ラズワルドとハーフェズ、成長する

 ホスローが祖廟を発って、半日もしない頃、北の方角から武装勢力が二つ、祖廟都市へとやってきた。
 一つはホスローの護衛部隊と祖廟都市の護衛兵の混合部隊。村や街道に現れた怪物こと豚の討伐に向かった一団である。
 もう一つは、サマルカンドでファルジャードの護衛を担当することになった、バフマン指揮下の兵士たち。彼らに護衛されファルジャードは、国王に挨拶すべく王都へと向かう途中であった。

「祖廟都市というのは、思いの外貧相だな、バフマン卿。あの絢爛豪華な王宮に住んで居た王族が満足できるとは、到底思えないが」
「同意致します、ファルジャード卿」

 祖廟に立ち寄った二人は攻防の跡が生々しく残っている城壁前で、そんなことを呟き合った。
 そうしていると、混合部隊から報告を受けたハーフェズが馬に乗り出迎えにやってきた ―― 

「ファルジャード! 丁度良かったです。謎というか、なんか……うまく言えないんですけど、俺とかラヒムとかラズワルドさまが違和感を覚えているんで、それを解明して下さい」

 挨拶もそこそこに、ファルジャードはなにかも分からぬまま問題を解いてくれと頼まれた。

「ハーフェズ? どうしてここに? そして、いきなりなんだ?」
「とにかく来て下さい! あ、セリームも一緒にどうぞー。バフマン卿のこと頼みましたよ、メティ」

 怒濤の勢いでファルジャードがハーフェズに連れて行かれた先は、祖廟を預かる神殿長の部屋の一つ。
 二階にある部屋で、中庭に面している面はすべて露台バルコニーがあり、外の明かりが部屋中に差し込む贅沢な作りになっている。
 出入り口は露台バルコニーの向かい側。
 その入り口から見て左側に机があり、右側には壁一面に書棚が作り付けられ、蔵書と手紙が整然と積まれていた・・

「うわ! ……これは……」

 そんな整然としていた筈の部屋だが、今は至る所に血が飛び散り、部屋の主が逃げ回った際についたと思しき血染めの手形が壁や書棚に無数に残されている。
 大切に保管されていたであろう巻子本や手紙が絨毯の上に転がり、これらも血まみれ。
 机にはべったりと血がつき、椅子の背もたれにはなにかで貫いたような穴が空いていた。

「……」

 部屋を見て思わず声を漏らしたセリームとは違い、ファルジャードはなにも言わず部屋全体を入り口から一通り眺めてから、渇いた血がこびりついている絨毯の上へと進んだ。
 ハーフェズに聞くこともせず、黙ってしばらく室内を見てまわったあと、

「とりあえず、祖廟都市で何があったのか教えてもらおうか、ハーフェズ」

 まずは祖廟都市で起こった出来事について説明を求めた。
 ちなみにファルジャードが祖廟都市を訪れたのは、王都へと向かう途中、豚と応戦していた一団と遭遇したので手助けをした為である。
 これが国軍の兵士だけであったらファルジャードは先を急ぐと、無視するところだったが、神の子の直属の武装神官団に所属していることを表す騎馬旗が掲げられていたので、手を貸した。その後、武装神官たちが祖廟都市に駐留しているのだと聞き ―― 生前のアシュカーンとは、関わりのなかったファルジャードだが、これもなにかの縁かもしれないと、アシュカーンを参ろうと少しばかり進路を変えた。

 ファルジャードも、アシュカーンが祖廟に埋葬されていないことを知らなかった。

「……なるほど。話は分かった。おそらくこの襲撃の目的は、神殿長だな」

 事情を聞き終えたファルジャードは、そのように結論づけた。

「そうなんでしょうか?」

 説明をしたハーフェズは、ペルセア王国でもっとも重要である宝剣が盗まれたことを知っているので「違うのでは?」と考えたが、

「そうだろうな」

 宝剣の盗難それについて知らぬファルジャードは、祖廟の神殿長ジャラールが目的だと断言する。

「これほど大がかりにして?」
「大がかりではあるが、そちらに人目を向けようとしている感が、至る所に見られる」
「そうですか……ちょっと待っていて下さいね」

 ハーフェズは神殿長の部屋を飛び出し ――

「ファルジャードか!」
「これはこれは、ラズワルド公……と、シャバーズでよろしいか? ……おお、初めてお目に掛かりますイェガーネフ公。サマルカンド諸侯王ファルジャードに御座います」

 二柱と一人を連れてやってきた ―― 勿論その周囲にはお付きはいる。ラズワルドのお付きはハーフェズにバルディアー、ラヒムにハーキムにワーディ、そしてアーラマーン。

「よくわたしがイェガーネフだと分かりましたね、ファルジャード」
「それはもちろん、分かります」

 ファルジャードは神の娘イェガーネフ神の息子ホスロー以外の神の子には会ったことがあるので、簡単な消去法で誰なのか分かったのだ。

「ところでハーフェズ。いきなり二柱をお連れするとは、なんのつもりだ?」
「ラズワルドさまも、この部屋の状況は気になっておいでで、解説が聞けるならすぐにでも聞きたいとのことです。分かるでしょう、ファルジャード」
「まあ、分かるが……だがこんな豚の血・・・で汚されたような部屋に、お越しいただくのはよろしくないだろう」
「豚の血? どういうことだ? ファルジャード」
「ラズワルド公。おいおい説明いたしますが」
「ラズワルドさま、イェガーネフ公、シャバーズ卿。ここで盗まれたもの、ファルジャードに教えてもいいですか?」

 ファルジャードが話終える前、ハーフェズが許可を求める。

「たしか、諸侯王は知っていると聞いた。なあ、イェガーネフ」
「聞きました」

 二柱の言葉を受けて、ハーフェズは火傷跡を隠す面を身につけている長身の男を見上げ、見つめた。

「構わん」

 アルデシールシャバーズは言葉少なく答え ―― ハーフェズはファルジャードに祖廟ここに宝剣があり、今回宝剣それが盗まれたことを耳打ちした。
 聞かされたファルジャードは少しばかり考えるような素振りを見せたが、驚くような仕草は一切見せなかった。
 彼はもともと王家の祖廟如きに、なぜ神の子がついているのか? 常々不審に思っており ―― ハーフェズから事情を聞かされ、驚愕よりも得心のほうが上回った。

「なるほど。だがそれを聞いても、俺としては目的は神殿長だと考える」
「そうですか。ところで、この部屋の違和感の正体を教えて下さい」
「血だ」
「血? ですか」

 惨劇があったと一目で分かる、おびただしい血の跡が残る部屋を、誰もが興味深く見回す。

「ハーフェズは詳しくはないだろうから、シャープール卿、スレイマン卿に尋ねるが、この部屋は神殿長の書斎で間違いはないか?」
「その認識で間違いはない、ファルジャード卿」

 シャープールが答え、スレイマンも頷く。

「神殿長を襲ったのはおそらく魔王の僕マジュヌーンだ。魔王の僕マジュヌーンがここに足を運べたのだから、ホスロー公がおこもりになられた後に起こったと考えられる」
「でも、ここ結構、魔払香の香りしますよ、ファルジャード」
「それについても、徐々に説明をするさ、ハーフェズ」
「そうですか」
「ところでハーフェズ、一つ聞きたいのだが、ここの神殿長は両腕あるな? ワーディのような片腕ということはないな?」
「唐突な質問ですねファルジャード。俺が覚えている分では、神殿長のジャラール殿は両腕ありましたよ。見かけたのは三年前ですけど。その後片腕になったとか、片腕が使えなくなったとかは…………ないようです」

 ”どうですか?”と、祖廟を訪れることの多いスレイマンのほうを見ると「そんなことはない」と否定した。

「では部屋中に印のように残っている血の手形を見てくれ。全て左手だ。右手形は一つもない。不自然だろ?」

 ファルジャードに言われ、その場にいた者たちは初めて注意深く血染めの手形を意識して見た ―― そこにはたしかに、左手形しかなかった。

「例え右手を負傷していたとしても、どこかに形の一つは残るはずだ。だがこの部屋には一つとしてない。これはおそらく神殿長が意図して左手形のみを残したか、右手にな重要なものを持っていていたと考えられる……と考えるよう仕組んだとも考えられる」
「なんですか、それは」
「まず第一に、神殿長はなぜ書を認めていたのかだ。神殿長は銀の矢傭兵団が攻めてきたのを見てから、ここに来て書を認めたと考えられる」
「それに関しては同意します」
「では神殿長は、一体なにを認めるために、二階の書斎へ一人でやって来たのだ?」

 お付きの兵士四名が、この部屋前の廊下で事切れ、冷たい骸を晒していたことから、神殿長が一人で二階の書斎に入ったことは判明している。

「救援要請とか……じゃないですよね」
「神殿長がラズワルド公のふくろうのような、頭の切れる鳥を飼っているというのならば、その脚に救援要請を書いた紙を結び飛ばすこともあろうが、この部屋には鳥が飼われている気配はない」
「ジャラール殿は鳥などは飼っていない」

 スレイマンがそれについては断言できると ――

「その神殿長、もしかして魔王の僕マジュヌーンに心辺りでもあったんじゃないのか」

 ラヒムの答えにファルジャードが手を打つ。

「その通りだ、ラヒム。銀の矢傭兵団と共に現れた魔王の僕マジュヌーンは、顔見知りかなにかだったと考えられ、それをどうにかして伝えようとした」

 書いている最中に襲われたのか、蓋がされていない墨瓶が床に転がり落ちている。

「じゃあ、この落ちている巻子の中身を確認すりゃあいいのか?」

 血で汚れている巻子の確認となれば、奴隷の仕事 ―― 然りとて普通の奴隷は、文字がほとんど読めないので、内容が分からないので聞くしかない。ならば最初から読める奴隷を……となりそうだが、 

「いいや、確認する必要はない。それは神殿長が右手に握り締めており、そのまま持っていかれた」

 ファルジャードは”それは残っていない”と断言した。

「そうなのか?」
「だが手紙を持ち去られたこと自体は問題はない。なにせ神殿長も、残せると思ってはいなかっただろうからな。神殿長が残したこの血の手形。これが手がかりだ」
「手形になんの意味があるのですか? 手形の数でなにか分かるとか? 神官特有の暗号とか?」
「神官特有の暗号があるかどうか、俺は知らないが、そんなものがあるとしたら、お前が熟知してなけりゃ駄目だろ、ハーフェズ」
「言われてみると……シャープールさん、ないですよねー」
「暗号がないとは言わぬが、手形を使った暗号などはない」
「それはそうだろう。問題はこの複数の手形と、なくなった手紙だ。俺の予想では、手紙は露台バルコニーから中庭に投げ捨てられ、まだ回収されていないはずだ」
「なくなった手紙? 回収されていない? ……ファルジャード、一つ頼みがあります」
「なんだ? ハーフェズ」
「あなたの推測を最初から通しで教えて下さい。あなた全部分かって話をしているので、まったく分からないこちらは理解不能です」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ファルジャードの予想はこう・・である ――

 魔王の僕マジュヌーンは【アルデシールの行方】を探るべく祖廟都市に狙いを定めた。
 魔王はどうかは不明だが、魔王の僕マジュヌーンたちは、アルデシールの始末をまだ諦めてはいなかった。
 魔王の僕マジュヌーンたちが全く気配を感じることができないが、確実に生きているアルデシール。となれば神の子が関与しているのは容易に想像がつく。
 王都に匿われているとしたら手出しは難しいが、逆に人の噂にはなりやすい ―― だが王都ではアルデシールの姿を見たと言う者はおらず、それどころか「国王エスファンデルに殺害されたのでは」なる噂が出回る始末。
 王都育ちであったアルデシールの顔は、多くの民が知っているため、隠し通すのはほぼ不可能。よって王都ではないと魔王の僕マジュヌーンたちは判断した。
 次に匿われているのでは? と候補に上るのはサマルカンド。
 王家の秘密についてフラーテスから聞くために、サマルカンドまでやってきて ―― そのまま残っているとも考えられた。またサマルカンドにはアルデシールの顔を知るものは少ないので、噂にも上りにくい。
 そのサマルカンド案が消されたのは、先頃の諸侯王位を巡る内戦。この時、幾名かの魔王の僕マジュヌーンが確認されていた。
 彼らが何らかの行動に出ようとしたら、ファルジャードは排除するつもりであったが、彼らは何かを探り、そして内乱の終わり前に消えた。
 ファルジャードは自分の身辺を探られてはいなかったので、気付かなかったが、この時、内乱に乗じて情報を集め、そしてサマルカンドにはアルデシールはいないという確信を得た後去っていったのだ。
 残るは祖廟都市か港町アッバース。
 その後者アッバースに滞在しているラズワルドだが、長期で離れている。となれば残るは祖廟 ―― 
 もっとも魔王の僕マジュヌーンでは、サマルカンドのフラーテス、アッバースのラズワルド、ナュスファハーンのファリドに近づくことはできないので、祖廟都市しか襲うことはできない。
 アルデシールが居るにせよ居ないにせよ、祖廟都市を襲いアルデシールを見つけるか、神殿長ジャラールから情報を引き出す方法しかなかった。
 そこで策を練り、襲撃が行われた。
 銀の矢傭兵団は囮。傭兵団と共に現れた魔王の僕マジュヌーンも同じく囮。この魔王の僕マジュヌーンは若い男だったと住民は証言しているが、魔王の僕マジュヌーンは時の流れに逆らう者ばかりゆえ、神殿長と同い年と考えられる。
 見覚えのある魔王の僕マジュヌーンを見かけた神殿長は、このことを誰かに伝えようと考えた。

 何故このことを伝えようとしたのかに関しては、まだ分かっていない。

 とにかく命をかけても伝えねばと考えた神殿長は、傭兵団と共に現れた魔王の僕マジュヌーンが囮であることを看破し、もう一人魔王の僕マジュヌーンがいることにも気付いた。
 まだ神殿長が顔を見ていない魔王の僕マジュヌーン。これは魔王の軍門に降ったばかりで、まだ人間寄り。よって魔払香もあまり利かない。
 この人間寄りの魔王の僕マジュヌーン ―― 新入り・・・は豚の血を革袋に詰めて、神殿長が籠もった書斎へと向かい、護衛を倒し神殿長を襲撃する。
 不浄とされている豚の血を触らせたのは、新入り・・・に対する試し行為。魔王の僕マジュヌーンの試しとしては、わりと知られたものである。
 ちなみに血を抜かれた豚は弱り、閉じ込められ空腹になった他の豚に食われた。
 神殿長は迫り来る魔王の僕マジュヌーンの目をかい潜り、情報を残そうと考えた。残されている時間は非常に少ない ―― 神殿長は以前受け取った手紙から、手がかりに繋がるものを選び出し、中庭に放り投げる。
 そして机に向かい意味のない巻子を置き、あたかも今書き記したかのような姿勢を取る。
 護衛を殺害し侵入してきた新入り・・・は、神殿長に当て身を食らわせて気を失わせる。神殿長は気を失い、その間新入り・・・は、神殿長が死んだと思われるように偽装をする。
 神殿長という重要な地位に就いている者ゆえ、生きている可能性があれば、捜索隊が組織される。それは厄介なので、「死亡」を偽装する必要がある。魔王の僕マジュヌーンはもっとも効果的で分かりやすい「大量の血」を現場に残すことにした。
 机の前にある椅子の背もたれを貫き、墨瓶の蓋を開けて床に落とし、机や床に豚の血を撒く ―― 書を認めている最中に背後から突き刺されたように見せるための偽装。
 だが背もたれの傷に肉が残っていない ―― 死体がなく椅子が残っている以上、刺して引き抜く・・・・作業がある。人間を貫き引き抜くと、背中に面している座面には、肉や衣類の破片が残るものだが、ここの血塗れ穴の空いた椅子には、それらは残っていないので、明らかな偽装である。
 新入り・・・がそのような偽装をしていると、神殿長が意識を取り戻し、逃げようと出入り口の扉へと向かう。
 もちろん逃げ切れるなどとは思っていない。
 だが刃物を持っている新入りマジュヌーンが自分を殺害しなかったことから、生かして捕らえ、なんらかの情報を得ようとしていることは分かった。
 神殿長の意識が戻ったことに気付いた新入りマジュヌーンは、再び失神させようともみ合いになり豚の血がぶちまけられ ―― 神殿長は誰かの興味を引くために、左手形のみを残す。
 結局神殿長は捕らえられ、連れ去られた。
 他の出来事は神殿長の誘拐を隠すためのものである。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「以上だ。あと違和感の正体は血の量だ。神殿長の護衛四名が死亡した廊下と、書斎の血の量がほとんど同じことに気付いていたのだろう。ただ答えが出なかっただけで」
「ファルジャード凄いですねー」

 ハーフェズは気の抜けた拍手を送り、シャープールとスレイマンは露台バルコニーへと出て、投げ捨てられた手紙を捜す。

「あった!」
「ああ、あれは、ラズワルド公からの神書ではないか!」

 それを聞き全員で露台バルコニーへ ―― 室内は豚の血で汚れている可能性があるので、歩かせるわけにはいかないと、

「そういうことなら、ハーフェズ!」
「はい……よいしょ」

 ラズワルドはハーフェズに背負われ、

「イェガーネフも露台バルコニー行くか?」
「行きます」
「ではナヴィド、イェガーネフを持て」
「よろしく、ナヴィド」
「いあ、その……スレイマン卿!」

 イェガーネフは急ぎ戻ってきたスレイマンに抱えられ、露台バルコニーへと向かいのぞき込むと、緑が溢れる中庭に、鮮やかな群青色の表紙の巻子が、紐が解かれた状態で灌木の枝に引っかかていた。

「ファルジャード」
「はい、ラズワルド公」
「ジャラールがわたしからの手紙を放り投げたということは、わたしに対しなにか伝えたいことがあったと考えて間違いないな」

 ラズワルドは落ちている手紙を手元へと引き寄せる。
 するとラズワルドの手紙だけではなく、もう一つ手紙が宙に浮かび上がり、ゆっくりと手元に近づいてきた。

「俺は神殿長の人となりを存じ上げませぬが、意味もなくラズワルド公の手紙を放り投げるとは思えませぬ。また、さすがにラズワルド公直々の手紙ともなれば、魔王の僕マジュヌーンになりたての半人前でも触れることはできぬでしょう……そうだろう? ハーフェズ」
「多分無理だと思います!」
「多分か……まあいい」

 もう一つの手紙は巻かれ確りと紐で縛られている状態 ―― 見覚えのある飾り紐だと思いながらそれを解くと、

「メフラーブさまの字ですね」

 目線の高さが同じハーフェズが、開かれた手紙に書かれている見覚えのある字に、思わず呟く。

「そうだな……好奇心旺盛で好奇心に満ちあふれ、フラート河の流れをも凌駕する好奇心の大河を持つわたしにはファリドも困っているって……なに書いてるんだー! メフラーブ」

 もう一つはラズワルドが葬儀でやってくる際に、好物などを聞かれたメフラーブが書いた返事であった ―― ジャラールは好奇心の塊であるラズワルドが、興味を持つよう片手だけの手形を残した。

「さすがメフラーブさま。細大漏らさず、でも端的にラズワルドさまのことを表現していらっしゃる」

 ハーフェズはこれでもか! と言うほど良い笑顔で、手紙の内容をを褒め称えた。

「そうか?」
「完璧ですよ」
「そうか……まあいいけど。ところでファルジャード、お前先ほどの説明で、ジャラールがなにを伝えようとしたのか分からないと言っていたな」
「はい、それは分かりませぬ」
「ジャラールがわたしに伝えようとしていたこと。それは約五十年前、魔王の僕マジュヌーンとなったテイムールという男に関してだ。三年前、話の流れで尋ねてその名が出た。それに関し、覚えている神の子たちもテイムールだと言っていたのだが、直接知っているジャラールはそれから何か思い出したらしく、三ヶ月ほど前に”間違った名前を教えたかもしれない”と伝言を残していた。それについて聞くつもりだったのだが……この状況からして、ジャラールの考えは当たっていたようだな」
「神殿長がラズワルド公に残した情報の断片。このファルジャードが見つけてみせましょう」
「相手は魔王の僕マジュヌーンだぞ? 危険じゃないのか」
「なあに、心配無用に御座います。魔王の僕マジュヌーンごときに、遅れを取る俺の頭脳ではありませんので」
「それもそうだな。では任せよう」
「相変わらずの自信ですね、ファルジャード。じゃあ、そろそろ戻りましょうか、ラズワルドさま」

 ラズワルドはハーフェズに背負われたまま部屋を抜け、廊下へと出ていった。

「……」
「どうした? セリーム」

 最後まで露台バルコニーに残ったセリームが、嬉しげだが少し寂しそうな表情を浮かべているのが気になり、ファルジャードが尋ねる。

「ハーフェズ、成長したなと思って。初めて会った時は、ラズワルド公を持ち上げようとして転がってた頃からすると、本当に……立派に成長してるんだなと」
「そうだな。泣き虫も随分と収まったようだしな」