ハーフェズはサラミスに連れられ、高級な輸入品を扱う店にやってきていた。もちろん高級店に見合った格好をして。
「ハーフェズは、どちらがより高価だと思う」
並べられた
色が濃いほうが良いと聞いたことはあったハーフェズだが、並べられた二つの赤い石はどちらも同じように見えた。
分からないから仕方ないと、勘で左側を指さすと、
「当たりだ、ハーフェズ」
見事正解し、サラミスが満足げにハーフェズの頭を撫でる。
「それは良かったです」
「献納品の善し悪しを見極めるのも、側近の大事な役目。見極めができるようになるには、良い品を見て覚えるしかないからな」
「わざわざありがとう御座います」
―― シャープールさんに任せちゃえば、いいような気もしますけど……そういう事言っちゃ駄目ですよねー
父親がわざわざ時間を作って、こうして教えてくれていることに感謝の念しかないのだが ―― 微妙な感じになるのは、長年一緒に暮らしていなかった為である。
「次は真珠を見せてもらおうか」
「しんじゅー……」
父親に色々と教えてもらい、大きな良い真珠を数十個選び終えた頃には、ハーフェズは疲れ果てていた。
「ハーフェズ」
「はい……」
「ラズワルド公に、これらの品を献納したいのだ。取り計らってはくれないだろうか」
「…………はい。でもサラ……父上。ラズワルドさまには、きっと干し
ラズワルドをして「わたしよりもわたしのことを知っている」と言わしめた息子の言葉ゆえに、サラミスも全幅の信頼を寄せることができるが、
「ハーフェズが言うのだから、確かだろうが。さすがに献納品に干し
干し
「献納品とお土産です」
上質の服 ―― 薫絹国製の絹で仕立てられた純白のズボンに、襟と肩、袖口と裾に銀糸で刺繍を施した膝まである長い上着をはおり、腰には宝飾品としての価値が高い鞘に収められたシャムシールを佩き、青いターバンを巻いて、似たような格好をしていた父親サラミスに連れられていったハーフェズは、帰宅すると同時に、
「誰からのだ?」
「サラミスお父上さんが代表で、ファルジャードの部下になったネジドの皆さんからですよ。改宗のお礼だそうです」
ネジド公国で奉じられていた神はダマスカス王国と同じもので、ペルセア王国とは違う ―― この時代は人種に関しては大らかだが、宗教に関しては厳しい。
メルカルト神を信仰しているファルジャードの部下になった以上、彼らは改宗せねばならず ―― ラズワルドはそれを一手に引き受けた。
たしかに改宗したことが分かるよう、公衆の面前で改宗式を執り行った。
あたり一面を祈りで輝かせ、その輝きの中を歩かせる。メルカルトに改宗していないと光に触れると輝きが失せ、改宗を終えると彼らがいる場が更に輝くと、はっきりと見て取ることのできる改宗式。ネジドから来た者たちの改宗が終わったあと、その輝きに触りたいと人が殺到して大騒ぎにすらなった。
「ハーフェズも一緒に選んできたのか」
改宗式のことなど、すっかりと忘れていたラズワルドは、自分の手の平ほどもある
「はい。一見さんお断りな、高級輸入品を扱う店に行ってきました。店内の
高級な品を扱う店であれば、魔払香の香りは強く、さらに主成分である
ハーフェズは自分の洋服の匂いを嗅いでは「うわああ」といった表情を浮かべて顔を遠ざける。
ラズワルドとずっと一緒にいたハーフェズは、近くで焚かれたことがないため、魔物を寄せ付けないこの匂いが、どうしても慣れなかった。
「脱いで風呂入ってこい。服は絹製だからそうそう洗うわけにもいかないから、
「はーい。ラズワルドさま」
上着とズボンを脱ぎ捨てて走りさったハーフェズを見送ってから、ラズワルドはワーディを呼び、服を掛けて香を焚きしめる。
「これ、良い香りですよね。
「そうだ
「お香の香りのする服なんて、貴族さまみたいで」
「そう気にするな……でも、周りが香を焚きしめた服を着たやつらばかりだから、香りさせないほうがいいか」
手で風を送りながら二人はそんな話をし ―― サラミスから献納された宝石類は、ラズワルドにしては珍しく宝飾品に仕立てるよう命じ、完成した真珠と
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「どうなさいました? サラミスさま」
「ハスドルバル」
「ナスリーンさまが、心配なさっておりますよ」
買い物から戻ってきたサラミスの表情が優れないことに気付いたナスリーンは、サラミスの腹心であるハスドルバルにそのことを告げた。
ナスリーンが直接聞かなかったのは、サラミスがナスリーンに対してそのようなことを話すのを好まないためである。
サラミスにとってナスリーンは安らぎであって、不快や悩みを語る相手ではない。ナスリーンの顔を見て、穏やかな気持ちになり、世俗の柵を忘れて過ごす空間をもたらしてくれる。その唯一の存在。
「ああ、ナスリーンに心配を掛けたか。隠したつもりだったのだがな」
「ナスリーンさまは、サラミスさまのことをよく見ていらっしゃいますから」
「そうか……ハスドルバル、今日買い物にいった店の主から聞いたのだが、ダンジョール王子が奴隷を縊ったそうだ」
「ダンジョール王子は奴隷嫌い。いままで何十人と殺害しておりますが、店主がサラミスさまのお耳に入れたということは、特別な奴隷で?」
ダンジョールがもっとも嫌っているであろうシュールパラカの生母である女奴隷は既に死去していることもあり、言いながらハスドルバルには思い当たる節はなかった。
「身籠もった女奴隷。腹の子の父親はダンジョール王子」
「それは……」
奴隷嫌いであることを知っているハスドルバルも、言葉を失う。
「ファルジャード卿にも伝えねばな。お時間をいただけるかどうか、聞いてきてくれ」
「畏まりました……それにしても……」
ファルジャードは遣わしたハスドルバルと共に、サラミスの所へとやってきた。
「わざわざ足を運んでくださらなくとも」
主人を呼びつけた形になり、サラミスが詫びるが、ファルジャードは「気にする必要はない」と手で制し、ハスドルバルが上座に置いた青い絹のクッションに腰を降ろす。
少しばかり遅れてやってきたアルサラン。彼が持つ盆には葡萄酒が入った酒瓶と瑠璃色の杯、炒った木の実が盛られた陶器の器が載っていた。
「それで、サラミス卿。なにがあった」
「サータヴァーハナ王国のダンジョール王子について」
葡萄酒が注がれる音と共に、サラミスが語り始める ―― ダンジョールは元々貴族以外に対しての辺りが悪かった。特に奴隷には厳しく、ほとんど年の変わらない弟王子であるシュールパラカも「奴隷腹のくせに」と見下していた。
これらの態度は父王マツーラから諫められることはなく、そのままにされ、結果として年を追うごとに酷くなっていった。
シュールパラカのことがなくても、奴隷に対して冷酷な仕打ちをしていたダンジョール。まだ幼さが残る頃は、奴隷を殴る蹴るまた切るなどで苦しめていたが、成長して性暴力というものを覚えたダンジョールは、女奴隷を強姦するようになる。
「最近は処女の奴隷を好んで犯していたようで」
「酒が不味くなる話だな、サラミス卿」
「同感ですな、ファルジャード卿」
シーラーズから取り寄せた折角の銘酒の芳香すら、腐ったような匂いになる話だが、だからといって会話を止めるわけにもいかない。
「そのうちの一人が、ダンジョール王子の子を身籠もりました」
「それで」
「ダンジョール王子は、そのことに激怒し、母親ごと首を絞めて殺害しました。”奴隷のくせに王族の子を身籠もるとは何事だ”として」
「その女奴隷が勝手にダンジョールの子を身籠もったわけではないのに、怒り狂ったとな。ダンジョールには狂人の気でもあるのかな?」
「さあ。聞いたことは御座いませぬが。そのダンジョール王子の言い分で御座いますが”奴隷が産んだ子が王位を継ぐことはないので必要無い”とのことで」
ファルジャードは空になった杯を、アルサランのほうへと差し出し、酒を注がせる。不味い酒だが、酒精で少しくらい気を紛らわせていなければ、不快で聞きたくもないような醜悪な話でもあった。
アルサランが酒を注いだ杯を体の前へと移動させ、深いため息を吐き出してから、ファルジャードは無感情なまま話す。
「その考え、
「無駄、ですか」
「王位を継ぐことのない子に金をかけるよりならば、軍備や治水などに使ったほうが良い」
奴隷が産んだ子は王位を継承する権利が与えられないことも多いサータヴァーハナ王国では、生かし育てて余計な火だねを抱えるより殺害したほうが、よほど効率的である。
「そういう考えも御座いますな」
「だが人としては最低だ」
この時ファルジャードの中で「シュールパラカのほうが
「同意いたします。……ここからはわたしの勝手な想像で御座います」
「なんだ? サラミス卿」
「今回のこの事件は、さすがに外聞が悪く、下手をしたらマツーラ王の不興も買いかねませぬ。ペルセア王国まで噂が届いておりますので、ダンジョール王子自身もみ消すことは難しいでしょうし、これを掴んだシュールパラカ王子は噂を広めることでしょう」
シュールパラカを息子として可愛がっているマツーラ王 ―― それに対する不満が爆発したのであろうが、奴隷腹の息子を可愛がっている側がどう受け止めるか?
またダンジョールにとっては「身の程知らずの奴隷を罰した」のだが、マツーラ王にしてみれば「孫を殺害された」わけである。
「王の不興を買い、自身で噂を消せぬとしたら?」
「わが兄でダンジョールの舅たる、宰相ヤシュパルが何らかの手を打つことでしょう」
「そう考えるのが妥当か。サラミス卿はヤシュパルがどのような策を取るか、分かるか?」
「分かりませぬ……ではあまりに芸がありませぬので一つ。おそらく性暴力の相手を女奴隷から男奴隷に替えることを勧めるでしょう。男ならばどれほど犯しても、子は出来ませぬので」
「不幸な女奴隷や母子はいなくなるが、不幸な男奴隷が増えるというわけか」
「ええ。救いになるかどうかは分かりませぬが、強姦される男奴隷はサータヴァーハナ国内で調達されることになりますので、ペルセアの男児に被害が及ぶことはないでしょう」
「シュールパラカに似たような男児を用意する……ということか。待て、そうなると、下手をしたら男児ではなく、成人男性が犯されることになるのか」
王族というのは別々に育てられる。ましてや正妃の子と妾の子では、幼い頃に顔を合わせることはない。十歳を過ぎて成人してから顔を合わせるのが一般的で ―― ダンジョールとシュールパラカが直接顔を合わせたのは、十七歳を過ぎたころ。その時の印象が深く刻まれているとしたら、その辺りの年齢の青年がダンジョールの怒りのはけ口となる。
「かもしれませぬ」
「子はできぬかも知れぬが……男なのだから、そのようなことでくじけるなとでも言われるのだとしたら不憫だな。まあ、どうしてやることも出来ぬが」
「ただこれは、兄ヤシュパルとしても苦肉の策かと」
「苦肉の策? 何故だ」
「女奴隷相手に暴行を働いていたのならば、性欲は女性のみに向いておりますが、男を犯すとなると、ダンジョール王子が男に溺れ、后を蔑ろにする可能性が生まれます。そして后は兄の娘です。ペルセア王国の王弟エスファンデルも努力して妃との間に子を一人もうけましたが、正妻との間に子が一人というのは、王族としては少々問題かと」
人によりけりだが、女よりも男のほうが合うという者は少なからず存在する。
「まあ……確かにな。王位を継げる男児は五人くらいは必要だろうな。エスファンデル殿下でも子を作れたのだから、ダンジョールも」
「おそらく兄ヤシュパルもそのように考えることでしょう……そう上手く行けば良いのですが」
ファルジャードは空になった杯を食布の上に置き、
「最良は奴隷を強姦しないようにすることだ。そのことにダンジョール自身が気付けば良いだけのこと。そうなれば、王への道も開ける」
不幸な者がいなくなる案を提示する。
「そうですな」
サラミスも空になった杯を食布の上に置く ―― 最良の道というのは選ばれることは稀である。
残念ながらダンジョールの奴隷に対する暴行は、ファルジャードとサラミスの話し合い通りになった。
ダンジョールは父王マツーラから、妊娠させた女奴隷を殺害したことで叱責を受けた。
その際ダンジョールは”奴隷が王族の子を孕むなど、無礼にも程がある”と持論を展開し ―― マツーラ王は「自分の子を孕んだ女の首を手で締めて殺すなど、育て方を間違ったのか? それとも生まれつきの人間性が腐っているのか?」と彼を次の王にして良いものかどうかと真剣に悩み始める。
それに気付いた宰相ヤシュパルは、娘の夫がこれ以上王の不興を買わぬよう、そして敵に切り札を与えぬようにと ――
ダンジョールはヤシュパルから「強姦するのであれば男奴隷を」という提案を受けた。
最初は男を強姦するなど……と拒否したダンジョールだったが、奴隷を嬲らないという考えはなかった。
「今後女奴隷に手を出しますと、その女奴隷をシュールパラカ王子が保護しかねませぬ」
「あいつを王子などと呼ぶな! 汚らわしい!」
「お許しください、殿下。ですがわたしは臣下、マツーラ陛下が王子と定めた以上呼び捨てには出来ませぬ」
「……それで、あいつが女奴隷を保護するとは」
「殿下が犯した女を連れ去り、その女が産んだ子を”殿下の子”として旗印にし、王位を狙いかねませぬ」
「なっ! 本当にわたしの子かどうかも分からぬではないか! もしかしたら、妊娠しておらず、あいつの種かもしれぬのだぞ」
「残念ながら、シュールパラカ王子の子であっても”王子の子”である事実は揺らぎませぬ」
噂が広まり王にまで叱責された今”ダンジョールに強姦された女奴隷がシュールパラカの手に落ち、子供を出産する”ダンジョール側としては、これだけは避けなくてはならなかった。
「殿下が妊娠した女奴隷を殺害したという噂は消せませぬ。故にシュールパラカ王子に付け入る隙を与えるわけには行かないのです」
ダンジョールはヤシュパルが指摘した問題を理解し、強姦する奴隷を女から男へと替えた。