ハーフェズと主、最果てへと再び向かう

―― 武装神官団団長の顔って見たことないんだよなあ

 ファルジャードの邸につれて来られたフェルドーズの頭のてっぺんを眺めながら、ラズワルドはしみじみと思ったが、信心深い武装神官の長であるが故に、仕方の無いことだろうと顔を上げることも、近づくことも命じなかった。

「そうか。大儀であったフェルドーズ。では献納品を見に行くか。ファルジャード、ラフシャーンも付いてこい」

 旅をしてきたフェルドーズを休ませるためにも、早々に仕事を終えてしまおうと、ラズワルドはすぐさま神殿へと向かい献納された生物を確認してからシャープールに任せた。
 それからハーフェズとバルディアーに、献納品を運んできた一行の歓待をするよう命じて ――

「わたしがいると、顔を上げない者ばかりなのだ」

 宴の場で労をねぎらいたかったが、自分がいると恐縮し寛げないことを知っているラズワルドは、邸でワーディの胸を枕にして横になりながら呟く。
 最近筋肉と脂肪がつき始めたワーディだが、いまだ肋骨がはっきりと分かるような状態。

「そうなんですか。あの頭の乗せ心地、悪いのでは」

 もっと綺麗に筋肉のついているラヒムやハーキムなどのほうが良いのではと ――

「悪いな。だがコレがいいんだ」
「良いんですか」
「ちょっとメフラーブっぽくって。もちろん、メフラーブのほうがもう少し肉ついてるけどな」

 服越しでも分かる肋骨を後頭部で感じながら、ラズワルドは笑う。

「ラズワルドさまのお父さんですか」
「ああ。養父だがな」
「養父?」
「育ての親という奴だ。本当の父親は違う」
「そうでしたね」

 この会話だが、些か食い違いがあった。
 ラズワルドは「別に人間の両親がいる」と言ったつもりだったのだが、ワーディは「本当の父親はメルカルト神だもんな」と解釈し ―― ワーディの勘違いを聞いたところで誰も訂正しないので、特に問題はなかった。

「カスラーが将来の大将軍?」

 歓待を終えて帰ってきたラズワルドは、ハーフェズから「神の子の供を務めると、将来は大将軍になれる」ということを教えられた。

「ラズワルドさまの往復の供を務めたからだそうですよ」

 大将軍の甥であるラフシャーンに「将来は大将軍ですか」といった会話の流れから、世俗の慣習をハーフェズが知り「大変です」とばかりに伝えた。

「……それは、悪いことをしたな」

 聞かされたラズワルドは、唇を若干噛んで、面白くないといった態度を作る。

「悪いことなどなにも」

 ファルジャードが、将来の地位を約束されるのだから、なにも悪いことではないと説明したが、ラズワルドは頭を振った。

「カスラーなら、そんな慣習を踏襲せずとも、大将軍になれただろう。才能があるのに、余計なことをしてしまった。そうは言っても、もう取り消せんしなあ。お詫びの手紙でも認めるか」
「ラズワルドさま。カスラーさん、それ貰ったら死にます」

 神の子直筆の詫び状など届いたら、信心深いカスラーは死を選ぶとハーフェズに言われ、

「え、死ぬの? 死ぬのか? ……そうか、死ぬのか。人間って焼けても死ぬし、水の中でも死ぬし、高いところから落ちても死ぬし……死に易いよな」

―― そういう意味合いじゃないです

 周囲を見回すと、皆頷いたのでラズワルドは手紙を出すのを諦め、王都に帰ったら直接詫びに行く方向に変えた。
 どちらがよりカスラーに衝撃を与えるかなど、ラズワルドは知らない。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 献納品を収めたフェルドーズ一行とラフシャーンは暫し滞在し、そして王都へと戻っていった。
 それから二ヶ月もしないうちにアシュカーンが戦死し ―― 商人に扮した間諜がダマスカス王国にいるアルデシールシャバーズに、帰国しても安全であると伝えに向かった。
 そんなある日、神殿に一人の吟遊詩人がやってきて、ラズワルドに会いたいと申し出た。
 吟遊詩人は神の子に招かれることはあるが、自分から会いたいというのは珍しいし、通されることはない。

「アシュカーン王子より、命を賜っております」

 だが門前払いはされず、パルハームが事情を尋ねた。長めの黒髪を一つに結わえた吟遊詩人は、懐から書状を取り出す。
 中身はアシュカーンが認めたもので「また旅をするとき、これにて無聊をお慰めください」と書かれていた。

「間違いなく、アシュカーン王子の文字です」

 手紙に印がなかったので、本当にアシュカーン王子が書いたものか? その真偽を確かめるべくバルディアーとハーフェズが呼ばれた。二人は手紙に目を通し、確かにアシュカーンの直筆だと認めた。
 だが彼がアシュカーンが遣わせた吟遊詩人かどうか? となると、話は別である。
 途中で吟遊詩人を襲い、その手紙を奪ってやってきた……ということも考えられる。
 ましてや吟遊詩人をラズワルドに送ったアシュカーン王子は既になく、彼に仕えていた者たちもことごとく戦死しているのだから、別人が成り代わるのは難しいことではない。

「殿下の周囲には、あまり人はおりませんでしたので、俺のことを覚えている人はいないかも知れません。なにより新王は殿下のことを嫌っておりました」

 こともなげに親子の不仲を告げる吟遊詩人。
 ハーフェズはしばらく彼を眺め、ラズワルドの元へと連れて行くことにした。

「信用して下さるのですか」
「俺が決めることじゃないんで。王子が遣わせたとしても、ラズワルドさまがお気に召さなければ、抱えることにはなりません」
「たしかに」

 鍛錬所でターラー相手に剣を振るっていたラズワルドは、ハーフェズたちが連れてきた緑色のターバンを巻き、バルバットを手に持っている吟遊詩人を見て、

「アーラマーンか。良く来たな」

 アシュカーンからの手紙に書かれていた吟遊詩人だとあっさりと認め、邸に滞在することを許可した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「どうにも、あの男が気に食わん」

 総督との面会を終えたファルジャードは、自宅に帰ってくるや上着を脱ぎ捨て、不機嫌さを隠さず言い捨てた。

「総督のフーシャング?」

 着替えを手に持っていたセリームが、太っているわけではないが、体に締まりがなく弛んでいるので、なんとも太って見える総督のことかと尋ねる。

「フーシャングも気に食わんが、それ以上にあの奴隷商人が気に食わん」
「あの奴隷商人って?」
「インドラと名乗っている、顔の半分を火傷で失ったとされている男だ」

 アッバースの有力者の一人で奴隷商人。総督フーシャングに助言をする非公式な存在。顔の半分近くを火傷で失っているということで仮面で傷を隠している。サータヴァーハナに多い名・インドラと名乗ってはいるが、僅かにのぞく肌の色からサータヴァーハナ人である可能性は極めて低い。
 そんな彼だが、アッバースに来る以前のことは、全くと言ってよいほど知られていない。

「顔を隠しているのが嫌なの? それとも何となく?」

 ファルジャードが投げ捨てた服の側に腰を下ろし、畳むセリームが尋ねる。

「何となくだ」
「そうか……何となくかあ」

 理由がなく嫌となれば仕方ない。

「失礼」

 そこにアルサランがやってきて、未だに不快感をあらわにしているファルジャードに気付き、理由をセリームに聞く。
 苦笑を浮かべながらセリームは「奴隷商インドラが嫌なんだって」と ――

「ああ。キアーラシュのことですか」

 着替え途中だったファルジャードは、上半身裸のまま、やたらと整っているアルサランの顔を凝視する。

「それはインドラの本名か?」

 パルハームやその部下トゥーラジ、ジャバードやメティ、そして海将ザーミヤードも知らないインドラの”またの名”を、黒髪で黒い瞳の男はこともなげに語った。

「本名かどうかまでは分かりませんが、以前はそう名乗っていました」
「知り合いなのか?」
「向こうは覚えているかどうかは知りませんが、俺は覚えていますよ」
「お前の顔を忘れるほどの馬鹿は、そうそういないだろう、アルサラン」
「そうですかね」
「ところでそのキアーラシュというのは?」
「メフラーブ殿が濡れ衣を着せられた事件の主犯格の一人ですよ。ゴフラーブのところで働いていたキアーラシュ」
「あ……ああ、聞いたことがある。ラズワルド公が先生の疑いを晴らしたあの一件か」

 服を畳んでいたセリームも、手を止めて話に聞き入る。

「はい。ですが、そうだとすると、少々おかしなことが」

 アルサランが小首を傾げて微笑を浮かべる。その表情は美しいのだが、どこかぞっとさせるものがあった。

「キアーラシュは犯罪奴隷に落とされた筈だったな」

 犯罪奴隷というのは、簡単に言えば「酷使して殺す」もの。刑期は大体二年から四年だが、最低の二年ですら、生きながらえることができる者はいない。

「見たところ、顔以外は特に不自由もなさそうですし」
「途中で逃げ出したか」
「犯罪奴隷として現場につれて行かれてから逃げたのであれば良いのですが、途中で誰かと入れ替わったりしていたら、悲惨なことが起こったかも知れませんね」
「後者だとしたら、罪をなすりつけられた奴隷は悲惨の一言だが、もう十年近くも昔のことだ。そいつは生きてはいまい……だが、入れ替わったとして、どのような手段を遣った」

 あの事件は「庶民メフラーブが冤罪をかけられた」ではなく「神の子の養父メフラーブにあらぬ疑いを掛けた神の僕たちの」という大事で、処理にはかなり気が遣われた……筈であった。

「金を握らせたと考えるのが一般的でしょうな」
「金か」
「なにより、キアーラシュの顔は大分崩れていましたので」
「顔が崩れた?」
「ゴフラーブが怒ってキアーラシュの鼻と片耳を削ぎましたから。当然失血で死なぬよう、傷口を火で焼き止血しました」
「それはまた」
「鼻は紛い物を収めた罰、耳は店の信頼を失うような行動を取った罰。奴隷商の社会では、規則に則った行動です。没薬を盗んだ罪に関しては、役人に任せるとして、手首は切り落としませんでしたよ」

 キアーラシュはゴフラーブが邸で宅魔払香の没薬ミスラまでかすめ取っていたので鼻を削がれた。
 耳に関してはアルサランが語った通り。本来ならば両耳を削ぎ、聴覚を奪いたかったゴフラーブだが、この罪人キアーラシュは役人から事情を聞かれて答えるという義務があると、片耳だけで我慢した。

「顔は本当に焼かれていたのか。だが手首は切れてはいない……となると、早い段階で誰かに金を握らせて逃げたな」
「そのようですね。どうします?」

 ファルジャードは帰ってきた時とは打って変わって、不機嫌さは消え、落ち着き払い皮肉めいた笑みを浮かべた。

「人としては唾棄すべき存在だが、辣腕は認める。味方にするなどと考えると吐き気を催すが、現段階では敵に回すと厄介。しばらくは知らぬふりをする。アルサラン、気を付けろ」

 キアーラシュインドラとしては、正体をばらされたくはないので、それに繋がる者は排除したいと考え、行動に移すことが充分考えられる。

「畏まりました」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 大小様々な事件が起き、年が変わり ―― ファルジャードは二十二歳になった。

「サマルカンドが死んだ?」

 アッバースで石鹸で荒稼ぎし、サータヴァーハナ王国の彼方此方に火だねをまいていたファルジャードの元に、父であるサマルカンド諸侯王の訃報が届く。

「……」

 父親といっても、今までの人生で会って話したのは五回程度。優れた頭脳ゆえ姿形や声などは覚えているが、赤の他人と言って差し支えのない人物。
 感情としてはそう・・だが、血のつながりがもたらす地位がある。
 ファルジャード個人としては欲しくはない地位だが、この地位に就かねば、他の部族や身内に殺害されてしまう ―― まだまだやりたいことがあるファルジャードは、死ぬのはまっぴら御免であった。
 ファルジャードは潤沢な資金と、訓練された兵士たちを率いてサマルカンドへと帰還する。今回はセリームの強い希望もあり、彼をも伴った。

お父上さんサラミスに、母さんのこと頼んだぞって言われたんですけど」

 ハーフェズの父サラミスも、当然のことながら従った。

「インドラのこともあるから、ナスリーンのことはパルハームに依頼するとしよう」

 ファルジャードからインドラがキアーラシュで、過去を知られるのを嫌がっていると知らされたラズワルドは、アルサラン以外に彼の過去を知るもう一人、ナスリーンの身辺に注意を払う。

「ラズワルド公、どちらへ?」
「サマルカンドへ」

 ナスリーンの身の安全を図ることを命じられたパルハームは、何故そのような命令をなさるのですかと尋ねたところ、旅に出るのだと告げられた。そして行き先はサマルカンドだと。

「サマルカンド……ですか」
「ああ。フラーテスに精霊王を見せてやる」

 神の子だがペルセア王族でもあるフラーテス。彼が精霊王に嫌われている理由を、かつて神の子であったパルハームは知っている。

「お気を付けて」

 ただフラーテスが精霊王に会いたがっているかどうか?
 そこまでは分からなかったが、彼には止める力はない。

「心配すんな、パルハーム」

 ラズワルドは神殿を後にした。

 サマルカンド行きを決めたラズワルド。魔物を払う任を負っていた前回とは違い、ラズワルド専属の護衛部隊がいる。それも経験豊富 ―― と言いたいところだが、シャープールたちは魔物と戦うのが専門で、人と戦うのは専門ではない。むろん護衛ゆえ、人を殺めることはできるのだが、戦争となると少々勝手が違う。

「正直に申しまして、我らは力量が不足しております」

 サマルカンドへと向かうラズワルドを守る力が足りないと、シャープールは正直に告げた。
 シャープール隊というのは元は神の娘ファルナーズの護衛部隊。
 ファルナーズはラズワルドとは違い、王都と祖廟を行き来するだけの生活を送っていた神の娘。故に護衛部隊は、ほぼ安全と言ってよい道中を数ヶ月に一度往復するだけでよかった。
 もちろん鍛錬を積んではいるが、戦争が行われているような場所へと足を運んだことはない。

「わが部隊はジャファル卿の部隊には遠く及びませぬ」

 戦争大好きと公言し、主であるシアーマクと共に小競り合いどころか会戦にまで参加し、武功を上げているジャファルを隊長とする部隊が供をするのであれば、今回の目的地である「後継者争い」が起こることが確実なサマルカンドへと向かっても問題はないが、シャープールが率いる部隊はそうではなかった。
 ラズワルドがカスラーと共に旅をした時、彼らは初めて遠くサマルカンドまで旅をしたのだが、その際にアルダヴァーンのパルヴィズ部隊はもちろん、ファルロフのシェプセスカフ隊にも及ばなかった。
 それはシャープール以外の隊員たちも感じていたらしく、アッバースで鍛錬を積んだが、それが既に身になっているなどと楽観視するような者はいなかった。

「人との争いごとは苦手、ということだな?」

 シャープールは正しく気位の高い男ゆえ、出来ぬことを出来ると主に語るような厚顔なことはせず、己とその部隊の力量を正直に告げた。

「はい」
「よろしい。それに関しては手を打つ」

 ラズワルドは護衛部隊とは別に、戦争をもこなすことができる傭兵部隊を雇うことに決めた。

「戦争の専門家を雇って、護衛部隊が襲われたりしたらどうするんですか? ラズワルドさま」
「そうなったら、わたしが全員殺す。護衛部隊はわたしの大切な部下だからな」
「ラズワルドさまのことですから、容赦とかしないんでしょうねえ」
「わたしが容赦すると思うか? ハーフェズ」
「まさか。容赦するラズワルドさまなんて、ラズワルドさまじゃない」

 こうして異国の傭兵部隊を雇い、サマルカンドへと旅立った。