ラズワルド、父親孝行をする

 調理台の全面を使用し練り上げた生地を焼き、そのあまりの数に「どうしよう」となったラズワルドだが、思っていたよりも簡単に事態は収拾がついた。
 まずは神の子たちが、妹の手作りに舌鼓を打つ。

「ファリドが拗ねるかもしれませんね、アルダヴァーン」
「本当だな、ファルロフ」
「美味しいですよ、ラズワルド」
「そいつは良かったファルナーズ。そしてなんでファリドが拗ねるんだ? ファルロフ」
「それはファリドがラズワルドのことが大好きだからですよ。ああ、精霊王も拗ねるかもしれませんね」
「精霊王は拗ねるというよりは……厄介ですから、一枚残しておいてあげましょう。欲しかったら取りに来るでしょう」

 そして神の子の側近たちにも配られ、羊肉の塊を調理しなおしたセリーム、ファルジャードも喜んで受け取った。

「たしかに、マリートの味だな」

 下宿でマリートの料理をよく食べていたファルジャードが、味がほぼ同じだと感心しながらタフタンをちぎり口へと運ぶ。

「味はうまく再現できたんです……量が」

 ハーフェズはまだ積み上がっているタフタンを前に、マリートの妙技を思い出していた。マリートは「タフタン三枚作りますね」と言い、袋に両手を入れてを穀粉を掬い台に置き、ラズワルドもしたように土手を作り、中心に乳汁、ヨーグルト、卵を手際よく加え、ささっと練り上げ同じ大きさのタフタンを三枚だけ作ることができる。
 五枚だろうが十枚だろうが ―― 穀粉をすくい上げる回数が増え、卵やヨーグルト、乳汁の量も増えるが、三枚の時と同じく全て大きさと厚みで、生地を残すこともなく焼き上げる。
 どんな料理でも、人数分をしっかり作る。もちろん味は申し分ない。

「料理技術を見込んでゴフラーブが直々に買い付けたくらいだからな。ゴフラーブは、はっきりとした値段は言わなかったが、あいつが”高額だった”って言うくらいだ。大金貨数十枚越えなのは確かだろうなあ」
「凄いですよね、マリートおばさん」

 そんなマリートの味を再現した積み上がっていたタフタンだが、カスラーとバーミーンの部隊に消費してもらうことになった。
 受け取りにきたカスラーやバーミーンに、粉まみれのまま手渡すと、彼らは驚き「本当によろしいのですか」と ―― 消費してもらわなければ困るラズワルドとしては、よろしいもなにもない。
 彼らは連れてきた部下に、神の子手ずから作ったタフタンゆえ、丁重に扱うよう指示を出し ――

「というか、バーミーンいたのか! 久しぶりだな、バーミーン」

 バーミーンがアルデシールの供を務めサマルカンドに来たことを知らなかったラズワルドは、思わぬ再会を喜んだ。

「勿体ない御言葉にございます、公柱。まさかこのわたしめを、覚えていて下さるとは」
「忘れるわけないじゃないか。元気そうでなによりだ、バーミーン」
「はい。これも主神に祈ってくださる、神の子のおかげに御座いまする」

 最近、ワーディを連れ出しては菓子や料理を与えているラズワルド。そんな神の子の祈りは専ら「ワーディの腹の調子が悪くなりませんように」であった。

「……おう! バーミーンとその部隊のことも祈っておくな!」

―― とってつけた感が酷いです、ラズワルドさま。そして喜ばれるバーミーン卿……まあラズワルドさま、神の子ですからね

 カスラーやバーミーンの部下にタフタンを渡していたハーフェズは、ラズワルドに対しそう思ったが、無論何も言わなかった。ただバーミーンに関しては、部下に雑談まじりに尋ねる。

「バーミーン卿って噂では、厳しい御方だって聞いたんですけど」

 タフタンを布で包んでいた部下たちは顔を上げ、

「厳しい御方ですよ」

 ”そういう所も嫌いではありません”と雄弁に物語る良い笑顔で、ハーフェズの問いに同意した。
 実は祖廟で過ごしたあとハーフェズは、なにかと気を配ってくれたバーミーンがどんな人なのか? その頃はまだ王都にいた幼馴染みのバームダードに尋ねた。
 聞かれたバームダードは「騎士見習いの俺が知ってるはずないだろう」と ―― 隊で言われている一般的なことを教えてくれた。
 その際、厳しいとハーフェズは聞いたのだが、

「祖廟でお会いした時も、今もそんなに厳しい感じがしないので、噂だけかと思いました。ラズワルドさまの前だからですからね?」

 ラズワルドの御前で頭を下げている彼の気配は、誰が見ても優しいものであった。

「それはもちろん。バーミーンさまは信心深い御方ですからね」
「そうなんですか。カスラーさんやアルサケスの城にいたナヴィドさんも信心深いって聞きましたけど」
「国軍の将はすべて神に忠実で御座いますよ、ハーフェズ卿」

 タフタンを包み終えたバーミーンの部下はそう言い、深々と頭を下げた。

「ラズワルドさまに、そうお伝えしておきますね」

 みんなで練って作った大量のタフタンは、ラズワルドの心配を余所に、その日のうちになくなった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「サマルカンドの駐屯地宿舎で、御主とこうして酒を飲むことになるとはな」

 侯都外れのペルセア王国軍駐屯地の宿舎一室で、カスラーはファルジャードと葡萄酒を酌み交わしていた。

「人生なにがあるか分からんもんだ。しみじみそう思うよカスラー卿」

 夜光杯になみなみと注がれた葡萄酒に口を付けながら、ファルジャードは答えた。三年前までファルジャードは頭脳明晰な自由民で、いずれは薫絹国へと赴き彼の地の学問を修め帰国し帰国し、学問の道を究める男になる筈だったのだが、いまは次のサマルカンド諸侯王として策を練り、身の安全を図ることに腐心する日々を送っている。

「それで、サマルカンドの視察は終わったのかな、ファルジャード卿」
「ああ、敵の判別は終わった。あとは敵を排除し、権勢を維持するために必要な部下を手に入れる」

 ファルジャードがサマルカンドにやってきた理由は、自分を排除しようとしている者たちを見極めるため。
 貧乏学術院生だったファルジャードには、人を使って情報を集めるようなことはできなかった。
 むろん諸侯王の息子となり金は自由に使えるようになったので、人を使うことはできたが、情報を伝えてくる人間が信じられるかとなると違う。ファルジャードは自らサマルカンドに赴き、危険と隣り合わせで情報を集めた。敵となる人だけではなく、地形や気候、そして何処にどの程度人が住んでいるかなど、確かめられるもの全てを頭にたたき込んだ。

「部下のあてはあるのか?」

 必要な情報は全て集まったので、今度は自ら赴き部下を捜す ―― 数年後には数十万の軍を一声で動かすようになる男だが、この頃は部下は一人もいなかった。

「ないな。どこかに優秀で裏切らない部下は売っていないものかな」
「それはなかなかに難しいな」

 カスラーの杯が空になったのに気付いたファルジャードは、酒瓶を手に取り注ぐ。

「そうだ、カスラー卿。大将軍就任おめでとう」

 杯に口を付けていたカスラーの動きが止まり、ゆっくりとファルジャードのほうを見る。

「ファルジャード卿……」
「確定であろう? マーザンダーラーンの次か? あの御仁は、まだまだ元気そうだから簡単には大将軍の地位を退かないではあろうが、次が御主なのは心強いな」
「生きていれば、の話だがな」

 カスラーの大将軍就任だが、原因はラズワルドにある。
 適任者が数名いた場合、神の子の随員を務めたことのある国軍の中将軍が就くのが慣わし。通常国軍の将が神の子の護衛に就けるのは、国王の葬儀の時のみ。
 実際現大将軍マーザンダーラーンは、ファリドが柩に乗った、二代前の国王の葬儀に随行していた。
 故に順当に行けば、バーミーンが大将軍の地位に就くはずだったのだが、今回の異常事態で、カスラーがラズワルドの供を務めた。これによりカスラーがバーミーンの次の大将軍に浮上したのだ。カスラーが王家の秘密が語られる席に並べられたのは、将来の大将軍候補ゆえのことである。

 だがカスラーはラズワルドのニネヴェ行きにも同行することになり ―― 往復の随行を務めることになったため、次の大将軍は確定となった。

 ラズワルドは俗世の人事には何ら興味がないので”慣わし”などは知らないが、アルダヴァーンやファルロフ、そしてフラーテスは重々理解していた。
 そこでまずはファルナーズ付きのシャープール隊を付けてはどうか? という案が出た。ファルナーズはアルダヴァーンたちと共に王都に戻るということ、シャープール隊は神の娘の護衛に慣れているという理由から。
 適任と言われたシャープール自身、そうは思った。自分の身の回りの世話をするものとして、ファルナーズがフェルハトを選ばなければ、なんの憂いもなく頷くことができた。
 神の子が決めた案ゆえ、シャープールにはどうすることもできなかったが、その案は採用されなかった。神の子の案を覆したのは、やはり神の子であった。
 シャープール隊を付けると言われたラズワルドは拒否した。理由は、

「シャープール隊は、ファルナーズのことが心配だろうから」

 神の娘に仕え慣れているからというアルダヴァーンの説得も、

「余計だめだろ。他が全員神の息子付き部隊だになるんだから」

 ファルナーズが不自由になるから嫌だと言い張り ―― アルダヴァーンはもっとも信頼しているパルヴィズを付けようとしたのだが、

「パルヴィズがついていないアルダヴァーンとか、不安で仕方ない」

 神の娘ラズワルドの評価が高いパルヴィズを、アルダヴァーンから引き離すなど心配だから駄目だと言い切った。

「心配ですか」
「心配だよ。パルヴィズが側にいないアルダヴァーンとか、ファリドが側にいないジャバード並に駄目だろ」
「さすがに、そこまで酷くはないと……思いたいのですが」

 それを近くで聞いていたフラーテスは、噎せる程笑った。

「アルダヴァーンや、仕方あるまいて」

 そこでバーミーンかカスラー、どちらかを借りることにしたのだが、バーミーンは古代の粘土板は読めず、カスラーはそちらにも通じているということで、行きと同じく帰りもカスラーが随行することとなり、彼の次期大将軍の座が確定した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 サマルカンドの生活を満喫していたラズワルドだが、ペルセア王国歴三二三年一月の終わりは帰国の途に就くことになった。

「では一足先に帰りますから」

 ラズワルドはハーフェズとバルディアーを連れ、馬に乗って一行の見送りにやってきた。格好は珍しく神官服ではなく、濃い紫地に細部に至るまで錦糸で幾何学模様が刺繍されている絹のガウンに、刺繍が施された高さのある帽子と青色のベールを被り、染め上げた闇の如き黒の乗馬ズボンと、一目で貴種であることが分かる着衣。

「ファルジャードとセリームのこと頼むな! アルダヴァーン」

 アルダヴァーンたちはアルデシール王子と共に王都に帰る。その一行にファルジャードとセリームも混ざっていた。

「ええ、任されましたよ、ラズワルド」
「じゃあ、王都でな、ファルジャード、セリーム」
「はい、ラズワルド公」

 ラズワルドは周囲を見回し、バーミーンがいることに気付き、馬で近づき声を掛ける。

「バーミーンも帰るのか」
「はい」
「気を付けてな」
「ありがとう御座います、ラズワルド公柱」

 帰途に突く一行の馬が走り出す。騎馬民族の軍隊の行進は早く、ラズワルドはそれを追うようにして馬をあやつるが、すぐに距離が開く。

「早いなあ」
「それはそうですよ、ラズワルドさま。国の精鋭ですから」

 ラズワルドはゆっくりと馬の足を止める。振り返ったバーミーンは、地平線を背に騎乗しているを見た。
 深藍の長い髪、顔の半分を覆い隠す青と、そこに金で描かれている文様。神聖の証により人間にはラズワルドの顔だちは分からないのだが、バーミーンにはどうしても瓜二つシェヘラザードにしか見えなかった。
 手綱を握っているバーミーンの手から僅かに力が抜け ―― 徐々に小さくなってゆく領地の麗しき娘シェヘラザード
 三十年以上も昔に見たのと同じ光景に、こみ上げてくる涙。それらを振り払い、手綱を握り直し ―― バーミーンの家族は妻と一人息子マヌーチェルフのみである。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「ただいま! メフラーブ」

 サマルカンドを発って二ヶ月後、ラズワルドは王都ナュスファハーンに帰ってきて、神殿に向かわずハーフェズを保護してくれたメルカルトの忠実なハミルカル僕を連れて、下町に直行した。

「おう、お帰り……そっちの御仁は、ハーフェズを保護してくれた人だな」

 六年ほど前のことになるが、既に成人していたカスラーの面立ちは、これといって変わってはいないのですぐに分かった。もっとも身に纏う空気は、あの当時でも落ち着き一廉の人物だろうと思わしめていたが、さらに落ち着きが増し、確りとしたものになり、超凡なる存在であることが、誰の目にもはっきりと分かるようになっていた。

「名前はカスラー。ペルセア王国軍の中将軍で、今回の旅の往復一緒だったんだ!」

 ラズワルドに腕を引かれてやって来た気品ある中将軍に、

「そいつは……ご迷惑をおかけいたしました。この通り養父は引きこもり気味なんですが、そっちラズワルドは生来闊達らしくて。大変だったでしょう」

 錬金術の研究室を指さしてから、頭をがりがりと掻きながら、心より「お世話をおかけいたしました」と詫びた。

「大変など。身に余る光栄を享受する日々で御座いましたよ、閣下」
「いえいえ、閣下などという身分じゃあ御座いませんので。で、ラズワルド。お前、まっすぐ実家ここに来たのか?」
「うん!」

 普通は目的地にたどり着いた旅人は、大なり小なり服や体は汚れているものなのだが、カスラーの有能さから、ラズワルドは混じりけのない乳香オリバナムを焚きしめた新品の服を着て、肌にも艶があり、深藍の長い髪も脂で固まるようなこともなく ―― 一度風呂に入り、着替えてやってきたと言われてもおかしくはない格好であった。

「そうか。お前はいいが、カスラー卿は報告に上がったり、いろんなことをしなきゃならんから、そろそろ解放してやれ」
「そうか……メフラーブがそう言うんだから、そうなんだろうな」

 カスラーを食事に招待したいと考えていたラズワルドだが、忙しいのならば仕方ないと彼を解放した。

「明日でも、遊びに行ってみようかな」
「せめて三日くらいは間をおけ、ラズワルド」
「そうか。そうそうメフラーブ。お土産あるんだ! ハーフェズ、バルディアー、ワーディ! 荷台から降ろせ」

 行きは荷物が増えるのでできなかったが、帰りは少しくらいならば良いだろうと、ラズワルドはメフラーブの実験に使えそうな鉱物を幾つか持って帰ってきた。
 ラズワルド一人では、よく分からなかったのだが、これまた学者一門の出のカスラーの助言があり、数々の触媒になりそうな鉱物を手に入れることができた。

「土産なら、これで充分だ」

 メフラーブは鉱物を見せようとしたラズワルドの頭を撫でる。

「……?」
「お前が無事だった。それで充分だ、ラズワルド」

 ラズワルド自身はすっかりと忘れているのだが、魔王を威嚇しに向かい、途中で魔王の僕マジュヌーンに封印され、神の住む国故郷に帰りかけるという、かなり波乱に富んだ往路であった。

「…………え、あ、うん……ま、まあ。心配すんな、メフラーブ」

 復路はそれほど大きな危険とは遭遇しなかったが、生まれて初めてみた大河フラートに興奮して流されるなど、親が知ったら顔色を失うようなことをしでかしていた。

「そいつは無理だ、ラズワルド」
「なんで?」

 それはラズワルドにとって、大したことない出来事なのだが、

「親だから」
「そうなんだ……そうなのか!」

 メフラーブ父親がそう言うのだからそうなのだろうと、元気に頷いた ―― だが魔王の僕マジュヌーンと戦わないという選択肢はラズワルドにはない。