ラズワルド、消してみる

 ラズワルドが乳香オリバナムの香り漂う天幕で、絹のクッションに身を預け、アーラマーンの話を聞き、バルバットの音に耳を傾け、乾燥果物ドライフルーツの甘みを堪能していた頃 ――

「俺たちはここに留まるだと!」
「はい」

 天幕の外ではハーフェズがセペフルという五つ年上の男と話をしていた。

「どういうつもりだ!」
「残って下さいね」

 イェガーネフの護衛部隊に属している男で、神の娘イェガーネフが実家から連れてきた、最側近候補だった・・・
 過去形で語られるのは、セペフルの人格が隊長には向かないと判断が下され、最側近は神殿で用意したスレイマンに確定したためである。

「貴様!」
「全部が終わったら、迎えを出しますから、ここで大人しくしていてくださいね」

 怒鳴るセペフルと、怒鳴られていることに気付いていないかのような態度で話続けるハーフェズ ―― これはわりとよく見られる光景であった。
 ラズワルドとイェガーネフは仲が良く、王都にいた時はよく遊んでいた ―― 同い年の神の娘たちは、同時期に神殿に入った流浪のシャーローンと仲が良かった。そして部下であるハーフェズとスレイマンも仲は悪くないのだが、セペフルはなにかとハーフェズにつっかかっており、嫌っていることは衆目の一致するところであった。 
 ただ嫌っている理由は、誰にも分からなかった。
 そもそもセペフルはハーフェズより五つ年上なので、故郷である程度研鑽を積んでおり、王都の武装神官の訓練所に入った頃には、乗馬や武器の扱いなどは一通り覚えていたこともあり、訓練を一緒にすることもなかった。
 セペフルに与えられた任務は他の武装神官と交流を持ち、職務を円滑に執り行えるように ―― 彼は交流のところで躓き、最側近の座に就くことができなかった。
 また武芸の才もそれほどではなかった ―― セペフルがハーフェズを嫌っている理由を、他の武装神官たちが憶測で語るが、やはりそれは憶測でしかない。
 ただそんな彼らも、一つだへはっきりと分かっていることがあった。
 それは嫌われている側のハーフェズが、全く意に介していないということ。
 「何処吹く風」そのままに、ハーフェズはセペフルになにを言われても、気にすることはなかった ―― 相手セペフルの意見を聞くこともないが。
 その様は近くにいるバルディアーからすると「ラズワルド公に似てる」のだが、それについてバルディアーは触れない。

「大体きさっ!」
「ハーフェズ総指揮官・・・・あっちで最終軍議ですよ。早く行って下さい」

 ハーフェズに怒鳴っていたセペフルに握った砂を顔にぶつけて、口も目も開けぬようにしたバルディアーが「あっち、あっち」と指さす。

「ありがとうバルディアー。セペフルのことだけど」

 普段は温厚で大人しいバルディアーなのだが、この理由なしに突っかかってくるセペフルに対しては、非常に厳しく、今も水は最低限しか使うことができないのに、目を洗わなくてはならないような状況を容赦なく作り出した。

「気にしなくていいよ、ハーフェズ。麦酒でも掛けて流すから」
「麦酒かあ、目にしみるねえ。じゃあ、あとはよろしく」

 絡まれていてもなんとも思わないハーフェズだが、仕事があるのでとバルディアーに任せてその場を立ち去った。
 後に残されたのは、顔を押さえて噎せ涙を流しているセペフル ―― バルディアーは麦酒も掛けずにその場から去り、

「馬鹿なのかお前は」
「怪我しているのに、怪我を増やしてどうする」
「だから言っただろう。神の子の奴隷はお前なんか相手にしないって」

 傷の処置が終わった比較的軽傷な同僚たちが、口々にそう言いながらセペフルを介抱し ―― 目に入った砂は、僅かだが捻出した貴重な水で流してやった。

「お前、相手にされないから」

 最低限の食糧と水しか持ってきていなかったスレイマン隊。その彼らが捨てた食糧 ―― 主に肉の塊と、大量のナン ―― と燃料をラズワルドたちは回収し、合流後にそれらを渡した。
 受け取った彼らはそれで火を焚き肉を焼き、二日ぶりにまっとうな食事にありつくことができた。
 口の中にまだ砂が残っているセペフルに、他の同僚が羊肉を挟んだナンと麦酒が入った杯を持ってくる。

「ほら、麦酒で濯いで食え」
「迷惑を……掛けた」

 口の中に残った砂を麦酒を含み吐き出してから詫びる。

「俺たちだって、イェガーネフ公の救出部隊に入りたいが、馬がないことにはどうにもできないからな」
「分かっている! ……分かっている」
「俺だって自分が情けなくて仕方ない。本来であればお守りしなくてはならないイェガーネフ公に身代わりをさせてしまったのだから」
「……」
「俺たちは今夜は見張りだ。彼らにはしっかりと休んでもらって、都市を奪還してもらわなくてはならないからな」

 彼らは祖廟都市の方角を見やった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「スレイマンさん、シャープールさん。こっちにきて、祖廟と都市内について詳しいことを説明して下さい」

 この場でもっとも偉い人間・・であるハーフェズは、国軍側と明日の攻略について話し合いを初めていた ―― ただハーフェズは経験浅く、攻略の知識など持たない十三歳。
 またこれから向かう祖廟都市についても詳しくはない。
 もちろん一通りのことは知っているが、十年以上祖廟都市に通っていたシャープールや、イェガーネフにつくことになっていたスレイマンなどには、まったく及ばない。 

「詳しいことはお任せします」

 現在ハーフェズに出来る武人らしい出来事は、馬上で槍を持ち戦うことのみ ―― 戦闘に関しては父親サラミスの手ほどきがあり、物になってきたが、あくまでもそれは一兵卒程度。
 立場上、本来であれば作戦を立てたり、督戦することが出来なくてはならないのだが、今のハーフェズにはそんな能力はない。
 軍人としてもっとも経験のあるナヴィドが作戦を立て、概要を聞き、ハーフェズはうんうんと頷き ―― ある程度作戦がまとまったところで解散となった。

「ラヒム。ご飯はなに?」

 ハーフェズは空腹を満たすために、料理を作っているラヒムのところへと駆け寄る。

「今日も羊肉の香草焼きと、冷えたナンだ。ラズワルド公も同じ献立だから、文句を言うなよ」
「そんな渋い顔しなくても大丈夫だよ。それにラズワルドさま、料理に文句言ったりしないから」

 旅路でも美味しいものを食べる ―― そのためにラズワルドに買われた奴隷ラヒムとしては、緊急事態だと分かってはいるが、毎食ほぼ変わらぬ料理を出しているのが、不愉快で仕方なかった。

「文句を言われないのは分かってるんだよ。いいか、これは俺の尊厳の問題だ」

 冷えたナンは兵士たちの主食用で、王都を出る前に焼かれたもの ―― 作り置きの品であった。
 もちろんそんな品をラズワルドに出す予定はなく、当初は道中でも具だくさんのピラフポロウを炊いたり、焼きたてのナンを出す筈だったのだが、野営時間がいつもより短くなってしまったため、時間が掛かる品は取りやめとなった。さらに今は通常の野営地ではないところで休んでいるため、水場が近くになく余裕がないため、これといった料理を作ることはできなかった。

「尊厳とか、そんな大事にしなくても」

 二人が言う通り、羊肉の香草焼きと冷えたナンでもラズワルドが文句をつけるようなことはない。むしろ「忙しくて時間が足りなかったら、わたしの分は作らなくてもいいぞ。わたしは人間とは違って、食べなくても死なないから」などと言う ―― 一週間以内であれば、ラズワルドは飲まず食わずでも問題はない。一週間を超えると、神の国へと帰ることになってしまうが。

「うるさいぞ、ハーフェズ」

 だがラズワルドにとって問題がなかろうが、人にとっては神に相応しい饌を捧げることができないのは大問題である。
 特にラヒムはラズワルドから直々に食事を作ることを命じられた ―― 神に供物を捧げることを許された数少ない人間であり、それは大きな自負。 

「祖廟都市でその腕を振るってくれれば良いんですよ」
「そういう問題じゃない……そうだ、ハーフェズ」

 ラヒムは羊肉の焼き加減を確認しながら、攻略に関わりたいと ――

「なんですか?」
「お前、攻略の総指揮官だよな」
「祖廟都市の攻略の責任者というのなら、たしかに俺ですよ。特になにもできませんけど」

 普通は経験などが加味されるものだが、ハーフェズはそれらが及ばぬ立場にいるため、ほぼ経験なしで総指揮官に就かなくてはならない。

「……お前なあ。お前らしいと言えばお前らしいが。まあいい、総指揮官、攻略には俺も参加させろ」

 ではハーフェズはお飾りなのか? となると、そうではない。彼には全ての裁量権がある ――

「え、なに。参加させて欲しいとか、参加させてくれないか? じゃなくて命令ですか。そういうラヒム嫌いじゃありませんけど」

 燃料に脂が落ちて音を立て、そして火が少しだけ強くなる。

「参加していいんだな」
「構いませんよー。ラヒム、弓の腕前なかなかですし。サラミスお父上さんも、上手だって言ってましたよ」

 ワーディと共に自分の馬で本格的に乗馬を習い始めたラヒムは、ワーディと一緒に腕を放して訓練し ―― 手持ち無沙汰だったため、弓矢を持ち訓練したところ、短期間で扱えるようになった。

「お前の親父さんがね。それが世辞じゃなかったら、いけるだろうな」

 それを過信するわけではないが、実戦で使ってみてこそ、至らない部分が分かるだろうと考えた。
 また今回の戦闘は約百人対八十人 ―― ファルジャードがサマルカンド全土で繰り広げた戦闘の動員数に比べれば本当に微々たるものなので、初めて戦う相手としては丁度良いのではと結論に至った。

「少しはお世辞入ってるかも」
「お前なぁ……」
「でもあの人は、使えない人のことは存在すら黙殺するような人なので、話題にされているラヒムは大丈夫だと思います」
「お前の親父さんだもんな」
「はい?」

 ―― 自覚ないのか……

 焼き上がった羊肉を器に盛り、ハーフェズに差し出す。

「焼きたて、美味しいです」

 それを笑顔で頬張るハーフェズをちらりと見てから、ラヒムは再び肉を焼く作業に戻った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「来たか」
「来ましたけれど、何故ですか?」
「事情は後で話す」
「分かりました、ラズワルドさま」

 夕食を取り、明日のために身を休めようとしていた彼らは、祖廟都市の方角から砂煙を舞い上がらせた騎馬の一団が近づいてくるのに気付いた。
 武装を解いていなかった見張りの兵たちが槍や剣を構える。

「あいつらだ!」
「イェガーネフ公を返せ!」

 近づいてきた騎馬の一団に向かって、スレイマン隊の面々が叫ぶ。
 血気盛んな者たちは前へと進み出そうになったのだが ――

「全員、早く下がって」

 丸腰のハーフェズが彼らの前へと歩み出た。

「下がれといわ……」
「下がれ。分かりましたね」

 頭に血が上っている彼らを見ることなく、迫ってくる集団だけを見つめ、ハーフェズはもう一度そう告げた。
 地響きを上げて近づいてくる騎馬の先頭が動かないハーフェズを確認し槍を構える ―― 騎馬ではなくなり、馬だけが残った。
 馬たちは搭乗者がいきなり消えたことに驚いた様子はなく、大体のものが脚を緩めそしてラズワルドたちの野営地の中程あたりで止まった。

「スレイマンさん! 馬の補充が出来ました! でも残って下さいね」

 ハーフェズは近くにいた馬の手綱を握り、呆然としているスレイマン隊隊員に渡す。

「いったい何……」
「ラズワルドさまのお力ですよ。あっ! ラズワルドさま! 上手く行きましたよ。馬は無事です」

 天幕から出てきたラズワルドは、主を失った馬たちを見回し、茶毛の馬の頸をぺちぺちと叩き、まだぬくもりが残っている鞍に触れる

「そうか。パルハームのところで訓練した甲斐があったな」
「ラズワルドさま、ちゃんと訓練してたんですね」
「一応なー」
「本当に一応だと思っていたんで、ちょっと不安でした」

 騎乗していた人間が武器ごと消え去った ―― 自分たちには出来ぬことを目の当たりにすると、人間は驚き立ち尽くすしかできない。
 さきほどハーフェズから手綱を渡された隊員も、手綱は握ってみたもののすぐに手から力が抜けてしまった。
 朝食の準備を終え、竈を片付けていたハーキムとラヒムも、初めて見る神の御業に驚き手を止める。

「消えた人間、どこにいったんだ、ハーキム」
「俺なんかが知るはずないだろう」

 なにがどうなったのか、分からない彼らしばらく動くことができず ―― まったく驚いていないハーフェズと、何度か神の御業を見たことのあるバルディアー、そして浮いているころのラズワルドを知っているワーディなどが、馬を回収し手綱を支柱などに括り付ける作業を行った。
 馬は全部で三十頭。

「三十人は減ったってことですね。良かった、良かった」

 最後の一頭の手綱を括り付けたハーフェズが、馬の臀部を叩き「元気そうでなによりです」と ――

「そうだ、ラズワルドさま。簡単に説明して下さいませんか」
「なにを説明して欲しいんだ、ハーフェズ」
「全部!」
「良い笑顔だな、ハーフェズ」

 ワーディと共に、灰色の馬の顔を見ていたラズワルドは、ハーフェズの問いに「おう」と答えた。

「はい! でも皆さんも知りたいと思っている筈ですよ。まあ全部説明してもらうのは、恐れ多いでしょうから、傭兵団が何故やって来たのか、人間はどうなったのかくらいは教えてもらえないと、みんな気になって夜も眠れないかと」
「……寝ないと死ぬんだろ? 人間って」

 睡魔に負けて良く眠っているが、ラズワルドは眠らなくても死ぬことはない。

「そうらしいですよ。ファルジャードがその拷問で、軒並み口割らせてましたから。あ、でも他にも色々やってたような……やってました! サマルカンドでいろんなことしてました!」

 笑顔で答えるハーフェズを少し離れたところから見ていたラヒムは、そこは笑顔で答えるところじゃないと思ったが、それ以上にハーフェズらしくて、思わず「くすり」と笑ってしまった。

「拷問とか、あいつ得意そうだもんな」

 ラズワルドの言葉にハーキムは激しく同意した。金髪が揺れるのがはっきりと分かるほど、何度も首を振った ―― 偵察斥候たるもの、敵兵を捕まえて口を割らせる技の一つや二つ持っていなくてはならない、それには拷問という手段もあると、実際に見せて教えてくれたのだが、ごく普通に生きてきて、性格もわりとまっすぐな十四歳には、かなりの衝撃であった。
 ただハーキムは精神力が強いため、それらに悩まされ悪夢を見るようなこともなかったが。

「薫絹国の書には、それだけを書き記したものもあるとか」
「読んだことないけどなあ」
「残酷だということもありますけれど、ラズワルドさまは読んだ”人間はこんなことも耐えられないのか!”という意味で驚くかと」
「人間って簡単に死ぬ上に、そんなに耐えることもできないのか?」
「はい。でも気にしないでください。それで、教えてください」
「そうだな……もう少し待て」

 ラズワルドがそう言い、辺りが静まり返る。僅かにしか明かりが残っていない大地は薄暗く ―― 突如、力強い羽ばたきの音と、

「やめっ! ぐぁ! うわああ!」

 何者かの悲鳴が渇いた地平線を背に起こった。
 人が消えるのは慣れぬ光景だが、人が獣に襲われるのは人間にとって日常。悲鳴のした方角を捜そうと、呆けていた者たちは松明を手に辺りを捜そうとした ―― すると辺りが一斉に明るくなり、一人の武装神官が梟に襲われ、地面に倒れもがいている姿が、彼らの目に飛び込んでくる。
 襲っている梟は、当然のことながらラズワルドが飼っている梟・イニス。

「そのくらいでいいぞ、イニス」

 ラズワルドが声をかけると、無事に任務を果たしたイニスは、砂にまみれた人間から離れ、彼らの頭上を三回ほどまわり、降下してラズワルドの天幕の骨組みの一つに停まった。

「ナヴィド、あの男を捕らえろ」

 突然声を掛けられたナヴィドは一瞬戸惑ったものの、生来の機敏さを取り戻し、すぐにラズワルドの指示に従い男を丈夫な革紐縛り上げた。
 男の顔は血まみれで、大地には右の目玉が転がり落ちている。

「公柱、御神命通り、男を捕らえました」
「手間をかけたな」
「手間など、滅相も御座いませぬ」
「ところで、その男の顔を上げて見えるようにしてくれ」

 深い傷を負い血が流れ出し砂まみれ ―― とても神の子の御前に出して良いものではないが、ラズワルドの命に逆らうなど以ての外。

「血を洗い流しますゆえ、しばしお時間を」
「そのままで構わん」
「御意に御座りまする」

 ナヴィドが指示を出し、取り押さえている兵士たちが、髪を乱暴に握り力尽くて顔を上げた。

「間違いないそうだ・・・。顔は下げさせていいぞ」

 彼らは黙ってラズワルドの命に従い ――

「ラズワルドさま、事情の説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「説明するのは構わんが、輿に入れと?」
「立ったまま説明してもらうわけにはいかないんですよ。ラズワルドさま、神の子ですから」

 仕方ないと、荷馬車から下ろされた輿にラズワルドは座り、先ほどまで・・・・・イェガーネフとホスローとしていた会話の内容を教えた。