ハーフェズと主、乱入する

 とある部族が神の命に叛き ―― 彼らの住んでいる村に大きな刑場が作られ、次々と叛いた者と、その者に協力した者、そして彼らと繋がりのある者たちが処刑されていった。
 叛いた者は既に首を切られ、棒の先に吊され ―― 乾いた地ゆえ、首は干涸らび、頭蓋骨に乾ききった皮膚がこびりついているような状態になっていた。
 処刑された死体は、罪人が放り込まれる洞窟の深い縦穴に、祈られもせず放り込まれ屍食鬼となり、朽ちるまで固い岩盤を骨で掻き続ける。

「すっかりと減ってしまいましたね、ダリュシュ」
「そうだな」

 フラーテスの命を守らず、ファルジャードの身の上話を漏らした男のせいで、ダリュシュの一族ははその数を三分の一まで減らした。
 サマルカンドでもっとも神に近いところにいた部族ゆえ、彼らが住む土地は隆盛を誇っていたので、寂れ具合が余計に目立つ。

「本来であれば、消え去って当然の無礼を働いた一族だが、フラーテス公が特別に許して下さったのだ」

 ダリュシュの本当に近い親族は許されたが、嫁いだ姉や妹は罪を犯した側に属しており ―― 神に忠実なダリュシュは、もちろん一人として逃しはしなかった。
 それに関してダリュシュは胸が痛むようなことはない。彼の心は部族や家族にはない。ただひたすら神にある。

「はい、分かっております」

 ダリュシュの側にいる武装神官、名をフーマーンといい、彼の家族は半分ほどがいなくなった。彼も一族の者が引き起こしたこと故、仕方のないことだと分かってはいるが、ダリュシュとは違い、やるせないものもあった。

「フーマーン……わたしはファルジャードに感謝している」
「ダリュシュ?」
「これで一族に悩まされることなく、神に仕えることができる……もちろん死んで欲しいと思ったことなどない。だが……俗世の柵は消えた」

 彼らが一族に神罰を下している最中、ファルジャードは侯都へと行き ―― 侯都を人質に取った叔父たちと戦い完全勝利した。

「ダリュシュ……」
「フーマーンにファルジャードを恨むなとは言わないが、わたしにファルジャードを恨めとは言ってくれるな」

 ファルジャードの叔父一族に対する処罰は、容姿からは想像もできないほど、苛烈極まりないものだと、ダリュシュたちの元にも届いていた。

「恨んでもどうしようもありません。……正直に言えば憎しみより、恐怖のほうが大きい。ファルジャードあれは、俺などにはどうすることもできない。きっと少しでも刃向かう素振りを見せたら、俺なんて簡単に消される」
「ああ、きっとそうだ。俺たちの一族に”次ぎ”はない。大人しく慎ましやかに生きて行くべきだろう」

 フーマーンが言った『きっと少しでも刃向かう素振りを見せたら、俺なんて簡単に消される』は間違っていると思ったが、ダリュシュは敢えてそれに関して触れなかった。

―― 刃向かう素振りを見せなくても殺されることもあるだろう。ファルジャードはそういう男だ

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 サマルカンド侯都を手に入れたファルジャードは、まずフラーテスの所へと足を運び、諸侯王になる旨を伝えた。
 フラーテスはダリュシュの一族や、叔父たち、そしてかつて山賊をファルジャードたちに差し向けた者たちに関して尋ねることはなく ――

「そうか。ところで、その小袋はなんじゃ」

 ファルジャードが持参した小さな革袋について尋ねた。

「ラズワルド公が文箱に忍ばせてくれた、精霊の欠片だそうです。危機に陥ったら使うと良いと書かれておりました」

 乾燥果物ドライフルーツと共に詰められていたのは、魔王の僕であったキデュルヌーンの欠片 ―― 詰められ方からすると全く忍んではいなかったのだが、ラズワルドがどう細工したのか、ファルジャードの才を持ってしても分からないし、部下の精霊使いも、ありふれた革袋の中にそんなもの・・・・・が入っていることを感じ取ることができなかった。

「ほぉ。使わなかったということは、危機に陥らずに済んだ……ということか」
「いいえ。何度も危険な目に遭いましたが、ラズワルド公からの書には”使わなかった場合は、フラーテス公へ”と書かれておりましたので、これは献上せねばと、使わずに頑張って戦って参りました」
「頑張って……のう。頑張って勝てるような状況ではなかったろうに。苦労を掛けたな」
「そんなことは御座いませぬ」

 ファルジャードが辞してからしばらく、フラーテスは精霊の入った袋を見つめていた。

 神殿で面会を終えたファルジャードは、侯城へと向かい、彼のものとなった豪華な城へと足を踏み入れた。
 城内はどこもかしこも静まり返っていたが、荒らされてはいなかった。
 バフマンに「侯都の治安を守れ」と言われた最果ての砦を守っていた将は、侯城を中心に守っており、叔父たちが逃げてきた際には話し合いをし ―― 侯城に叔父たちを近づけなかった。
 叔父たちはそれを納得してはいなかったが、かといって叔父たちのものでもないので、どうすることもできず。
 また砦での戦いで兵を減らしていたので、ここで砦の兵士たちと戦い、これ以上兵を損ないたくなかったこともあり、互いに不干渉を貫くことで同意し ―― ファルジャードは躊躇うことなく侯都に火を掛け、叔父たちをあぶり出し、バフマンたちに殺させた。
 バフマンは『あれは、一体なんなんだ!』と叫んでいた叔父の一人を斬り殺したのだが、その叫びに関しては一言一句同意であった。
 そしてそれはバフマンの部下たちも同じような意見であった。
 自分たちがどう動くのかわかっているかのようであり、その結果どうなるのかも分かり ―― 気付けばファルジャードが思い描いたまま動いているかのような感覚にとらわれ、自分がなくなりそうだ、逃げ出したくすらなる。
 そんな恐怖を訴えた部下に、

「逃げ出したくなることも、逃げ出すことも、あの御仁ファルジャードはご存じだろうよ。ここにいる間はあの御仁ファルジャードがなにを考えているのかを知ろうとするな。考えていることを知ろうとしたとき、あの御仁ファルジャードに消される。それもお前一人ではなく、俺たち全員がな」

 バフマンはそう答えた。
 なんの確証もなかったが、それが正しいとしか思えなかった。
 バフマンたちは城の一角を与えられたのだが、仕事をしているほうが楽だと、バフマンの部下たちは侯都の復旧作業へと向かった。バフマンも城にいるよりなら、街で石を運んでいたほうが余程気が楽なので、副官に預けて出かけようとした所、

「お時間はありますかな? バフマン卿」
「サラミス卿」

 サラミスに酒を飲みながら話したいことがあると言われ ―― サラミスに与えられた部屋で、二人は軽く自己紹介しあい、そして酌み交わす。
 瑠璃の杯に注がれたこの地方の特産でもある葡萄酒は、芳醇で味わい豊かで、酒飲みでありバフマンにとっては、僅かだが気持ちが晴れるものであった。
 しばらく酒を飲んでいたバフマンだが、彼らしくもなく、サラミスに水を向けた。

「なにか聞きたいことがあったのでは?」
「聞きたいこと……と申しますか、これからよろしくお願い致しますという挨拶ですな」
「サラミス卿は、新諸侯王ファルジャードの部下となられて一年ほどでしたか」
「ええ。かつて仕えていた国があのようなこと・・・・・・・になりましたので」
「ネジドはもう持ちますまい」

 奴隷廃止宣言を出して一年あまり、ネジド公国は瓦解の一途を辿っていた ―― むしろ一年持ったことに、驚いている者のほうが多い。

「ええ。わたしは異国の者ゆえ、諦めるのも早かったのですが、ネジド人となるとそうもいかず」

 奴隷を失った国が未だ国の体裁を保っているのは、ネジド大公ユィルマズの力ではなく、宰相の座に踏みとどまり差配をふるっているアサドの才によるもの。
 だがそろそろそれも、限界であった。

「俺はとくに興味がなかったので知らぬのだが、ネジド大公ユィルマズは一体なにをしたいのだ?」

 一年前のネジド公国の奴隷廃止宣言は、それなりに騒ぎにはなったが、近隣諸国に波及するようなことはなかった。それはネジド公国が小国だからということではなく、あまりにもお粗末な廃止だったからに他ならない。

ネジド大公ユィルマズ自身、分かっていらっしゃらない」
「それは……」
ネジド大公ユィルマズが重用しているイシュケリョートというのが、曲者でして。それを選んだのはネジド大公ユィルマズゆえ、どうにもならぬのですが」
「そのイシュケリョートというのは」
「奴隷解放相と名乗っておりましたが、そろそろ宰相の座に就くとか」
「政に疎い俺でも知っているアサド卿を下ろして、イシュケリョートとかいう輩にその座をくれてやるとは……前のネジド大公キヴァンジュは立派な御方だったが、跡取りに恵まれなかったのだなあ」
「捨てたとは言え、女系男子継承ができる国で生まれ育ったわたしとしては、アサドを後継者にできなかったことが歯痒くて仕方ありませんでしたな」

 ペルセア王国に隣接している国では珍しく、サータヴァーハナ王国は女系男子が家を継ぐことが出来る。実際サラミスは、母方の実家の跡取りにとも言われたことがあり ―― 兄との関係ですら険悪だった上に、母方の跡取り候補との剣呑なやり取りまで増え、先日までのファルジャードと似たような状態になりかけ、サラミスは故郷を捨てた。

「アサド卿も、そろそろ見捨てるべきだと思うが、貴族や王族にはそれが出来ぬのだろうな」
「難しいところですな」
「俺なんぞ、根っからの自由民ゆえ、不甲斐ない主の国を捨てることに抵抗なぞ微塵もないがなあ」
「責任感の強い男でして……そうだ、バフマン卿。卿は前のサマルカンド諸侯王の顔をご存じですか?」

 空になったバフマンの杯に葡萄酒を注いでいたサラミスが、やっと・・・口を開いた。

「マッサゲタイとも戦ったことがあるので、その際に何度か拝見したことはあるが」

 サラミスの杯に酒を注ぎ返しながら、バフマンはファルジャードに感じる恐怖の一端に気付いた。
 ファルジャードはあまりにも前サマルカンド諸侯王に似ていない。
 容姿は平凡で、才能は良く言って凡庸だった前サマルカンド諸侯王。対するファルジャードの容姿は、鋭く精悍な顔だちが好まれるペルセアでは、美男子とは言われないが、それは整っている容貌。

「ファルジャード卿とは似ていませんか?」
「似ていないな。新諸侯王は母親に似ているのでは?」
「母親の容姿を知っているフラーテス公柱曰く、似ていないそうです」
「そうなのか」
「ですが前諸侯王の子であることは、間違いないそうです」
「なるほど」

 バフマンが注いだ葡萄酒を飲み干したサラミスが、手を叩き人を呼ぶ。するとサラミスの配下二名が、とある男を連れてきた。
 だらしなく伸びた髪と手入れがされていないまばらに生えた髭。
 腫れぼったい目蓋に、知性の煌めきなどない濁ったような瞳。そして弛んだ唇。まったくファルジャードと重なるところのないその男は、前サマルカンド諸侯王であった。

「城の中に危険なものがないかどうか? 調べていたところ、この男が後宮の女の部屋に潜んでおりまして」
「匿っていた女はなんと?」
これ・・は諸侯王でファリド卿だと。わたしはペルセア王国で、ファリドという名で、諸侯王の血筋と言えば神の子しか知りませんでしてな」
「諸侯王でファリドといえば、クテシフォン諸侯王の次男ファリド公柱が思い浮かぶのは当然か。そうそう、前のサマルカンド諸侯王はファリドと言ったが……それは別人だ・・・・・・

 前サマルカンド諸侯王がなにを考えてこのような行動を取ったのか? バフマンの知るところではない。事情を聞きたいとも思わない。

「そうですか……珍しいことですな」

 サラミスはバフマンが嘘をついているのは分かったが、危険なものは独断で処分してよいと指示を受けているので ―― サラミスがわざわざ知っていそうな人物に、何者なのかを尋ねたのには理由があった。

「珍しいとは?」
「我らが主ファルジャード卿、いや、サマルカンド諸侯王が、道中で”サマルカンドは生きている”と仰っておられてな。あの方の予想が外れることもあるのだな」

 何故そのように考えたのかまではサラミスは聞かなかったが、後宮で女物の服を着て部屋の隅に隠れていた中年男性を見つけ、そして匿っていた女が「ファリドさま」だと叫んだ時、サラミスは予想が当たっていたことに気付き愕然とした ―― サラミスがファルジャードの父の名を知らないなどというのは嘘である。

「それは……あの御仁もまだお若いからな。これからが楽しみだ。新サマルカンド諸侯王に乾杯しようか、サラミス卿」
「ええ。これから、よろしくお願いいたしますバフマン卿」

 サラミスは部下に前サマルカンド諸侯王を名乗った男を処分するように命じた。男は殺害され首を切り落とされてから、顔を潰されたのち蜜蝋に満たされた箱に漬けられ ―― 首はアッバースに運ばれた後、ペルセア湾に捨てられた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 指先すら動かないほど疲れ切っているのに、精神が興奮して眠りに落ちることができないセリームは、隣のファルジャードの寝息を聞きながら、モザイク画で飾られているドーム状の天井を眺める。
 なにも考えられぬまま、しばらくそんな時間を過ごしていると、隣で寝ていたファルジャードが身じろぎし、そして目を覚ました。

「ファルジャード」
「セリーム……もう昼か。さすがに腹が減ったな」
「丸一日経ったもんね……ご飯作りたいけど、体が……」

 ファルジャードのものにはなったが、安全はまったく確保されていないので、セリームが食事を作らねばならないのだが、ほぼ一日ファルジャードの感情の全てを受け入れた体は、自分の物とは思えぬほど重くて動かすことが出来なかった。

「ラズワルド公からもらった乾燥果物ドライフルーツがある」

 ファルジャードは枕元においていたラズワルドからの文箱を開き、麻袋を一つ手に取った。中身は干し無花果。紐を解いて実を一つ取り出し、セリームの口へと放り込む。
 そして寝台側に用意していた大きな水瓶から、杯に水を汲みセリームに手渡した。

乾燥果物ドライフルーツ、随分減ったね」
「行軍中、お世話になったからな」

 ファルジャードは横になったまま水を飲み終えたセリームにのし掛かり口づけた。
 体力が持つか? とは思ったが、セリームは拒否せず、愛撫を黙って受け入れ ――
 
「ファルジャード! 昼だぞ! そろそろ起きろ! 何故この扉を開けさせない! いや、わたしが自力で開く!」

 綺麗にヘナで染められ、整えられた爪を持つ女の子の手が、容赦なく扉の隙間に押し込まれた。

「ファルジャード、起きて下さい。そろそろ起きないと、色々困りますよ。なんかバルディアーがすっごい困った顔してるんで、起きて下さーい」

 ラズワルドと共にファルジャードとセリームの情事の場に押し入ったハーフェズ。彼は後々、この状況の意味を理解するのだが ―― 残念ながらこの頃はラズワルドと同じく何も知らないので、寝所に乱入を果す。

「寝過ぎだろ、ファルジャード。セリームも一緒だったのか」
「わーい、寝坊助ファルジャード。あれ? お香になんか変な匂いが混じってる」

 ハーフェズの台詞なんか変な匂いを聞いたワーディが速やかにラズワルドを担ぎ上げ、遠ざけることに成功した。