ラズワルドとハーフェズ、奴隷の意見を聞く

 ファルジャードと共にアッバースへとやってきたネジド公国の民はおよそ五百人。その中でもっとも地位が高く、彼らをまとめているのがサラミス。
 五百人はファルジャードの邸に住むことになり、彼らは荷を解き、家の整理を開始した。そんな慌ただしく動く彼らとは反対に、かつてこの邸を建てた者が盛大な宴を開いていたであろう贅をこらした大広間で、隣のラズワルド宅から運ばれてきたクッションに腰を降ろしている者たちがいた。
 主人が座る高い位置に、ラズワルドとファリド。そのすぐ近くに邸の主ファルジャードと顔の右半分を青い布で覆っている、目つきの鋭い男。

―― あの位置にいるのだから、相当偉い人なのだろう

 クッションを運んできたハーキムは顔の半分を青い布で覆っている目つきの鋭い男が何者なのか? 主人であるラズワルド同様知らない。一応はアッバースまで一緒に旅をしてきたが、話し掛けられる雰囲気ではないし、本人の態度や、周囲の態度から貴人であることは分かったので、近づかなかった。

「よーし。みんな座ったな」

 ハーキムや同じくクッションを運んでいたワーディ、飲み物と軽食を用意したラヒムなどが下がると、ファルジャードはサラミスたちがペルセアにやって来た事情を説明した。
 ファルジャードの語るところによると、ネジド公国の大公キヴァンジュが死去し、取り決め通りユィルマズが跡を継ぎ、予てより・・・・計画を立てていた奴隷解放と奴隷廃止の両方を実行に移す。
 ユィルマズは解放した奴隷たち全てに、国庫を使い教育を施すとも宣言した。

「こうして、ネジド公国は奴隷が一人も居ない国になりました」

 柔和な顔だちに微笑みを浮かべているが、内心がそうでないことははっきりとしていた。ただし何を考えているかは、やはりその表情から探ることはできない。

 無論、反対意見が多数を占めていたのだがユィルマズは引かず。
 自分の理想のために働いてくれる者たちだけで周りを固め、アサドの説得にも耳を貸さない。
 そうしている間にも奴隷廃止が宣言され ―― 軍人奴隷であるサラミスは、ユィルマズより貴族として迎え入れると言われたのだが、正直なところ奴隷廃止を宣言したネジド公国に列強が黙っている筈はなく、公国は未来は風前の灯火。国の滅亡と共に人生を終える ―― 前の大公キヴァンジュに世話になったサラミスは、当初そのように考えて、ナスリーンをラズワルドの元へと返そうと、その手配を整えている最中、噂を聞いたファルジャードがネジド公国を訪れた。
 アルサランを連れてきたのは、ラズワルドの手紙から彼らが顔見知りだと知っていたためである。その伝手アルサランを使いサラミスと会い、ナスリーンとも面会を果たす。
 ファルジャードはサラミス、さらにはアサドを説得し、解放されることを望まない奴隷たちを引き取り、ペルセア王国へと戻ってきたのだ。
 ファルジャードが説得したアサドだが、故国の延命を図るために国に残っていた ―― ファルジャードはアサドをそれほど真剣には説得はしなかった。
 むろんファルジャードとしては、治世の経験が豊富なアサドは欲しい。だが彼がこのような状態の国を易々と捨てるような男ではないことも、分かっていた。―― 無論諦めてはいない。
 いずれ列強により滅ぼされるであろうネジド公国。滅ぼすのはペルセアで、アサドを生かして捕らえ部下にする。その際に民もある程度助け、住める場所を提供する。その場所はネジドよりはるか北のサマルカンド。その地で生きていくためには、優秀な行政官が必要となり、それは国を滅ぼす原因を作った一族の男アサドが、贖罪として果たすべき役割である ―― ファルジャードが描いた未来図の一つである。
 ネジドの民が住める場所を提供するためには、ファルジャードはサマルカンド諸侯王にならなくてはならない。ファルジャードに諸侯王になってもらわねば、ネジドの民は散り散りになる。
 先代大公に恩のあるサラミスは、大公一族最後の一人になるであろうアサドを救いたいと考え ―― 彼らが住める地を手に入れなくてはならない。

「……という訳だ」
「要約すると、ネジドの奴隷廃止に乗じて、部下を手に入れたというわけですね、ファルジャード」

 ファルジャードにとって、奴隷廃止も解放は、好条件で信頼できる武力を手に入れる好機であっただけで、ユィルマズの思想もネジドの未来も知ったことではない。

「そういうことだ、ハーフェズ。サラミス殿以下、ネジドの先代に恩ある者たちとしては、ユィルマズは無理だが、アサド殿だけは助けたいと考えている。国の体裁を持つのは不可能だが、アサド殿を長とし一部族として生き残る道を提示した」
「土地の提供を約束するけれど、まだ提供はできないから、提供できるよう手伝えと」
「そうだな。俺以外サマルカンドでは、誰も受け入れないであろう。まあアサド殿たちネジドの民に与える土地は、奴らから奪った土地になるのだから、精々派手に俺に襲い掛かって欲しいものだ」
「ダリュシュさんの一族が、恭順の姿勢を示したらどうするんですか?」
「恭順するならば、その証として土地を差し出せと命じるが」
「部族抗争一直線ですよね、それ」
「まあな」

 ファルジャードが連れ帰ってきた奴隷、おおよそ五百人のうち、三百人は軍人。サラミスを含むこの三百人が、のちのちファルジャード軍の中核となる。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ペルセア湾を挟んだ向こう側 ―― 陸路でも行くことができるが、とにかく少し離れた国で起こった奴隷解放、そして廃止に関し、ファルジャードは意見を求めた。

「まずは、俺から自己紹介をしよう。俺の名はファルジャード。数年前、サマルカンド諸侯王の息子だということが判明するまでは、貧乏学生をしていた。現在は降って湧いた地位のおかげで、命の危険に晒される日々を送っている。では本題である卿らの意見を聞かせてもらおうか」

 意見を求められているのは、ワーディとハーキムそしてラヒム。
 部屋には他に、アルデシールやサラミス、ラズワルドやファリドたちもいた。

―― 意見なんてあるはずないだろう……

 神の子と貴人の視線を浴び、ハーキムは奴隷に無茶を言ってくるファルジャードの方を見た。

「ワーディの左側に座っている、金髪で青い目の男、名はハーキムだと聞いたが、間違いはないか?」
「はい」
「まずはお前の意見を聞かせてくれ」
「……」
「難しいことを言ってくれというわけではない。奴隷として、先ほどの話を聞いてどう思うかを教えて欲しい」

 心底「どうしろと」とハーキムは思ったが、意見を言わないで済みそうな雰囲気でもなかったので、自分の正直な気持ちを訥々と語る。

「俺は五年ほど前までは自由民でした。五年前にどうしても金が必要になり、自由民の身分を売って奴隷になりました。自由民が纏まった金を手に入れるには、身分を売るしかありません。だから、身分が売れなくなったら困るな……思います」

 ハーキムは十三歳。五年前、八歳の時に養母が病に倒れ、その治療費を手に入れるために自分を売った。養母はその金で治療をうけて快復した。
 養母はハーキムを買い戻したいと願ったが、金が用意できず ―― いままで育ててくれた感謝を述べて、自分で自分の身分を買い戻すので気にしないでくれと告げ、ハーキムは奴隷として生きてきた。

「自由民の資産など、ごく僅かだから、当然そうなるだろう。それはそうと、ハーキム。給与の前借りとかは出来なかったのか? お前なら、真面目に働きそうだから、雇い主も貸してくれそうなものだが」

 ある程度の年数真面目に働いていれば、雇い主が少しは融通してくれる ――

「ファルジャード……さま。俺は……その、見た目よりも子どもでして。五年前はまだ、ほとんど働いていないといいますか……」

 近所の店で荷物を運ぶのを手伝い、商品を数個もらうようなことはしていたが、まだ働いてはいなかった。

「お前幾つだ? ハーキム」
「十三です……」

 このやり取りには慣れている ―― ハーキムは非常に大柄で、体格は二十代と言っても差し支えなく、落ち着いている性格が関係しているのか、顔つきも子どもっぽさがなく、しっかりとしているので、初対面の人は大体二十を超えていると判断してしまう。
 ラズワルドも初めてハーキムを見た時「若い男と指定したのだが……二十くらいでもでも若いか……ええ! 十三? 一歳しか違わない? えー!」目の前の大男が、自分と一歳しか違わないなどとは思わなかった。
 だがこの体格の良さが、ラズワルドの購入の決め手となった。丈夫というのは、それだけで才能である。十三歳で成人男性ほどの体格を所持しているハーキムは、軍隊でもやっていけるだろうと ――

「驚いた……本当にか?」

 声は出さなかったが、アルデシールも二十歳の自分と大差ない体格のハーキムに、驚愕の視線を向ける。

―― 早く三十歳くらいになりたいものだ

 実年齢と体格が合致する年になりたいと、ハーキムは常々思っているが、こればかりはどうにもならない。

「本当かと。自由民だった八年間、生まれた町に居ました。養母も近所に住んでいましたし、周り近所の人もみな顔見知りでしたから」

 物心つくか付かないかのうちに捨てられたバルディアーのように、年齢があやふやということはハーキムにはない。

「そうか……十三な」

 大体のことは驚かずやり過ごせる自信があったファルジャードだが、十三歳の金髪の偉丈夫には、さすがにそう・・はいかなかった。

「よろしいでしょうか、ファルジャードさま」
「ああ。じゃあ次ぎはワーディ」

 体の厚みはハーキムの半分程度しかない、殴ったらすぐに倒れそうなワーディは、自分が意見を求められるとは思っておらず、声を掛けられてもすぐには理解できなかった。
 自分は片腕がない根っからの無学な奴隷ですからと訴えるが、関係ないと言われ ――

「正直に言いますと、よく分かりません。そして恐いです……」

 なんとか気持ちを言葉にして語った。
 ワーディとしては”あんまりな意見だ”とは思ったが、それ以上どうにも言葉を紡ぐことはできず。ただ周囲の人たちは、笑うようなこともせず ―― むしろサラミスはワーディの意見を聞き、額に手をあて、今まで以上に難しい表情を浮かべたほど。

「それも重要な意見だ、ワーディ。じゃあ最後に、ラヒム」

 緊張感から解放されたワーディの隣のラヒムは、

「まず始めに聞くが、何を言ってもいいのか?」

 一体なにを言うつもりなのだろうか? といった、許可を求めた。

「構わんよ。ユィルマズ大公を馬鹿にしても構わんし、ネジド公国を嘲笑ってもいい。なんならペルセア王国に唾はきかけても問題はない。まあ、メルカルトを罵るのはさすがに」

 ファルジャードも、王子や重鎮がいようが気にせず話せと促す。更に、

「罵っても構わんぞ。なあ、ファリド」
「まあ、理由があるのでしたら」

 神の子もその非礼を許すと告げた。

「神にはなんら不満はありません。ラズワルド公、良くしてくださいますから。で、さっきの奴隷解放についての話だが、奴隷に教育を施してどうするつもりなんだ?」
「仕事を与えるそうだ」
「そもそも教育とは、なんのことだ?」
「読み書きのことだ」
「では元奴隷たちに、読み書きに関する仕事を与えるのか?」
「教えるからには、そのつもりなのだろう。そこまで詳しいことは、言っていない……そうでしたな? サラミス殿」

 ファルジャードの言葉にサラミスがしっかりと頷く。

「俺が知る限りでは、下町ではそんなに読み書きが必要な仕事はない。どこでその技能を生かさせるつもりなんだ? 全員王宮で雇うのか? それとも貴族が雇ってくれるのか?」

 この時代は根本的に識字率が低く、ペルセア王国のみならず、どの国でも一割に満たない。身分階級別に統計を取ればまた変わるが、とにかく全人口で読み書きが、完璧にできるのは一割もいない。
 故にほとんどの者は、自分の名前と必要な単語を少し覚えているだけで雇われ仕事をし、日々の糧を得ている。雇い主とて完璧な読み書きが出来る者は少ない。
 このような社会構造ゆえ、奴隷に教育を施したところで、それに見合った仕事はほとんどない。
 そもそもこの時代、読み書きは特殊技能であり、雇うとなるとそれなりの金が必要である。

「雇用先まで考えているようではなかった。単純に教育させれば、未来が開ける……といった話しぶりだった」
「そこのサラミスさんってのは、ハーフェズの父親なんだろ?」
「そうだ」
「聞いた話じゃ、名家の生まれで優秀で、軍人奴隷になって出世した……で、間違いないよな」
「そうだ。あまりに優秀で、実兄と家督を争うはめになりそうだったので、故国を出た」

 ファルジャードの説明にサラミスは動じなかったが、ハーフェズは恥ずかしそうにラズワルドのクッションに顔を押しつける。

「ユィルマズの側にいた奴隷ってのは、みんなサラミスさんのような賢い奴隷ばかりだったから、他の奴隷にも夢見ちまったんじゃないのか。教育された奴隷が全員サラミスさんみたいになれたら、そりゃあネジドの勝ちだろうが、実際はそうじゃないだろ。俺は男性器を切られた所謂宦官ハーディムだったから、行き先は神殿か後宮か男娼かしかない。男娼にはなりたくないから、神殿か後宮にいけるよう、みな必死に勉強するんだが、どうしても伸びないやつはいた。真面目で必死に勉強していたが、まったく駄目だった。結局そいつは男娼として売られた。人間は同じ教育を施したところで、同じ成果が出るわけではない。ユィルマズの側にいる奴隷は、みな成果を出した奴隷であって、成果が出せなかった奴隷はうち捨てられている。俺がなにを言いたいかというと、奴隷で知識人としてモノになる奴なんざあ五十人中一人いれば良い方で、文字を覚えたところで、市井じゃあ必要とされていないから、使いモンにならねえよということだ」

 ユィルマズは優れた奴隷に囲まれた結果、全ての奴隷の可能性を信じているが、現実はそうではない。

「ほぼ同意見だ、ラヒム」
「賢いで有名なファルジャードさんと同意見とは嬉しいもんだな」
先生メフラーブが言っていた。俺に会った後でなければ、お前の賢さに目を見張っただろうと」
「お前のほうが、才能は上だってことだな」
「俺は料理下手なんでな。せめてそのくらいは、勝ちたい」
「なるほど……まあ、意見は他にもあるが、俺はラズワルド公の夕食の支度をしなくてはならないから、帰らせてもらう。ワーディとハーキムにも手伝わせるから、連れていっていいか?」
「いいぞ。三人とも、ありがとう」

 ラヒムは薔薇水の入った杯を空にして、退出の挨拶をするわけでもなく、神の子に堂々と背を向けて部屋を出て行った。
 ワーディとハーキムは気遣い、背を向けることなく後ろ向きであったが。
 波の音だけが聞こえる室内で、再びファルジャードが話し始める。

「ラヒムは特異な奴隷、ハーキムは元自由民で現奴隷。ワーディは生まれつき奴隷。三者三様の良い意見でした。殿下などは、思いもよらなかったでしょう」

 話をふられたアルデシールは、様々な考えが入り交じった、複雑なため息を吐き出した。

「軍人奴隷ではない、普通の奴隷が己の意見を持っているということ自体、驚きであった」
「それが普通かと」
「出来の良い奴隷だけが、俺の近くにいることは分かっていたが……あの腕のない奴隷の”分からない”という意見。おそらくユィルマズは、あの奴隷と似たような立場の者に教育を施そうとしているのだろうが……」

 ユィルマズは教育を施せばみなラヒムのようになると信じているので、廃止を断行したのだが、現実はそんなに簡単なものではない。