 
「はい。セリーム、もう一杯」
「はいはい」

 笑顔を絶やさず酒を飲んでいるファルジャードの隣にいるセリームに、酒を入れた酒器をハーキムが差し出す。

「ありがとう、ハーキム」

 受け取った酒器から杯へと葡萄酒を注ぎ、ファルジャードはそれに口づける。話をして料理を楽しみ、結構な量が用意されていた酒が随分と減った頃、

「ハーフェズ、ハーフェズ」
「みゅ……ねみゅ……」

 ラズワルドの隣にいたハーフェズが酔いつぶれた。

「寝るか。あとはみんなで、楽しく飲み食いするといい。ほら、ハーフェズ」

 ラズワルドはハーフェズに背を向けてしゃがむと、子供の頃からの条件反射のように、ハーフェズはその背中に抱きつく。

「よし、行くぞ!」

 ラズワルドはハーフェズを背負い、寝室へと向かった。

「お待ち下さい、ラズワルド公」
「バルディアーはまだ飲んでて良いんだぞ」
「いえいえ。もう充分飲んだので」

 バルディアーは酒の飲み方と、躱し方が上手いのでハーフェズほど酔ってはいない。

「そうか」

 バルディアーは水差しになみなみと水を注ぎ、それと杯を盆に載せた。
 不寝番は任せて下さいと、飲んでいる筈なのに、全く表情が変わらないアルサランがラズワルドの後をついてゆく。

「ラズワルド公、重くはありませんか」

 ラズワルドの背中ですっかりと寝息を立てているハーフェズが、重いのではないかと。バルディアーの問いに、

「重いが、運べない程ではない」

 ラズワルドは正直に答える。

「何時でも代わりますので」
「ありがたいが、大丈夫だ。ハーフェズを運ぶのは、子供の頃からわたしの仕事だしな」
「……仕事」
「ああ。子供の頃、転んで泣いたハーフェズを、よく背負って帰ったものだ」

 ハーフェズは些細なことでも泣く子であった。
 子供の頃闊達だったラズワルドは、ハーフェズの手を引いて駆け回る。自分の興味の赴くままに駆け回るラズワルドに振り回され、足が縺れて転んでいた。それで手をすりむけば大泣きし、足をすりむいても大泣きする。さらにどこかに怪我を負っていなくても、転んだだけで泣き出す。こうなるとしばらく泣き続ける ――

「子供の頃は、泣きながら歩くということが出来なかったから、わたしが背負って連れて帰っていたんだ!」

 楽しげにそして誇らしげに笑っているその表情に、

「そうでしたか」

 バルディアーは自分が正式な武装神官に就任したと時よりも、嬉しい気持ちがわき上がってきた。
 寝室にたどり着いたラズワルドは、いつも通りの雑さで寝具に仰向けに倒れた。寝具とラズワルドの間に挟まったハーフェズはというと、目を覚ますこともなく、ラズワルドの首に回していた手が外れ、絹の敷布シーツの上に力なく落ちる。
 バルディアーは盆を小さな卓子テーブルに乗せた。

「よーし、寝よう、バルディアー」

 ラズワルドは自分の寝室まで行くつもりはなく服を脱ぎ、

「ハーフェズ、もっとそっちだ」

 寝台の真ん中で眠っているハーフェズを、容赦なく押して場所を作り、

「バルディアーも休もう」

 寝具に飛び込んだラズワルドが、枕を叩き「こい」と ――

「あ、はい」 

 こういう時は素直に従うのが人としての責務であると、バルディアーも上着を脱いで、失礼しますとラズワルドの隣で横になった。

「……」
「……」

 ただラズワルドとバルディアーは、それほど酔っていなかったので寝付けず、ハーフェズの寝息と波の音を聞きながら、しばし天井を眺め ―― 眠くなるまでの間、昔の話などをしながら過ごした。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 目を覚ましたファルジャードは、非常に満ち足りた気分であった。
 周囲を窺うことなく飲む酒、毒の有無など心配することのない温かい料理。裏を探られることのない会話。気持ちよく酔ったところで、絹で包まれた寝具の上で、思う存分性欲を発散させて、そのまま眠りにつく。
 ファルジャードは両腕・・に感じる重みに微笑み、まだ眠っている二人・・の髪を梳く。

「……二人?」

 髪を梳いていた手が止まる。

―― 一人はセリームだ。ではもう一人は……細い……いやこれは痩せすぎ……

 右腕に抱いているのがセリームなのは、慣れた感触で分かった。左腕に抱いているのは非常に骨張っていた。恐る恐る左側を見ると、見覚えのある茶色の髪 ―― ワーディであった。
 高い位置に作られた、明かり取り用の透かし彫りの窓から差し込む朝日の移ろいを眺め、ファルジャードは昨晩の出来事を思い出す。

―― ラズワルド公が戻られてから、しばらくラヒムと数学について語り合い、そして俺とセリームが寝所に……俺の足下がおぼつかないから、ワーディが肩を貸してくれ、セリームが水の入った桶と杯を持ち、寝所までやってきた。
そこで別れ……浄房トイレに行きたいと俺が言い出し、ワーディがそのまま連れていってくれ、用を足している間にセリームがやってきて、ワーディも用を足そうとしていて、服が邪魔そうだからセリームが手伝っている所に俺が……そのまま二人を寝台に連れ込んだ…………抱いた記憶も戻ってきた。言い訳できないくらい抱いたな

 勃起する程度の酔いなので、記憶が飛んでいるということはなく、明晰な頭脳は昨晩から今朝方にかけてのことを、細大漏らさず思い出した。

―― ラズワルド公の奴隷だから詫びるのは当然としても……分かっていただけるだろうか……

 持ち主の許しなしに手を出したのだから、相応の罰やらなにやらを受けるのは当たり前のことだと受け止めているが、しでかしたことを説明するとなると、ファルジャードの心も重くなる。

―― ラズワルド公が情交についてご存じとは思えん……ハーフェズは……シャープール卿とパルハーム殿に相談しよう

 神の子に嘘をつくことはできない ―― 事情を詳らかに出来ないとなれば、詳らかにし取り計らってくれる人に頼むしかなく、依頼する相手は人格的に優れていなければ、色々と問題が生じる恐れがある。

―― パルハーム殿への礼はカルデア経由でし、シャープール卿へは……だが弱みを握られるのは

 取りなしてもらうにしても、それが弱みになるのは避けたいと悩んでいるファルジャードの寝室に、

「失礼します」

 湯の入った大きな桶を持ったハーキムと、その他こまごました物を持ったバルディアーがやってきた。
 ファルジャードはセリームと共に邸に泊まると、情事が行われるのは邸の主ラズワルドその腹心ハーフェズ以外は知っている。
 貴人の情事後の後始末は召使いの仕事 ―― 情交の後始末などに関しては、完璧な知識を持っているバルディアーが行っていた。
 そのうち「覚えておいたほうが良いような気がするんだ」と言うハーキムが付いて来るようになり、二人で後始末をしていた。
 バルディアーは持ってきた荷物を床に置き、寝台に近づきセリームを起こそうとしたのだが、

「……ワーディ?」

 きっと酔って部屋でまだ寝ているのだろうと思っていた人物が、首筋だとか脇腹だとかに情交の痕を付けて、ファルジャードと同衾している ――

「えっと、その……まあ、同意があれば……でも同意があっても、ワーディは奴隷ですので……えー」

 とりあえず起こして水を飲ませて、ファルジャードに「どうするんですか?」と尋ねる ―― 奴隷は性行為に関しても主の許可が必要。ただそれなりの地位があれば、許される。以前バルディアーがカスラーと寝たが、バルディアーの括りはカスラーと同じく軍人奴隷なので問題はない。だが、ワーディの括りは普通の奴隷。これは主の許可なく性行為をすることは許されない。無理矢理襲われた場合などは、襲った相手に賠償金を求めることも可能。

「俺はわりと頭がいいと言われるのだが、最良の案は思いつかん」
「はあ……」
「水浴びをしてくる。あとは頼んだ」
「はい。どうぞ」

 ファルジャードの水浴びは何時ものことなので、バルディアーは持ってきた大判の綿紗ガーゼを渡す。
 ファルジャードはそれを受け取り、脱ぎ捨てた服を拾い集め、全裸のまま厩舎側の井戸へと向かい、何杯も水を浴び綿紗ガーゼで体を拭き、服を着直して昨晩宴が開かれていた部屋へと向かうと、肉の焼けた香ばしい香りや、香草ハーブの汁物の香りが漂いう部屋で、色とりどりの糸で刺繍が施された服を着たラズワルドが、食布を広げていた。

「ファルジャード」

 ラズワルドは今日も元気であった。

「おはようございます、ラズワルド公」
「おはよう! 昨日はわたしの退出後も、楽しんだか」
「はい! 楽しみすぎました」

 包み隠さず本音を語り、料理を作っているラヒムの元へと向かうと、

「どうすんの、あんた」

 事情を聞いたラヒムが、どうやって釈明するつもりだ? と ――

「出来ることなら、お前の頭脳も借りたい」
「……まず、飯食ってからな。皿に盛ったナンを運べ」
「了解した」

 朝食を取り終え、ラズワルドとバルディアー、ハーフェズは近くの館に控えているシャープールたちの所へと行き、

「事情は分かった。どうやって謝罪をしたらいいか? ということだな」

 食事の後片付けを終えたらラヒムが、事情を聞いてから着地地点を指し示す。

「そうだ」
「ところで、セリームの目線から見て、今のファルジャードの話はどう・・なんだ?」
「ほとんど合ってる……その……最初に抱かれた時点で、ワーディを逃がす機会を失っちゃって……」

 セリームは「ワーディにちょっかい出すんじゃありません!」と注意したのだが ―― 気付いたらファルジャードに抱かれていて、以降の記憶は随分と曖昧である。

「じゃあワーディは?」
「多分そうだと思う」

 ワーディは抱かれた頃、酔いがまわり夢見心地でファルジャードに抱かれていた。

「なんでワーディは、部屋から出ていかなったんだ?」

 最初に手を出されたのがワーディならば、セリームが引き離して……となるが、話を聞くとセリームが抱かれている間、ワーディは大人しく裸で待っていたことになる。

「ファルジャード卿が、そこで待ってろと言ったから待ってたんだ」
「あー……それは当然だな」

 生まれついての奴隷であるワーディに、自分で考えて動けというのは酷である。ましてや命令を下したのは諸侯王 ―― 偉い人に逆らうなどワーディには思いつきもしない。

「……よし、ラズワルド公に包み隠さず、事情を説明しよう」

 ラヒムが出した答えは、男性同士の性交があることを含めて話そうというものであった。

「だが……」
「どの道、ハーフェズが寝るようになったら、説明しなきゃならないんだ。いまのうちに説明しておいても良いだろう」

 先延ばしにするよりかは、今話してしまおう! と ――

「……」
「それに俺も許可取りたいしな」
「なんの?」
「俺が男と寝る許可だが」

 鍛錬を休み話し合いの場にいたハーキムが、額に手をあてて俯く。それは嫌悪感などではなく、然るべき時がやって来たのだ……というもの。

「……そうか。お前のように許可を取ってから寝るべきだったな」
「そりゃそうだろ」

 こうしてラズワルドは「ファルジャードがラズワルドの奴隷を無許可で抱いてしまいました」という報告を受けることになった。

「夫婦の営みというやつか。具体的なことは知らんが、わたしがそれをすると神の子ではなくなるんだよな?」
「はい、そうです」

 説明するのならば自分でと、ファルジャードがラズワルドに説明をする。

「でも夫婦って普通男女だよな」

 ラズワルドは決して愚鈍ではないのだが、性交を理解するのに非常に時間を要した。

「女性については分かりませんが、男は夫婦の営みと言われる行為をする欲求が溜まると、誰相手でもしたくなるのです。その相手が男であっても止まりません」
「ほー」
「俺は性欲、営みをする欲求のことですが、その性欲が多少人より強いのです」
「ほう」
「普段は無軌道なことはしないのですが、昨晩は気が緩んでいたため、ラズワルド公の奴隷であるワーディを情交相手にしてしまいました。この行為は奴隷の主から許可を取る必要があります。許可を取らず行為に至ったお詫びいたします。なんなりと罰をお与えください」
「…………多分、一生情交それをわたしが理解することはないが、お前が誠心誠意謝罪しているのは分かったぞ、ファルジャード。で、聞きたいんだが、普段はどうしてるんだ?」
「セリームが相手をしてくれています」

 セリームの主もラズワルドだが、セリームのことはファルジャードに一任しているので、ここでは問題にはならない。

「ふむ……昨晩セリームは?」
「セリームもおりました」
「性欲が強いと一人では足りないということか。ところでワーディ、ファルジャードとの情交はどうだった?」
「どう……とは?」
「わたしも分からないが、嫌ではなかったようだな」

 ラズワルドは性交がどのようなものか、全く分からないが、ワーディの姿や態度を見る分には、悪いことではないらしい ―― 夫婦の営みなので悪いはずがないと思う反面、それが男同士の場合はどうなのだろうか……などと疑問は尽きないが、その辺りラズワルドはふわふわ・・・・している。
 もちろん隣で聞いているハーフェズも、同じくふわふわ・・・・状態。

「あ、はい。優しかったです」
「優しい? ……優しくなかったりもするもんなのか? まあいい。セリームは、性欲は強いか?」
「あ、……多分普通だと思います」
「そうなのか。セリーム、一人でファルジャードの相手は大変か?」
「正直に言いますと、少し大変です」

 性欲の差もあるが、もともと男性を受け入れる体ではないのだから、負担も大きい。
 セリームに無理をさせている自覚のあるファルジャードとしては、情事の翌日は寝所で怠惰に過ごしてくれていいと思っているのだが毒などを警戒して、自分で肉を焼き炭にしたそれにくを食べて過ごすような真似をさせるのは、身の回りの世話用の奴隷として買われたセリームの矜持が許さないので、痛む節々と後孔に耐えながら仕事をする。

「たまにワーディに代わってもらうというのはどうだ?」
「え……あ、その……えっと……」

 「はい」と答えていいのかどうか ―― 普通相手を選ぶ権利は偉い側である、ファルジャードにあるのだが、ラズワルドはその辺りのことは分からず、人間社会の「偉さ」と言うものにも無頓着なため、通常選ぶ側ではない方に選択肢を投げかけた。

「ちなみに、ワーディはたまに代わっても平気か?」
「へ、平気? え、あ……」
「ラズワルドさま、選択肢を出されるとワーディさんが困ってしまいます」

 長いことごくありふれた奴隷として生きてきたワーディは、選択肢を選ぶという行為がまったくできない ―― これはワーディだけではなく、生まれた時から奴隷であった者には当たり前のこと。なにかを選ぶということをせずに生きてきた奴隷にとって「やりたいことを選べ」というのは「死ね」と言われるのと同等なほど、難しいことである。

「そっか……とりあえず、わたしは性欲というものが理解できないので、その解消に関しては各自の判断に任せる。ファルジャードはセリームとワーディと話をつけて、わたしに分かるよう・・・・・報告してくれ」

 その後、ファルジャードはセリームとワーディと話し合い、ラズワルドの邸に泊まりに来た際は、ワーディにも・・相手をして貰うこととなり、

「分かりやすいかどうか、不安ではありますが、機微ニュアンスとしてはセリームが第一夫人、ワーディが第二夫人という形になりました」

 それをラズワルドにも分かる言葉を探した結果、こう・・なった。

「夫人? ということは夫婦? 初めて夫人の座に就くのがセリームとワーディなのかあ……あれ? たしか正妻は十五番目から配置するって言ってなかったか?」

 この時代、金持ちは一夫多妻が許されるが、一応妻の数には制限があり、それ以外は全て妾ということになる。
 正妻の数は国や身分によって異なり、ペルセア王国諸侯王は第一から第十五夫人まで妻として迎えることが可能。妾の数はどの国でも定数はない。

「第一や第二まで昇ってくることができる妾はいでしょうから、その座に就けてもよいかなと」

 ファルジャードは諸侯王の座に就くと同時に、内乱時、捕らえて最果ての砦に監禁し、餓死寸前まで追い込んだ叔父たちの娘を、一族の長として妾にした。他にもダリュシュの一族から差し出された娘も妾とした。
 妾が男児を産めば、正妻の座に就ける。ただしその順位は十五番目。そこから子の出来次第で順位を上げる ―― そう通達して、ファルジャードはサマルカンドを後にする。
 妾たちはサマルカンドの邸に取り残されたまま。もちろん、誰一人抱かれてはおらず、一生抱かれることもなかった。

「そうか」
「どちらも気立て良く、裏がないので、俺としては幸せでございます」
「分からんところもあるが、納得はした。ファルジャードが幸せでなによりだ。その幸せをセリームとワーディにも分けてやってくれよ」
「はい」

 後にファルジャードは奴隷との間に五十二人の子を儲けた。男児は三十人ほどいたが、男児を産んだ子の母親で夫人の座に就いたのは三名。それも息子が相応の地位に就いてからの出来事。
 第十五夫人は息子がサマルカンドを継いでから。第十四夫人は息子が傭兵となり別国の皇帝となってから。

 話を終えたファルジャードとラズワルドは、ナスリーンから「神殿に来て欲しい」と言われていたので、なんだろう? と ――
 神殿のラズワルドの住まう場所にたどり着き、しばらくするとナスリーンが、赤子を抱いて現れた。金色よりの茶色い髪をもつ、その赤子をラズワルドたちはしばし見つめ、

「ナスリーンの子供?」

 一年間不在だったので、その間に生まれたとしても不思議ではない……と、ラズワルドが尋ねると、ナスリーンは首を振り、

「ファルジャードさんの息子です」

 自分の後ろにいた女性を前へと押し出す。
 その女性の顔を見たファルジャードは、前サマルカンド王の死去の報が届く前に、抱いた女だと思い出した。

「ナスリーンが匿ってくれていたのか」

 当時ファルジャードが置かれた立場からすると、ファルジャードの子を身籠もった奴隷女など、簡単に殺害されてしまう。

「匿うという程じゃありませんよ、ファルジャードさん」

 ナスリーンの話によると、ファルジャードとラズワルドがサマルカンドへと向かってしばらくしてから、女奴隷の腹が出てきた。
 邸の様子を見て、掃除などをしながら、神殿で暮らしていたナスリーンは、女奴隷から事情を聞き ―― 自分の身の回りの世話をさせるという名目で、神殿へと連れ帰った。
 そして女奴隷は無事に元気な男の子を産んだ。それと前後するようにサラミスが戻ってきたので、どうするべきかをサラミスに尋ね、ファルジャードがアッバースに戻って来るまでは、秘密にしておこうということになった。
 そしてサマルカンド王としてアッバースに戻って来たのだが、忙しなくネジド公国に旅立ってしまったので、まだ秘密にしておき、戦後処理などが落ち着いてから引き合わせようとサラミスが決めた。

「全く気付かなかったぞ、サラミス卿」
「ファルジャード卿を騙せるとは、わたしの演技力も捨てたものではありませんな」

 ファルジャードの息子というのは、生まれ落ちた時点で、恨みだけは買っているので、ごたごたしている最中に「あなたの子です!」などということは、子を守るためにも出来ないのだ。

「ナスリーン、その子の名前はなんだ?」
「アシュカーン。諸侯王の息子なので、高貴な名前が良いと思ったので、王子さまの名前を。もちろんファルジャードが新しく付けてくれても」
「良い名前だ。なにより俺もアシュカーンと名付けるだろう」

 ファルジャードの長子アシュカーンを産んだ母親は、後に第十三夫人となった ――