ラズワルドとハーフェズ、最果ての花を手に入れる

 ファルジャードたちにとって、ラズワルドがもたらす俯瞰により、勝利は揺るぎないものになった。俯瞰された側のマッサゲタイはどうなったか ――

「大敗を喫するって、こういう事なんですね……」

 矢を射る兵士たちがいる外回廊で、白い毛皮の外套を着込み、同じく白い毛皮で作られた耳当てつきの帽子を被ったラズワルドと共に、戦場を眺めていたバルディアーがそう呟いた。

「俺もあんまり戦場ってのは見たことないが、これは……すげえな」

 ジャバード隊の五名も、ラズワルドの護衛のため側にいる。
 二人の呟きが聞こえる位置にいる兵士たちも、同じ気持ちであった。

「マッサゲタイが分断された。七対三の割合だ。ハーフェズ、そこから右に三十五度の方角に三割だ。七割は左十七度方向。引き始めたぞ」

 離れていてもラズワルドと視界を共有できるハーフェズは前線で、無数の兵士に守られ戦場の全体像をカスラーやファルジャード、そしてダリュシュに伝えている。
 声も精霊を使い伝達することができるため、マッサゲタイ軍よりも彼らがどこにいるのかが分かるような状態。
 またなんとか前線を抜け、火矢で砦に小火を起こして、混乱させようとマッサゲタイの兵が矢をつがえるも、精霊の力を持つラズワルドにより矢は飛ばずに落ちるだけ。
 どれほどの数の人間がかかってこようが、ラズワルドには近づけない ―― 人と半神、その絶対の差である。

「伏兵とか言うものは見えん。集団は更に分裂した。潰走と言っていいだろう」

 神の視界と声により、ペルセア軍は圧勝した。
 戦場に転がっている多くはマッサゲタイの兵士。ただ圧勝ではあるがペルセアの兵士も戦死者なしとはいかなかった。
 ペルセアの兵士たちは、戦いで死んだ勇敢な同僚探しを始める。
 よほど死体が損壊していない限り、死体をそのままにしておくと、屍食鬼になってしまう。勇敢に戦った同僚を屍食鬼にしてはならないと、彼らは疲れた体に鞭を打って同胞の死体を捜し首を切り落とさなくてはならない。
 それはマッサゲタイの兵士も同じことだが、敬愛すべき同胞ではないので、そういった処理・・は砦の下働きの仕事である。彼らは首を切り落としてやる代わりに、身ぐるみを剥ぐ ――

「さてと、では祈るとするか」

 マッサゲタイが完全に撤退したのを確認してから、ラズワルドは外回廊の壁の上に立ち、手の平を天に向けて、どちらの兵士も屍食鬼にならぬように祈りを捧げた。
 血なまぐささが残っている戦場が、光の欠片で満たされてゆく。まだ戦場に残っている兵士たちは、歓声をあげてその欠片を掴もうとする。

―― 死体があるところ、全てに届け。届け……

 ラズワルドの祈りで戦場の全てが光りで溢れ、祈りが終わると雪がちらほらと舞い降りてきた。

「さーて、ハーフェズとファルジャードを迎えにいくか!」

 軽快に腰の高さほどの壁から飛び降りて、何事もなかったかのようにそう告げ、走り出した。
 ラズワルドの行動に慣れ始めているバルディアーは遅れずに駆け出したが、ジャバード隊の面々は一拍遅れてから、バルディアーの後を追うような形で走り出した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ワーディはセリームと共に、ハーフェズが戻って来るのを、砦内の大広場で待っていた。

「光るお祈り、凄かったなあ」

 ラズワルドの祈りは戦場だけではなく、砦全てにも及んでいた ―― 目を閉じて祈っているラズワルドは、祈りが砦を包んでいたことなど知らないし、知ったとしても「誤差だ」と雑に済ませてしまうが、人々にとっては、感涙で震えることであった。

「ラズワルド公の光祈は、いつ見ても圧巻だよ」

 王都に到着してすぐの頃、光祈というものが存在することは知っていたが、見たことはないとセリームが言うと「じゃあ見せてやる」と、幼いラズワルドが目を閉じて手を広げ ―― セリームの視界に映る全てが、一瞬にして輝きに覆われた。

「俺、初めて見た時、腰抜かしたもんなあ」
「俺は王都で腰抜かしたよ」

 ワーディと話ながら、セリームはあの日のことを思い出し、

―― 奇声上げながら腰を抜かした姿……ラズワルド公、覚えているんだろうなあ

 驚きのあまりに上げた「ふひゃあああ」という奇声を忘れてくれていたらと思ったが、きっと無理だろうとも。
 二人が話をしていると、まずはファルジャードがダリュシュと共に戻ってきた。

「お帰り、ファルジャード。怪我はない?」
「大丈夫だ、セリーム」

 隣のダリュシュは無言で馬から降り、ファルジャードの側に立つ。彼は暗殺の危険に常に晒されているファルジャードを、一応守っていた。一応・・なのは、彼が真に守るのはフラーテスだからである。
 ファルジャードから少し遅れて戻ってきたハーフェズ、彼の周囲はまだ煌めいていた。

「戻りました」

 ひらりと馬から降りたハーフェズは、周囲の目を気にすることはない。

「ハーフェズも光るお祈りできるのか?」
「出来ませんよ、ワーディさん」
「でも光ってるぞ」
「ラズワルドさまの光祈なんで、俺を守ってくれているんです。他の神の子の光祈では、こうなりません」
「そうなのか。お前、敵なしじゃないか」
「ははは、そうですね。実際俺、怖いモノありませんし」

 戦帰りとは思えぬ、何時もと変わらぬ笑顔で、ハーフェズは答えた。

「馬は俺が世話しておくから、ラズワルド公の所に早く戻ったらどうだ?」

 ワーディはハーフェズが手放した手綱を掴む。

「いやいや、絶対ここに来ますから。そりゃもう、全力で砦を走り抜けて来ます」

 ラズワルドはワーディにハーフェズの馬の世話をするよう命じてはいない。
 それどころか、とくに仕事を与えてはいなかった。片腕だから……などという理由ではなく、単に買ったはいいが与える仕事が思いつかないということで。
 普通奴隷は、させたい仕事があるから買うのだが、冤罪で罰を下されそうになっていたワーディを助けた。奴隷を助けるというのは、買わなくて意味がないので、しっかりと責任を取り買ったのだ ―― 実際買ったのはカスラーで、ラズワルドに献上した形になっているが、とにかく買ったは良いが仕事などなかった。
 これでワーディが何かしら特技を持っていたら、それをさせたのだが、善行用に安く買える奴隷が彼の存在意義で、値段をつり上げてしまう付加価値となる技能は持ち合わせていなかった。

「え……来ちゃうのか」
「お越しになるだ!」

 ダリュシュの怒鳴りつけるような訂正に、ワーディは体をびくりとさせる。
 礼儀作法もなにも教えられてこなかった奴隷なので、言葉選びを間違うのは仕方ないのだが、ダリュシュにはそれを見逃してやる筋合いはない。

「す、済みません、ダリュシュさま」
「わたしに謝る必要はない!」
「……」

 取り付く島もないとはこのことだが、

「気にしない、気にしないワーディさん。ダリュシュさんは悪い人じゃないから。ただ厳しい人だから。きっと自分にはもっと厳しいだろうけど」

 ハーフェズはとくに気にせず「はいはい」と仲裁する。

「さすがのダリュシュも、ハーフェズには勝てないか」

 ファルジャードがそれはそれは面白そうに、若干の嘲りを込めたような口調で、セリームに語りかける。
 ”止めなさい、止めなさい”と、セリームは困ったような表情で宥め、ダリュシュは殺意が籠もっているとまでは言わないが、威嚇するような鋭い視線を送る。

「ハーフェズ! ファルジャード!」

 そんな雪がちらほらと舞い落ちてくる大広場に、ラズワルドが現れた。
 その場にいる者たちが一斉に跪拝する ―― 感動と感謝のあまり涙を流している者までいた。

「無事、任務を終えました。ラズワルドさま」

 ラズワルドは無造作にハーフェズの帽子を取り上げ、頭をがしがしと撫でる。

「ハーフェズは役に立ったか? ファルジャード、ダリュシュ」
「この勝利八割はラズワルド公の御言葉と神の目によるものに御座います」
「ちなみに二割はなんだ? ファルジャード」
「それはもちろん兵士に御座います」
「……なるほど。命がけで戦ったのは兵士だものなあ。割合を逆転させたらどうだ?」
「それは、兵士も望みますまい」
「そうか? それならそれでいいが。ダリュシュ」
「はっ!」
「戦は武装神官本来の任ではないが、よくやってくれた」
「勿体ない御言葉!」
「二人とも顔を上げろ。あとダリュシュ、兵士たちに跪拝を解くよう指示を出せ。馬が困っている」
「御意」

 そう言い、頭を撫で終えたハーフェズに再び帽子を被せる。

「ラズワルドさま」
「どうした? ハーフェズ」
「これ、戦場で見つけたんです」

 ハーフェズは外套の内側に手を入れ、小さな花を取り出した。
 花はとても小さく薄い紫色。葉は小さく緑の色も濃くはない ―― ラズワルドにとって初めて見る花であった。

「へえ。なんかいいな。もう雪も降る季節だというのに」

 受け取ったラズワルドは、嬉しそうにそれを眺める。

「退色はするが、草花を紙の間に挟み、重しをすると、ある程度そのままの形で保存することができるぞ、ラズワルド公」

 ファルジャードから聞いたこともない保存方法を聞いたラズワルドだが、疑うことはなかった。

「ほう? ……手紙に付けて送ったら、喜ぶかな」
「名もなき雑草だから、喜ばれるかどうかははっきりと……でも、あの王子ならば喜ぶのでは? おそらくウルクにはないはずだ」

 ラズワルドは何度かファルジャードと手紙をやり取りしており、その中に「アシュカーン王子と会った。手紙を送った」と書いていた。
 手紙を受け取ったファルジャードは「アシュカーンって誰だ?」と ―― 調べてエスファンデルにラズワルドと同い年の息子がいると知り、思わず「嘘だろ」と呟いたことがあった。
 アシュカーンはそれほど、知名度が低かった。

「そうか。ファリドはここに来たことあるから、喜ばんか」

 一年前「ウルクから初めて出たんです」と言っていたアシュカーンならば喜びそうだが、フラーテスに会いにサマルカンドまでやってきて、この砦まで足を伸ばしたこともあると言っていたファリドには要らないかと、採取する本数を指折り数えているラズワルドに、

「ファリド公は、すっごく喜ぶと思いますよ、ラズワルドさま」
「そうか? ハーフェズ」
「絶対喜びますって。ねえ、バルディアー」
「はい。ジャバードさまも言ってました。ファリド公はラズワルド公のことが大好きだと」

 二人が一生懸命「送ってあげて下さい」と ―― 

「そうか? まあ、いいや。よし、採取しに行くか。ハーフェズ、案内しろ」

 二人がそう言うのならば送るかと、ラズワルドは戦いが終わったばかりの戦場へ出ようとした。
 ちょうどそこにカスラーが戻り、なぜか戦場へと向かおうとしているラズワルドに事情を聞き、

「済まんな、カスラー」
「いいえ」

 ”そういうことでしたら”と、自分の馬に乗せて、花が咲いており、あまり死体が転がっていない場所へと連れて行ってくれた。

「なによりこの花は、今日で萎れてしまいますから、少し急がねばなりません」
「へ?」
「さすがに雪が降ると萎れてしまうのです」

 何度かこの最果てに赴き、マッサゲタイと刃を交えたことのあるカスラー。彼は単純な軍人いくさびとではない。
 いかなる状況でも戦いを有利に進めるべく戦場を隈無く調べる、知的好奇心を持った知識人でもある。
 よって、その花が明日には萎れてしまうことも知っていた。
 調べた際「そんなこと覚えていても、なんの役にも立たん」とカスラーに言った輩もいたが、白い毛皮に包まれ、深藍の長い髪を持つ神の子の希望をこうして叶えることができた。

「そうなのか! カスラーは花の名前知ってるか?」
「花の名は存じませぬ。申し訳ございません」

 もう少し踏み込んで調べておけば、神の子の問いかけに答えることができたのに ―― 彼は後悔するが、神の子はそれ以上を求めない。

「別に謝らんでもいいが」

 馬上でそんな話をしながら、死体の隙間を縫い進み、

「ここら辺は、踏み荒らされていませんので」

 花が一塊で残っている箇所で降ろした。
 曇天のもとラズワルドは花を摘み、少し遅れてやってきたジャバード隊長が籠を差し出す。それに丁寧に並べ、

「花はこれくらいでいい」

 摘み終えると、マッサゲタイたちが潰走した方角を見つめた。

「……」
「行ってみたいですか? ラズワルドさま」

 神の子はペルセア王国から出ることはできない。
 ”その先”に行きたかったら、ペルセア王国が侵略し支配するしかないが、それはペルセア王国であり、ラズワルドが行ってみたい異国ではない。
 ラズワルドはこの大地の何処でも見ることはできるが、見たいのではない、行ってみたいのだ。

「それはなあ。見るだけなら、いくらでも見ることはできるが……まだそっちには行かないぞ精霊王。さあ、帰るか」

 ラズワルドは”精霊王”と呟いたが、人間の目には地平線が見えるだけであった。

 戦場にしかならない砦前に広がる大地に咲く花。七枚の薄い紫色の花弁、中心は白くなっていた。葉も花弁同様に小さく、濃い緑に比べたら随分と白んでいるようにも見える。上には伸びず、地面に這うようにして生きている、前線にある誰の目を楽しませることもない小さな花。
 その辺りでは見た目通り「秋に咲く花」と呼ばれていたが、ラズワルドは押し花にしたそれを「最果ての花」と名付け、アシュカーンに送った。