ラズワルド、協力を要請しない

 広げていた野営道具を急ぎまとめ、夜を徹して馬を走らせ ―― 二日目の野営地に使われる場所にたどり着いたのは、正午前であった。
 さすがにこれ以上馬に無理をさせるわけにはいかないので、半日ほどの休憩を入れることになった。

「スレイマンさんたち、いませんね」

 ラズワルドが「視た」際にいた、イェガーネフの護衛隊。全員が負傷している状態だったのだが、すでにその場所にはいなかった。

「祖廟に向かった、と考えるのが妥当だろうな。視るぞ、ハーフェズ」
「はい」

 ラズワルドは祖廟の方へ意識を向け ―― 

「全員徒歩で祖廟へ向かっているようだ」
「徒歩ですね」

 応急処置を施しただけで、最低限の食糧を持ち祖廟の方角へと進んでいる、隊長のスレイマンと隊員たちを発見した。

「脚を重点的に狙ったようですね」

 野営地には、武装神官たちが乗っていた馬が残されていたのだが、どの馬も脚が傷ついており、人を乗せて走ることはできない状態となっていた。もちろん傷は意図的なものである。

「馬が全部負傷で走れないというのは、気付きませんでしたね、ラズワルドさま」

 ハーフェズとラズワルドは、そこを見ていたのだが、馬の負傷までは気付かなかった。

「そうだな。……見方が分からないから、こうなるんだろう」
「俺とラズワルドさまは、偵察には向きませんからね」
「そうだ……ハーキム! 来い」

 ラズワルドが休む天幕を建てていたハーキムが、急ぎ駆け寄る。

「はい、なんでしょう」
「額をここに」

 ラズワルドが自分の額を指さす ―― 神の文様で覆われた額に触れと言われたハーキムは、拒否はできないので「汚れを落としてきます」と、ワーディに水を汲んでもらい、額を石鹸で洗った。途中急ぎのあまり泡が目に入り痛んだが、今はそれどころではないと我慢し、濡れた金色の前髪をかき上げ、ラズワルドと視界を共有するために額を微かに触れた。

「では失礼いたします」

 両方を偵察斥候(見習い)の目線でハーキムは観察し、ハーフェズと話し合い、ラズワルドに状況の報告を行った。
 まだ正式な偵察斥候ではないので、ハーキムの集めた情報に全てを任せるわけにはいかないが ―― ナヴィドやアルデシールシャバーズ、シャープールなども、現状とこれからについての糧にするために、同席を許可してもらい情報を聞く。

「イェガーネフの護衛隊は負傷しているものの、全員生存しております。致命傷を負っているような者はいないように見受けられます。一行は最低限の食糧と水で祖廟へと向かっている模様。彼らが目指している祖廟ですが都市の人間のほとんどは、祖廟内に避難しています。全く死者が出なかったというわけには、いかなかったようですが。町の中を傭兵団が荒らし回っています。傭兵団の数は百前後、多くても百二十はいきません。傭兵団ですが、混合ではなく一つの団だと思われます。根拠は全員顔に同じ刺青を入れているからです。転がっていた傭兵の死体にも入っている刺青と同じです。その傭兵たちですが、祖廟内に入り込もうとしているようです。あとはホスロー公の側近イフサーン卿の姿が見えないとのこと。死体の全てを検分したわけではありませんが、イフサーン卿の遺体はないものと思われます」
「そうか。ラヒム、なんか思いつくことがあったら、何でも良いから言え」

 ラズワルドの天幕の準備がまだ終わらないので、囲いなしで絨毯を敷き、食布を広げ ―― 卵と甘藍キャベツの汁物を啜りながら、報告を聞いたラズワルドは、側で焼けた羊肉を切り分けていたヒムに唐突に意見を述べるよう命じた。
 
「俺が? 見てもいないんだが」
「視るか?」

 ラズワルドが額を押しつけるといいとばかりに、自身の額を指さす。

「いやいいです……。報告とは全く関係のないことなのだが、ラズワルド公、どうして最初に気付いた時、王都にいる他の神の子たちに知らせなかったんですか? 魔王が蠢いた時、王都を囲ったような青い光を出せば、すぐに異変に気付くのに」

 あの時その場にいたラヒムは、その時遠くにいたワーディも同じものを見たと聞いたことがあった。
 国内のほとんどで見られた神聖なる光。
 異変を感じ取ったのは、馬で一日程度の距離故、あの光を使えばすぐに同じ神の子に異変を伝えることができるのでは ――

「それか。わたしも考えたのだが、なんらかの事件に巻き込まれた当事者であるイェガーネフやホスローが、それをしなかったのが気になってな」
「イェガーネフ公も同じようなこと、できるのか?」

 ラズワルドが目立つ連絡手段を使わなかった理由は分かったが ―― ラヒムはあれをイェガーネフも使えるとは思わなかった。
 理由はイェガーネフには魔を屠る力がないこと、それに額にある神の文様が小さいこと ―― 額の中央にはっきりと神の文様と分かるそれ・・があるのだが、ラズワルドに比べればとても小さい。

「できるが、いきなり襲われたら驚いてできなかった可能性はある。だがホスローは違う。だから聖なる光を出して伝えることはしなかった」

 給仕の手を止めたラヒムに代わり、ハーフェズが冷えたナンに焼いた羊肉を挟み、ラズワルドに差し出す。

「なるほど。下手に知らせてはならない可能性があると。納得しました。次ぎは襲ってきた傭兵たちですが、テオドロスの所の傭兵たちが喋っていたことが正しければ、奴らは傭兵たちの間でも悪名高い”銀の矢傭兵団”でしょう」

 団長のテオドロスは雇い主ラズワルドの呼び出しに、いつでも応える必要があるので、女と寝ることはなかったが、部下の方はそれなりに自由にやっており ―― 彼らを近づけるわけにはいかないので、ラヒムやハーキムが彼らから異国の話を聞き出し、あとで教える予定だった。

「銀の矢傭兵団?」
「はい。顔に入っている刺青の丸は月を表し、棒のようなものは矢を表しているそうです。団長はアルテミスと名乗っていますが、本名ではないそうです」

 傭兵団についてはラズワルドに話すつもりはなかった。
 彼はラズワルドのことなので、またどこかに遠出すると言いだし、今回のように傭兵を雇うと言い出すかもしれない。その際、評判の悪いのは避けたほうがいいので ―― ラヒムはそのように考え、悪名高い傭兵について情報を集めていた。その中の一つが銀の矢傭兵団。

「アルテミスはヘレネスの辺りで信仰されている神の一人だな。たしか処女神だったな」
「その女神は処女神ですが、この傭兵団のアルテミスは処女じゃないどころか、女でもありません」
「……え? 男がアルテミス名乗ってるのか?」
「らしいです。それも女の格好をしているとか。ただ強さには定評があります。それと同等、もしくはそれ以上の残酷さも有名だそうです」
「強いのか。そうだよな、スレイマンたち馬を全部奪われたもんな」
「その強さの理由なのですが、どうも団長のアルテミスは、精霊と人間の間に生まれた者らしく、並外れた精霊使いの力があるのだとか。精霊の血を引いているかどうかは分からないのですが、精霊使いとしては一流らしい」
「……馬の脚は精霊使いがやったのかもしれないな」

 三十ほどの騎馬と、イェガーネフが乗っていた馬車の四頭。荷馬車を牽いていた六頭 ―― それら全ての馬の脚が痛めつけられていた。

「おそらく。ところで、祖廟を見た際に、変わった精霊使いに気付かれませんでしたか?」
「精霊使いは何人かはいた。だが、その中に突出した能力を持つものは、いなかったなあ。どこか別のところにいるのかな?」
「きっとラズワルドさまから見たら、大したことないから見逃しちゃっただけかと」

 ラズワルドにナンサンドを渡してから、自分用に同じものを作り頬張っていたハーフェズが、もごもごしながらその疑問に答えた。

「そうか?」
「俺は泣いていてから知りませんけど、ラズワルドさまの前には、ラーミンすら相手にならなかったって、バルディアーが言ってましたよ。その精霊使いの力、ラーミン以上ってことはないでしょう」
「…………かもな」

 ラズワルドは様々なものを見ることができるが、それらの能力の差違を見分けるのは、大の苦手であった。

 そして気が付いたのはそのくらいだとラヒムは下がり、食後の甘味の準備へ ――

「シャープール卿。お話が」
「なんだ? ナヴィド卿」

 温くなった卵と甘藍キャベツの汁物を啜っているラズワルドの前で、口ひげを生やしている武人 ―― ナヴィドがシャープールに話し掛けた。

「シャープール卿も、ご存じかも知れませぬがイフサーン卿は妹御の結婚を祝うため、今月は休みをいただいたはず」
「妹の結婚の話を聞いてはいたが、そうだったか」
「はい。わたしめは父の代理で三ヶ月前、祖廟に向かう直前のイフサーン卿にお祝いを述べさせていただきました。その時、日付を聞いたので間違いはないかと」

 ナヴィドから話をきいたシャープールは頷き、そのことを、ラズワルドの隣で同じく卵と甘藍キャベツの汁物を啜っているハーフェズに話し掛ける。

「ラズワルド公にお伝えするかどうかは、ハーフェズに任せる」
「はい」

 任せるもなにも、目の前で話しているので、ラズワルドの耳にも届いているのだが、彼らの会話は人間同士の話であり、神の子のお耳に届けるかどうか? の判断は、側近であるハーフェズがしなければならない。

―― 直接言えばいいのになあ

 ハーキムの報告を聞いている時から、ずっと頭を下げたままのナヴィドを眺め、そうは思ったが、無理強いするのも可哀想だと、ラズワルドはこれに関しては黙っていた。

「銀の矢傭兵団の精霊使いと、交戦することになるだろう」
「そうでしょうね、ラズワルドさま。ところで、精霊使いは何人くらいいました?」

 百名ちかい傭兵団団員全員が「精霊使い」ということは、まず考えられない ――

「さあ?」
「さあ……って、ラズワルドさま。何時ものことですけど……」
「飛び抜けて強いのがいるのなら分かるが、精霊を使えそうな傭兵たちはけっこう居た、くらいしか分からん」

 人間の中にあっては強いであろうアルテミス(男)団長も、神の子の前ではその他大勢とほとんど違いがない。

「ラズワルドさまですもんねー」
「だが人間には脅威になるらしい」
「はい」
「わたしが飛び込んで神の力で精霊使いをなぎ倒したいところだが、力の使い方を誤ると、傭兵団はともかく都市の住民までもが根こそぎ死んでしまう」

 混戦状態の都市で敬虔な信徒を一人も傷つけずに敵だけを倒すのは、精霊王をして「隕石の衝突」と例えられるほど莫大な力を持つラズワルドにとっては、幾ら練習したところで出来ない ―― ラズワルドにしてみれば、祖廟都市を襲っている傭兵団だけを殺害するより、地上の生き物を皆殺しにするほうが余程簡単である。

「分かってます。よーく分かってます」

 力の制御方法を教えているパルハームが「これほど迄とは……なぜ地上におわすのだ」と、その膨大な力に思わすこぼしてしまった疑問を聞いたことのあるハーフェズは「無理でしょうね」と。

「そこで、精霊使いの能力に対応できる力を、お前たちに一時的に与えよう」
「誰にですか?」
「ハーフェズにシャープール。ハーキムとシャバーズアルデシール、それとナヴィド、お前もだ。この人選だが、精霊使いに対抗する力を操るには、精霊使いの力が必要だ。ハーフェズとシャバーズ以外は精霊使いの能力がある。シャバーズはあとでシャバーズ本人に直接説明するので、食事などの用事が済んだら天幕まで来るように。そしてハーフェズは、精霊の力が効かないようにしておく」
「それはどうもです、ラズワルドさま。頑張って、全員倒しますね」
「何名かは、事情を聞くために生かして捕らえたほうがいいか……魔王の僕マジュヌーンと接触しているので、皆殺しのほうが安全かもしれないが、そこはお前たちに任せる」
「分かりました。一応確認しますが、このまま祖廟へと向かい銀の矢傭兵団を殲滅せよ……ということですね? ラズワルドさま」
「ああ。出来るか? ハーフェズ」
「出来ますとも。お任せくださいラズワルドさま」

 食事を終え薔薇のジャムがほどよく乗せられた、焼き菓子を堪能し終えた頃、アルデシールシャバーズがラズワルドの天幕へとやって来た。

シャバーズアルデシール、迷惑をかけるな」

 軽い気持ちで祖廟行きを誘ったラズワルド。だが、途中で思わぬ出来事に巻き込まれ ―― 相手が傭兵ゆえ、人間との戦いに慣れている国軍には是非とも同行してもらわなくてはならない。

「迷惑など御座いませぬ。我らをどうぞお好きにお使いください」
「まあ、頼りにしている。ところでシャバーズアルデシールは祖廟に宝剣が安置されていることを、まだ聞いていなかったのだな」
「はい」

 宝剣が魔王の手に落ちたと話した際、シャープールは驚愕したが、アルデシールシャバーズは、何を言われたのか全く理解できず呆然としていた。

「祖廟にあったんだ。それを知っているのはごく一部の人間と神の子。あと神の子の最側近も知っている。シャープールは以前、ファルナーズという神の娘の最側近だったこともあり知っていた。わたしは以前、ファルナケスの葬儀で祖廟に滞在した際に聞かされた」

 その後ラズワルドは、宝剣は精霊王が作った空間に封印されていること、人間でなくては台座から抜くことができないこと。また人間であれば誰でも抜くことができることなどを語る。

「精霊使いと戦う際だが、シャバーズアルデシールは普通に戦って大丈夫だ。理由は知らんが、お前には精霊が全く寄りつかない。だが、その精霊の寄りつかなさは、今回は強みとなる。敵が精霊で攻撃してきたところで、お前にはなんの影響も及ぼさない」

 精霊王にもっとも嫌われている人間の一族、ペルセア王家。その一人であるアルデシールシャバーズには、一切精霊は近づかず、また一切精霊の力が効かない。

「なんでペルセア王族って、あんなに精霊王に嫌われてるんでしょう?」
「精霊王に聞いてみるか?」
「わざわざ聞いて貰うほどでもありません」

 アルデシールシャバーズが退出してから、行水をしているラズワルドの髪を洗っているハーフェズが、やや独り言じみた疑問を口にした。

「そうか」
「ところでラズワルドさま。俺にはホスロー公とイェガーネフ公の気配を感じることができないんですけど、二柱はどこに居るんですか?」
「宝剣が封印されていた空間。宝剣によって閉じられたから、出てくることができない」
「あああ! そういうことか! それじゃあ俺には分かりませんよ……って! なんで、宝剣で封印できること知って……」

 王太子になることが決まっているアルデシールですら、まだ知らなかったほど、秘匿されている能力の一端。異国の傭兵たちが知っているとは、考え辛い。

「だから雇い主は魔王の僕マジュヌーンだろうと判断した」

 絹で体を擦り終えたラズワルドは立ち上がり、側に用意されている大判の綿紗ガーゼを手に取り体を拭く。

「でも二柱、そこに閉じ込められたのでしたら、精霊王に頼めば」

 ハーフェズは別の綿紗ガーゼを持って、背中の中程より下まである長い深藍の髪を拭く。

「閉じ込められた経緯が経緯だろうからな」
「経緯?」
「多分二人とも、人間を盾にされて従った……としか考えられない。となるとあの人間嫌いアルサランがどんな反応をするか?」
「あ……人間ちっちゃい」
「残念だったなハーフェズ、あの人間嫌いは精霊だ」
「でしたねー」
「もっとも、そうでなくとも、精霊王に頼んだりはしないさ。兄姉を救うのは妹の使命だ。幸い、わたしにはそれを成し遂げる力もあれば、仲間もいる。期待しているぞ、ハーフェズ」
「任せてください、ラズワルドさま! でも、体はもう少し丁寧に拭きましょうね!」

 翌日一行は徒歩で祖廟を目指していた、イェガーネフの護衛隊と合流する。