ラズワルドとハーフェズ、危機を察知する

 ラズワルドは翌朝アルデシールシャバーズと共に、祖廟へと向かうので準備するようシャープールに告げ、レオニダス傭兵団に「二ヶ月後に王都にいたら依頼をする」とアルサランに伝えさせ ―― 途中まで馬車に乗り、下町に入ったところで降りて徒歩でメフラーブの家を目指した。
 馬車にはハーフェズも同乗しており、もちろん一緒に馬車を降り、歩き慣れた下町を並んで歩く。

「スィミンに会えるかな?」
「どうでしょう? 俺が聞いてみますね」

 スィミンの家の前を通りかかったので、ラズワルドは顔を見て行こうと ―― 気軽に会えなくなっていることは知っているので、ハーフェズが扉を叩き、面会を希望していることを告げる。
 ラズワルドに会いに行こうとしていたスィミンは、もちろん家へと招いた。
 メフラーブの家同様小さく、慎ましやかな空間だが、ラズワルドはこの従姉妹の家が大好きであった。

「後で会いに行くつもりだったの」
「ほう? 一緒にご飯食べるか?」
「それは、ご招待に与ったら嬉しいけれど、わたしの目的は……」

 スィミンは自分の洋服が入っている籠を開き、中からこの室内には異質な、鮮やかな群青色の布を取り出した。
 柘榴の枝と花と実が金糸で刺繍されているそれは、ラズワルドが「何かの時のために」とスィミンに贈ったものである。
 スィミンはその布に何かを包んでおり ―― ラズワルドの前でゆっくりと開いた。中から現れたのは黄金の首飾り。首から被るようなタイプで胸や背中の中ほどまで覆うような形。体に掛かる部分は透かしで蔦の模様が象られており、縁には大きさが一定に整えられているや柘榴石ガーネット翠玉エメラルド、琥珀が交互に象嵌されている。

「カーヴェーから贈られたのか?」

 身につけることはあまりないが、唸るほど一級の宝飾品を持っているラズワルドからすると、目を見張るような逸品には映らず ―― どう・・といったことのない宝飾品であった。

「ラズワルド公。こんな凄いもの、カーヴェーには手に入れられませんよ」

 これがラズワルドでなければ「なんでいきなりカーヴェーが出てくるの! カーヴェーは関係ないんだから!」スィミンはそう言い返すところだが、相手が相手なので、そこは黙っていた。

「そうなのか?」
「そうなんです」
「そうか。じゃあ、拾ったのか」
「こんなもの、落ちてたら、すぐ役人に届けますよ、ラズワルド公」

 ラズワルドの前にある金の首飾りは、下町に住む自由民が持っていてよい品ではない。官吏に見つかったら問答無用で引き立てられ「どこから盗んだ」と最初から疑われ、拷問されて殺される ―― それほどの品であった。

「へえ? じゃあ、これどうしたんだ?」
「これ、アシュカーン王子から預かったんです」

 ラズワルドはアシュカーン宛の手紙に、スィミンという従姉妹がいること、その従姉妹が王子さまに会ってみたいと言っていることなどを書いていた。
 受け取ったアシュカーンは、王都に居を移した際に、バームダードに案内してもらい、わざわざスィミンに会いに来た。
 いきなりやってきた王子にスィミンやカーヴェーたちは驚いたが、この時代、王子と神の子ならば、後者のほうが断然地位が高く畏怖される存在。その神の子と幼馴染みであった彼らは、すぐに王子と打ち解け ―― 王子が穏やかな人柄だったこともあり、会ったその日の最後頃には、互いに談笑できるくらいにはなった。
 アシュカーンはそれから二度ほど下町までやってきて、スィミンたちと会って会話を楽しんだ。
 最後の訪問となった三回目、アシュカーンは幾つかの宝飾品を持ってきた。
 一つは紅玉髄カーネリアン玉がつなげられた腕飾り。これは会って話をしてくれたスィミンへのお礼。
 スィミンはそんなものはもらえないと辞退したが、バームダードに「こういう時は受け取るのが礼儀だ」と言われて受け取った。
 そして「これを、ラズワルド公に渡して・・・して欲しい」と ―― それが、いまラズワルドの前にある黄金の首飾り。
 細かい透かし彫りの首飾りを手にとったラズワルドは、

龍涎香アンバルと一緒に献納すりゃあ良かったのに。なんでスィミンに頼んだんだ?」

 ”分かるか?”とハーフェズを見つめたが、視線を受けたほうは小首を傾げて、無言で”分かりません”と答えた。

「わたしもよく分かんないけど……王子は献納じゃなくて、ただの贈り物として渡したかったんじゃないかなあ」

 ”王子はラズワルド公のこと、好きだった”スィミンもそのことは分かったが、ラズワルドに人間の思慕は伝わらないだろうと口を噤んだ。
 なにより、王子自身がそのことを伝えようとしなかったのだから、余計なことは言うものではない ―― 王太子の戦死報告を聞いたスィミンとカーヴェーは、話し合ってそう決めたのだ。

「……そうか、ありがとうな、スィミン」
「ねえねえ、それ、気に入った?」

 アシュカーンに「直接渡しなよ」とスィミンは言ったが、アシュカーンが持ってきた首飾りは、献納の宝飾品にするには、やや貧相 ―― 王太子が神の子に献納するには相応しくない品であった。

「悪くはないな。なにより、あまり派手じゃないし」
「え……派手じゃないの?」
「うん。わりと地味なほう。神官服の上につけても、さほど邪魔にならないから、いいかもな」

 献納される宝飾品というのは、献納される相手に合わせて作られるものではなく、富をつぎ込み眩いばかりの豪華さに仕立てた後、収められる ―― それは財を寄進するのであって、似合うか似合わないかなどは関係ない。
 ラズワルドは銀冠を外し、クーフィーヤを脱いで、首飾りを被る。

「どうだ? 似合ってるか? スィミン」
「似合ってる、似合ってる! きっと王子も喜んでるよ」

 ラズワルドが首飾りを身につけている姿を見たかっただろうなと、スィミンは涙が零れそうになったが、首飾りを身につけて喜んでいるラズワルドを前に、ここで泣いてはいけないと、自分を奮い立たせた。

「そっか! 似合ってるか」

 ハーフェズも笑いながら頷いた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「ラズワルド公」
「どうした? マリート」

 アシュカーンの首に祈りを捧げた翌日 ―― 祖廟に向かう準備を整えたシャープールが、実家に迎えに来たので家を出ようとしたラズワルドに、マリートが話し掛けてきた。

「すっかり忘れていたんですがね」
「なんだ?」
「この前、どこかの偉い神官さんが旦那さまメフラーブの所に来たんです。でもその時、旦那さまメフラーブはキルスと一緒に公衆浴場ハンマームに行かれてまして。お帰りになるまで、家でお待ちになられたら……と言ったのですが、忙しい御方だったらしくて、わたしが言伝を頼まれたのです」
「ほうほう」
「”ラズワルド公。わたしはもしかしたら、間違った名前をお教えしてしまったかもしれません”とのことです」
「……そうか。その偉そうな神官の名は?」
「名乗られなかったんですけれど、代わりにこれを」

 マリートが取り出したのは、棗椰子を二個くらい包める程度の大きさの青緑色の絹。
 庶民の家に絹があると目立つものだが、ここはラズワルドの実家の一つ。薫絹国製の絹の反物が転がっていても、驚かれることもなければ盗まれることもない。

「ああ、誰か分かった。言伝、確かに受け取った。偉いぞ、マリート」
「良かった」
「ところで、そいつは何時頃来た?」
「そうですね、三ヶ月ほど前くらいです」
「そっか」

 ラズワルドは青緑色の絹を受け取り馬に乗り、マリートやメフラーブ、キルスたちに見送られ祖廟を目指して王都を出た。

―― ジャラールの奴、どうしたんだ

 馬を走らせながら、ラズワルドは出かけ際、マリートから聞いたジャラールからの言伝を反芻していた。
 ラズワルドが言伝の相手をジャラールと判断した理由は、マリートが着衣から偉い神官と理解したところから、はっきりと他の神官と違う格好をしていると考えた。そして名乗り代わりに差し出した青緑色の絹。
 神殿長は各々に色を与えられており、青緑色は祖廟の神殿長の色である。
 なにより”間違った名前” ―― ラズワルドは神殿関係者に、誰かの名を聞いたことは一度しかない。

―― テイムールじゃないかもしれない……か

 自分の名前を間違って教える人間はいない、となれば他人の名。だがそれが間違っていた ―― ラズワルドがジャラールに聞いたのは魔王の僕マジュヌーンとなったとされる人物。ジャラールはその名をテイムールだと答えた。それに関してラズワルドは年長のマーカーンやオルキデフ、そしてフラーテスに尋ね「そうだ」という返事を貰っていたので疑っていなかったのだが、その時現場近くにいた、かつての同僚が違うかもしれない・・・・・・と言い出した。

―― ま、直接会って話を聞けばいいことだな

 軽快に馬を走らせるラズワルドはそのように結論づけたのだが、既にこの時、ジャラールは殺害されていた。

 水場のある初日の野営地に到着したラズワルドは、馬から降りて背伸びをする。同じく馬から降りたバルディアーが急いで水を汲み、ラズワルドに差し出す。
 杯を受け取ったラズワルドは喉を潤し、他の者たちは野営の準備に取りかかる。
 今回ラズワルドに同行したのは、先日サマルカンドまで同行した護衛の武装神官隊と料理担当のラヒムと、色々な軍事訓練中のハーキム。そして身の回りの世話をするワーディと、暇つぶしように吟遊詩人のアーラマーン。置いてきたとしても、どこまでもついてくるであろう梟・イニス。
 アルサランだけは傭兵団との調整のために王都に残してきた。
 同行するよう命じられたアルデシールシャバーズと、彼を守る一隊。五十名ほで構成されている部隊で、隊を率いているのは中将軍のナヴィド ―― 以前アルサケス城を守っており、浮遊していたラズワルドをも見たことのある、そろそろ四十になる男だった。
 生真面目な男なので、神の子の側に置いても失礼なことはしないだろうと選ばれた。
 ラズワルドは久しぶりに見たナヴィドに声を掛けようとしたのだが ―― 馬の世話をするでもなく、ラズワルドの側にも近づいてこず、ただ北のほうを見つめているハーフェズとジャバードのほうが気になり、そちらに話し掛けた。

「どうしたんだ? 二人とも」

 この二人は魔物を察知する能力に長けているので、同じ方向を見て動かないでいるとなると、知っている者としてはラズワルドでなくとも気になる。
 ラズワルドに声を掛けられた二人は、無言で視線を交わし ―― ジャバードがまず口を開いた。

「この先に、多数の死の気配を感じるのでございます」

 祖廟に繋がる道を指さし、ジャバードはそう言う。

「”死の気配”か。ハーフェズもか?」

 同じか? と声を掛けられたハーフェズは首を振って否定する。

「なんだ、違うのか」
「待ってください、ラズワルドさま。多分それは……ああ、なんとなく死の気配が手前にあります。うん、ジャバードが言う通り、たくさんあります」
「手前? ということは、ハーフェズが感じ取っていたのは、もっと先にある異変なのか?」

 聞かれたハーフェズは頭を抱えてしゃがみ込む。

「ワーディ、水持ってこい」
「はい」

 なみなみと水が入った杯を受け取ったハーフェズは半分ほど飲み、そして、非常に言い辛そうに話し始める。

「ラズワルドさま……あの……」
「どうした?」
「あのですね……」

 少しばかり沈黙したが、残っていた水を一気に飲み干し勢いを付けて ――

「ホスロー公とイェガーネフ公が、この先にいないような気がするんですけど」

 祖廟にいるホスローと、交代のためそこへ向かっているイェガーネフの気配が感じられないと言い出した。

「へ?」
「俺も勘違いかと思ったんですけど、祖廟の手前に死の気配を感じるってジャバードが言ったから、もしかして……」

 魔を屠る力のないイェガーネフが何者かに襲撃された可能性が考えられた ―― だが魔を屠る力を持つホスローの気配がないのはおかしい。

「なるほど。バルディアー、野営の準備は一時中断させろ」
「御意」

 ラズワルドは手に持っていた杯をワーディに渡し目を閉じて、精神を集中させた。
 彼らの一団の上に光りが舞い降り ――

「ハーフェズ、ホスローとイェガーネフは居るぞ」
「そっか、俺の勘違いでしたか」

 固唾を飲み、耳を澄ませていた同行した者たちが、微かに安堵の息を漏らす。

「いや、居るに居るが、これは!」

 ラズワルドが目を開き、辺りに降り注いでいた光の粒が霧散する。

「なにがあったんですか? ラズワルドさま」
「居るんだが、たしかに居るんだが……あの二人二柱がいるのは地上じゃない」
「え? あ……神の国に帰られたんですか!」
「違う」
「じゃあ、何処に!」
「待て、ハーフェズ。先に手前の死の気配について探る。いいか、行くぞ」

 夕暮れ時の地平線を北に、尋常ならざる速さでラズワルドは視界を走らせた。そして二日目の野営地よりも手前で、

「イェガーネフの部隊が何者かに襲撃されたようだ」

 見覚えのある武装神官たちが負傷している姿を見つけた。

「周囲に転がっている死体は、完全に異国人……傭兵ですかね」

 武装神官とは全く違う格好の死体が幾つか転がっているのも見えた。

「だろうな。魔物の類いは近づけないからなあ」

 イェガーネフは魔物を殺すことはできないが、魔物はイェガーネフに近づくことはできない ―― だが人となると別である。特にメルカルトを奉じていない異国の傭兵団ともなれば、神の子に対して何をするかも分からない。

「何者かに雇われた傭兵団が、イェガーネフ公を攫ったってことですか」
「そうだ。そして雇ったのは、おそらく魔王の僕マジュヌーン

 黄昏に染まり始めた大地で、精強な兵士たちが一斉に息をのむ。

「えっと、あの、ラズワルドさま、どうします。というか、二公柱はどこに」
「それなのだが……まずは、シャープール、ナヴィド、そしてシャバーズ。この先で負傷している武装神官たちがいるので、夜を徹して向かいたいので急いで準備をしてくれ。明かりに関してはわたしに任せろ。……そして、シャバーズ、シャープール、ちょっと来い。ジャバードはちょっと離れてくれ」

 ナヴィドは呆然としている部下たちを怒鳴り、バルディアーも騎士と同じように呆けている武装神官たちに、急いで準備をするよう指示を出す。

「小声で話したいから、もっと近づけ」

 人としての距離を取っているアルデシールシャバーズに近づくよう指示を出す ―― だが、アルデシールシャバーズは信心深いので、無遠慮に近づけなかった。
 何時もであれば、人間の信仰を尊重するラズワルドだが、今回ばかりはそうも言ってはいられないと、自らアルデシールシャバーズに近づき、シャープールとハーフェズたちもそれに習い、額をつきつけるかの如く近距離まで寄った。

「時間がないから結論から言うぞ。宝剣が魔王の手に落ちた」