ラズワルド、納得する

 傭兵団の多くを生け捕りにすることに成功したアルデシールシャバーズたち ―― 圧倒的な力の差を前に、傭兵たちはあっさりと投降した。

「アルテミスと名乗ってるから、女みたいな男なのかと思ったら、普通の髭ずらの男じゃねーか」
「女みたいな男だったら、どうするつもりだったんですか、ラヒム」

 投降者の中には銀の矢傭兵団の団長アルテミスもいた。彼はラヒムが言う通り、名前だけは女だが顎髭が顔半分を覆っている、体格のいい男性であった。
 もっとも女神の名アルテミスと言ったところで、ペルセア王国に隣接していない国で奉じられている神の名故、ほとんどのペルセア人は知らず、その名に違和感を覚える者はほぼ居ない。ラヒムもレオニダス傭兵団から聞いていなければ、アルテミスと名乗る男に違和感を覚えることはなかった。

「どうもしねえよ、あんなおっさん。ところで、ラーミンが仕込んだ罠の引き上げ・・・・は?」
「ハーキムが頑張ってくれていますが、とても重くて大変そうです」
「協力してやりたいが、力がないからな」
「ハーキムに頼るしかありませんからねえ」

 ラズワルドが祖廟都市に近づけなくなった理由である、ラーミンが用意した魔力で封をした暴力的な精霊の力。それは祖廟都市の用水路の一角、最大の貯水槽の底に、駐留していたホスロー付きの武装神官たちすら気付かぬうちに置かれていた。
 この精霊の力を込めた球体を撤去しなくてはならないのだが、その作業に携われるのがハーキムのみ。
 そのハーキムも、自由自在に球体を操ることはできないので、苦労している。

「それにしても重い・・ってのは、どういう感じなんだろうか?」

 貯水槽の底に沈んでいる魔力で覆われた球体。中身・・は精霊の力の一種ということもあり、ハーキムにも操ることができるので、貯水槽から引き上げ、最終的には被害が最小限になるよう遙か上空まで浮かせてから、徐々にラズワルドのいる方角へと移動させ ―― あとはラズワルドが片付ける運びになっている。
 ラーミンが辺りを吹き飛ばすために用意した球体は、力を操れる人間からすると非常に重いものだが、まったく力を操ることができない人間には、些か不思議な感覚でもあった。

「触れていないのに重いってのは、不思議ですよねえ。そうだ、ラヒムの読み・・冴えてますね」
「読みって程でもないだろう」

 ハーフェズが言うラヒムの読み・・とは『祖廟都市に置かれた罠は、人間でもある程度操ることができるだろう』というもの ―― ラズワルドから話を聞いた面々は、当初罠はラーミンが地下水脈を使い祖廟都市に設置したのではないかと考えていたのだが、ラヒムは『手が込んでいる・・・・・・・から、人間が関係している』と見た。
 その話にアルデシールシャバーズやナヴィドはいぶかしげな表情を浮かべたが、ハーフェズやシャープールは膝を打った。

「強大な力を持っている存在は、小細工しないんですよね。力がないので、ついつい忘れてしまうんです。いつも側で見ているのにー」

 ラズワルドとラーミンの力の差はどのようなものか? 人間には判断できないが、どちらも人智の及ばぬ力の持ち主であることは、分かっている。
 そのような力の持ち主であるラズワルドは、小細工は一切しない。どのような状況でも正面から破壊することができる力を持っている故、小細工は一切思い浮かばない ―― 小細工の概念があるのかどうかも怪しいとはハーフェズの言葉であり、それを聞いてしまったバルディアーは無意味に遠くを見つめ、聞かなかったことにした。
 ラーミンは狡猾ではあるが、狡猾と無駄な手間は違う。このような細工をするとなると、人間に力を預ける時くらいであろうと ―― ラズワルドもラヒムの意見に同意した。

「それが人間ってもんだろ」
「そうですけどねえ。それにしても、これほど大厄災ラーミンと遭遇する神の娘は、歴史的に見てもラズワルドさまだけじゃないでしょうか」

 大厄災ラーミンは神の子に近づいて来ることはなく、神の子側から近づいて行く ―― 自由に国内を移動して歩くのは、ほとんど神の息子。よって神の娘と大厄災ラーミンが遭遇することは稀なのだ。

「それに関しちゃ、ラーミンのほうが”何故だ?”って言いたいだろうよ。なんで行く先々でラズワルド公と遭遇するんだよって」

 ラーミンの企みは多方面に及んでおり、ラズワルドとの遭遇はそのほんの僅かなもの ―― ただ確実に潰されてしまうので、ラーミンにとっても厄介ではあった。

「そうかも知れませんねえ」
「それにしてもラーミンの野郎、ラズワルド公が神の国に戻るまで大人しくしていられないんだろうな」

 ラズワルドが故郷神の国に戻る前後には、ラズワルドのような鼻梁にまで文様がかかる神の子が現れるが ―― 地上に降りてしばらくは自由に動き回ることはできないので、その時に暗躍すればいいのではと、ラヒムは常々思っていた。
 もちろんラーミンの悪巧みで被害を被りたくなどはなく、さっさと滅んでしまえと思っているが、それ・・これ・・は別である。

「ラーミンにはラーミンなりの事情があるんでしょう。知ったところで”あっそ!”程度の下らない理由でしょうけれど」

 大厄災ラーミン青き薔薇の君ファリドを手に入れようと画策していることは、ハーフェズも知らない。もっともその理由を知ったとしても ―― 『身の程知らずですよね』くらいで片付けてしまうであろう。

「お前……お前らしいといえば、お前らしいが」
「なにがですか?」
「いいや」

 そんな話をしながら二人は球体が沈んでいる貯水槽の縁までやってきた。
 球体はまだ陸に揚げられてはおらず ―― ハーキムが難しそうな表情を浮かべ、貯水槽の水面に手の平を向け、球体を引き寄せているのだが、貯水槽の底からなにかが引っ張っているかのではと思えるほど、球体は浮かんではこない。

「シャープールさん、どうです?」

 作業を見守っているシャープールにハーフェズが声を掛けるも、眉間に皺を寄せて首を振る。

「芳しくない。ハーキムは頑張ってくれているのだが」
「そうですか……ハーキム、どうです? 答えられなければ、答えなくても構いませんよ」
「答えられはする。時間はかかるが、上空まで浮かせることは可能だ。ラズワルド公が”良し”とする高さまで浮かせるまで、何日かかるかは分からないが」

 ハーキムはとにかくこの球体を合図が来るまで、ひたすら上空へと浮かせるのみ。

「わかりました、あまり無理せずやってくださいね、ハーキム。ラヒム、その間のハーキムの世話頼みます」
「分かっ……おい、ハーフェズ」

 返事を終える前に、祖廟方面から悲鳴が聞こえ、ハーフェズたちがいる方へと騒ぎが伝播してきた。
 騒ぎは人の悲鳴と、ペルセアではほとんど聞くことのない”鳴き声”

「なんでしょ……魔物!」

 騒ぎの元を迅速にそして的確に聞き分けたハーフェズが、その方向に視線を向けると、見たことのない淡い薔薇色をした、大きな四足歩行の物体がもの凄い勢いで走ってきているのが見えた。

「いや、あれは魔物ではない」

 シャープールも初めてみた物体に驚くも、魔物かどうかを判別するのは体が覚えているので、流れるようにそれ・・を行い ―― 魔物ではないと判断を下した。

「スースじゃねーか」

 球体を引き上げているハーキムも「なんだあれは……」と呟いたが、ラヒムだけは、なにを驚いているんだとばかりに、その生き物の名を呟く。

「スース……ああ、あれがハンズィールなんですか!」

 見たことのない姿形をした生き物に、ハーフェズは心からといった驚きの声を上げた ―― ちなみに豚の発音が違うのは、ラヒムはラティーナ語でハーフェズはペルセア語故の差違である。

「本当にお前等、スースを見たことないんだなあ。俺が生まれた辺りじゃあ……でも、スースってペルセアここじゃあ、不浄な生き物なんだよな? 祖廟なんて一番不浄が近づいたら駄目なんじゃねえのか」

 そんな話をしていると、豚は貯水槽までやってきて、巨体を躍らせ飛び込む。水しぶきが次々と立ち、辺りからは悲鳴が上がった。

ハンズィールが貯水槽に! この水はもう飲めません!」
「そもそも、ラーミン入りだから、飲まないだろ」
「助けて、ラズワルドさまあ!」

 豚たちは我が物顔で貯水槽を泳ぎ回る。

「とりあえず、殺して引き上げるか」

 ラヒムは弓矢を用意して、射殺そうと構えた。するとバルディアーと共に祖廟の確認へと向かったアルデシールシャバーズが、憤怒の表情を浮かべて現れ、

「その弓矢を貸せ!」

 ラヒムの返事も聞かずに取り上げ、泳ぐ豚を全て射殺した。その数は五頭。
 豚はペルセア王国では飼育されていないため、確実に持ち込まれたものであり、持ち込んだのは、銀の矢傭兵団であった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ハーキムが球体を空高く浮かせようとしていた頃 ―― アルデシールシャバーズはナヴィドを連れて祖廟都市内に潜む敵はいないかどうかを確認してから、城に残っていた兵士たちに事情を聞いた。
 この祖廟都市は王家の財宝が眠っているので、三百ほどの兵士が駐留している。
 この数の兵士が駐留していれば、簡単に傭兵の侵入を許すことはない ―― 傭兵を率いているのが、ファルジャードでも無い限り。
 だが実際には祖廟都市は傭兵団に襲われ、防戦一方であった ―― 傭兵団の襲撃の少し前に、行商人たちが「おかしな生き物に襲われた」と都市に逃げ込んできた。その後、近隣の農園からも助けを求められ、武装神官の半分と兵士百名ほどで、状況確認をすべく都市を出て ―― その後、傭兵団に襲われた。
 敵が傭兵団だけならば、勝ち目はあったのだが、一団の中に魔王の僕と思われるものが三名ほどいた。
 ホスローがいたならば、勝ち目はなかったのだが、彼は現在ハーキムが必死に浮上させようとしている罠が発動せぬよう身を隠し、そしてハーフェズたちがやって来て、一応都市は開放された。

 バルディアーは隊員の半数を率い、アルデシールシャバーズやナヴィドと共に、祖廟都市内を見回りし、生き残っていた兵士たちに事情を聞いた。
 彼らが言うには、銀の矢傭兵団は魔王の僕マジュヌーンたちと共に現れた。それとおかしな生き物を連れてきており、それを祖廟内王族の墓に放ったと告げた。
 交戦中だったこともあり、兵士たちは祖廟入り口の扉を閉ざし、生き物を隔離した ―― 武装神官が魔王の僕マジュヌーンたちにかかり切りだったことと、誰もが見たことのない生き物だったため、魔を屠る力を持たない者たちは隔離することしかできなかった。
 バルディアーは三年ぶりに祖廟へと続く、豪奢な入り口の前に立ち、扉に手を添え中の気配を窺う。

「魔物の気配はないですね。念のために……」

 兵士たちが祖廟に閉じ込めた四足歩行の生き物ハンズィールから、魔に通じる気配を感じることはなかった。一応伴った武装神官の二人にも確認させ ―― 中にいる生き物は、普通に殺害できるものだと判明したところで、全員が武器を持ち注意深く扉を開けた。
 兵士が言う生き物ハンズィールは入り口にはおらず ―― 祖廟内に彼らには馴染みのない鳴き声が響き渡る。
 彼らは武器を握る手に力を込めて、注意深く階段を昇る。湿った音と渇き折れるような音がする方へ ――

「え、あ、あれ……なにを食べて……」

 バルディアーたちは、なにかを食べているそれを見つけた。奪い合うように食べているものが、まだ生きている同じ生き物ハンズィールゴシュターブス四世の遺体アルデシールの実父であることに気付いたバルディアーは膝から崩れ落ちた。
 他の兵士たちもほぼバルディアーと同じような状態だったが、アルデシールシャバーズがその集団に踏み込み、一頭の首を落とした。
 それに驚き逃げだし ―― 水を求めて走り出し、貯水槽へと向かって、アルデシールシャバーズに射殺された。

 遺体の大部分を豚に食べられてしまったゴシュターブス四世。残っていた部分も、食べられていた豚の破片と混じり、結局焼かれて処分されることになった。
 生前、そして死後も悲惨な目に遭っってしまったゴシュターブス四世。後に彼の玄室を調べたところ、槨とその中に収められていた柩、その両方に側面から穴が開けられていた。豚が体当たりしたところで砕けるような石槨ではないので、おそらく銀の矢傭兵団と共に居た魔王の僕マジュヌーンたちの仕業ではないかと ―― ただ、ゴシュターブス四世の遺体だけを引きずり出した意図は不明のままであった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 『しばらく鳥は射ないで下さいね。ラズワルドさまからの伝言を預かっている鳥がやってくる手はずですので』
 
 ハーキムの努力が実り、浮上作業開始から三日後、ラズワルドの元にいたイニスふくろうが祖廟都市の晴れ渡った上空に現れた。
 事前の打ち合わせ通り、イニスふくろうはハーフェズが身につけている瑠璃の耳飾りイヤーカフと同じものを脚に括り付けていた。
 このイニスふくろうがやってきたら上昇はやめ、あとはラズワルドがいる方角へと移動させるだけ。
 半日ほど掛けてハーキムが移動させると、またもや空が白むほどの光が放たれ ――

「消えたのか? ハーキム」

 日差しを見るかのように空を見上げたラヒムが尋ねる。

「ああ、完全に消えた。神の御子とは分かっているが、よくもまあ……人間と半神の違いとは、これほどまでとは」

 かかり切りで作業をしていたハーキムは、瞬く間に消え去った球体の力を思い出し、そう呟いた。

 それから更に半日ほどしてから、ラズワルドがスレイマン隊とともに祖廟都市に到着した。
 ラズワルドは早々に尖塔へと向かい、ホスローとイェガーネフを助け出した。あとはハーキムを労い、かろうじて生きているアルテミスの顔をちらりと見てから、蒸し風呂に、三助ケセジとしてバルディアーを伴い ―― 凄惨な現場を見て食欲が減退して、少しばかりやつれたバルディアーに話し掛けながら体を洗ってもらう。

「勝ったような気がしているけど、実際は大負けなんだよな」

 そうして一息ついてから、言い放った ―― 罠を吹き飛ばし、それによる被害が出なかったことで、勝ったような気持ちになっているが、実際は宝剣を盗まれてしまっているため、ラズワルドの言う通り完敗である。

「それは言わないで下さい、ラズワルドさま」
「そうか。ところでハーフェズ、あれはなんの準備だ?」

 ラズワルドが指さしたのは、旅支度を調えている一団。

「ホスロー公とその護衛部隊にナヴィド卿の部隊の半分で、王都に事情を説明しに行くんですよ」
「……なんで?」
「”なんで”って。王都はまったく事情を分かっていないからですよ。早馬を出したかったのですが、大厄災ラーミンも絡んでいますから、ホスロー公に向かっていただくのです」
「精霊の力を見たら、異変に気付くだろ」

 ラズワルドの言葉にハーフェズは目を閉じ「そんなこと、ありません」と首を振り否定をする。

「いやいや、絶対誰も気付いてませんから。人間たちは異変を感じているかもしれませんけれど、神の子の皆様は一柱として気付いていません」

 ハーフェズの断言に、言い返そうとしたラズワルドだったが ―― 

「本来でしたら既に王都に到着していなくてはならないホスロー公が、王都に帰っていないのにも関わらず、誰もお越しになりません。更にラズワルドさまがハーキムに与えた精霊の力。あれで祖廟都市の城壁を壊してから三日以上経ってますが、一柱としていらっしゃってません。これだけ日にちが経っているのに、誰もいらっしゃらない、それは誰も異変だと考えていないと考えられます」

 祖廟都市と王都の間は軍馬車で三日半だが、乗馬が得意なヤーシャールやシャーローンあたりが本気を出し、馬の生死を問わねば一日と少しで踏破できる。

「……」
「きっと皆さん、祖廟都市でラズワルドさまとホスロー公、イェガーネフ公が楽しんでいると、微笑ましい気持ちで見守っていらっしゃるはずです。昨日の罠の破壊だって、ラズワルドさまがやって見せたに違いないと。これで帰還予定がイェガーネフ公でしたら、ヤーシャール公あたりが”なにかあったのか?”と様子を見にやってきたかもしれませんけれど、帰途に就くのはホスロー公ですから。数日くらいの遅れなんて、心配しないはずです」
「何一つ否定できない。たしかに周囲に被害が及ばないよう完全に遮断したから、ラーミンの力も感じ取れなかっただろうなあ」

 ハーフェズの言う通り、王都の神の子たちは、誰一人祖廟都市の異変に気付いてはおらず ―― ホスローが到着し、事情を聞いてから騒ぎとなった。