ラズワルド、エリドゥで拾いものをする

 アシュカーンの首を無事ウルクの廃神殿に葬ったラズワルドは、

「エリドゥに寄られてはいかがでしょうか?」

 アーラマーンからエリドゥに立ち寄ってみてはと提案された。
 このあたり・・・・・は地図でよく見ていたので、ラズワルドも地理はほぼわかっている。予定していた経路とは異なる道を進むことになるのだが、それほど予定経路から大きく外れているわけでもない。

「ふむ」

 ラズワルドは金が散りばめられている、神の子特有の群青色の瞳でハーフェズを見つめる。その瞳は好奇心に充ち満ちて「行くぞ!」と既に物語っていた。

「バーミーンさんに、頼んでみますね」
「頼んだぞ、ハーフェズ」

 神の子ラズワルドが行きたいという場所に、連れて行かないということはないので ―― ラズワルドたちはエリドゥに向かった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドたちのペルセア王国歴三二四年は、ファルジャードの父諸侯王の偽装死から始まり、それに伴いサマルカンドの大規模内戦が勃発、終結を迎えた後に立ち寄った祖廟都市近辺にて襲撃事件に遭遇し、最後は王子の葬るべくウルクへ ―― ラズワルドはアッバースからサマルカンドへ、その途中ハザール海に寄り道をし、サマルカンドから王都に帰るとすぐに祖廟都市へと向かい、厄介事を少しばかり片付けてから再び王都へと戻り、ウルクへ。その移動距離は約七○○○Km、この距離を一年で踏破した。
 そんな移動に移動を重ねた一年も、もうすぐ終わる ―― 

 滅亡したエリドゥへと繋がるウルクからの街道は、アシュカーンが通った時同様、人気は全くなかった。誰もこの道を通るものはいない ―― 街道脇にはアシュカーンたちが野営した跡が残っていたほど。
 最早繁栄とは無縁の街道を抜け、廃墟へと到着した。

「アシュカーンからの手紙だと、人の気配などしないはずなんだが」

 普段は先行部隊が宿泊の準備を整えているのだが ―― うち捨てられた廃墟には、先行部隊のほか大勢の人間がいることに、ラズワルドは馬上で呟くと、隣にいたハーフェズが事情を説明する。

「バスラ諸侯が献上品を持ってきてるんですよ」

 諸侯は大領主とも言い換えることができる、昔からその土地に住んでいる一族で、大きな領地を所有している貴族を指す。ファルジャードのような諸侯王との違いは、総督の有無。諸侯王の領地には総督が置かれることはないが、諸侯の領地には総督が配置される。

「なんでバスラの諸侯が?」
「新年の祝い用に、依頼したんです。新年を迎える時は、盛大にお祝いするじゃないですか。武装神官おれたちはともかく、国軍の人たちは、いきなり廃墟につれて来られたんですから、新年のお祝いくらいは確りとしないと。そうそう、ラズワルドさま。新年の神事、お任せしていいですか。本来なら俺が代理なんですけど、覚えてなくて」

 神事は神殿に入ってから習うものなのだが、国内の彼方此方に赴くラズワルドに付き従うべく ―― 神事よりも軍事のほうに偏った教育となり、結果神殿入りして三年経った現在でも、ほとんど覚えていない。

「神事はわたしに任せておけ……で、なんでバスラの諸侯?」

 ラズワルドは馬術も武術も必要ないので、ハーフェズよりは神事に割く時間があるのため覚えてはいるが、雑な性格のため完璧とは程遠い状態。
 そんなまあまあ・・・・な状況でありながら、自信満々なのは、多少神事が異なっていても「神の子なので」なる理由で誤魔化せるからである。

「本当はウルクからバスラに向かう予定だったじゃないですか」
「そうだな」

 普通は人が住んでいる都市を繋ぐ街道を進むのだが、今回ラズワルドは廃墟に向かうことを決めた。

「それをエリドゥに変更し、バスラに立ち寄らないことになったじゃないですか」
「そうだな」
「経路を変えたことにより、バスラの諸侯がラズワルドさまの不興を買ったのかと、怯えてしまったのです」

 ラズワルドはエリドゥに立ち寄ったあと、バスラまで足を伸ばすつもりはなく、エリドゥからそのまま南東に進路を取りアッバースを目指す予定・・である。

「不興など買っていないと答えてやればいいだろう」

 不興も何もバスラの諸侯など、ラズワルドは存在自体、今の今まで認識をしていなかった。

「言いましたよ。でも、ほら、言葉だけでは通じないみたいで。時期も時期なので、エリドゥまで献納品持ってくること許すよー、新年の祝いにも参加していいよーこれで信じてー……で、折り合いを付けたんです。いきなりラズワルドさまが”行かない”って言ったら、普通の人は神罰に怯えてしまうのは、仕方のないことです」
「なるほど……でもまあ、いきなり行き先変えるのは止めないけどな!」
「知ってます!」
「だが不興を買ったと思っているのならば、そんなことはないと声をかけてやろう。諸侯はどこだ!」

 連れてこられたバスラの諸侯は、ファルジャードと同い年の若い男であった。

「なんか、びくびくしてないか?」

 馬上で額を寄せ合い、ラズワルドがハーフェズに囁く。

「なりたて諸侯の態度としては普通かと。ファルジャードは特別ですから」

 廃墟の石畳に体を押しつけるようにしている諸侯は、なんとも頼りなさげな、若輩で経験などなにもない若者であった。

「諸侯となってから、間もないのか?」
「バーミーンさんが二月ふたつきほど前に諸侯になったばかりだって、言ってました」

 経験の浅い諸侯ならば、声を掛けて早々に解放してやったほうが良いだろうと、ラズワルドは短く労をねぎらった。

「そうか……バスラよ、大儀であった!」

 石畳に体を押しつけていた諸侯は、胸骨が折れてしまうのではないかというほどに、更に体を石畳に押しつける。

「怪我する前に、どうにかしてやれ」
「はーい、ラズワルドさま」

 馬から飛び降りたハーフェズがバスラの諸侯を引き起こし ――

「ここがエリドゥの王宮か」
「はい」

 ラズワルドはバーミーンの案内で、廃墟の中でも特に目立つエリドゥの王宮へとやってきた。供はバーミーンの他にハーフェズにバルディアー、アーラマーンにジャバード、そしてターラーとワーディの七名。
 人選に関してだが、ハーフェズとバルディアーは当然。ワーディは特にすることがないので伴い、バーミーンとアーラマーンは以前エリドゥに来たことがあるということで。
 ジャバードとターラーは、大きいのと小さいの ―― 高いところに何かがあった場合は大柄なジャバードが、隙間にラズワルドの興味をひくものがあった場合、隊内でもっとも小柄なターラーの腕が役立つだろうということで、この顔ぶれとなった。
 ラズワルドは馬を下り倒れ煤で黒くなっている石柱を乗り越えて、中へと進む。
 どこまで進んでも室内と室外が同時に存在する ―― 崩落という言葉がこれ以上ないほどしっくりとくる王宮を、ラズワルドは興味深く見回した。

「足場が悪う御座いますので、出来ればお気を付けて下さいませ」
「分かった、バーミー……」

 言われた側から大きめな石に躓き、体が大きく揺れ、青く染められた毛織物の外套が大きく揺れる。
 バーミーンは咄嗟に手を差し出したが、両手で上手く均衡バランスを取り踏みとどまった。

「あー吃驚した」
「吃驚するのはバーミーンさんの方です」
「ハーフェズは驚かんのか」
「何時ものことですから」
「そうだな」

 そんな話をしながら、色褪せた布が巻き付いた白骨が散らばる、朽ちた王宮を楽しそうに歩き回った。
 かつてはそれなりに美しい王宮ではあったが、エリドゥの財宝は根こそぎペルセア王国が持ち出し、火が放たれ燃え尽きてから、十五年以上放置されている王宮。

「……?」

 壁が崩れていようが、天上が落ちていようが、通路に穴があいていようが、それが当然な場所で、ハーフェズは不意に不思議な感覚に襲われ立ち止まる。
 煤の隙間から僅かにかつての栄華を思わせる、緑の塗料がのぞくひび割れた壁に空いている穴。穴の前には崩落した天井の一部があり、その穴は上半分ほどしか見えていないのだが ―― ハーフェズはそれが気になって仕方がなかった。

「どうした? ハーフェズ」

 ハーフェズが付いてこないことに気付いたラズワルドは引き返して声を掛ける。

「ラズワルドさま、この壁の穴、なんか気になるんです」

 そう言うとハーフェズは崩落した天井の一部を乗り越え、穴へと足を踏み入れた。

「どうだ? ハーフェズ」
「はっきりとは見えませんが、結構続いているような気がします」
「ほら、明かりだ」

 ラズワルドが言うとハーフェズの前には明かりが現れ、辺りを照らし出しす。
 ハーフェズは明かりを頼りに飾り気のない壁を触る。

「なんか、飾り気がない通路のようです」

 なんだろう? きょろきょろと見回しているハーフェズに、

「王族の緊急避難路では」

 アーラマーンが声を掛けた。

「ああ、王宮の」
「王族が逃げるあれか」
「本当にあるんだ」

 王宮に縁のないジャバードやターラー、バルディアーなどが『噂は聞いたことある』とばかりに賛同する。ワーディが声を上げなかったのは、王宮に避難路があるという噂を聞いたことがなかったこともあるが、緊急避難路が何を指しているのか、分からなかったので声を上げられなかった。

「緊急避難路ということは、ここから外へと通じているということだな」

 避難だとか逃げるだとかという言葉からもっとも縁遠いラズワルドだが、存在については彼ら同様噂で知っているため、俄然興味を持ち壁の穴をのぞき込む。

「避難経路でしたら、そうかと」
「では行ってみよう!」

 勢いよく瓦礫を駆け上がり、避難路へと飛び込んだ。

「緊急避難路か?」

 お供が全員落下した天井を乗り越えやって来たところで ―― ラズワルドはバーミーンに尋ねた。

「はい、間違いなく避難路に御座います、ラズワルド公柱」

 ここが避難路だと知っているバーミーンは、神の子に嘘をつくなどできぬので、言葉を一切濁すことなく断言する。

「そうか。ペルセアの王宮もこんな感じなのか?」
「はい」
「やはり知っているのか!」

 将来大将軍になる男ならば、王宮の避難路も知っているのでは? とラズワルドが尋ねると、バーミーンは一切隠さずに答えた。

「存じております」
「ほー」
「気になるのなら、王都に帰った時に、バーミーンさんに案内してもらったらどうですか? ラズワルドさま」
「機会があったら頼むかもしれん。その時は頼むぞ、バーミーン」
「御心のままに」
「では、この避難路を進むぞ!」

 ラズワルドは明かりを人数分用意し、二人から三人ほどが並んで進める避難路を歩き出した。もちろん先頭はラズワルド。
 壁を撫でたり天井を見上げたりしながら、ハーフェズと「何処に出ると思う?」などと予想合戦をしたり ―― 避難路とは思えぬ笑い声が響く中、金属がぶつかる音が響き、全員が足を止めた。

「誰か、何かを蹴ったようだな」
「エリドゥ金貨かなにかでしょうか?」
「分からんが、捜してみよう。ところで誰が蹴った?」

 王族の避難路に落ちている金属 ―― なにかのお宝かも知れないので、ラズワルドは捜すことにし、辺りを一斉に煌々とした明かりで照らし出す。
 暗い通路が陽光の下かのような状況となり、その光を反射し輝くものが通路の隅で見つかった。
 一番近くにいたバルディアーが拾い上げ、かざすように持ち上げる。光に煌めくのは、耳飾りイヤーカフであった。

「王族が身につけていた品ではないかと」

 耳飾りイヤーカフは純金の土台に、成人女性の親指の爪ほどの大きな緑玉エメラルドがはめ込まれている。金と宝石の重みを支えられるよう耳飾りイヤーカフは対珠にかける形のものになっている。
 バルディアーから耳飾りイヤーカフを受け取ったラズワルドは、

「戦利品として王家に渡すか?」

 バーミーンに「持って行くか?」と尋ねたが、

「それはエリドゥからラズワルド公への献納かと。お収めいただければ幸いに存じます」

 緊急避難路ここを王族と共に走り抜けたことのあるバーミーンは、胸元に忍ばせている耳飾りイヤーカフにそっと鎧の上から手を触れて、そう・・告げた。

 バーミーンと逃げる際にシェヘラザードラズワルドの産みの親がどこかで落とした耳飾りイヤーカフの片割れ。シェヘラザードと名付けた娘ラズワルドを預ける際、シェヘラザードが持っていた宝石の類いは、ほとんど養父に託したが、片方だけ残った緑玉エメラルド耳飾りイヤーカフだけは手元に残した。耳飾りそれに深い思い入れがあったのではなく、なくした片方がどこかから現れ、娘の出自が知られては困ると考えて。
 思い入れがなく扱いに困るのであれば、バーミーンの手元にある耳飾りイヤーカフもどこぞに捨ててしまえば ―― バーミーンはそういうことが出来る男でもなかった。

「献納なあ……まあ右耳朶の対珠近辺は空いてるから、付けるとするか」

 そのまま耳に付けようとしたので、バルディアーが「手入れをしてからお渡しします」と預かり、再び歩き出した。

「そう言えば、まだワーディの答えを聞いてなかったな」

 この緊急避難路は何処に出るか? 専門家のバーミーン以外で予想しあっており、ワーディ以外は既に全員が答えていた。

「はい……あの……ラズワルド公、あの……避難路とはなんですか?」
「避難路知らんか。そうか。では避難路について説明しながら歩くとするか」

 分からないならしょうがないと、ラズワルドは避難路について語り ―― 緊急避難路が途切れた先は、頭上にぽっかりと円形の穴が空いている、石積が積まれた場所であった。

「緩やかな下り坂状の道だったようですね。それにしてもここは、協力者がいなければ登れないようですね」

 二階の壁から侵入し、気付いたら地下。途中に階段はなかったので、アーラマーンの言う通り。
 その石塁で囲まれた脱出口はかなりの高さがあり、また登れるような突起などはなかった。もっとも内部に登れるような突起があったところで、王族の女性は登ることなどできないのだが。

「そうですね、アーラマーンさん。上から縄ばしごを下ろして貰うんでしょうね」
「だろうねえ」

 それほど広くはないので、全員が入れ替わり立ち替わり井戸底へと移動して、上空の丸い光が降り注ぐ穴を見上げる。

「ラズワルドさま、どうします? 縄ばしごを使ってここから出たいのでしたら、引き返して縄ばしごを手に入れてから、ここがどこか捜しますけど。あ、聖火を灯してくれたら、すぐに分かるかも」
「縄ばしごは明日にでも。とりあえず出てみるとするか」

 ラズワルドはそう言うとふわりと浮き上がり ―― 全員を連れて筒状の石塁を上昇し地上に降り立った。
 無論立って降りることができたのはラズワルドとハーフェズだけで、他の者は突然の空中浮遊からの着地に反応することができず、体勢を崩し尻餅をついたり、膝や手をついたり。驚きから立ち直るのにも、少々時間がかかった。

 緊急避難路を抜けた先だが、そこは城壁外で、ラズワルドたちがいた石塁の筒は空井戸の中だった。

「結構目立つが、避難口の役割を果たせるのか?」

 崩れた城壁以外、周囲になにもないので、この状態で縄ばしごを下ろされ、宝飾類を身につけた貴人が避難していたら、緊急事態では敵にすぐに見つかるのでは? と、ラズワルドが不思議そうにしていると、

「当時は、この井戸の周囲には日よけのための屋根と布壁がありました。あと、ここはどの門からも遠い所にある井戸ですので、ペルセア軍が気付いたのは最後。さらに当時は水が張られておりました」

 当時のことを鮮明に覚えているバーミーンが、かつてのこの場について説明をする。

「へえー」
「この井戸は上水道から水を引いている共同井戸ゆえ、水を止めて下水道に流し空にすることも、その後上水道口を開いて水で満たすことも出来る作りとなっております」
「ほー。さっき石塁の中で、それらの仕掛けを見抜いたのか、バーミーン」
「先ほどではなく……割とよくある脱出口の作りなので、知っておりました」
「なるほどなあ。一般的なものなのか」

 ラズワルドはしばし興味深げに空井戸の底をのぞき込んでいた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 廃王宮から瓦解した城壁外へ ―― ジャバードたちが馬を連れて来ると言ったが、大した距離ではないから歩いて戻るとラズワルドが希望し、

「あれは、ハーキムだな」
「そうですね」
「あそこで何をしているんだ? というより、何を話しているんだ」
「探ってきますよ! ちょっと待っていて下さい、ラズワルドさま」

 廃墟の中を歩いていると、少し離れた場所にハーキムがおり、諸侯が伴ってきた、格好からして奴隷と思しき者たちと話をしている姿が見えた。
 言い争いをしているようではなく、どちらかと言えば楽しげな雰囲気 ―― 

「……別に探らんでもいいのだが」

 言い争っているのならば人を送るが、そういう気配は一切ないので、黙って通り過ぎようかと思ったのだが、ハーフェズは楽しげに崩れた建物影に身を隠しながら近づいていった。

「ハーフェズが楽しそうだからいいか」

 ラズワルドもしゃがみ、瓦礫の影から窺うように。他の者たちもそれに習い、姿を隠して ―― 探りにいった筈のハーフェズは途中で突然立ち上がり、慌てるハーキムとその他の奴隷たちとやり取りをしてから、走ってラズワルドのところへと戻ってきた。

「あの奴隷たちは、ハーキムの知り合いだそうです」
「ハーキムはバスラの奴隷だったのか」
「はい。なんでもバスラ近くの生まれで、奴隷になってからバスラへ。そこから王都に来たそうです」

 ハーキムと知り合いの奴隷たちが頭を下げている中を通り過ぎ ――

「バスラ近郊の生まれだったのか」
「はい。ただ具体的な地名は分からないそうです」

 この時代は自分が何歳なのかも、生まれた場所もはっきりしない人間は大勢いた。特に奴隷はなにも教えられないので ―― 自分の生まれた場所を覚えているセリームはかなり優秀で、それがセリームをファルジャードが選んだ理由の一つでもあった。

「ハーキムは元は自由民だろ?」
「そうなんですけど、自由民だった頃は、自分が何処に住んでいるのか知ろうとも思わなかったようで。それにハーキム、奴隷になった時は、幼かったので。覚えているのは自分の所の領主の名前はオーランで、葡萄の栽培が盛んだったそうです」

 支配している土地が広ければ、ペルセア王シャーハーン・シャーやサマルカンド等、土地の名で呼ばれるが、所有している土地がさほど広くなければ、土地の名ではなく個人名のほうが用いられる。
 ハーキムは地図を見せてもらい、理解できるようになってから、バスラ近辺にオーランという場所があるかどうか捜したが、見つからなかったので、あれオーランは領主の名前だったのだと ――

「バスラからアッバースまで、湾岸沿いは葡萄の栽培盛んだよな」

 無論領主の名を調べる方法はあるが、そこまでするつもりはなかったので、ハーキムの中ではそれで終わっていた。

「そうですねー」
「その場所からバスラまで移動した距離は?」
「それほどの距離ではなかった……でもハーキムですからね。八歳でも十五歳に間違われるような体格で、体力も有り余ってたそうですから」
「まあそうだな……バーミーン、バスラ近辺の領主で名はオーラン、葡萄の栽培が行われている場所と言えば」

 領主の名前が分かるのならば……と物は試しとばかりにラズワルドが尋ねると、

「ホッラムシャフルかと」

 バーミーンはすぐさま答えた。

「ホッラムシャフル……アッバースに向かう途中だが、立ち寄れるな」

 ウルクからアッバースまで、湾岸沿いの都市名はほぼ覚えているラズワルドは、向かう途中にある場所だとすぐに分かった。

「御心のままに」

 次に立ち寄るのはホッラムシャフル ――