ラズワルドとハーフェズ、アルデシールを見送る

「軍船に乗るのか!」

 ホッラムシャフルを発ったラズワルドは暫し南下し、ペルセア湾に出た。
 そこにはペルセア海軍の武装した軍船が三隻ほど停泊し、ラズワルドを待っていた。
 ラズワルドが乗る船には、もちろん海軍を統括している将ザーミヤードが責任者として乗り込んでいる。

「まだ軍船にはお乗りになっていないと聞きましたので、準備させていただきました」

 港に停泊している武装物々しい、大きな軍船を前に喜んでいたラズワルドは、バーミーンの言葉に少しばかり動きを止め ―― 自分が先々代国王の墓室で「アッバースに行ったら軍船に乗れるかな」等と会話していたことを思い出し、

「よく覚えていたな」

 発言した自分は完全に忘れていたのにという気持ちを一切隠さず、感心の気持ちを正直に伝える。

メルカルト神に忠実な僕ハミルカルの端くれで御座います故」

 信仰心が篤いと忘れないのかと、ラズワルドは頷き、そして自分がすぐに忘れてしまうのは仕方のないことだと、勝手に納得した ―― ラズワルドに信仰心はない。ラズワルドはメルカルト神を信じているのではなく、メルカルト神が存在していることを知っている。そのため信仰とはならないのだ。

 荷物が積み込まれ、帆を揚げた船が海面を滑り出す。
 ラズワルドが船に乗り込んだ港からアッバースまでは一○○○km以上 ―― なかなかの長旅である。

「初めて水平線に太陽が沈むのを見た時感動したが、船上で四方が海の状態での夕暮れというものは、それとはまた違った感動があるものだな」

 墓室での会話を思い出したラズワルドは、脇に控えているバーミーンに、黄昏についてそう語った。
 水平線に沈む太陽の朱を含んだ光を浴びているラズワルドの特徴ある深藍色の髪が、深紫色に染まりたなびく姿を見て、バーミーンは甲板に視線を落とす。

 ラズワルドは軍船での旅を大いに満喫していたのだが、楽しめない者もいた。その主たる理由は船酔い。

「大丈夫か? シャープール ……いや、大丈夫じゃないよな」
「……ぇ……」

 特に内陸部育ちのシャープールは、ラズワルドですら一目で分かるほど激しい船酔いをし、神の子ラズワルドの前だというのに体を起こすことができず、横になったまま、か細いうめき声を上げていた。
 シャープール自身、自分がこんなにも船に弱いとは考えてもいなかったが、適性を測ったこともなかった ―― アッバースに滞在している際は、そこアッバースの出身であるジャバードやメティ、ターラーなどの経験があり得意な者に、海上のお供は任せていたため、一度も船に乗ることがなかった。
 それ自体は当然の差配なのだが、シャープールとしては「試しに一度は乗っておくべきであった」という後悔が頭を過ぎる。

「船は苦手な人間もいるとは聞いていたが、ここまで酷くなるとは思わなかった。補給で港町リーグに寄るから、そこで下船して陸路で戻って来い」

 シャープールを気遣うラズワルドだが、もちろん自身が下船するつもりはない。

「他にも船酔いしている奴らもいるから、体調が戻り次第、そいつらを連れて陸路でアッバースに戻ってくるといい」

 まともにお供ができない状態になっている護衛にも、神の子は優しかった。
 シャープール自身、激しい嘔吐感に付きまとわれ、立ち上がるどころか、身を起こすことすらできない自分が居たところで、なんの役にも立たないことは分かっているのだが、

「し……ごむ……ょ……ま……(心配ご無用に御座います)」

 ラズワルドが思っている以上に責任感が篤く、一度主を失っていることもあり、ラズワルドから離れるという選択肢を選ぶことは、シャープールには出来なかった。

「なにを言っているのか分からんぞ、シャープール」

 砂漠のような顔色になっているシャープールをのぞき込みながら、ラズワルドは「こっちは心配するな」と ――

「シャープール卿が食えるもの?」

 弱り切っているシャープールのことを心配して、ラズワルドはラヒムに、食べられそうな食事を作って欲しいと依頼する。

「ろくに喋ることもできない状態なんだ」
「ラズワルド公に対して喋ることができない? ってことですか」
「頭も上がらないし、声にも力というものがない」

 ラヒムもシャープールが船酔いで寝付いているとは聞いていたが、まさか神の子ラズワルドの前でも起き上がれない程とは思ってはおらず、

―― あんだけ責任感強い男が、主の前で起き上がれないって……まずいだろ

 ペルセア王国の遙か北、スカンディナヴィア地方のどこか・・・から売られてきたラヒム。彼はペルセア王国にたどり着く迄に、何度か船に乗り、そして船酔いで衰弱して死んだ奴隷を何人も見てきた。

「なにが食べられそうか聞いてきます」
「頼む、ラヒム」

 陸地と全くかわらず、船上を楽しんでいるラズワルドの元を離れ、ラヒムは水が入った瓶を片手にシャープールが横になっている部屋を訪れた。扉を開けても、シャープール卿が目を開くような様子もなく ――

「シャープール卿。ラズワルド公から、シャープール卿が食べられそうなものを作るよう御下命を賜ったんだが……無理だよな」

 シャープールがゆっくりと目蓋を開き、無理だと輝きの無い瞳で訴える。

「ラズワルド公は卿を船から降ろすつもりらしいが、卿としては降りたくはないんだろ? ……ラズワルド公の御心が”降ろす”なんだから、卿が異議を唱えるわけにはいかないよな。まあ一応、卿の意見は伝えておくから……早く慣れるといいな」

 船酔いは慣れ・・でどうにかなると言われているが、シャープールは慣れる前に脱水症状で死に至りそうであった。

「え? 死ぬのか?」

 港町のリーグにシャープールとその他、船酔いをしている者たちと、彼らが復調するまでの世話をする者を降ろすつもりであったラズワルドは、

「水も飲めなくなって死ぬことありますよ」

 ラヒムから「船酔いで死ぬこともある」と聞かされ、いつも通り驚く。

「なんで水が飲めないだけで死ぬんだ!」

 神の子は地上において、なにも食べなくても死にはしない ―― 神の国へ帰るだけであり、それは死ではない。

「人間そんなもんなんですよ、ラズワルドさま」

 人間が本能的に分かる『死』 ―― 人間ではないラズワルドにはそれは分からない。

「そうか。でも船から降ろしたら治るんだよな」

 ここに至ってもラズワルドは下船するつもりはない。もっともラズワルドが、酷い船酔いをしているシャープールを心配して、共に下船したところで、看病できるわけでもない。
 さらに「体調が戻ったら帰ってこい」と命じ、先にアッバースに戻ろうとすれば、シャープール以下船酔いしている武装神官は、体調不良のまま付いて来るであろうし、かといって体調が戻るまで神の子ラズワルドが希望していない場所で滞在してもらうなど、出来るはずもなかった。

「それもどうか。シャープール卿が頑張っていられるのは、ラズワルド公のお側に在るからであって、置いて行かれたら、衰弱したまま……ということも考えられるような」
「あーそれ、ありそうですね、ラヒム。人間はラズワルドさまから見たら弱いにも程があると言いたくなるような弱さですが、たまに気力がもの凄い生命力を発揮することもあるので」

 ”人間”の意見を聞いたラズワルドは、気軽にシャープール以下船酔いした護衛たちを陸に揚げて、船でアッバースに帰っていいものか? と悩む。

「…………!」

 風を受けてはためく帆の男を聞き、見上げ ―― 風が強ければ船が速く進むと、海将ザーミヤードがいっていたことを思い出し、

「わたしが風を操って、船の進行速度を速める!」

 ”良いことおもいついた!”と、満面の笑みを浮かべた。

「風を操るのは良いのですが。あまり強い風を出すと、船が壊れてしまいますよ。特にラズワルドさまは、力加減が怪しいので」

―― さすがハーフェズ。神の子に意見するとは

 ラヒムもラズワルドの力が大きい方に傾いていることは知っているが「力加減が怪しい」などという、失礼な単語を含む指摘はできないし、するつもりもない。

「力加減が怪しい……徐々に強める。船が壊れるかどうかは、海将に判断させる。というわけで、海将を呼んでくるんだ!」

 人間の乗り物は人間に ―― 海将ならば船については詳しいだろうと、彼を呼び出し風の力で速く船を進ませるのだということを告げた。

「御意に御座りまする」

 神の子の意思に逆らうことなどできないので、ザーミヤードは頭を下げ ―― そして唐突に風が変わったことに気付く。
 気まぐれに吹いていた風が、統制のとれた軍隊のような動きになり、船を押して速度を速める。

「もっと風を強くしても大丈夫か? ザーミヤード」

 船の為だけに吹く風。船の速度は瞬く間に増し、海を滑るように突き進む。

「は! 船はまだ大丈夫で御座います」
「ラズワルドさま、少しずつですよ、少しずつ。ラズワルドさまが思う少しの半分くらいでお願いしますよ」
「分かったハーフェズ」

 ハーフェズの「できるだけ押さえて! できる限り力を押さえて! 思う半分の力で!」の忠告を聞きながら、ラズワルドは船の速度を速め、約一○○○kmを二日ほどで走破し、アッバースに到着した ―― 通常この距離一○○○kmは、平均で八日掛かるので、六日ほど短縮されたことになる。

「ザーミヤード。今回は事情があって早旅にしたが、楽しかったぞ。また軍船に乗りたいから、乗りに来てもいいか?」
「何時でもお待ちしておりまする」
 
 船を用意してくれたバーミーンにも礼を言い、ラズワルドはハーフェズと共に小舟に乗り換え、ジャバードに漕がせ神殿へと向かった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「驚きました」
「何がだ? パルハーム」

 神殿で旅の垢を落とし髪を綿紗ガーゼで拭かれながら、薄荷ミント目箒バジルに塩胡椒に小豆蒄カルダモンで味付けした羊肉を挟んだ焼きたてのナンを食べているラズワルドの元へとやってきたパルハームが、先ほどの船の到着のあり得無さについて、和やかに語る ―― ラズワルドは船がいきなり止まることができないことを知らなかったので、停泊場所まで速度を保ち走らせた。
 船にラズワルドが乗っていることを知らなかった、湾岸関係者は驚き、船の速度を緩めろと銅鑼を叩き声を上げる。
 騒ぎに気付いたパルハームも窓際へと近づき ―― 接岸場所で突然停止する船を目撃するに至った。

「速さを徐々に落とす?」
「はい。そうしないと止まれないのです」
「……そうなのか」
「馬車と同じですよ、ラズワルド公」

 ”馬車と同じ”と言われたラズワルドは「そう言えば、そんな気がする」と。

「へえー。そりゃ吃驚させただろうな」
「人間には不可能ですので」

 ちなみに海将以下船員たちは、船を動かしていたのがラズワルドだったため、速度が緩まずとも声を上げることはしなかった。

 ラズワルドは深藍の髪を綿紗ガーゼで丹念に拭いている奴隷に下がるよう指示し、部屋にパルハームと二人きりになってから、

「パルハーム、フォルーハルという神官とその奴隷たちを連れてきた。わたしの邸のほうで働かせるので、手続きを。雇うに至った経緯はハーフェズとラヒムに聞いてくれ」

 『おそらく暗殺される側であろう』フォルーハルという神官を、奴隷ごとラズワルドは連れてきた ―― フォルーハル自体はどうでも良かったのだが、フォルーハルと同行する奴隷に、ハーキムの知り合いであるサブアとサマネアが含まれており、暗殺計画では、奴隷たちも皆殺しとなっていた。折角再会した顔見知りの奴隷が、巻き添えで殺されるのは可哀想だとなり、ラヒムたちがラズワルドに話し ―― ならば、奴隷を伴っている神官ごと連れて行く! ということになったのだ。

「畏まりました。ところでラズワルド公、昨日薫絹国への使節団の一行が到着いたしました」
「薫絹国の使節団? ……ああ! もしかして、海路で行くのか!」
「はい。事情が事情ですので、シャバーズ殿は神殿に滞在しております」
「シャバーズ……シャバーズがいるということは、ラフシャーンも居るのか?」
「護衛としております」
「じゃあ、ラフシャーンを呼んでくれ」
「すぐに呼んで参ります」

 パルハームは手を叩き側近のトゥーラジを呼び、ラフシャーンを大至急連れてくるよう指示を出す。
 命を早急に果たすべく背を向けたトゥーラジに、

「ついでにシャバーズも呼んできてくれ!」

 ラズワルドは「ついで」に王子も呼んでくるよう声を掛けた。この辺りはまさに神の子の言動であり、パルハームが神の子であった頃から仕えているトゥーラジにとっては、当たり前のことなので、特に驚くことなく彼らを呼びに人を向かわせた。
 二人がやってくるまでの間、ラズワルドはエリドゥに立ち寄ったことを、それは楽しげに語り、そうしている間に入浴を終えたハーフェズもやってきて、ラズワルドの隣に控えるという名目で、残っていた羊肉を挟んだナンの残りをもそもそと食べ始めた。

「パルハームさま、シャバーズ卿とラフシャーン卿を連れて参りました」
「入りなさい」

 パルハームに”入りなさい”とは言われたものの、中までずかずかと入り込むことはできないので、二人は入り口付近で跪拝の姿勢を取る。

―― 神と人間の距離ですね。羊肉美味い。でも味付けはやっぱりラヒムのほうが

 神の子の隣で、跪拝の姿勢を取ってから微動だにしない二人を見ながら、ナンの残りを一気に口へと詰め込んだ。

「まずはシャバーズ」

 顔を上げさせるよう、手でハーフェズに合図を送ったラズワルドだったが、ハーフェズは一口にしたナンをまだ飲み込めず、口を必死に動かしていたので、パルハームに言うよう指示を出す。
 シャバーズは指示に従い顔を上げたが ―― 当然ラズワルドの顔の辺りには視線を向けない。

「シャバーズ、この耳飾りイヤーカフについてなんだが……まあ、とりあえず見るがいい」

 ラズワルドはエリドゥで拾った金と緑玉エメラルド耳飾りイヤーカフを外して、シャバーズの所へ持って行くよう、まだ口が微かに動いているハーフェズに手渡す。
 耳飾りイヤーカフを受け取ったハーフェズは、軽い足取りでシャバーズの元へと近づき”見て下さい”と差し出した。
 シャバーズはその耳飾りイヤーカフを見たが、決して触れようとはしない。

「……というわけで、バーミーンが献上品として受け取って欲しいと言ってきたので、受け取ったのだが、バーミーンはペルセア王国の一家臣にしか過ぎない。よって、戦利品を受け取ってもいいかどうかを、一応聞いておこうと思ってな」
「献納の幸運に与れたこと、嬉しく存じます」

 耳飾りイヤーカフは、大国の王族として生まれ育ったアルデシールシャバーズが見ても、見事な逸品であり、咄嗟にラズワルドに献上したバーミーンの判断も、まさに王家の家臣として間違いのないものであった ―― そこにバーミーンにとって私的な理由があることは、当然アルデシールシャバーズも知らぬことである。

「そうか。ではペルセア王家からということで、もらっておこう。次にラフシャーン、先ほど高速で接岸した軍船を見たか?」
「はい」
「あれはわたしが精霊の力で、船を速くに動かした結果だ。リーグからここアッバースまで、二日で踏破した」

 一廉の武将であるラフシャーンは、湾岸都市の場所も網羅しており ―― その距離を脳裏に描いた時、驚きの声を上げることしかできなかった。

「…………おっ! おお、さすが神の子に御座おわしまする」

 ”神の力じゃなくて、精霊の力なんだけどなあ” ―― そうは思ったラズワルドだが、神の子でなければ、あれほどの精霊の力は操れないと、精霊王に言われたので、そういうことにしておこうと、さらっと流し、本題にはいった。
 その本題とは、薫絹国の使節団が乗る船も、今回のように風の精霊の力を操り、速めようか? というもの。
 提案を受けたラフシャーンは驚き、アルデシールシャバーズと顔を見合わせ ―― 神の子からの提案を拒否するという選択肢はないのだが、精霊の力を操れるものがいなかった。

「ちょっと精霊に声を掛けるだけで良いんですけれど……ラフシャーンさまも、シャバーズ卿も、まあ精霊とお話できなさそうな人ですよね」

 ラズワルドが精霊王に頼み、風を上手い具合に強めたり、弱めたりすることができるようにしたのだが、その指示を受けるのは精霊。その精霊と話が出来るものが、使節団の中にはいなかった。

「軽く話せる程度でいいんだけどなあ」

 ハーキムはその程度のことならば、簡単にできるのだが、彼を使節団に入れるという考えはなかった。
 そんな中、一人手を上げた。

「わたくしめでよろしければ」

 長い黒髪を一本に束ね、バルバットで楽を奏で、詩を吟じる男。

「アーラマーン?」
「ハーキム殿の足下にも及びませぬが、精霊とはそれなりに会話をすることはできます。そして旅の一楽師として、薫絹国には非常に興味があります。聞けば薫絹国の皇宮にも赴くとのこと。それら東の大都の景色を詩にして、是非ともラズワルド公に献上いたしたく」

 楽師であり詩人であり旅人であるアーラマーン。
 まだ見ぬ地への憧れは強く、そのためならば多少の危険など物ともしない。

「お前は船酔いはしてなかったなあ……ふむ、アーラマーンを連れていってくれるか?」

 彼らとしては断る理由などなく、こうしてアルデシールたち一行は、船で薫絹国へと向かった。

「アーラマーンの詩、楽しみですね、ラズワルドさま」
「そうだなあ。あいつなら、楽しい話を一杯持ち帰ってくれるだろう」

 ラズワルドとハーフェズは、帰国を楽しみに船が水平線に消えるまで使節団を見送った。

 ちなみにこの使節団、本来ならば往復と滞在を含め四年かかる計算だったのだが、精霊の力による船旅で往復とも三ヶ月未満で済んだため、二年ほどでペルセア王国に帰国する。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 使節団が旅立っても、まだネジド公国との戦争が終わっておらず、なにかにつけて騒がしい港を露台バルコニーから眺めていたラズワルドの隣に、

「ん? ……ああ、精霊王か。なんだ?」

 精霊王が立った。
 ”ちらり”と見て精霊王だと分かったラズワルドは、すぐに視線を海へと戻し、漁をしている小舟を見つめる。

「なんだ、とはつれないな、ラズワルド」
「そうか?」

 そう言われてもラズワルドは何一つ気にする様子はなく、木の葉のように波に揺らめく小さな漁船を眺め続ける。海中から揚げられた魚の鱗に日の光が反射し、より一層輝く小舟を笑顔で見続ける。

「たまには、わたしに褒美をくれても良いのではないか?」
「褒美? なにかわたしに褒められるようなことをしたか? 精霊王」

 話し掛けられても気にせず海を眺め、殻が剥かれたピスタチオを口へと運ぶ。

ペルセア王子アルデシール一行が陶周に短期間で到着できるよう、手伝ったではないか」
「陶周?」
「薫絹の以前の呼び名だ」
「一体何時頃の呼び名だよ」
「さあ? 地上は時が過ぎるのが速すぎる」
「本当に地上は目まぐるしく変わるよな。わたしはそれが好きだ」
「そうか」
「で、精霊王は褒美が欲しいと。……精霊王ならなんでも持ってるだろう」
「持っているのと、贈られるのは違うものだぞ、ラズワルド」
「そんなもんか……ほら、ピスタチオ」

 ラズワルドはピスタチオが残っている籠を、精霊王へと突き出す。

「いや、もう少しな」
「もう少しなんだよ 精霊王」

 ”不満なのか?”とつきだしたピスタチオを一粒つまみ口へと運びながら、ラズワルドは精霊王を見上げる。
 波の音と共に何者かが近づいてくる足音が聞こえ ――

「ラズワルド公。爪を整えに参りました……あ、アルサランさん」

 練ったヘナと道具を持ってバルディアーとワーディが現れた。

「おお、頼むぞバルディアー。どうだ? アルサラン・・・・・も塗らないか?」
「いいえ、わたくしめは結構で御座います、ラズワルド公。それでは失礼いたします」

 腰に細身のシャムシールを佩いたアルサランは一礼して、部屋を出て行き、バルディアーはいつも通りラズワルドの爪を整えヘナで色を塗り、ワーディは水を口へと運んだりし甲斐甲斐しく世話をする。
 両手の爪が塗り終わったあと、

「褒美だ」

 ラズワルドは食べかけのままだったピスタチオが入っている籠を、二人に勧める。

「ありがとう御座います」
「褒美をいただけるなんて」

 二人は喜んでピスタチオを貰い、その場で楽しそうに食べ ―― ラズワルドは人間二人と会話を楽しんだ。

第四部完