神殿に至るまでの通路の中心には、なみなみと水がたたえられた長方形の池があり、両脇の通路は広く、二十人ほどが並んで歩いてもまだ余裕があるほど。
二十の尖塔の先にある神殿前まで、ラズワルドたち一行は馬車と馬で乗り付けた。
「カスラー、ありがとう!」
馬車の扉が開くと、ラズワルドは絹製の身長よりも長いクーフィーヤを被り、銀冠を頭に乗せる。
「公柱のお供を務められ、幸せに御座いました」
アルダヴァーンからカスラーは侯都までの同行だと聞いていたラズワルドは、馬車から降ろしてもらうと笑顔で感謝を述べ、青いクーフィーヤを翻し、神殿へと駆け込んでいった。
「ありがとう御座いました、カスラー卿。ラズワルドさま、待って下さい」
「ありがとう御座います、カスラー卿。あの、後日また改めてお礼を」
護衛なのだが護衛になっていない二人が、急いで後を追う。神殿内から様々な悲鳴が聞こえ ―― カスラーは神殿長に会い、ラズワルドの私物や旗、あとは近隣で受けた寄進の品々など、目録を添えて渡した。
「確かにお受け取りいたしました」
こうしてカスラーのラズワルドを侯都に送り届ける任務は一段落した……のだが、
「ラズワルド公柱の供を務めた、中将軍カスラー卿か」
次にサマルカンド諸侯王に会いに行こうと、神殿を後にしようとしていたカスラーの元に、武装神官と一目で分かる青いマントをはおり甲冑を身につけた、青年が声を掛けてきた。
「そうだが」
長い黒髪を後ろで一本に束ねている青年は、
「わたしは、神の子フラーテス公の側仕えを務めている、ダリュシュという。フラーテス公がお会いしたいそうだ」
フラーテスの部下だと名乗った ―― メフラーブとは違い、信心深く世情にも疎くはないカスラーは、フラーテスに若いダリュシュという武装神官が仕えていることを知っていたので、すぐに了承し言われた通り神殿前で部下たちと待機する。
彼らが待機してからさほど時間をおかずに、ラズワルドと同じく十二名で担ぐ輿に乗った、ラズワルドと同じように顔の半分と鼻筋が青で覆われ、メルカルト紋が描かれている神の子が現れた。
跪拝しているカスラーの前まで輿は近づき、担いでいる者たちが膝をついた。
フラーテスはカスラーに、ラズワルドを無事サマルカンドまで連れてきてくれたことに対し礼を述べてから、先ほどカスラーに面会を伝えにやってきた青年ダリュシュに手を貸してもらい腰から降り、支えられながら語り出す。
「ラズワルドがファルジャードに会うために、このサマルカンドにやってきたのは、御主も聞いておろう?」
御主と呼びかけられたカスラーだが、答えはしなかった。この場合、答えないほうが正解で、フラーテスも慣れているので、カスラーからの返事がなくとも気にすることなく話続ける。
「実はファルジャードは初陣のため侯都にはおらず、いまは
ラズワルドが伴うのはハーフェズとバルディアー。そしてソグディアナで助けた巡回業務を担当していた武装神官の一隊。一隊は五人編成で、隊長の名はジャバード。
一年半ほど前、シャーローンと遭遇した彼である。
襲われていた彼らを助けたラズワルドは、彼らに同行を命じ、このサマルカンドまで連れてきた。そして
また途中で助けた片腕のない奴隷ワーディと、ファルジャードが危険だからと神殿に預けていったセリームを伴い ―― 九名で向かうのだと。
「ラズワルドの力があれば、たとえマッサゲタイ人であろうがものの数にもならぬし、
カスラーには、断るという選択肢はないので、返事をしないのが人としての常識なのだが ――
「またラズワルド公柱のお供を務められるのは、望外の喜びにございますが……ラズワルド公柱はお供を許して下さいますでしょうか?」
供をするのは苦ではなく、むしろ神の子の随行者となれるのは栄誉ゆえ、どこまでも付き従うのだが、それをラズワルドが許すかとなると別である。
「そこは儂が説得する……多分、説得に応じてくれると思う」
些か頼りないフラーテスの言葉ではあったが、
「お供の許しが出ませんでしたら、わたし個人として後から追わせていただきます」
カスラーは両公柱に最大限配慮して、そのように申し出た。
「おお、頼む。ダリュシュ、カスラーと共にサマルカンドの所へ行ってきなさい」
「御意」
カスラーたちはサマルカンドが目的地であったため、手元に物資はほとんど残っていない。もちろん、何事があっても良いよう二三日分は残っているので、侯都の東約200
諸々の大まかな段取りを整え、細部は部下に任せたカスラーは、ダリュシュと共に神殿へと戻り、報告しようとフラーテスが待つ神殿の大広間へと向かった。
大広間は王都の
見渡す限りの青の中、フラーテスは積まれたクッションに背を預け、ラズワルドは横になり転がっていた。
ダリュシュが「戻りました」と、大きな声で叫ぶと、フラーテスが手を上げて二人を呼び、ラズワルドは起き上がり神座から勢いよく駆け下りる。
「フラーテスが我が儘言って御免な、カスラー」
そして、ラズワルドに詫びられた。
「いえいえ」
「本当に御免。フラーテス、あんまり我が儘言っちゃ駄目だろ」
カスラーはそんなことはありませんと言うが、ラズワルドはフラーテスをがんがん責める。
もっとも責められている方は、玄孫ほども年の差がある娘が、「我が儘言って」とむくれながら詰め寄ってくる姿が可愛くて仕方なかった。
「年寄りになると、我が儘になるのじゃよラズワルド」
「誤魔化すなー。カスラーも、嫌だったら断っていいんだぞー」
―― カスラーさん、大変だ。どっちも断れないもんな。俺はラズワルドさまの意見取るけど
隊長ジャバードと一緒に旅の用意を調えて戻ってきたハーフェズは、神の子二柱に言い寄られているカスラーを見て、大変そうだと感じたが、助け船を出すようなことはしなかった。ハーフェズにとっては、ラズワルドと他の神の子の意見が違った場合、前者の意見を優先するのは、当たり前のことなので。そんなハーフェズは巨大な一本の柱の影から、バルディアーと共に覗いていた。
「わたしめとしては、ラズワルド公柱のお供を務められるのは嬉しいことでありますが、公柱がお嫌でしたら、お供という形は取らず、別々に最果ての砦を目指す形を取りますが」
神座の前まで連れて来られたカスラーと、付き従ってきたダリュシュが揃って膝を折り、二柱を見上げる。
「どうしても、最果ての砦に一緒に行くと?」
「はい。なにせ道中、一度も公柱にペルセア兵の強さをお見せすることができませんでした。ですがフラーテス公柱よりお声を掛けていただいたので、これはラズワルド公柱に我々の強さをお見せできる良い機会だと思いまして。是非とも我らに、強兵であることを公柱にお見せする機会を与えください」
これはカスラーの本心でもあった。
王都からサマルカンドに至る道中、カスラーたちは一度も剣を振るうことはなかった ―― カスラーだけは、魔の山の近くで
当初は魔物の襲来に怯えていた兵士たちだが、結局魔物らしい魔物に遭遇することはなく ―― 魔王すら近寄れないラズワルドに近づける魔物はいないので、遭遇しないのは当然のことではあるが。
盗賊とて神の子の旗を掲げた、隊列が一切崩れぬ千の騎兵に襲い掛かるはずもない。
「いや、お前たちの強さは伝わってきたぞ。あの状態の魔の山に近づけるなんて、よほど強くなければ無理だ。あと指揮官が確りしているのも重要だな。強兵とそれを率いる優秀な指揮官という図式は、しっかりと見させてもらった」
ラズワルドは胸を叩き、「後日しっかりとファリドに伝えるし、大将軍にも言っておく」とカスラーを褒めた。
「ありがたき御言葉」
「でもまあ、何となく言いたいことは分かった。武装神官の本懐が魔を討つことならば、武人の本懐は
「随行をお許しいただけますか」
「うん。頼んだぞ、カスラー」
「身命を賭してお供をさせていただきます」
カスラーは深々と頭を下げた。
「カスラーは良いとして、フラーテス我が儘はあんまり言うなよ!」
「済まぬ、済まぬ。だが御主の供が九名と聞き、心配でなあ」
「フラーテスは若い頃、グーダルズという武装神官だけ連れて、ペルセア国内武者修行して歩いたって聞いたぞ。それに比べたら、九人も連れて行くんだから、少なくないし心配でもないだろ」
「儂の若い頃の無謀がラズワルドに知られていたとは、恥ずかしいのう」
「マーカーンから聞いたぞ。かなり上機嫌で武勇伝を語っていたとか」
「いたたまれないわ」
「ところでフラーテス、やって欲しいことがある」
「なんじゃ? ラズワルド」
ラズワルドはフラーテスに、マッサゲタイの女王トミュについて、マーカーンに語ったフラーテスの旅、そしてサマルカンドの子どもたちが聞いて育つ物語を集めて書き記すよう依頼した。
「全部書き記すんだぞ」
「分かった。声がかれるまで語り、書き記させておく」
「ハーフェズ、バルディアー。部屋に行くぞ」
柱の陰に隠れている二人に声を掛け、頭を下げているカスラーを連れ、ラズワルドは大広間を後にした。
「ほぉほぉほぉ。まさか、若い頃の無謀を知られているとは。ダリュシュ、右筆を手配しておいてくれ」
ラズワルドが旅立つ前に語り終えられるかなと、フラーテスは笑いながら語る。
「はっ! ……」
「どうしたダリュシュ。なにかあるのならば、言いなさい。なにかを抱えたまま、前線に赴くのは危険じゃぞ」
「……御言葉に甘えて。あの、何故未だにラズワルド公の部隊が編成されていないのでしょう。カスラー卿が悪いとは申しませぬ。彼のように立派な方はそういないでしょう……ですが……」
自分に仕える年若い武装神官 ―― そうは言ってももう二十五歳の一廉の男なのだが、フラーテスからすると十一歳のラズワルドと大差はないダリュシュの言葉に頷く。
「理由を知りたいか、ダリュシュ」
「……」
面を上げたダリュシュは、フラーテスの表情を見て「知らぬほうが良いことだ」とすぐさま判断したが、自らが持ち出した話題故に拒否はしなかった。
「北でもっとも勇敢な武装神官が、そのような表情を浮かべてはならぬぞ、ダリュシュよ」
怯えるダリュシュに、フラーテスは優しく話し掛けるが、その声すらダリュシュには怖ろしかった。
「御主を怯えさせるつもりないのだが、あの娘に仕えるのはシャープールが率いている部隊だ。今から、四、五年前にアルダヴァーンより、そのように連絡があった」
「シャープールとはメディア地方出身の、あのシャープールでしょうか?」
「そうだ」
メディア地方出身の武装神官で、名をシャープールといい部隊を率いている人物は一人だけ。彼はファルナーズという神の娘の直属を務めていた。
直属を務める者は、主を替えることはできない。
例外としては神の子がいなくなってしまった場合、別の神の子の隊に入ることもあるが ――
「あの……」
「アルダヴァーンは、儂と同じく
「それは……」
「パルハームの部隊は、あれが神の子ではなくなっても、誰一人として欠けることなく付いて行ったが、ファルナーズはどうもそうは行かぬようだ。神性を失うに至る経緯がまったく違うからな」
パルハームはカルデア諸侯王の長男で神の子で
ラズワルドが生まれる数年前に、後を継いでいた弟が子をもうけぬまま死に、後を継げる男児がいなかったため、悩みに悩んで神の子から、人へと下った。
その決断を下すまでの苦悩を間近で見ていた部下たちは、神の子ではなくなっても彼を慕い、五つほどになった跡取りを一族の者に預けて、彼は神殿へと戻り ―― 部下たちはずっと彼に付き従い、今も彼とともにアッバースにいる。
「そうでしたか」
「ダリュシュ。儂とアルダヴァーンの不仲は、この未来視によるものだ。儂は未来視をするだけで、どのようなものであろうが、変えるために動くことはせぬ。だがアルダヴァーンは悪いものであれば、変えようとするし、実際何度か変えたこともある。そうやって生きてきた男が、変えようとせぬのだ。もうどうすることも出来まい」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ラズワルドは当初の予定取り、到着の翌日には
「後で必ず追いつきますので」
「おう! 待ってるからな、カスラー」
カスラーが率いる部隊は、物資が十全ではないので、ラズワルドたちから一日遅れての出発となる。
「フラーテス公、行って参ります」
「頼んだぞ、ダリュシュ」
当初の九名にダリュシュを加えて、ラズワルドはペルセア王国の果てを目指して旅立った。