ラズワルド、ウルクに向かう

 ファルジャードは今回の出来事に関し、大まかなことは分かるが、王家の暗部に関わる事は情報が不足しているので、アルデシールシャバーズについてはっきりとしたことは言えなかった。

「シャバーズ卿が魔王の僕マジュヌーンに狙われていることは分かりますが、何故狙われているのかまではわかりませぬ」

 ただアルデシールシャバーズが危険であることは、はっきりしている。そして、魔王の僕マジュヌーンたちがラズワルドから加護を与えられたアルデシールシャバーズを見つけられずにいることも判明している。
 魔王の僕マジュヌーンは神の子とは違いペルセア王国から出ることは可能だが、魔王から離れるとその能力は落ちてゆく。故に先年狙われた際に国外へと出したのだが、ファルジャードは理由がはっきりと分からないので、もうしばらくアルデシールシャバーズを国外に滞在させることを提案した

「たしか二月ふたつき後に、薫絹国に使節団を送る予定でしたね」

 既に派遣が決まっている使節団の一員として、国外に出てはどうだ? と、神の子の中では王家寄りで、世俗のことも押さえているベフナームがファルジャードの意見を後押し ―― アルデシールシャバーズは使節団の護衛隊責任者であるラフシャーンの部下として、薫絹国に渡ることになった。

「世の中、不公平だ。本来なら俺が行く筈だったのに。シャバーズ卿はまだいいとして、なんで書に興味のないラフシャーンの奴が」

 国王の元を辞したラフシャーンは、セリームの所へと戻り、薔薇水を飲みながら一頻り愚痴を並べ立てた。

「ラフシャーン卿は護衛でしょう」
「分かってはいるのだがな」

 諸侯王の息子だと判明さえしなければ、今頃は留学先の薫絹国から帰国していたであろう自分の姿を脳裏に描き ―― 面白くないと、飲み干した杯をセリームへと突き出す。
 セリームは「はいはい」と水差しを傾けて薔薇水を再び注ぎ、ファルジャードは杯に再び口を付ける。
 治世や用兵などに関して卓越した頭脳を持つファルジャード。彼自身ファルジャード才能を所持していることは分かっているが、その才を使い継いだ領地を治めたり、外敵を殲滅することは、何ら面白みを感じはしていなかった。彼にとって頭脳を使い高揚を覚えるのは学問を修めている時のみであった。

「そうだ……ん? ラズワルド公かな」
「だろう」

 セリームが口を開くと、廊下を駆けてくる足音が複数聞こえた。二人が滞在している部屋は神の子の居住区の一角。そのような場所故、彼らの元にやってくるものは、ほぼおらず、またやってきたとしても伝令が一人のみ。その伝令とて、大軍が攻めてでも来ない限り走りなどはしない。
 神の子が滞在する静寂しじまなる空間を人間は乱してはいけない ――

「ファルジャード!」

 もちろん神の子自身が静寂を乱すのは、なんら問題ない。

「いかがなさいました? ラズワルド公」

 部屋にまさに飛び込んできたラズワルドは、勢いがついたまま膝をつき絨毯を器用に、そして豪快に滑りファルジャードの前……ではなく、全く違う方向に滑り、止まったところで体をねじり、無理矢理ファルジャードのほうを見ると、先ほどヤーシャールたちから教えてもらった情報を届けた。

「ペルセアがネジドを攻めるそうだ!」

 国王と大将軍はネジド公国を攻めるために隊を整えていた。そこにホスローがやってきて ―― 奴隷廃止を奉じる国家を滅ぼすよりも祖廟都市事件こちらのほうが大事だと、急遽カスラーに先発部隊を任せ祖廟都市へとやってきた。

「こっちが片付き次第、親征するそうだ」

 絨毯に腹ばいになった状態で、国王が直々にネジド公国を滅ぼすことを伝える。供としてやってきたジャバードは、腹を掴んで起こしていいものかどうか? 悩んだ結果、触れずに黙って立ち尽くすことを選んだ。
 神の子というものは、おいそれと触れて良いものではない。
 またラズワルドは元気が良いので、すぐに起き上がり拳を振り回しながら、ファルジャードの側へと近づいていった。

「それは……急いでネジドへ向かわねば」

 エスファンデル三世が到着する前に、ネジド公国からアサドを連れ出さなくては ―― 先ほどの会話でエスファンデル三世の人となりに少々触れたファルジャード。彼は滅ぼそうとしている国の支配者一族の男の助命嘆願に、首を縦に振るような国王ではないと判断した。

「そう言うと思って、ハーフェズをバフマンの元に使いに出した。帰途につく準備は始まっているはずだ。本当はもっとゆっくりと話をしたかったが、準備が整い次第ナュスファハーンへ向かえ」

 ファルジャードは都市で起こった出来事の解明と実験、また被害状況の確認や生活に必要な施設の応急対処に追われて、ラズワルドとほとんど話をすることはできなかった。
 ラズワルドは色々と聞きたいこともあったのだが、民の生活の安堵が先だと ―― ダリュシュのことを聞きたかったのだが我慢していた。

「落ち着きましたら、アッバースでなんなりとお聞きください。あと俺はここでバフマン卿の部隊とは離れて、まっすぐアッバースへ向かうつもりです」

 国王への挨拶は、先ほど済ませたので王都まで行く必要はないのですと告げるファルジャード。

「単身は危険だぞ、ファルジャード」

 ただ「ここで良し」となるとバフマン隊と別れることとなり、単身でアッバースまで赴かなくてはならない ―― 普通国王の挨拶へと向かう際には、領地へ帰国することを考え国軍の他に私兵を連れてやってくるものなのだが、ファルジャードは少し・・信頼しているサラミス部隊を既にアッバースへと向かわせており、手元に信頼出来る兵士はいなかった。

「どこぞで、傭兵を雇います」

 ファルジャードは兵士の献身というものを、必要としていなかった。だからこそ彼は傭兵を好んで使う。
 兵士の献身それというもがあるのは認めるし、それを頭から否定するつもりはないが、ファルジャードにとっては無駄と言い切れる。

「まあ聞け、ファルジャード。王都にはわたしがサマルカンドまで伴ったレオニダス傭兵団がいる。王都に戻ったら再度雇う予定があったから、滞在させていたんだ。あいつら腕も立つし、悪い奴もそういないから、あいつらを雇っていけ。あとアルサランも連れていっていいぞ。手紙はもう書いている」

 ファルジャードが傭兵を雇うであろうことはラズワルドにも予想できたので、同行させ悪くはなかった傭兵団を雇うよう指示を出した。

「よろしいのですか?」
「構わんぞ」
「ですが雇うつもりで、費用をお持ちになり滞在させていたのでしょう」

 傭兵は都市部にいては、そう仕事は手に入らない。もちろん町で用心棒をする場合もあるが、戦地に赴いたほうが稼ぎは格段に良い。大国の首都であるナュスファハーンは仕事そのものは溢れる程あり、真面目に働けば慎ましやかに暮らしていけるが ―― 前のレオニダス傭兵団が解散した後、他の人生を選べず傭兵団を再結成した彼らレオニダス傭兵団の面々が、日雇いで金を稼ぐような真似など出来る筈もない。

「アシュカーンの首をウルクまで運ばせるつもりだっただけだ」
「王子の首ですか……そう言えば、王子は?」
「なんか理由があって、この祖廟に埋葬はされていないそうだ」
「……然様で。王子の首をウルクへ移動させるとは?」
「あそこにはビルガメスの廃神殿がある。そこに埋葬することにした。心配するな、ちゃんとビルガメスの許可は取った」
「ビルガメス……ああ、ウルクにいたとされる半神王でしたな……死んだのではなかったのですね」
「おう、違う世界で生きている。だから頼んだんだ」

 明晰な頭脳の持ち主で、地上のことならば理解しきれる自信のあるファルジャードだが、さすがに神の世界に関しては分からないことだらけで、理解できる気もしなかった。

「俺は王子の人となりは存じ上げませぬが、ラズワルド公直々に埋葬していただけるとは、立派なお人柄だったのでしょうね」
「優しい王子だったな。容姿はファルジャードと同じく優しげだったな。王子中身も容姿と同じだったが」

 『王子は』と聞いたところで、セリームは思わず吹き出した ――

 ファルジャードはラズワルドから神書を貰い、王都でレオニダス傭兵団を雇いアッバースへと向かうこととなった。
 そうなると毎回のことだが、セリームの扱いが問題となる。
 ファルジャードとしては連れていったほうが肉体的には楽だが、精神的には安全なところで待っていて欲しい。セリームは自分が安全なところに居るのは精神的に辛いので、どれほど危険であっても戦場に帯同させて欲しいと願う ―― 今回はアッバースまで同行し、そこでナスリーンと共に滞在して、ラズワルドたちを待つことになった。

「すっごい細目だからな! テオドロス、細目だからな!」

 バフマン隊と共に祖廟都市を発ったファルジャードに、ラズワルドが掛けた言葉は「細目」であり、王都に到着後、アルサランを探しテオドロス傭兵団を紹介してもらったファルジャードとセリームは、ラズワルドがどうしてあそこまで「細目」と言ったのか理由を理解し吹き出した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 王都に二ヶ月ほど滞在するつもりだったラズワルドだが、ネジド公国とペルセア王国の戦が始まると聞き、滞在を切り上げてアッバースへと戻ることを決めヤーシャールとアルデシールと共に祖廟都市を後に王都へアシュカーンの首と遺品を回収しに向かう。
 行きは適当な料理しか用意できなかったラヒムは、今度こそは! と言うほどの料理を作り、ラズワルドの前には旅路とは思えぬほどの料理が並んでおり、アルデシールを呼び出した際にも、大量の料理が食布の上に並べられていた。

「御前に参上いたしました」

 天幕の入り口近くで頭を下げているアルデシールを、ハーフェズに中へ案内するよう指示を出し、護衛として同行しているナヴィドも天幕内へと入れてから、食事を取りながら話し掛けた。
 話の内容は自分が祖廟都市に誘った結果、大変な苦労をすることになって悪かった……というもの。

「そのようなことは御座いませぬ。同行しゴシュターブス四世の墓を荒らした者たちを、この手で葬れたことは、この上ない喜びで御座います」
「そうか。悲惨な現場を目にすることになったと聞いたが」
「全て自らの目で見て、己の手で始末を付けられ、満足しておりまする」
「そういう考えもあるか。それでな、シャバーズ。薫絹国に行って余裕があったら、ここに書かれている本を手に入れてくれないか。全部は要らん、一巻だけでもいい」

 群青に塗られた文箱をバルディアーがそろそろとアルデシールに差し出す。アルデシールは中を見ることはしなかったが、必ずや本は手に入れてくると約束をした。

「堅苦しい男だなあ」
「神の子の前では、普通の態度かと」

 アルデシールを食事に誘ったのだが、恐れ多いと頭を下げられてしまったため帰ることを許し ―― ラズワルドの隣で両手に持った燻製乾酪チーズの塊を頬張っているハーフェズが、全く説得力のない説明をする。

「そんなもんか」
「そんなもんですよ。あ、ラズワルドさま、この燻製乾酪チーズ美味しいですよ。ラヒムの自信作」

 まだ手をつけていないほうの塊を受け取り、ラズワルドも口いっぱいに詰め込んだ。

 ラズワルドからの命が書かれた書が入った文箱を持ち、アルデシールは自分の天幕へと戻った。
 その後何事もなく王都へと戻り、ラズワルドはアルデシールと別れ、自宅に戻る。二階の居住区で、新しくなった絨毯に寝転び、家奴隷のキルスが淹れた珈琲カフヴェを飲み、マリートが作った米粉の焼き菓子を食べる。

「ファルジャードの奴が顔を出していった。レオニダス傭兵団雇ってすぐにアッバースに向かったぞ。ネジド絡みなんだってな」
「そうだ」

 世情に疎いメフラーブだが、さすがに王都在住で親征ともなれば「知らぬ」ということはない。
 今回のネジド公国とペルセア王国の戦い。
 ペルセア王国側の勝利条件は「ネジド公国滅亡」の一点のみ。対するネジド公国側の勝利条件は「ペルセア王国を上手く退ける」という曖昧なもの。
 ペルセア軍がネジドの領土に乗り込むので、地の利はネジド公国にある。
 ペルセア軍はペルセア湾を渡り半島に渡り、西へと突き進む ―― ネジド公国に至るまでに幾つかの小国があるのだが、ネジド公国を滅ぼすついで・・・に滅ぼせるような国ばかり。もちろんそれらの国が同盟を組んで敵対してこようものなら厄介だが、近隣は奴隷廃止を掲げるネジド公国に対し、一つとして同調していないので、楽に通り抜けられる。
 もちろん、約一年ほど掛けてペルセアの外交官たちが、ネジド公国の近隣諸国と交渉して、遠征できるよう整えたのだ。

「ところでファルジャードの奴は、なんでネジド公国に直に足を運ぶつもりなんだ? むしろアッバースで特需で大儲けを選びそうなもんだが」

 メフラーブは戦いでの兵の動かし方は知らないが、主計を担当していたことがあるので、軍隊の物流に関しては詳しい。
 今回の戦いはアッバースが補給基地となり、軍需で相当潤うことになる。
 アッバースにおいて石鹸で既に富を得て、貿易にも乗りだしているファルジャードにとって、またとない稼ぎ時。それを見逃すような男ではない筈だと。

「ああ、それな。ファルジャードはネジドのアサドが欲しいんだ。ネジドの宰相、前の大公キヴァンジュの妹の息子。今の大公ユィルマズは前大公の弟の息子。金は何時でも稼げるが、アサドはこの機会でなくては手に入れられない」

 言い終えるとラズワルドは古びた家には不似合いな、薫絹国製の青い陶器の杯に残る珈琲カフヴェを一気に飲み干した。

「宰相か」
「優秀らしいぞ。アサドがいなけりゃ、もっと早くにネジドは瓦解していただろうって」
「下手に優秀なのが居るから、この騒動も長引いたんだろうな」
「そうかも知れないな。そうだ、メフラーブ。昔の噂に詳しい奴を知ってるか?」
「昔ってのは、具体的にどれくらい前のことだ?」
「そうだな五十年ちょっと前」
「バーヌーあたりに聞いてみたらどうだ」 
「そうか、バーヌーか。聞いてみる! バーヌーから話を聞いたら、そのままアッバース行くから。じゃあな、メフラーブ。体に気を付けろよ」
「おう」

 立ち上がったラズワルドは、そう言うと子供の頃と変わらぬ勢いで階段を駆け下り、階下で待っていたバルディアーに行き先も告げず、バーヌーの店へと向かって走り出す。

「ラズワルド公、お待ち……あの、失礼します!」

 階上のメフラーブに頭を下げると、バルディアーは青く長いクーフィーヤを翻し、迷うことなく走っているラズワルドの小さくなった後ろ姿を追う。
 勢いよく店に飛び込み、バーヌーから話を聞いていると、準備を整えたハーフェズがバーミーンと共に迎えにやって来た。

「バーヌーさん。ラズワルドさまをお迎えにやってきました」
「おや、将来の大将軍さまも一緒なのかい」

 バーヌーから五十年ほど前の噂話を聞いていたラズワルドが振り返る。

「バーミーンか。なんでバーミーン?」

 ラズワルドはハーフェズへと視線を移し会話をする ―― バーミーンは表情を一切変えることはせず、バーヌーもこれといった合図を送るような真似はしなかった。

「万が一のことがあったら、ペルセア国王が死んで詫びなきゃならないんで、国軍を伴ってくださいましと頼まれてたんです」
「誰に?」
「国王に」
「いつ?」
「祖廟に居た時」
「断れよ」
「俺が直接言われたら断ったんですけど、ジャバードが頼まれたんですよ。ジャバードは国王の依頼を断るとか出来ない人なんで」

 これに関しては国王エスファンデルが、殊更卑怯な手段を使ったわけではなく、世俗の対応口がジャバードの為、それに則り丁重に頼んだだけのことである。

「じゃあ仕方ない。バーヌーありがとうな」
「ありがたい御言葉」
「話の礼に……よし、縞瑪瑙の腕輪こいつ金紅石の首飾りこいつ、あとは紅榴石の髪飾りこいつ銀の耳飾りこいつを貰おう。ハーフェズ、金!」

 情報代金として商品を四つほど手に取り「さあ、金を払え!」と。

「持ってきてません!」
「そうか」

 そもそもハーフェズは、日当全額をラズワルドに献納しているので、いつでも一銅貨すら持ち合わせてはいない。

「バーミーン。持ち合わせはあるか?」
「御座います」
「貸してくれ!」
「貸すなど恐れ多い。ハーフェズ卿、どうぞお収め下さい」

 バーミーンは急ぎ腰に下げていた革袋を外し、膝をついて隣りのハーフェズに恭しく差し出す。

「ありがとう御座います……バーヌーさん、これでお願いします」

 ハーフェズは中身を数えることなく、バーヌーの前に置いた。

「バーヌー、足りなかったら連絡をくれ。じゃあな!」
「お気を付けて」

 バーミーンは深々と頭を下げると、ラズワルドたちの後を追い、王都を出て西方にあるウルクを目指した。