ラズワルド、吟遊詩人と話す

 ラズワルドとイェガーネフは、同い年の神の娘である。
 神殿に入る年齢も同じ ―― イェガーネフは王都ナュスファハーンより遙か東のカンダハール生まれ。幼い神の子を旅させるには、厳しい土地柄ということもあり、九歳で故郷を出て十歳で神殿入りすることが三歳の頃に決まった。
 以来六年後に向けて、神殿側が準備を行い ―― イェガーネフが五つの時には、王都で護衛部隊の選出が終わり、彼らは神の子に仕えるために必要なことを教えられた。
 隊を一時的に預かることになったのはスレイマン。隊を任せるに相応しい統率力を持った男であったが、彼と定められなかったのは、神の子が連れてくるであろう側仕えとの兼ね合いがあるため。
 最側近は気心が知れたほうが良い ―― 気心が知れるだけでは、隊を率いることなどはできないので、相応の能力を求められるが、実物を見ないことには決められないので、スレイマンは隊長格として部隊の鍛錬に励んだ。

「おう、スレイマン。あとはわたしに任せろ」
「ラズワルド公。まさか公とここでお会いできるとは」

 神の娘の部隊となるべく、イェガーネフが五歳の頃から王都で訓練を積んでいた ―― 当然神殿に出入りしていたラズワルドとも知り合い。むしろ付き合いはイェガーネフよりもラズワルドのほうが長い。

「わたしも、こんな場所で負傷したお前たちと会うことになるとは思わなかった。わたしはいきなり祖廟を訪れ、イェガーネフを驚かせるつもりだったんだがなあ」
「護衛でありながら、役立たずで」
「反省会は後だ。それで一つだけ聞くが、イェガーネフはお前たちの身の安全と引き替えに、傭兵団に捕まった……で、間違いはないな」
「はい」
「よし。あとは任せたぞ、シャープール」

 負傷している面々の治療が始まり ―― 負傷者の治療よりも先に立てられた天幕のにラズワルドが入ると、ワーディが食布を敷き乾燥果物ドライフルーツを皿に並べ、アーラマーンがバルバットの弦の調子を確認している。
 ラズワルドは自分でクッションを食布の側まで運び、それに腰を降ろす。

「アーラマーン」
「はい」
「明日、祖廟で戦闘になる。お前は負傷したスレイマン隊と共に、ここに残ったほうがいいのでは」

 イェガーネフを楽しませる目的で連れてきたアーラマーン。一人旅を続けてきた男なので、佩いている剣をある程度は使えるであろうが、本格的な戦闘となれば勝手が違う。

「御神命とあらば従いますが、わたくしめ個人としては、公柱に初めて剣の腕前を披露できる機会を失うのが残念にございます」

 アッバースで雇って以来、ラズワルドはアーラマーンのバルバットと四行詩に触れて、楽しんでいたが、彼の剣の腕を見る機会はなかった。

「腕に自信あるのか?」
「はい」
「そうか。そこまで自信があるのであれば、負傷した武装神官の護衛として残ってもらいたいものだな」
「守り通せる自信はありませんな。わたくしめは、自分の身を守るのが得意なだけですので」

 アーラマーンはアシュカーンに声を掛けてから、大勢と旅をするようになったが、それ以前は一人、多くても二人程度の少人数でしか旅をしたことはなく、旅をした相手も仲間というよりは、途中まで一緒になった程度。
 ましてその相手を守るようなことはなかった ―― 旅をするのであれば、自分の身は自分で守るのは当然。むしろ人を守りながら戦うような集団のほうが珍しい。

「では連れて行くとするか。ワーディは一緒に来るよな。恐いならここに残ってもいいが」
「一緒に行かせて下さい」

 青銅製の香炉で乳香オリバナムを焚いていたワーディは、もちろん付いていきますと ――

「そうか。身辺については心配するな。わたしが責任を持って守ってやるからな」
「え、あ、あの、あ、はい」

 神の子ラズワルドに守ってもらうのはどうかな……とは思ったワーディだが、実際自分は戦う力などない弱い片腕の奴隷で、ラズワルドは奇跡を奇跡とも思わず起こす神の子 ―― ここは素直にラズワルドの慈悲を受けるべきだろうと考えた。

「ワーディ殿は、その素直さで神に愛でられるのであろうな」
「え、あ……はあ」

 四行詩を吟じ人々を魅了する玲瓏なアーラマーンにそのように語られ、ワーディはかなり驚いた。

「お前は自由気ままだものな、アーラマーン。素直とは少々違う類いの」
「公柱は全てお見通しですな」

 砂糖をまぶした乾燥甘橙オレンジを食べながら、

「そうでもない。そうだ、お前も精霊使いと戦える力を、一時的に付与してほしいか?」

 連れていくのならば、それ相応の準備が必要だろうと話し掛ける。

「ありがたいお言葉ですが、神の御子であり、精霊王の后たる公柱には遠く及びませぬが、わたくしめはこれでも精霊には嫌われておりませぬので、独力で戦えるかと。お心遣いまことにありがとう御座います」
「そうか。吟遊詩人は精霊の声の一つや二つ、聞こえるものだしな」
「はい。精霊の囁きがもたらす妙想こそ、詩の醍醐味に御座いますので」
「囁きというのはいいな。わたしなんぞ、当たり前に話し掛けられるから、妙想もなにもあったものじゃない。特に精霊王はよく喋る」
「公柱の前では、精霊王も形無しでございますな……公柱、少々お聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「構わんぞ。というか、きっと聞きたいことがあるのだろうなと思って、天幕に呼んだんだ」
「やはり公柱、なんでもご存じだ」
「だが何を聞きたいのかまでは知らん」
「物知らぬ人の子の、些末な疑問に御座います」
「その些末な疑問とやらを、聞かせてもらおうか」

 アーラマーンがラズワルドに尋ねたかったこと ―― それは祖廟都市での精霊の動きが活発すぎることについてであった。
 エリドゥへ向かうアシュカーンに同行しそのまま付き従っていたアーラマーン。彼はアシュカーンが慣習に則り、ゴシュターブス四世の埋葬儀式に立ち会うため、祖廟へとやって来た際にも同行していた。
 その際に、祖廟にまったく精霊の気配がないことが、少しばかり気になった ―― 正確には「そうだろうとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった」。
 そもそもアーラマーンがアシュカーンと同行を決めた理由は「王子に精霊がまったく寄りつかないこと」に興味を持ったために他ならない。
 バルバットで精霊たちが好む曲を奏で、集まってきた精霊たちに事情を知っているかどうか聞いてみたが、返ってきたのは「くすくす、わからないわ」のみ ―― 精霊たちが誤魔化しているのではないことは分かっていたので、アーラマーンもそれ以上は聞かなかった。
 人の世界と同じように精霊の世界にも順列があり、下位の者には事情は分からないこともある。
 そして訪れた祖廟都市 ―― 王家の墓所に善きも悪しきも精霊が一人たりともいないのを感じ取り、ここまで徹底しているのは何故なのだろうか? と疑問に思った。
 ただ不思議なことに、精霊の気配はないのだが、精霊が居ないと言い切ることもアーラマーンにはできなかった。
 アーラマーンが覚えている祖廟都市はそう・・だったのだが、いまは祖廟都市へと近づくにつれ、無数の精霊たちが集っているのが感じられた。

「銀の矢傭兵団とかいう輩たちの精霊だけとは、到底思えないのですが」
「なるほどなー。ペルセア王家と精霊たちの仲の悪さについては知らんが、祖廟都市に精霊たちがいないのはなんとなく分かる。事情を詳らかにしてやれぬが、要点だけ言うと”祖廟に下手に近づくと厄介ごとに巻き込まれる”だ。いまそこで騒いでいる精霊がいることに関しては分からん。なんとなくは分かるが、確証はないといったところだ」

 精霊王の作った空間があり、魔王を封じることのできる宝剣が封印されており、その宝剣は大厄災ラーミンに力を与えることができ ―― それを狙って大厄災ラーミンが頻繁に近づくこともある。ともなれば、普通の精霊は近づきたがらない。

「曰く付きの地、ということですか」
「そうとも言える。善良な精霊などは近づいては駄目な土地……の筈なのだが。ところでアーラマーン、精霊や精霊使いに関して、なにか他に知っていることはないか?」
「そうですね……これは少々下世話な話題なのですが、ナヴィド殿の精霊使いとしての力はどれほどでございますか?」
「ナヴィド……シャバーズアルデシールに従っているあの中将軍か?」
「はい」
「悪くはない。王宮の一流どころ、ファルディンやボゾルグメフル、シャーラーム、マルジャーネフなんかには及ばないが、あいつらの直属の部下くらいにはなれるかもな。それがどうした?」
「かの中将軍殿には、年の離れた腹違いの妹がおりまして、その者はアシュカーン王子が立太子された頃、王宮の精霊使いに弟子入りいたしました」
「へえ。年が離れているって、幾つくらい離れているんんだ?」
「詳しくは分かりませぬが、妹はその当時十六と言われておりました」

―― 未だにカスラーが最年少の中将軍で三十三歳。だからナヴィドはそれより年上になるわけで、妹は今は十八歳だから……うん、年はかなり離れているな

「そうか」

 富裕層は数多くの夫人や相性を持つことが許されているので、年の離れた兄弟など大勢いると思われがちだが、人の寿命が短い時代ゆえ、子が成人する前に死亡するものも多いので、結果としてそれほど年の離れた兄弟というものはいない。

「ただこの妹、精霊使いの才能はさほどではないとされております。兄であるナヴィド殿が無理矢理頼み込んだと」
「なんでそう言われているのだ?」
「この辺りが下世話な話題なのですが、ナヴィド殿の母は正妻で、妹の母は妾なのですが、正妻がどうも妾を嫌っており、その感情が娘にも向けられ、そのうちナヴィド殿の父の寵が妾から失われました。ですが正妻の不興は遠ざかることなく、妾と妹はひたすら正妻に苛まれ、ナヴィド殿が気付いた時には、妾は亡くなり、妹も体に消えぬ傷を負っていたそうです」
「人の嫉妬というものは、わたしにはよく分からんが、そういうものなのか?」
「わたくしめとしても、中将軍にまで上り詰めた息子を持つ正妻と、妾が産んだ女児。これで妾が産んだのが男児で、主人がそちらに肩入れしているとなれば、正妻の怒りも分かりますが……とは言いましても、嫉妬というものは理屈では御座いませんので、こればかりは」
「まあ、お前に分からないのなら、わたしが分からなくても仕方ないな。それで?」
「ナヴィド殿は妹を実家より連れ出し、王都へと連れて参りましたが、邸の家人はナヴィド殿の母寄りで、妹の身の危険は変わらないということで、家から出し、それなりの権力者に預けようと考え、持っている精霊使いの力を伸ばすという名目で、王宮の精霊使いに預かってもらったそうです」
「なんだかよく分からんが、大変だなあ。だがナヴィドが頼み込んだ結果、妹の才が……ということになったのだな」
「はい。ですので、本当に才が無いのかどうか? 気になっていたのです」
「なるほど。その妹とやらを見たことはないから知らんが、父方から才を受け継いでいるのであれば、そう悪いものではないだろうな」

「その子に精霊使いの才能があるから、正妻さまが嫌ったのでは?」

 ラズワルドの隣でアーラマーンの話を聞いていたワーディが、ふわっとした意見をこぼした。

「……たしかに、そういうことも、考えられますな」
「それはありそうだな、良く言ってくれたワーディ。ところで、ナヴィドの父親って精霊使いなのか?」
「はい。ナヴィド殿の父上の遠縁はアルマガーン殿です」

 アルマガーンは王宮付きの精霊使いの女性で、なかなかの術を使える。特筆されるのはアルマガーンがそれなりの歴史ある、裕福な貴族の出であるということ ―― 貴族の娘が、職に就くことは珍しい。
 もちろん貧乏であれば才を生かすことも稀ながらあるが、働くことは本当に珍しい。

「そう言えば、シャープールにイフサーンの妹の結婚の祝いがどうだとか言っていたな。貴族でなければ、祝いもなにもないもんな。そうか、アルマガーンを頼ったのか。ふむ……あの女傑が相手ならば、ナヴィドの母親がどれほどかは知らないが、普通の貴族の夫人程度ならどうにもできないだろうな」

 ラズワルドはアルマガーンがどれほどの女傑かは知らないが、女傑と呼ばれていること、それに見合った功績があるらしいことは聞いているので、名も知らぬナヴィドの母親たる老婆程度では、相手にならないだろうと ―― 十代始めのラズワルドからすると、カスラーよりも年上のナヴィドは養父メフラーブと同じ括りになり、その親ともなれば、老人としか思えない。

「そのようです」
「ところで、お前随分と詳しいなあ。それとも、誰でも知っていることなのか?」
「知っている人は知っている……程度でしょう。わたくしめが、詳しく知っているのは、アシュカーン王子に依頼されて、調べたからで御座います」
「そうなのか。そういうの、興味なさそうだったがな」
「アシュカーン王子は公柱からの手紙を読み、己の国の将についてなにも知らぬことを恥、よき王子になるべく、色々と知ろうと努力しておいででした。わたくしめは、それに協力したので御座います」

 人より物を知らないので、多く知らねばと ―― アシュカーンがそれらを使う機会はなかったのだが、情報はアーラマーンを通してラズワルドの元へと届いた。

「今回は、随分とアシュカーンに助けられるな」

 ラズワルドがここに居るのも、アシュカーンが献納した龍涎香アンバルが発端 ―― 

「きっと王子も、公柱をお助けすることができて、天の国でお喜びでしょう」
「……そうか。さて、では詩を一篇、吟じてもらおうか、アーラマーン」
「喜んで」

 アーラマーンはバルバットを手に取り、弦に指を掛け ―― その頃天幕の外では、言い争いが起こっていた。