ラズワルド、事情を聞く

 死と隣り合わせの戦場から生還し、自分が生きていることを確かめたいと渇望し肌を重ねる。

 初めての戦場から戻ったファルジャードは自分の欲望の赴くままにセリームを抱き、闇に引き込まれるような眠りに落ち、そして目を覚ました。
 仄かに二人を浮かび上がらせる程度の枕元に置かれた明かり。
 橄欖油が注がれた皿を見て、残った油から時間を逆算し ―― もうじき夜明けだと判断して寝台から体を起こし、床に脱ぎ捨てた毛皮のローブを拾い上げてはおう。
 隣でまだ寝息を立てているセリームの髪を撫で、頬に残る涙の跡に、ため息を吐き出す。セリームにかなり無理をさせた自覚はあった。
 自分の余裕のなさに、再びため息をつく。

「ファルジャード」

 隣の気配につられて、セリームが目を覚まして名を呼ぶ。無防備な喉仏が自分の名を呼び上下したのを見て、また欲望に火が付く。

「済まん、起こしたな。俺は隣の部屋に行くから、もう少し休むといい」

 抱く時間は充分にある ―― ファルジャードほどの貴人ともなれば、昼まで眠っていようとも誰も文句など言わない。

「もう少しだけ、顔を見せて」

 そう言い、セリームはファルジャードに抱きつく。

「セリーム」

 咎めるように名を呼ぶも、ファルジャードは両腕でしっかりとセリームを抱きしめる。

「昨日あれほど、ファルジャードの無事を実感させてもらったのに……まだ不安だなんて。本当に生きてて良かった」
「いつもお前を不安がらせているからな。せめてこの不安くらいは解消しよう」

 ファルジャードはローブを脱ぎ、セリームの体に触れる。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「らじゅわゆよさ……」

 生と死の狭間をくぐり抜けた後、体が持つ熱を発散する ―― という行為が存在することすら気付いていないハーフェズは「初陣で疲れたので、先に寝ます」と、ラズワルドの寝台に横になるとすぐに寝息を立てた。

「よしよし、よく頑張った。偉いぞハーフェズ」

 ラズワルドは眠っているハーフェズの頭を撫でて褒めてやる。撫でられるとハーフェズは笑みを浮かべ、また規則正しい寝息に戻る。
 しばらく寝顔を眺めてから、ラズワルドは寝室と繋がっている部屋へと戻った。
 部屋はこの砦でもっとも広く、床には毛氈が重ねられ、その上に絹の絨毯が敷かれている。雪が降り出す季節ゆえ、寒さを遮断するため、壁にも絨毯が飾られている。どの絨毯も細密な模様が描かれており、室内はことのほか華やかであった。
 ラズワルドが座るところは、さらに毛皮を敷き、そこに室内用の輿を置き神座が作られていた。神座は何時もと変わらず青い布で覆われており、滑らかな絹のクッションが積まれたそこにラズワルドは腰を降ろす。
 ハーフェズと一緒に早めに寝ても良かったのだが、夕食前にダリュシュがフラーテスからの手紙を差し出した。
 目を通すと「ダリュシュの話を聞いてやってくれ」と書かれていたので、何時話をしに来るか尋ねたところ、お会いできるのでしたらすぐにでもと言われたため、ラズワルドはハーフェズが寝た後に会うことに決めた。
 戦で疲れているだろうから居眠でもして、すっぽかされても構わなかったラズワルドだが、

―― 真面目そうな奴だから、そんなことはなかったなあ

 のんびりと部屋へ戻ってきたところ、謁見を希望したダリュシュが平伏して待っていた ―― 彼は約束の時間よりも早く来て、メルカルトに祈りを捧げてから平伏し、以降微動だにしていない。
 部屋には他に、不寝番を任せられた隊長のジャバードと、平伏して全く動かないダリュシュが心配になってきたワーディもいた。
 バルディアーがいないのは、カスラーと夜を過ごしているためである。

「ワーディ、蜂蜜酒ミードを銀杯に注いで、わたしの所へ持ってこい」

 ワーディは器用に片腕で酒を注ぎ差し出す。ラズワルドはそれを受け取り、ダリュシュに顔を上げるよう命じた。

「失礼いたします」

 顔は上げたがラズワルドの姿をみるような真似はせず、視線は落としたまま。神の子を拝見するなど恐れ多いと、頭を上げきらないものは非常に多い。

―― その体勢、辛いだろうに。っても、こういう奴らは顔を上げないからなあ

「ワーディ、この布を降ろせ」
「はい」

 ラズワルドは神座を絹で覆い隠させ、ワーディに「顔を上げよと、ダリュシュに言え」と命じ、ワーディはびくびくしながら伝え ―― やっとダリュシュは顔を上げた。
 ラズワルドとしては非常に面倒だが、人間には人間のやり方があるのだと、そこは拒否はしない。

―― おや? ダリュシュの手元にもう一通フラーテスからの手紙か……

 人間が神に対して回りくどいのは許すが、同じく神の子が自分に対し回りくどいことに関してラズワルドは容赦しない。もちろん、そんなことを人間ダリュシュに言ったりはしないが。
 ワーディが部屋の隅に移動したところで、ラズワルドは再度話し掛けた。

「それで、話とはなんだ? ダリュシュ」
「はっ! もしかしたら、もうお耳に入っているやもしれませぬが」

 前置きしてからダリュシュは話し始めた。
 神官でありながら邪術に手を染め、ファルジャードを呪い殺そうとし、ラズワルドに返り討ちにされた男は、ダリュシュの親族であった。
 王家にとっても神殿にとっても大不祥事ゆえ、内密に済ませることが決まり、ダリュシュは咎められることもなく、フラーテスの側にいることも許された。
 だがファルジャードには隠さず伝えられ ―― 自分を呪い殺そうとした男の親族など、信用されるはずがない。

「ファルジャードに信頼されぬのは構わぬのです。我が一族はそれだけのことをしたのですから」

 そこはダリュシュも理解しており、よほどの理不尽でもない限り、ファルジャードの意見を尊重し、従うつもりであった。

―― ファルジャードに対する態度はダリュシュの性格だから仕方ないんだろうな。まあ、変に優しい態度を取られるより、男同士はこのくらいのほうがいいような、ラフシャーンもあんな感じだったし……きっと良い筈。たぶんファルジャードも分かっているだろう

「ラズワルド公柱。フラーテス公よりここまで話したら、この手紙をお渡しするよう言いつかっております」
「ワーディ」

 なぜここでフラーテスの手紙なのだろう? と、手紙を受け取り、とめている錦糸で作られた紐を解き豪快に開く。
 ざっと目を通し、手紙をどのように処分すべきかを考えた。

「ダリュシュ。お前はサマルカンドの名族の出なのか?」
「サマルカンドに長くいる氏族の端くれにございます」
「そうか。フラーテスの手紙には、お前の一族が、サマルカンドの支配権を取ろうとしていると書かれているが、心当たりは?」

 手紙の内容は詳細で、ファルジャードの一族とダリュシュの一族がこのあたりの支配権を近年まで争っていたこと。完全にダリュシュの一族を退けたのは、ファルジャードの祖父にあたる諸侯王だが、現諸侯王の無策により、ダリュシュの一族が再び力を付け始めたこと。力を得るために彼らが使ったのが宗教であることなどが書かれていた。

「……お恥ずかしい話ですが、その通りに御座います。王女がファルジャード暗殺に我が一族の者を選んだのは、その辺りに通じていたからに御座います。そして王女の置き土産により、我が一族はサマルカンドに取って代わろうとする者の数が、かなり多くなりました」
「ファルジャードが諸侯王の座に就き、報復してくることを恐れてか?」

 長くいがみ合っている一族同士というだけではなく、ファルジャードはそれら以外個人的な理由もあるとなれば、報復に怯えるのは当然のこと。ただダリュシュの一族は、ファルジャードが一族というものを全く大事にしていないことを知らない。

―― ファルジャードの暗殺に関与しなかったら、ファルジャードは喜んでダリュシュの一族に支配権を渡しただろうに。馬鹿なことしたなあ

 今となってはファルジャードがダリュシュの一族にサマルカンドを譲ることはない。

「恥ずかしながら、公柱の仰る通りに御座います」
「王女は軽率だったな。サマルカンドが割れれば、マッサゲタイが攻め込んでくる。その原因をペルセアの王女が作ってどうする……まあ、処刑された者に言っても仕方ないが」

 ラズワルドは手紙を巻き直し、固く紐で縛り横に転がして蜂蜜酒ミードを口に運ぶ。

「ファルジャードの叔父がお前に兵を引き渡したのは、叔父とお前の一族が協力関係にあるからなのか?」

 ダリュシュの祖父や大叔父などは、ファルジャードの祖父に殺害されているが、恨んではいない。だが一族には恨みを持っている者もいる。それはファルジャード側の一族も同じだが、いまは「ファルジャード」という両氏にとって排除したいただ一人の存在により、手を組もうとするまでに至っていた。

「はい、そうで御座います。このような言い方は正しくはないのでしょうが、たった一年で両一族をことごとく敵に回しファルジャードには、畏敬の念すら懐いております」

 ダリュシュは当初ファルジャードという男が常識がなく、嫌われることを無意識にしていると思っていたのだが、敵と味方をはっきりと見極めるために、故意に嫌われるようにしていることに気付いたとき愕然とし、この男には敵わない、肌でひしひしと感じた。
 「敵わない」それはダリュシュ個人の技量ではなく、一族そのものを指しているのだが、ファルジャードの才能をいまだ低く見積もっている彼の一族は、勝てると考えている。
 
「そうか。ダリュシュはファルジャードのことは嫌っていないのだな?」
「個人的には、嫌う理由はありませぬので。わたしめが向こうに嫌われる理由ならば、山ほどありますが」
「そうか。お前とファルジャードの事情は分かった。ところでダリュシュ、お前はサマルカンドから出るつもりはあるか?」
「…………」
「フラーテスの手紙に、自分が故郷天の国へと帰ったあと、よければダリュシュをわたしの部下に迎えてくれないかと書かれていた。わたしは構わんが、お前は色々あるだろう。フラーテスが故郷天の国に帰ったあと、部下になろうと思ったなら来るといい。委細はファリドに話しておく」
「御意」

 ダリュシュは退出し、ラズワルドは輿から出て自分で天幕を上げて、フラーテスからの手紙を焼き尽くし ―― それを見ていたジャバードとワーディが驚きの声を漏らす。

「火事にならんから安心しろ」

 ラズワルドの手の平には、灰すら残っていなかった。

「そうだ、ワーディ。今の話は人に話しては駄目だからな」

 手元にあった杯を持ち蜂蜜酒ミードを注ごうと、酒瓶があるほうへとラズワルドは足を向けた。部屋の隅にいたワーディが急ぎそちらへと向かうが、構わぬとばかりに自分で酒を注ぎ、立ったままその場で蜂蜜酒ミードを飲む。

「あ、言いません」
「よし。それで、聞いていて分からないこととかあったら、説明するぞ。もやもやしている部分とかあったら寝られんだろ」
「え、あ、ほとんど分かりませんでした」
「そうか。気になるところはないか?」
「特には」

 ただの奴隷のワーディには、先ほどの話は全く住む世界が違うもので、内容の欠片すら頭に入ってこなかった。

「ジャバードは」

 いきなり話し掛けられた三十過ぎで上背のある隊長は、

「諸侯王一族とダリュシュ卿の一族の不仲は、こちらに来た際に前任者から説明を受け知っておりました」

 表層的なことは知っていたが、ダリュシュの一族の者がファルジャードを暗殺しようとしたことについては、もちろん知らなかったし、詳しく知ろうとも思わなかった。

「こちら? お前サマルカンドの出身じゃないのか」
「はい。わたしめは、南のアッバース地方の出身です」
「アッバースか! そうか、アッバースか! 故郷に帰りたくはないか!」

 実はこのジャバード三年ほど前までは、故郷のアッバース近辺の巡回業務を担当していたのだが、悪い相手に手を出してしまい、結果として遙か北、サマルカンドへと飛ばされたという過去があった。
 金が散る瑠璃色の瞳でじっと見つめられ ―― 帰ると面倒なことになるのは知っているが、本心としては帰りたい。そして神の子に嘘をつくなど、武装神官としては以ての外。故に、正直に答えた。

「帰りたいとは思っております」
「では一緒に行こうではないか」
「……」

 この・・ジャバードは、ラズワルドがアッバースに行くことを知らなかった。もちろん知っていたとしても嘘はつけないのだが。

「パルヴィズもこっちに来るから、配属変えに関しては心配するな」
「御意にござりまする」

 転属になった理由をパルヴィズに話すべきか、話したとしてアッバース行きを回避することができるのか、この・・ジャバードにできるのは、メルカルト紋が薄れてしまった剣の柄を撫でることくらいであった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 「遠回りして侯都に行く」とラズワルドに言っていたアルダヴァーンは、途中でファルロフたちと合流し、無事に侯都の神殿にたどり着いた。
 そしてラズワルドがファルジャードを追って最果てエスカテの砦へと向かったとフラーテスから聞かされ、

「ラズワルドならば当然か」

 顔の半分が髭で覆われている偉丈夫のファルロフが、楽しげな表情を浮かべて頷く。

「黙って待っているなど、ラズワルドではありませんからね」

 同じくアルダヴァーンも、声を出さずに肩を震わせ笑った。
 その後三柱は、戦争にまで行かせてしまったカスラーたちに対する褒賞について話し合い ――

「アルダヴァーン公、よろしいでしょうか」

 部屋に戻ったアルダヴァーンに、パルヴィズがジャバード隊のことを報告する。

「たしかシャーローンと遭遇したのも彼でしたね」
「はい。神殿の者たちが、顔を覚えておりましたので、間違いないかと」

 シャーローンをサマルカンド侯都まで送り届けた武装神官に、褒賞を与えるよう命をうけたパルヴィズは、彼への褒美はなにが適切かを知るため賞罰を調べ、アッバースで暴行事件を起こして移動になったと知り ―― 彼について詳しい調査をした。
 途中でファルジャード暗殺未遂事件や国王の崩御などがあり、調査は思うように進まなかったのだが、王都が焼ける前にある程度の事情を掴むことはできた。

「海将の小姓に無理強いしたと?」

 あの・・ジャバードの転属理由は、アッバースに駐留しているペルセア海軍を預かる海将が寵愛している小姓に暴行を働いたのが原因。

「はい。詳しい調査などは行われてはおりません」
「海将が小姓の言葉を全面的に信用して……ということですか」
「そのようです」
「でもお前は小姓の話を、まったく信用していないと」
「公柱に二度もお目にかかれるような男が、そのような罪を犯すとは到底思えませぬ。また海将の小姓は美しく、よく男が惑わされ追放になっております」

 海将は仕事の面では良いのだが、その小姓が関わると途端に私情が優先してしまう。

「分かった。ラズワルドのアッバース滞在を良きものにするためには、その小姓をどうにかせねばな」
「排除いたしますか」
「悪いのが小姓なのか、海将なのかはっきりせぬからなあ。小姓の見た目によっては、ハーフェズの身にも危険が及ぶやもしれぬ」
「海将がたとえ色好みだとしても、神の子の奴隷には手は出さぬかと」
「小姓が自分の地位を脅かされると考えることはないか」
「……あり得ます。事件が自ら男を誘い、そして罪を被せているのだとしたら、充分にあり得ます。ましてや、海将が甘やかしているのであれば」