その後のアシュカーン

 魔王の僕マジュヌーンの奸計により、封印の贄となることになったアシュカーン。彼には何も知らされることはなく、着々と準備は進んでいった。
 まずは彼についていた警備の隊長が異動になった。これはごく普通のことなので、誰も疑問には思わなかった。引き継いだ隊長は、人格が卑しく、部下たちは前の隊長を懐かしむ。その懐かしんでいる部下の一人にバームダードがいた。

 ゴシュターブス四世の容態がますます悪化し、アルデシール王子は火傷により静養が必要と発表され ―― 王弟のエスファンデルが王太子に冊立され、それから数日後ゴシュターブス四世は死去した。
 アシュカーンは王都に呼び寄せられ、伯父の葬儀を執り行うよう父から命じられる。
 葬列に付き従ったのは大将軍、そして柩に乗ったのは魔を屠る能力を持つ神の息子で二番目に若いサーサーン。もっとも若いシャーローンは葬儀の仕方などはまだ分からないだろうということで、幼少より神殿に入っていたサーサーンが選ばれた。
 祖廟にいた神の子ホスローに出迎えられ、約二年前と同じ儀礼を執り行い、王都へと帰る。
 父親の即位とともに王太子に冊立され、そして初陣の運びとなった。何一つおかしなことのない王子の人生。
 相手は東の大国サータヴァーハナ王国。
 その初陣に向かう前、アシュカーンは北の下町へと足を伸ばしラズワルドの養父や「王子さま」に会いたがっていたスィミンと面会する。
 その後、アシュカーンは父王エスファンデルと共に出陣し、帰らぬ人となった。アシュカーンと最後まで一緒にいた、ウルク時代から仕えていた五名の兵士たちと乳兄弟は帰らぬとなる。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

『ハーフェズ、久しぶり
いや、お前宛に手紙書くなんて、俺らしくないのは分かってるんだけど
殿下がハーフェズに書いてみたらどうだって言ってくださったから
そうじゃなけりゃ、手紙なんて高価なもの、出せるわけがない
……で、まあこっちは元気だ
隊長が替わってちょっとやりづらくなったりもしているが
上官が替わるのは当たり前のことだから
慣れないといけないってことは分かっている
初めての上司変更で、勝手が分からないってこともあるんだろうな
ハーフェズはどうだ?
風の噂で両腕のない奴隷や、大柄な精霊使い
女性問題ばかり起こしている中年男性なんかが部下になったって聞いたぞ
噂だから違ったら、一通り笑って忘れてくれ』


【久しぶり、バームダード。手紙ありがとう
ラズワルドさまと一緒に読んだよ
ラズワルドさまは”わたしにも書いて送るように言え”とか言ってたけど
バームダードとしては出したくないだろうから
俺とのやり取りを読んでいただくで納得してもらった
不本意極まりないといった表情だったけどね!
上司が替わったのか
俺の上司というか上役はパルヴィズさまとかジャバードさまだから
替わったところで、顔見知りで一応十年来のお付き合いだから、なんら問題ないけど
知らない人だと大変だねえ
俺の部下の話だけれど、
両腕がない奴隷は右腕の半分ほどがないワーディさんという奴隷で
俺の部下じゃなくてラズワルドさまの奴隷だよ
大柄な精霊使いは、大柄だけどまだ精霊使いじゃないし
俺の部下じゃなくて、精霊使いになったら中将軍カスラーさんへ贈られる
いずれハーキムという名の精霊使いが
カスラーさんの配下に付くと思われるのでその際はよろしく
女性問題ばかり起こしている中年男性
……おそらくジャバードのことだろう
間違ってもファリド公のジャバードさまと一緒にしてはいけない
そして女性問題を起こしたかどうかは知らないけれど
男性同士の痴情のもつれが原因で飛ばされたそうだから
言葉にすると男性問題が正しいかな
ちなみに男性問題は大きいのを一回
噂って本当に当てにならないね
あ、ジャバードが部下ってのは正しい
ちなみにジャバード、俺の実父サラミスさんと同い年】


『お前が相変わらずで俺は嬉しいよ、ハーフェズ
噂話ってお前の言う通り、本当に当てにならないな
そして随分と年上の部下が出たんだな
父親と同い年って大変だろう
まあ、お前なら大丈夫か
実父と言えば、お前のお父上が仕えていたネジド公国が
とんでもないことになったな
あとこれも噂だが、お前のお父上がファルジャードに買われたとかなんだとか
ペルセア王国にやってきたのだとしたら
会える機会も増えていいな
手紙って書こうと思うと難しいもんだな
殿下が手紙を書くとき、すごい悩んでいる気持ちが分かった』


【あんまり真面目に考えるから難しくなるんだよ、バームダード
気軽に書けばいいのさ!
アシュカーン殿下にもそう伝えておいて
ラズワルドさまなんか気軽に、俺たちの手紙の倍以上の分量を
淀みなく一気に短時間で書き上げてるから
もっともラズワルドさまだから、まったく比較対象にならないんだけど
サラミスお父上さんですが、ファルジャードに買われたのは事実だよ
そしていまアッバースにいます
ラズワルドさまがお買いになった邸の隣に住んでます
隣の邸には、サラミスお父上さんと一緒に
ペルセア王国に渡った奴隷はたくさんいるんだ
そしてその奴隷の中には
サラミスお父上さんにずっと仕えている奴隷がけっこう大勢いてさ
その人たちが皆「ハーフェズ坊ちゃま」って呼ぶんだよ
十二歳にもなって坊ちゃま! って悶えてたら
もとファルナーズ公の護衛部隊を率いていたシャープールさんが
「諦めろ。俺などもう二十四だというのに、実家に帰ればシャープール坊ちゃまだ」って遠い目をしていた
更にハスドルバルおじさんの母上、この人サラミスお父上さんの乳母で
未だにサラミスお父上さんのことを
「チャンドラ坊ちゃま」と呼んでいるところに遭遇
三十半ばだというのに……諦めるしかないんだろうなあ
ちなみにサラミスお父上さんは、諦めているそうです
それとチャンドラはサラミスお父上さんが宰相家の息子だった頃の名前
そうだ! 偶に母さんとサラミスお父上さんと俺
三人で家族的に過ごしているのだけれど、
父親と会話したことがないので、話題が尽きかけというか
お父上との会話は、どのような話題が適切なのか、教えてくれバームダード】


『不敬だと判断したら、この手紙はラズワルド公に見せずに処分して欲しい
こんなことを俺如きが頼んでいいのか分からないが
ラズワルド公からの神書
これからも続けていただきたい
殿下の周囲には敵らしいものは見えないが
味方はいないとはっきり言える
ウセルカフさまや俺たちも殿下のことを支えるが
殿下の心の支えはラズワルド公なのだ
人間如きが過分な望みを口にしているのは分かる
だが……

忙しさで返事を書けないで済まないかった、ハーフェズ
お父上との話は、気軽に話せばいいのではないか
話題はなんだって喜んでくださるだろう
話をしたいと思ってくださるお父上がいるのならば
話したほうが良い』


【忙しい中、返事をありがとうバームダード
ラズワルドさまのお手紙が迷惑になっていなくて良かった
ラズワルドさま、本当に他愛のないことばかり書いているから
バームダードは内容に目を通していないだろうけれど
今回の手紙の内容は七割”鯖と香草ハーブの炊き込みご飯”に関して
だから、アシュカーン殿下が困ってないかって心配だったんだ
ウセルカフにも聞いたけど”そんなこと、在るはずもございませぬ”
としか返ってこなかったけど
バームダードもそう言うなら
気にせずこれからも送るよ
ただラズワルドさま、気分屋だから
いきなり手紙を書かなくなることがあるかも知れない
その時は、俺やバルディアーがラズワルドさまの日常を書いて送るから
それでなんとか頑張って欲しい
ちなみに今日はラズワルドさま
海老の水揚げ場所で”助けろ! ワーディ!”って叫んで、抱きついてた
まあラズワルドさまの気持ち分かるんだけどね
海老って見た目が虫みたい
でも調理するとかなり美味い
そのままの形で出てきて、ラズワルドさま困惑してたけど
一口食べたら、お気に召した
……でもこの話、いまは内緒にしておいて
書いている途中で思い出した
アシュカーン殿下も海老みたことなさそうだから
驚かせるんだ! って言ってたんで
落ち着いたらアッバースに来るといいよ
綺麗な薄紅色の邸で待ってるから】

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 アシュカーンたちは、ウルクより遙か東、サータヴァーハナ王国と領地に関し、頻繁に小競り合いをしている国境付近にやってきた。
 明日には戦端が開く ――
 アシュカーンは天幕で、ラズワルド宛ての手紙を認める。

「殿下。加密列カモミール茶をお持ちしました」

 薫絹国製陶の器に注がれた加密列《カモミール》茶。アシュカーンは手を止め器を手に取り、澄んだ黄色い茶から立ち上る湯気を吸い込んでから口にする。

「……どうした? ウセルカフ」

 温かな加密列カモミール茶を楽しんでいるアシュカーンを見ていたウセルカフが表情を崩す。

「殿下が温かいお茶を楽しまれる姿。二年前ならば想像もできなかったこと。このウセルカフ、感慨に耽っておりました」
 
 二年ほど前までは、温かいものを口にしたことすらなかったアシュカーン。

「公柱の御前であのような失態をしたことを、思い出させないでくれ、ウセルカフ」

 初めて温かい汁物を口にし、ラズワルドの前で吹き出したのは、アシュカーンにとって思い出したくない ―― さりとてあの日の出来事を忘れることなどできない。

「申し訳御座いませぬ」
「……この加密列カモミール茶に、なにをお返しすべきだろうな」
「ハーフェズとバルディアーに手紙を送りました。なにか良き品を教えてくれる筈です」

 いまアシュカーンが飲んでいる加密列カモミール茶は、ラズワルドから送られたものである。
 茶の淹れ方を紙に記し、必要な陶器類も一緒に送られてきた。

「……」
「どうなさいました? 殿下」
「明日、わたしはしっかりと戦えるのだろうか」
「殿下」

 器を持つアシュカーンの手が震えた。

 翌日、予定通りにサータヴァーハナ王国との戦いの火ぶたが切って落とされ ―― アシュカーンに付けられた百の騎兵とはぐれ、護衛隊の新しい隊長ともはぐれ、いま彼の側にいるのは、ウルクに居た頃から付いてきてくれた若い兵士五名と、乳兄弟のウセルカフだけ。
 彼らは孤立し ―― 敵の一団が彼らを見つけて迫ってきた。
 敵の騎兵はサータヴァーハナ王国の旗を掲げている。

「ウセルカフさま! 逃げます」
「逃げると言っても、この先はサータヴァーハナ王国だぞ」
「早く! あいつ等は、サータヴァーハナの兵士ではありません!」

 バームダードの言葉に全員驚いたが、すぐにサータヴァーハナ王国方面へ馬を走らせる。

「どういう事だ、バームダード」
「サータヴァーハナ王国の騎兵旗を掲げていながら、左利きなんてありえないんです! あの国は左利きはいないんです! 左手は不浄なもの故に、利き手にしてはならないのです! 傭兵ならまだしも、王国の旗を掲げた騎士兵に、左利きなんて存在するはずがないんです!」

 日の光に反射する剣の鞘。数名が右の腰に剣を佩いているのを見たバームダードは、敵が偽物であることをすぐに見抜いた。

「なっ!」
「存在しないんです! 昔近所に一時期だけ住んでいたサータヴァーハナ人、絶対ラズワルドさまを左手で触るようなことは致しませんでした!」

 ”大将取ったぞ!”と、木の棒を捨てて、右手で抱えて叫びながら走って逃げるジャラウカ。左手で抱えれば、木の棒を捨てなくてもいいのでは? という子どもたちの問いに「左手は使ってはならぬ。神聖なる神の子を左手で抱えるなど出来ぬ」と神妙に答えた生粋のサータヴァーハナ人。

 矢が射かけられ ―― 首を射られたウセルカフが落馬した。

「ウセルカフ!」
「殿下。戻ってはいけませ……」

 落馬した乳兄弟を救おうと馬首を返るアシュカーン。
 誤射でアシュカーンを殺すわけにはいかないので、彼らの手が止まる。

「敵の狙いはわたしだ。皆、逃げよ」
「殿下!」
「早く!」

 バームダードたちは逃げることなく、追いついたサータヴァーハナの騎士を偽装した一団と戦い殺害され、アシュカーンだけが連れ去られる。

 戦いそのものはペルセア王国が勝利した。

 アシュカーンの戦死が判明したのは、戦いが終わり一週間ほど過ぎてから。彼の首だけが見つかった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 アシュカーンは捕まった六日後、所々松明で照らされている洞窟に連れて来られた。口には猿ぐつわを噛まされ、水しか与えられず暴れるような体力は残っていない。
 仄暗い洞窟に、白骨が転がっているのが見え、更に体から力が抜けてゆく。

「今度は間違いないな」

 洞窟内に響く声に聞き覚えがあった。
 祭壇に置かれたアシュカーンが見たのは、大剣を握るエスファンデル三世・・

「お前はなにも知る必要はない」

 アシュカーンは仰向けのまま、祭壇から首がでるよう押さえつけられる。
 高く掲げられたエスファンデルの剣が目に飛び込んできた。
 理由は知らぬが殺されるのだと理解したアシュカーンの瞳から涙が溢れる。エスファンデルは死を恐れる柔弱者のそれだと解釈したが、実際は違った。
 アシュカーンは心から詫びていた。ウセルカフに。バームダードに。ジアーに。ボルズーに。アミルに。ホルモズに。自分が彼らから離れていたら、きっと殺されなくて済んだ筈だと。

―― 御免ね、みんな。本当に御免……もう一度お会いしたかったラズワル……

 アシュカーンの首は王都へと帰り、最後まで彼に従っていた者たちは遺髪すら帰ってくることはなかった。
 ペルセア王国に仮初めながら平和が戻る。護衛隊長は責任を取らされ処刑された。