ラズワルド、五十年前の事件解明の切欠となる

 約五十年前に魔王の僕マジュヌーンとなった神官テイムール ―― 彼が何者かにより身代わりに仕立て上げられた。テイムールを魔王の僕マジュヌーンに仕立て上げたのは何者か? そして、それは己の生命を賭して伝えなくてはならないものであると、神殿長ジャラールは考えて実行した。
 伝えたかったものはなにか?

「なんだろなー」
「なんでしょうねえ」

 ラズワルドは当初の目的を果たすべく、龍涎香アンバルを焚きイェガーネフと香りを楽しみながら、神殿長が残した謎について語り合った ―― ただイェガーネフはラズワルドとは違い、謎に興味はあっても、ごく普通の神官教育しか施されていないため、問題解決能力を持ち合わせておらず、これといった糸口を見いだすということ自体が分からないので、

「不思議だなーイェガーネフ」
「不思議よね、ラズワルド」

 龍涎香アンバルの香りに包まれ、初めての感触・・・・・・とラズワルドとの会話を楽しむに留まっていた ――
 ちなみに初めての感触とは、ワーディの肋骨である。
 二柱はワーディの最近肉がついてきたが、まだまだ肋骨が浮いている胸部に頭を乗せて寝転び、香りを楽しんでいたのだ。

「……」

 今はが両胸部に神の子の頭が乗せられている状態のワーディは、無言のまま少々・・困っていた ―― 少ししか困っていないのは、ラズワルドの枕になるのに慣れ始めていたためである。

「きっと謎はファルジャードが解明する。解明されたら、イェガーネフに教えるからな」
「楽しみに待ってる」

 『我慢して大人しくしていて下さい』至る所に豚の血やら骸が転がっており、その後片付けなどの仕事があるハーフェズにそう言われたラズワルドは、神の子が寝泊まりする区画で大人しくしていた。

「人類最高の頭脳の真髄をみせてくれるはず」
「頭脳という点では、わたしたち神の子も勝てないかもって、フォルード言ってた」

 フォルードとはラズワルドたちより五つ年上の、滅魔の力を持たない神の息子である。武芸は非常に得意だが、勉学はあまり好みではなく、まだ下町にいたラズワルドの元に遊びにきて、私塾の授業を見学しては「?」と皆目分からないという表情を隠すことなく、そして年下のラズワルドに説明を求め ―― ラズワルドより余程教えるのが上手いメフラーブの授業を見学して分からないのだから、無駄な行為とも言える。

「フォルードより賢いって、当たり前のことじゃないか」
「そんなこと言われたら、フォルード泣いちゃう」
「泣かない、泣かない。そんなことで、泣くはずがない。あいつ神経図太いから」
「そんなに図太いかしら……。ワーディ、重くはありませんか」
「重いに決まってるじゃないか、イェガーネフ」
「それもそうね、ラズワルド」

 ラズワルドはワーディのメフラーブの胸部に似た感触を気に入っており、イェガーネフは初めての骨張った感触が楽しいので、二柱は重いだろうと思ってはいるが、頭を退けようとはしなかった ―― 神の子の側に仕えることができる奴隷というのは、身体も頭脳も優れているのが当たり前。ワーディのように片腕が途中から欠損している貧相な体付きの奴隷など、侍ることなどあり得ないのだが、ラズワルドが気に入り、友人であり姉妹であるイェガーネフも珍しい感触を心より楽しんでいた。

「それはそうと、ラズワルド。精霊の力はしっかりと押さえ込んでいますか?」

 ラズワルドはファルジャードから、銀の矢傭兵団の団長を含む精霊使いたちが、その力を発揮できぬようにしてくれと依頼されていた。

「そこは大丈夫」
「彼、何をしているのかしら」
「実験とか尋問とか資料集めとか」

 その他にも細かいところを見たいので、明かりを貸してくれとも言われていた。

「きっと、明晰と言われる頭脳を活用してるんでしょうね」
「そこは疑いの余地はない。少しばかり苛烈が過ぎるらしいが、まあ有能だ」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 父王の遺骸を豚に食い荒らされたアルデシールは、その怒りを豚を連れてきた銀の矢傭兵団へと向けた。その怒りは当然であり大きく苛烈であったが、ハーフェズはいつも通り軽く往なす。
 ハーフェズもアルデシールが激怒する気持ちは分かるし、自らの手で処刑したいと願うのも分かる。後々はそうしても良いとは思っているが、とりあえず情報を手に入れたいので、まずは生かしておき、必要がなくなったと判断できたら好きにさせる ―― 怒りの収まらぬアルデシールではあったが、そう決められた以上逆らうわけにも行かず、悶々と過ごすことになりそうだったのだが、翌日に現れたファルジャードに、少々気勢が削がれた ――

「ご安心下さい。半数は残す約束をしていますから」
「ああ、そうか」

 ラズワルドから明るさを調節することができる、精霊の力を用いた明かりを借りたファルジャードは、ハーフェズから生き残った傭兵の半分を貰い・・様々な実験をしていた。
 例えば一人の傭兵に神殿長の服を着せて、椅子に縛り付けて背もたれごと刺し、そして引き抜く。

「椅子の背もたれに空いた穴に、このように絹の切れ端が付くのです」
「なるほど」

 縄を解き苦痛の叫びを上げている傭兵を椅子から乱暴に下ろし、ファルジャードはアルデシールやハーフェズなどに、背もたれの穴を指さし説明をする。

「へぇー。こういうのラズワルドさま、聞いたり見たりしたら喜びそうですが」
「さすがにこのような場は、ご覧に入れられない」

 ファルジャードもそう・・は思うが、さすがに神の子の前でこれら・・・をするのは気が引ける。

「ですよねー。あれ? ファルジャード、吊している人が大きく痙攣しましたよ」

 彼らが居るのは奴隷小屋。この奴隷小屋は後で取り壊し新しいのを建てる ―― ということにして、傭兵団を収容しファルジャードの実験場となっている。
 ハーフェズが言う吊されている人とは、足首に縄を巻き、逆さに吊されてから両鎖骨の下を刺されていた。彼の下には革が張られた大きな桶が設置されており、滴る血が貯められていた。
 桶は二度ほど交換され、今は三つ目。さすがに三つ目ともなると、滴る血は少なくほとんどたまらない。
 ファルジャードは吊されている男の首筋に手を伸ばし、冷え切った肌に触れる。

「まだ脈はあるが、雪のように冷たくなっている」

 血の気が失せ、白目を剥いている吊された男に近づいたハーフェズは、ファルジャードの言葉を確認するかのように、背伸びをして男の額に触れてみた。

「本当だ」
「シャバーズ卿、これが死んだら桶の血を全てぶちまけてお見せいたします」
「……ふむ」

 神殿長の部屋に残されていた血の量が多いことを証明すべく、ファルジャードは傭兵一名から血を全て抜き、あとで床に巻いて見せることにしていた。

ついで・・・に眼球も抜くか」
「ついでじゃなくて、眼球抜きそっちが主でしょう」
「そうだけどな。お、抜きやすいな」

 ファルジャードは話をしながら、慣れた手つきで眼窩に指を突っ込み刳り抜いた。

「…………」

 アルデシールの気勢を削いだのは、これらファルジャードの実験。悪意は一片もなく、憎悪など一滴もなく、淡々と行われる残虐行為。
 脅すこともなく ―― 生かしておくつもりもなければ、情報を引き出すつもりもないので、相手がどれほど泣き叫び、正直に語るからと懇願しても、ファルジャードの耳には届かず。
 ファルジャードの実験用に選ばれなかった者たちは、濃厚な血と排泄物の匂いが漂う同じ小屋におり、美味しい食事とまずくはない麦酒を与えられているのだが、彼らの食は日に日に細るばかり。

「ペルセア料理は口に合いませんか? でもヘレネス料理作れる人いませんし。食べないと体が弱りますよ」

 彼らも戦争を生業とする傭兵団である。血生臭い中で食事を取ることなど慣れているし、ぶちまけられた内臓や飛び出した脳や目玉などで食欲が減退することなどないのだが ―― ファルジャードが目の前で行う人体実験は、それらとは全く違う得体の知れないもので、恐怖しかなかった。

「なんでも喋る! だから、あれだけは!」

 ファルジャードに慈悲を請うことを諦めた彼らは、偶にやってくる責任者らしい少年ハーフェズに「助けてくれとは言わないが、生体解剖されるのは嫌だ」と訴えるのだが、

「ヘレネス語訛りがあって、分かりません。ファルジャードならヘレネス語分かりますから、言いたいことがあるならファルジャードにどうぞー。ファルジャードならラティーナ語もヘレネス語も薫絹語も完璧ですから」
「俺はミスラ語もダマスカス語もサータヴァーハナ語も完璧だぞ」
「知ってますー」

 まったく取り合ってもらえず ―― 四日後、国王の軍勢が祖廟都市に到着した頃には、ファルジャードが貰った傭兵たちは全員、豚の死体が捨てられた穴に放り込まれた。

 ちなみにペルセア王国と豚に関して ――

 ペルセア王国で豚が不浄とされるようになったのは、人間との共存が難しい生き物ゆえ、遠ざける必要がありそう定められた。
 最たる理由は豚の飼料と人間の食糧が競合してしまうこと。他の家畜は人間が食べない草を食むが、豚は球根や穀物などを食べる。
 また非常に水が必要な家畜である。ペルセア王国の主食である羊は、あまり水を必要としない。山羊や驢馬、駱駝などの主要な家畜も同じである。
 だが豚は飼育に大量の水が必要である。
 必要な水の量で言えば、牛のほうが多いのだが、牛は豚と違い乳が採れ、農耕の手助けにもなる ―― 雑食の豚に耕起などさせるわけにいかない。乳に関してはほぼ出てこないと言っても良い。要するに水の消費量が多い牛と豚、どちらを飼育したほうが得か? という話である。
 荷運びに使えず、農耕にも使えず、乳も手に入らず、水を大量に必要とし、毛を採ることもできない。
 極論豚というのは、食肉にしか使えない。その効率の悪さから、豚の飼育は禁止された ―― もともと豚は乾燥に弱く、ペルセアの気候風土に適していなかったため、禁止されると瞬く間に消え去った。

「相変わらず、ファルジャードですよね」

 ファルジャードから怒濤の説明を聞かされたハーフェズは「あ、はい」といった表情で聞き流した。いつものハーフェズである。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 国王エスファンデル三世は大将軍マーザンダーラーンを伴い、ヤーシャールとホスロー、そしてベフナームの三柱の従者としてやってきた。

「ヤーシャール! ベフナームも来たのか! ホスロー、龍涎香アンバル楽しもうな!」

 ラズワルドは三柱の到着は喜んだが、国王には興味はないので会おうとはせず ―― 祖廟にいる間、一度も会話をすることはなかった。

「わたしたちも、龍涎香アンバルの香りを楽しんでいいかな?」
「おう、構わんぞ、ベフナーム」

 ラズワルドは言いながら、ベフナームに抱きつく。

「無事でなによりだ、イェガーネフ」
「はい、ヤーシャール。でも宝剣を奪われてしまいました」
「それに関しては気にしなくていい。ファルジャード、無事諸侯王になったようだな。おめでとう」
「勿体ない御言葉」
「それでファルジャード、御主、今回の事件に関して推察したな」
「はい」
「精霊王が”ラズワルドの隣の家に住んでいた者は人ならざる者なのか? 襲撃について語った内容は完全無欠だ。どこで見ていたのだ”と言っていた」

 ベフナームに抱き上げられていたラズワルドは「あいつ、やはり知ってたのか」と。ただそう思うだけで、救ってくれたら良かったのに……などという気持ちは全く湧かなかった。
 ラズワルドは精霊王のことは嫌ってはいないが、信頼してはいない。

「然様で。人ならざる者ではないことだけは、ラズワルド公から伝えていただかないと」
「任せておけ」

 もちろんファルジャードも精霊王が人かそうではない者か? 判別がつかぬ筈などないことは分かっているし、精霊王もファルジャードが人間であることは知っている ―― 後々精霊王がラズワルドを手に入れる際、立ちはだかるのがファルジャードであり、その時に『あれは本当に人間か?』と心から言葉を発することになるが、今現在精霊王にとって、ファルジャードは少し頭の切れる人間程度であった。

「ファルジャード、その内容を国王たちに聞かせてやってくれないか」
「畏まりました」
「わたしたちも内容に興味があるから、それを聞いてくる。ラズワルド、龍涎香アンバルはその後に楽しませてくれ」
「焚いて待ってるからな」

 ラズワルドにとって、祖廟襲撃事件はすでに終わっているが、その他の者たちにとっては、始まったばかりといっても過言ではない。

「……となります」

 精霊王が完璧だと言った推測 ―― ファルジャードはヤーシャールからその言葉を掛けられた時、全てを疑うことに決めた。ヤーシャールのことは信頼しているが、精霊王のことは信じていない。
 わざわざ精霊王がヤーシャールに自分が導き出した推論が正しいと教えた理由を考え、一から吟味し直すことにしたのだ。
 もちろん口に出してしまえば精霊王に聞かれかねないので、国王たちに語った内容はラズワルドたちに聞かせたものと同じである。

「神殿長が伝えようとした内容に関しては、いまだ判明してはおりませぬが……」

 ファルジャードは根拠こそないが、ある程度の予想はついていた。

「精霊王も認める知性を持つお主の推測、聞かせてもらおうか」

 息子であった・・・アシュカーンと全く似ていない大柄で巌のようなエスファンデル三世が、髭で覆われた口を開く。
 声は厳しい表情に似合う低く、威圧するような喋り方だが、新諸侯王ファルジャードは気にすることなく、それどころかいつも以上に飄々と話し始めた。

「伺いたいのですが、ゴシュターブス三世・・の時代、ゴシュターブス四世・・のような事件があったのではありませんか?」

 ゴシュターブス三世とはエスファンデル三世の曾祖父にあたる人物で、即位したのは約五十年ほど前。ファルジャードはこの時代にも「贄の入れ替え」があったのでは? と尋ねた。

「……聞いてはおらぬ。マーザンダーラーン」

 エスファンデル三世は腹心であり、彼よりも十五歳ほど年上の大将軍に知っているかを問う。

「聞いたことは御座いませぬが、そのような大事、当時のわたしめ如きが知れる筈もございませぬ」

 現在大将軍のマーザンダーラーンだが、彼の家柄はさほど高いものではなく、一族で彼以外に過去に軍でもっとも出世した者でも将が最高位。五十年前後に限定すると大隊長ほどで、王家の秘密に触れられるような立場にはいなかった。
 ファルジャードは顔の右半分を青い布で覆い隠しているアルデシールに視線を向けるが ―― 当然彼も何も知りはしなかった。

「それに関してはわたしが知っている。実際にあったそうだ・・・

 ヤーシャールの問いに答えてくれたのはベフナーム。
 三十八歳になる彼は、フラーテスからそのことについて、幼い頃に聞かされていた。

「去年起きたものとは、少々違うとは思いますが、贄が王家の血を引いて居ない者が贄として捧げられたのは事実です。違うのは当時フラーテスが王宮にいたこともあり、ゴシュターブス三世は四世とは違い被害を免れたということ。あと三世は正妃との間に五名ほどの子を儲けていたので、新たな贄をすぐに捧げることができたのも大きいですね」
「ベフナーム公。失礼とは承知しておりますが、質問に幾つか答えていただけませんでしょうか?」
「構いませんよ。なんですか?」
「王家の血を引いていない者が、何故贄になったのですか? 今回のように入れ替えられたのでしょうか?」
「それが、はっきりとしていないのです。”王家の血を引いていなかった。では正妃の子をもう一人捧げてみよう”……で、終わってしまったのです。王家がそれで良いのであれば、わたしたちも特に追求したりはしません」

 王家の暗部というものは、詳らかにするものではなく、知られぬよう隠すもの。探求者気質の強いファルジャードのような人物には、到底理解できないことだが、事態を解明せずやり過ごし ―― そしてまた同じような事件を引き起こしてしまう。

「そうですか」
「当時の重鎮にあなたのような人がいたならば、詳細が明らかになったかも知れませんね」
「それをテイムールという神官が探っていたとしたら? ……王家の知られたくはない恥部を一介の神官が探り当てたとしたら、どうなさいます?」

 ファルジャードは正面に座っている国王エスファンデルを、まっすぐ見つめて問いかけた。国王の面には不快さが滲み出たが隠さず、そして短く答えた。

「暗殺を命じる」
「なるほど。わたしめがラズワルド公から聞いたところによりますと、テイムールは約五十年前に魔王の僕マジュヌーンとなったとされたのですが、はっきりとしたのは二十五年前。彼の隠れ家が見つかり、そこにはおぞましい死体が残されていたから。何故二十五年近くもの間、見つからなかったのか? 不思議だったのですが……それはさておき、傭兵団と共に現れた魔王の僕マジュヌーンは、おそらくゴシュターブス三世の王子のいずれかでしょう」

 何かを言いたげに口を開いたエスファンデル三世だったが、ファルジャードが『宝剣の在処を知っているのだから、若い神官テイムールと考えるよりも王子と考えたほうが納得できる』と言われ、言葉を飲み込んだ。
 大将軍は『ラーミンから聞いたのでは』と反論したが ――

「ラーミンはここに宝剣があったことは知っているとは思いますが、宝剣を使うということはしないでしょう。宝剣を奪いたいのであれば、今よりもっと奪いやすい時代があった。それこそ五十年前、当時ペルセアにはフラーテス公と幼いマーカーン公、オルキデフ公しかいなかった。今はどうです? お年を召したがまだ健在のフラーテス公、フラーテス公同様金の文様をお持ちのラズワルド公、そして文様こそ二柱より小さいが、主神がそのお美しい顔を文様で隠すのを惜しまれ、力そのものは与えたとされているファリド公がおわす今、そんなことをするとはとても思えません。なにせラーミンは神の子の脅威を最もよく知っている精霊ですので。となれば、五十そこそこで神の子の脅威を知らぬ若造でありながら、宝剣について知っている王子と考えるのが妥当かと。そして神殿長が命を賭してまで、そのことを知らせようとした理由。それは、もう皆さんお分かりでしょう」

 そう言葉を切り、魔王の新たなる器になりかけたアルデシールへと視線を向けた ―― ペルセア王族が魔王の軍門に降った。それは魔王が復活するための容れ物を手に入れたというこでもある。