「空が青くて綺麗だな」
「そうですね、ラズワルドさま」
ラズワルドがニネヴェに同行させようとした者たちと、町の案内としてセリームを連れ歩いている頃 ―― ファルジャードとアルデシールは「アシュカーンが生贄として捧げられる」ことについて説明を受けていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
侯城で諸侯王に報告を済ませたファルジャードは、神殿に行くよう命じられ ―― 命じられなくても行くつもりだったという言葉を飲み込み、馬に跨がり来た道を引き返した。
ファルジャードと共に侯城に入ったカスラーも、諸侯王に挨拶をしたあと、バーミーンと合流しアルデシールを連れて、これまた神殿へと向かった。
到着した二人は、早々に呼び出されフラーテス、アルダヴァーン、ファルロフが待つ部屋へと向かった。
「アルデシール王子?」
「ファルジャードだったか」
「その声、やはり王子か」
アルデシールとファルジャードはラフシャーンを介してになるが、顔見知りであった。その顔見知りになぜ
「なぜ王子がここに」
王宮が大火災に見舞われたことは、ファルジャードも聞いてはいたが、アルデシールが
「フラーテス公より、王家に関して話しておかねばならぬことがあると」
本来であれば父である国王から聞かされることなのだが、最早語ることができぬゴシュターブス四世に代わり説明をするため、アルデシールをこの地に呼びつけた。
「王家に関して……俺としては興味はないが、呼ばれたということは関係があるのか」
将来の諸侯王として知らねばならぬことがあるのだろうと ―― パルヴィズに促され、二人は部屋へと案内される。
部屋にはカスラーや、神の子たちの側近もいた。
青一色の大きな部屋で、彼らは神の子を待った。それほど長い時間ではなかったが、なにを聞かされるのだろうかという不安な気持ちを抱えて過ごす時は長くあり、また短くもあった。
彼ら人間がいる場所よりも高い場所に、そしてダリュシュの助けを借り歩いてきたフラーテスにアルダヴァーンとファルロフが現れ、クッションに腰を降ろす。
ダリュシュはその場から退き、アルデシールたちの後ろに控えた。
「これは、あまり口外せぬほうがよい」
フラーテスはそう話を切り出した ――
「初代ペルセアは魔王を封印したことは間違いないが、完全に封印できた訳ではなかった。ペルセアは魔王を呼び出した人間側の一人であり、魔王から富と栄華と不老長寿を与えられていた。それが当初の望みであったわけだからのう。
アルデシールが青い布で包まれている自分の顔に触れる。
「魔王はもしもの時、ペルセアの体を乗っ取ろうと考えた。力を奪わなかったのはそのためじゃて。そして封印され、ペルセアの体を奪おうとしたのじゃが、メルカルトの子に阻止された。その方法が
フラーテスがゆっくりと手を上げ指さす。自分の顔を包んでいる布を掴むアルデシールの手は震えていた。
「ペルセアは精霊王とメルカルトの子の力を借り、魔王を封印した。だが封印は永遠ではないのじゃ。封印し続けるためには、生贄が必要なのじゃよ。その封印の贄は、
国王の男児であれば、次の国王の座に就ける国に存在する正妃。それは正妃そのものを欲しているのではない。
「不敬とは存じますが、質問よろしいでしょうか」
隣で震えているアルデシールを脇目に、ファルジャードはラズワルドと同じほど群青に顔が覆われているフラーテスを見つめ口を開いた。
止めようとしたパルヴィズを、アルダヴァーンが手で制する。
「構いませんよ、ファルジャード。なにを聞きたい?」
「では、御言葉に甘えて。まずは第一に伺います、ラズワルド公は今の話、そしてこれからわたしめが聞くであろう話は、ご存じないのですか?」
ファルジャードと共に話を聞いているのは王子のアルデシールに国軍の将カスラー。フラーテスの側近のダリュシュと、神の娘ファルナーズの側近シャープール。アルダヴァーンとファルロフの側近は話を聞いているというよりは、知っているようにファルジャードには見えた。
ファルナーズがいないのにシャープールがいることがファルジャードは気になったが、彼が神の子の側近たちの中でも、有数の名門の出であることを思い出し「その絡みか」と ――
「ああ、それは何より大事なことですね。ラズワルドは知りませんし、まだ教えるつもりはありません。時期をみて教えるつもりでした。適切な時期として考えていたのは、アルデシール即位後でした。その考えは今でも変わっていません」
アルデシールの右斜め後ろの座にいたカスラーは、アルダヴァーンの「その考えは今でも変わっていません」の言葉に、ついこの間、最果ての花と名付けた小さな薄紫色の花を摘んで「王子に送ってやろう」と、笑っていたラズワルドの姿が思い浮かび肌が粟立った。
「我々人間は、ここでお聞きしたことを、決してラズワルド公に話してはならぬということですな」
「そうです」
「次にお聞きします。このことを諸侯王たちは知っているのですか?」
「知っています」
「もう一つお聞きしたら口を閉じますが……精霊王はなにを協力してくれたのですか?」
「魔王を封印するのにペルセアが使った宝剣。あれを与えたのが精霊王です」
ファルジャードはまだ聞きたいことはあったが、一礼して口を噤んだ。
「質問は構いません。ではフラーテス、続けて下さい」
中心に座っているアルダヴァーンはそう言い、隣のファルロフが注いだ水が入った杯を受け取る。
「どこまで話したか……ああ、魔王に身を乗っ取られるところだったのう。魔王に身を乗っ取られるのを阻止するため封印の贄を捧げるのだが、ゴシュターブスが捧げた贄が、どうも別人だったようでな。ああ、亡き正妃の名誉の為に言っておくが、種が違ったのではない。どうも
殺されなくても良い娘の
全てが終わってから、事情を小耳に挟んだが、彼らが屠ったのは、ごくありふれた屍食鬼で数は二十にも満たない程 ―― 武装神官団を預かるフェルドーズに隊を送るよう指示を出すだけで充分で、カイヴァーン直々に隊を率いて征伐するようなものではないと疑問を覚えたが、あまり踏み込まなかった。
「即位して約一年以内に封印の贄を捧げなければ、国王の体は魔王に乗っ取られるのじゃよ。ゴシュターブスの体はほぼ魔王に乗っ取られたが、完全ではない。完全でなければ、正妃の子を捧げることで、封印することができる。御主が魔物に執拗に狙われたのはそのためじゃよ。そうそう封印の贄は、そこかしこで、誰が殺してもいいというものではない。封印の贄を捧げる場所があり、贄を屠るのはペルセア王族でなくてはならぬ」
顔を覆う青い布に爪を立てていたアルデシールは、自分の身に起こった出来事をほぼ理解した。
隣に座っているファルジャードの異母妹を正妃として迎え入れ、抱いている最中に火災が起こり ―― 自分に目がけて迫ってくる赤黒い炎と、炎に巻かれて叫び狂ったように舞っていた正妃。
武装神官に助け出され、王宮外へと連れて行かれた。この時の記憶はアルデシールにはない。目を覚ますと、枕元に武装したラフシャーンがいた。
なにが起こったのか聞きたかったが、自分の口から漏れたのは呻きのみ。
激痛にのたうちまわっていると、青白い光とともに神官が訪れた。その時神官がなにを言ったのか、アルデシールは覚えてはいない。
神官は焼けた石炭が入っている、両に取手がついている鉄壺の中に青白い光を入れる。
ラフシャーンを含む屈強な兵士たちが、アルデシールの体を押さえつける。顔を押さえたのはラフシャーンであった。
先端に巻いている毛織物を水瓶に浸し、青白い光が入った焼けている鉄壺の取手に入れ持ち上げる。神官の祈りの言葉が酷く遠くに聞こえ ―― 焼けている鉄壺が、アルデシールの額に置かれた。
全身を突き抜ける痛みに暴れるが、兵士たちが必死にアルデシールの肢体を押さえつける。獣のような咆吼を上げながら、意識を失った。
「アルデシール、そなたは封印の贄にはならぬ。魔王に体を乗っ取られかけておるゴシュターブスは、御主がその顔に施された術を全身に施されて何とか人間の姿を保っておるが、魔王と繋がっている故、毎日する必要があってのう。死ぬのを心待ちにしている状態であろうよ」
顔に施された術の激痛を思い出し、アルデシールは思わず呼吸が止まる。
「ゴシュターブスを解放してやるためにも新しい王が必要だ。その新しい王は、正妃との間に出来た子を持っているのが必須じゃ。アルデシール、御主には正妃が産んだ子はいない。よって正妃が産んだ子を持つ、王弟エスファンデルが即位する。アシュカーンはペルセア王族の定めとして、死んでもらうこととなる。可哀想にのう……」
フラーテスが最後に語った「可哀想にのう……」がアシュカーンに向けたものなのか、それともラズワルドに向けられたものなのか? ファルジャードには分からなかった。
ファルジャードに分かるのは、アルデシールを封印の贄にしたところで、もはやゴシュターブスは手遅れで、どのみちエスファンデルが即位し ―― アシュカーンは封印の贄になる運命から逃れることはできないということ。
悲劇の運命の環に組み込まれてしまったアシュカーンについて、ファルジャードが知っていることは”ラズワルドさまと手紙のやり取りをしている”こと”アシュカーン王子はラズワルドさまにほんのり恋心を持ってます。ラズワルドさま? 聞かないでくださいよ。王子が可哀想になるから” ―― ハーフェズから聞いたこの位のことしか知らない。全く知らない人間だと言っても過言ではなく、きっと贄にされ死んでも心は痛まない。だが
「エスファンデルは御主たちも知っての通り、
次の封印の贄となる我が子を設け、跡を継げとフラーテスは言った。
「十年後ならばラズワルドも二十二歳。ペルセアの俗事を知るには、ちょうど良い年頃でしょう」
初めて王都ナュスファハーンではない場所で新年を迎え、そのことも手紙に書こうと ―― ラズワルドは言っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
話を聞き終えたファルジャードは、セリームの元へと急いだ。
セリームはラズワルドの奴隷としてサマルカンドにつれてきたため、普段は神殿にいて、ファルジャードもそこに入り浸っていた ―― 侯城に住むのは危険が多すぎるので、当然でもあった。
ラズワルドのお供を終えたセリームは部屋で天秤はかりを使い、マリートの配合で
「ファルジャード、どうしたの?」
最後の
「……」
セリームが尋ねても何も答えず、表情は強ばったまま。
「なんか、嫌なことがあったのか」
サマルカンドに来て以来、悪いことばかりだと ―― それでも「分かっていたことだ」と馬鹿にしたように嗤っていたファルジャードが、この時は本当に傷ついていた。
ファルジャード自身、なぜこんなにも自分の心が苦しいのか、全く分からなかった。
「……」
なにも答えないファルジャードに、セリームは何事もなかったかのように話しかけ続ける。
「ラズワルド公が、大量のナンを買ってきていたよ。こっちのナンは、ナュスファハーンのものとは違って、厚くて中央がくぼんで、店によって色々な装飾が施されているじゃないか。ラズワルド公にお出ししていたナンはナュスファハーンで食べられている、薄くて平らなものだったから、店で見つけたとき面白がっていたよ。二、三年は持つと聞いて、驚き興味を持ったらしく、アシュカーン王子にも送ってやろうとか言っていた。どれを送ろうか悩んでいるみたいだから、ファルジャード……」
ファルジャードはセリームに抱きつき、
「選ばないで、全部送ってやればいいさ」
泣きそうな声でそう言った。なぜこんなにも泣きたい気持ちになるのか、ファルジャードはやはり分からなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「絶対、あんなに送ったら余りますって。二年じゃ食べきれませんって、ラズワルドさま」
ファルジャードが「金出すし、面白そうだから」と、街中で売られているナンを全種類買い、一つ一つ布で包装しアシュカーンに送ることになった。
あと念のため「ウルクでは、こういうナンは売っていないかどうか」をカスラーに尋ね、売っていないことも確認し ―― 神の子がしたいことを止めることはなく、また相手は王子のため、大量のナンを送りつけられても保管する場所には困らないので、止めるものはいなかった。
「ナンの減り具合を手紙で聞いて、食い切れなさそうだったら、アシュカーンの家に行ってみんなで食うぞ」
―― きっとあの王子のことだから、勿体ないと食べられないと思うけど、食べなかったらラズワルド公が足を運んで下さるわけだから……王子としては食べないのが正解か
バルディアーはナンに書かれている模様一つ一つを撫でながら、ウセルカフと楽しそうに話すであろうアシュカーンの姿を幻視し、なんとも幸せな気持ちになった。
「それはいいんですけど、全部送るの発案者であるファルジャードは、古ナンの宴を回避しちゃうんですね」
「いや、責任はとるぞ。俺もアッバースに行くことにした。またラズワルド公と一緒に過ごさせてもらう」
「本当か!? ファルジャード」
装飾が施された大量のナンと手紙、そして完成した最果ての花の押し花が、ウルクのアシュカーンの元へと送られた。