ラズワルドとハーフェズ、料理を作る

 「ファリドのジャバードではないジャバード」 ―― ラズワルドが道中で拾った巡回業務にあたっていたジャバードとその部下四名、名をメティ、ハレイ、ヒバ、ターラーという。
 ハレイとヒバは元々サマルカンド侯領近辺の巡回業務を担当しており、前任の隊長と現隊長ジャバードが交代した際に、そのまま隊に組み込まれた
 ジャバードが移動になった経緯は、口が軽いターラーから聞いている。
 そのターラーは武装女神官。年は隊の中ではもっとも若く十五歳。
 ターラーの母親がジャバードの姉と幼馴染みで、その縁でジャバードの部下になっている。
 メティはジャバードと入隊以来の顔見知りで、ジャバードがアッバースを追われた際に「こいつは、そんなことはしていないだろう」と信じてくれた数少ない一人で、そのまま一緒にサマルカンドへとやって来た。
 普段ラズワルドの側にいる、ペルセア有数の名門の子息だったり、武芸に秀でている者だったりとは違う、ごくごく普通の武装神官、それが彼らであった。

 そんな彼らは魔物に襲われ死を覚悟したところをラズワルドに助けられ、同行を命じられ ―― ジャバードからラズワルドのニネヴェ、そしてアッバース行きに随行することを聞かされた隊員は驚いた。
 そしてヒバとハレイはここでジャバード隊を去ることになった。
 二十半ばになった二人は、以前そろそろ身をかためたいとの考え申し出ており、近々巡回から町勤務に移動になる予定であった。
 ジャバードはそのことをパルヴィズの部下に話したところ、彼ら二人は希望通りに町へと配置換えになり、ジャバード、メティ、ターラーの三人が付いて行くことになった。
 ターラーに関しては「情婦か」といい顔はされなかったが、ジャバードもメティも、「これターラーと肉体関係ない」と言い張った。
 それを信じてもらえたかどうかは別だが「神の御子の御前にいつでもはせ参じられるようにしておくよう」命じられる。要は女は抱くなということである。

 またジャバードは海将ザーミヤードの小姓キュベレーとの間に起こった出来事を、報告するようパルヴィズに命じられ ―― 正直に語った。
 報告を聞き終えたパルヴィズは、それに対してなにかを言うことはなく、別のことを注意してから下がるよう命じた。

 キュベレーに騙されたジャバードだが、かの小姓キュベレーに対し、怒りなどは持っていない。

「お人好しってか、まあジャバードらしいがな」

 部屋に戻ってきたジャバードに葡萄酒を注いだ杯を手渡した。

「こっちは知らぬを貫くから、あっちも素知らぬふりをしてくれるといいんだが」

 豪快にそれを一口で飲み干した。
 ジャバードが美しい小姓キュベレーに対して悪い感情を持っていないのは、騙され陥れられたのだが、それが相殺される程に、良い思いをさせてもらった ―― それほどキュベレーの体は佳いものであった。

「あの金髪の小悪魔キュベレーだからな。お前さんのことなんて、すっかり忘れてるかもなあ」

 貿易港であり軍港であるアッバースで海の治安を守るペルセアの海将の権限は強く、その彼の寵愛を一身に受けている美少年キュベレーは、したい放題であった。
 海将は他のことに関しては公明正大なのだが、キュベレーが関わると途端に彼の意見しか聞かず、忠告も讒言と受け取ってしまう。
 ただキュベレーは賢く、海将の仕事に不利益が生じるようなことはしないため、海将の軍人としての働きは、国として満足いくものであるため、特に問題視はされていない。
 なにより国の中枢にいるものたちは、お気に入りの妾なり小姓なりの我が儘をきいてやっている者も多いので、海将の行動に苦言を呈すしては自分にも被害が及んでしまうという事情もある。

「それは、それで良いんだが……それとなメティ」
「なんだ、ジャバード」
「どうも俺、パルヴィズ卿に男好きと思われているようなんだが」

 吐き出すように言うと、ジャバードの逞しい肩ががっくりと下がる。
 この男ジャバードが男を抱いたのはキュベレーが初めてで、以来男に手を出したことはない。キュベレーで男に懲りた……のではなく、この男ジャバードは女が好きなのだ。
 それもあって、メティは「騙されたんだろうな」と信じたわけだが ―― 別の意味でキュベレーに引っかかったのも納得することができた。

「……まあ、海将の小姓に手を出して飛ばされたんだから、男の子好きと思われても……むしろ男の子好きと思われていたほうが、マシだろ。お前の女遍歴知られたら、困るだろ」

 納得の理由はこの男ジャバードの女性遍歴である。
 この男ジャバード、なぜか他人の女を好きになる傾向がある。十歳の頃からこの男ジャバードを知っているメティは、この男ジャバードが惚れる女、惚れる女がすべて人妻であることを知っている。
 この男ジャバードに言わせると、偶々好きになった女が人妻で……ということなのだが、それにより稀に面倒が起きる ―― 人妻までこの男ジャバードのことを好きになってしまうことが、何度かあった。
 この男ジャバードが惚れる人妻はそれなりに身分がある女ばかりである。金持ちが旅をする際に、道中で魔物に遭遇しても大丈夫なように、神殿に寄付をして武装神官を付けてもらうことが多く ―― その関係でこの男ジャバードは身分ある女性と知り合うことが多かった。大体はなんとか同僚たちが上手く取りなし、大事に至ったことはない。
 例えば若い娘と、その娘が年を取ったらこうなるであろうという人妻がいた場合、この男ジャバードは間違いなく後者の人妻を選ぶ ――

「確かにそうなのだが、ハーフェズ卿とバルディアー卿には手を出さないようにと厳命されてな」
「パルヴィズ卿は、お前が他人のものである者が好きだということはご存じないのだろう……良かったじゃないか」
「別に他人のものが好きなわけではないのだが」

 ”三十五年の間惚れた女、全部人妻だっただろう。未亡人すらいなかったじゃないか。独身はとりもなおさず” ―― メティの脳裏に数々の女の顔が過ぎったが、言ったところでどうにもならない。

「でもまあ、注意はされるだろうな。バルディアー卿は前身が男娼で、所作が色っぽいし、ハーフェズ卿に至っては美少年っぷりは、あの金髪の小悪魔キュベレーに勝るとも劣らないからなあ……美少年というのならば若い分、ハーフェズ卿のほうが上かもしれん」
「いや、その二人には本当に興味はないんだ。ハーフェズ卿がキュベレーよりも美しいのは認めるが」
「分かる。分かっているさ、ジャバード。お前の食指が動かないのはよく分かっているさ」

 二人の上官であるハーフェズとバルディアーに劣情を懐かないのは良いことだと ―― 

 十二歳になったハーフェズと十五歳になったバルディアーは、彼らが生まれる前から武装神官をしている三十五歳のジャバードとメティの上官になる。
 十代の二人は神の子ラズワルド直近故、武装神官団内どころか、ペルセア王国内でも高位。とくにハーフェズは、ラズワルドに面会したいと願う王侯でも会えない ―― 神の子に会いたいと願ってもほぼ叶わず、そして神の子にもっとも近い家臣も滅多に会うことはない。王侯が精々会えるのは、直近の部下の部下なのだが、十代の二人にはまだ部下がいない。
 そこでパルヴィズは世慣れて、また切り捨て易い身分である三十代半ばのジャバードとメティを十代二人の部下にすることにした。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 面会そのものは叶わないが、姿を拝見することはできる神の子 ―― ラズワルドは市場で粘土製の壺型窯タヌールに貼り付けて焼かれている、牛肉と玉葱のサモサを発見し、美味そうな匂いにつられ、連れていった人数分から一を引き購入した。
 馬芹クミンの香りが牛肉味を引き立て、飴色になるまで炒めた玉葱の甘みが包んでいる小麦の生地とよく合う。

「まだ一個まるごとは食えないらしいからな」

 ラズワルドは自分のサモサを半分に割り、ワーディに渡す。

「ありがとう御座います、ラズワルド公」

 神の子の食事を分けてもらえるのは、とても光栄なことだと教えられたワーディは恐縮したが、

「気にするな。他にも食いたいものがあるから、半分食べてもらえれば、別のものも食べられる!」
「ラズワルドさま、ずるいです」

 サモサを一個まるごと食べたハーフェズが言う。

「次はハーフェズと半分にしよう。バルディアーも次はワーディと半分な」

 ラズワルドには食べないという選択肢もなければ、連れていった者たちに食べさせないという選択肢もなかった。

 サモサの他にも、羊肉や牛肉の串焼きシャシリクは、そのまま食べても美味しいが、酢を掛けて食べても美味しい。
 馬肉を乗せた麺料理ノリン、王都とは違い炊いたあとに、味付きの人参や羊肉を乗せるピラフポロウ。さまざまな野菜と肉を煮込んだ汁物ショルヴァ ―― サマルカンドの料理はどれも美味しかったのだが、

「なんとなく、マリートの料理が恋しくなった」

 半年以上マリートの料理を食べていなかったラズワルドは、不意に故郷の味が懐かしくなった。

「道中は平気だったんだけどなあ」
「セリームが調合したマリートおばさんのアドヴィーエミックススパイスを食べたからじゃないですか?」
「……そうかも」

 アドヴィーエミックススパイスとは、黒胡椒に姫茴香ヒメウイキョウ桂皮シナモンと唐辛子、鬱金ターメリックの他に、香菜コリアンダー小荳蒄カルダモンの実を混ぜたものだが、各家庭により配合が異なる。
 セリームの配合は料理を習ったマリートのもの ―― もともとこういったものは、目分量や勘で作るため、味を継承するのは難しいのだが、以前アドヴィーエミックススパイス作りを脇で見ていたメフラーブが「計って」似たような味を作ることができるようになった。
 計り方は、まずは香辛料が入っている器を計量し、次にアドヴィーエミックススパイスを作り終え量が減った器を計量し、その差分を記した ――

 香辛料の名と差分が記載された紙を手渡されたセリームは、メフラーブが言っていることの意味が分からなかった。
 マリートは文字も数字も分からないので、記された紙を見ようともしない。
 だがメフラーブのまわりを「メフラーブ賢いな! メフラーブ賢いな! そうすればいいんだな! 残量! 残量!」と褒めながらぐるぐると回っているラズワルドとハーフェズの姿を見て、聞くに聞けず ―― 下宿に戻ってファルジャードに尋ねた。
 書かれている香辛料の名と数字がどのようにして導き出されたのかを聞いたファルジャードは、手を叩いて「さすが先生。料理にも転用できるのか」と感心し、じっくりと時間をかけてセリームに教えてくれた。

 セリームはその頃足し算はできたが、引き算はできなかったので、理解するのに相当苦労することになった。

 セリームはいまだに引き算は怪しいが、書かれている数字通りに計り混ぜると、マリートのアドヴィーエミックススパイスを作ることができる。
 再会してから、ラズワルドは何度かセリームに料理を作ってもらい ―― なんとなくマリートの味が恋しくなった。

「今日もセリームに料理作ってもらいます?」
「いや、いい。セリームも忙しそうだからな。そうだ! 自分たちで作ろう」
「はい? ……まあ、いいですけど。何を作るつもりですか? ラズワルドさま」
「マリートが料理を作っている姿を、脇で見ていたから色々作れそうな気はするが……」
「絶対それ、気がするだけですから。ラズワルドさま、包丁持ったことないでしょ」

 ラズワルドはマリートが料理を作るのを脇で見て、偶につまみ食いをしてただけで ―― 神の子に料理を作らせたり、手伝わせるなどするはずもない。

「まあな! そうだな……セリームからアドヴィーエミックススパイスを分けてもらって、それを掛けて羊肉を焼いて、あとはパンの一種タフタンを作ろう」

 タフタンとは穀粉に卵、乳汁、ヨーグルトを加えて混ぜ、薄くのばして粘土製の壺型窯タヌールに貼り付けて焼くパンで、粘土製の壺型窯タヌールのある共同炊事場で、よくマリートがおやつとして作ってくれたものである

小荳蒄カルダモン泊夫藍サフラン入れます?」

 タフタンには香り付けに上記の香草を混ぜ込むこともある。

「そうだな。今日は泊夫藍サフランにしておくか!」
「分かりました。じゃあ穀粉と卵と乳汁……なんの乳にします? ヨーグルトも……マリートおばさん、なに使ってましたっけ?」

 乳汁といっても、羊、山羊、牛、馬、駱駝、水牛、驢馬など様々あり、ヨーグルトも同じ数だけ存在する。

「ん……羊じゃないか?」
「やっぱり羊が一般的で、失敗なさそうですよね。じゃあ俺、羊のヨーグルトと乳汁もらってきますね」

 すでに原材料の時点であやふやな一人と一柱だったのだが止めはせず、

―― 穀粉にも配合とかあるんじゃないのかなあ……

 不安だが止めようがないバルディアーは、羊肉をもらいに向かった。材料は「神の子が欲している」ということで簡単に集まり、調理場が空いている時間に使わせてもらうことになった。
 上から下まで絹服という、おおよそ料理を作る格好ではないラズワルド ―― だが、ラズワルドは絹以外の服を持っていないので仕方がない。

「マリートは肉の塊に、こう”ふわ〜”とアドヴィーエミックススパイスをふりかけて、火にくべるよな」
「そうですね」

 ラズワルドはセリームから貰ったアドヴィーエミックススパイスを手に取るとふり撒いた・・・
 バルディアーが見る分にはふり掛けて・・・いないのだが、ラズワルドの中ではふり掛かっているらしく、調味料が掛かった(と思っている)肉の塊をワーディが起こしてくれていた火の中に豪快に投入する。

「じっくり火を通すんだよな」
「はい」

 料理を作ったことのないバルディアーとワーディだが、なんとなく違うことは分かった。だがこの二人は、ほとんど料理を作っているところを見たことがないので、違うとも言い切れない ―― 作っているのが神の子なので、違うと言うこともできないのだが。

「その間にタフタン作るぞ」

 結果としてタフタンはかなり上手くできあがった ―― 数さえ目を瞑れば。
 穀粉にどのくらいの乳汁やヨーグルト、卵を加えればいいのか分からなかった二人は、「卵足りないんじゃないか?」「ねちょねちょ過ぎる、穀粉を足せ」「今度は固すぎる。乳汁だ、乳汁」「泊夫藍サフラン入れ過ぎたヨーグルトを追加だ」「水っぽくなりすぎた。穀粉を!」が繰り返され、生地が適切な硬さになった時には、さすがのラズワルドも、

「馬、タフタン食うかなあ……」

 どうやっても食べきれないことに気付き、消費について真剣に考えるに至った。ただ量に怯んだものの、焼かないわけにはいかないので ―― 皆でちぎって伸ばし、粘土製の壺型窯タヌールに貼り付けて焼いた。
 こうして焼かれ積み上がったタフタンと、火は中まで通ったがなんら味の付いていない羊肉の塊を前に、

「羊、タフタン食うかな……」

 粉まみれのラズワルドは、途方に暮れた。