ペルセア王国歴三二二年、ラズワルドを守る部隊がいない理由

 神の子を守る部隊の編成は、神の子の存在が確認されると同時に行われる ―― よって部隊の編成が間に合わぬということは、いきなり現れたシャーローンのような状況でもない限りあり得ない。

 ましてそれがナュスファハーンに現れて、ナュスファハーン育ちの、顔半分を覆い隠すばかりか、鼻筋まで神の文様で埋め尽くされているラズワルドともなれば ――

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ペルセア王国歴三二○年の冬、神の娘ファルナーズの最側近であるシャープールは「以前の報告に関して、話があります」とパルヴィズから呼び出しがあり、

「もう気にする必要はないそうです」
「それはどういう意味でしょう」
「わたしも分かりません。ですがアルダヴァーン公が、気にする必要はないと明言なさいましたので、気にしてはいけません。分かりますね、シャープール卿」

 話というよりは一方的に忘れるよう促され ―― パルヴィズの部屋を辞した。
 パルヴィズが気にするなと言っているのは、シャープールが仕えている神の子ファルナーズと同僚であるフェルハトの関係。神の子と人が恋仲であることは周知の事実であり、かなり際どいところまで、その関係は進んでいた。
 ただの人であるシャープールには、ファルナーズからフェルハトを取り上げることはできないので、神の子についている武装神官の筆頭と言われるパルヴィズに相談をした。
 報告を聞いたパルヴィズは、嫌悪の感情を隠さなかった。パルヴィズは非常に信仰心に篤い男で、人が神に劣情を懐くことを非常に嫌っていた ―― アルダヴァーンとファリドは仲が良いのだが、主に懸想しているジャバードと、絶対の信仰心を持つパルヴィズの仲は、戦闘状態にある国境線もかくやといった状態である。
 シャープールから報告を受けたパルヴィスは「こんなことを、アルダヴァーン公に届けるのは」 ―― シャープール自身、アルダヴァーン公の耳を汚す出来事だとは思ったが、黙っているわけにもいかなかった。
 それから数日が経ちパルヴィズに呼び出され「気にする必要はない」と告げられた。
 フェルハトが殺害されるのか、それとも ―― 
 部下が神の子から神性を奪う行為をするかもしれないと考えただけで、シャープールは吐き気がこみ上げてきた。

「シャープール」
「なんだ? ソフラーブ」

 書類を前にため息を吐き続けていた彼の元を訪れたのは、同じく神の娘の最側近を務めるソフラーブ。二人は神殿に入った時以来の友人で、気軽に何でも話すことができる仲であった。
 ソフラーブの顔を見たシャープールは、このまま書類を片付けようとしても無駄だろうと切り上げ、いきなりの来訪者と共に美しい薔薇が描かれている華氈に座り直して酒を飲むことにした。
 特に他愛のない話をしながら、夜光杯に注がれた葡萄酒を三度空にしたところで、ソフラーブは酒姫を下がらせ、シャープールと膝を突き合わせる。

「シャープール。ラズワルド公の部隊選定がまだ始まらぬのだが、なにか話を聞いているか」
「なにも」
「そうか。フェルドーズもなにも知らぬと言っていた」

 フェルドーズはペルセア王国歴三二○年に武装神官団の長、中将軍になった。彼の前任はモラード。
 モラードはラズワルドの養父メフラーブが巻き込まれた没薬横流し事件が起きた時の中将軍で、今までその地位におかれていたが、来年にはラズワルドが神殿にやってくるので、当人が「ラズワルド公に対して不敬をはたらいた身ゆえ」と退任を希望し受理され、三十歳のフェルドーズがその地位に就くことになった。
 モラードの退任は誰もが予想していたことなので、驚かれはしなかった。
 中将軍が若く、地方都市で長年任務をこなしていたフェルドーズだったことに驚きはあったが、モラードの子飼いにその地位を引き継がせては、退任の意味はなかろう、当時中央とは離れたところに居た人物のほうが良かろうと「ファリド」の一言で、この人事で収まった。

「あまり中央の隊員に詳しくないフェルドーズが選ぶ……とは考え辛いな」

 自らが仕えるファルナーズのことで悩んでいるシャープールだが、ラズワルドの部隊に関しては気になっていた。

「ファリド公がジャバード卿に命じる……とばかり思っていたのだがな」
「命じられた気配はなさそうだ」
「我が主ヤーサマン公や、御主の主ファルナーズ公とは違い、ラズワルド公は滅魔の能力お持ちだから、こちらとはあまり関係することはなさそうだが」
「ヤーサマン公はラズワルド公が来られるのを、楽しみにしているのであろう?」
「ああ。そういう公柱同士の交流ではなく、隊員の交流だ」
「分かっている、ソフラーブ」

 神の子の順位は、神の文様の大きさで決まるが、神の子についている人間たちの順列は、魔を屠る能力を持つ神の息子・・付きの者がもっとも格が高く、次いで能力を持たない神の息子・・付き。次に魔を屠る能力を持つ神の付きの者たちで、最後が能力を持たない神の付きの者たちとなる。
 シャープールの主である神の娘ファルナーズ、ソフラーブの主たる神の娘ヤーサマン、どちらも魔を屠る能力を持っていないので、部下の階位は神の子付きとしては下位にあたる。
 無論神の子付きなので、王族との面会も容易いほどの地位にはあるが、上位とはかなり差がある。
 ただいずれ一柱だけで存在することになるラズワルドの部下となると、上位の神の息子の部下と同等か、それ以上の立場になることができる。

「シャープール。俺は御主は立派な男だと思う」
「いきなりなんだ、ソフラーブ」
は完成された部隊を、そのままラズワルド公直属部隊にしようとしているのではないだろうか? たとえば、御主が十二年かけて育てた部隊とかな」

 シャープールとて野心がないわけではない。

「ソフラーブ」

 そしてシャープールを唆しているソフラーブも、己の内側で燻らせている野心に、再び火を付けたいと考えている。

「そんな恐い顔をするなシャープール。悪い話ではなかろう? ラズワルド公直属部隊だぞ。パルヴィズ卿やジャバード卿、カイヴァーン卿に割って入ることができる地位に就けるのだ」
なんらかの事情・・・・・・・で、部隊替えが起こったとして、わたしがヤーサマン公直属の部隊になり、御主が別の御方の直属部隊の隊長となることもあるのではないか? 言ってはなんだが神に冒涜を働いた者が所属していた部隊よりは、冒涜者を出していない部隊のほうが、上の評価は高かろう。ソフラーブ、わたしも御主は立派な男だと思っている」

 フェルハトとファルナーズの関係は、もはや公然の秘密状態。切欠があれば均衡は崩れ ―― 神の子一柱が消える。

「ありがたい」
「ソフラーブ。わたしも出世欲はあるし、それなりに才はあると自負しているが、ラズワルド公にお仕えできるほどのものかと問われると自信がない」
「それはな……」
「わたしも野心はある。だがその野心にかまけて、神を蔑ろにするつもりはない。パルヴィズ卿の命に背くことになるが、もう一度だけフェルハトに忠告してみる」
「あいつも聞き入れてくれたら良いのだがな」

 そう言ってはみたものの、シャープールもフェルハトが聞き入れて、ファルナーズから離れるとは考えてはいなかった。
 なるようにしかならないのであろうと ――

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ペルセア王国歴三二二年、王都を空飛ぶ魔物が襲い、王宮が大惨事に見舞われた。
 これらの事象を引き起こしたのは、即位したばかりの国王であるゴシュターブス四世であると ―― 呼び出された神の子の最側近たちにパルヴィズが告げた。
 シャープールの立場では委細は分からなかった。行路の安全を確保するために、アルダヴァーン、ヤーシャール、シアーマク、ホスロー、サーサーン、シャーローンが征伐に向かうことが告げられ、彼らの側近はパルヴィズを除いて、征伐の準備に取りかかっているため居なかった。
 あと王都にいるのにこの場に居ないのは、ファリドの側近のジャバード。パルヴィズと不仲ゆえ居ないなどということではなく、彼は他と連絡を取り合い指示を出している。

「王都はファリド公が守ってくださいます。そしてアルデシール王子の身柄を、サマルカンドに移します。軍隊が付き従いますが、王族を狙う魔物なので、守りが必要となります。この守りはファルロフ公とファルナーズ公が担当してくださるそうです」
「え……」

 ファルナーズが移動する際には、必ず従う部隊を率いているシャープールは、思わず声を漏らした。

「なにを驚いているのですか、シャープール」
「あ、いえ。ファルナーズ公は王都と祖廟の往復しか、ご経験がありませぬが」

 王都にいる神の子たちは、三ヶ月交替で王家の祖廟に赴任する。今赴任しているのはイェガーネフ。
 この祖廟での任は、全員に均等に割り振られているわけではなく、魔を屠る力のない公柱が主に担当しており、シャープールの主であるファルナーズはよく出向いていた。
 ファルナーズの行動範囲は、王都から三日半ほどの距離にあるその祖廟まで。十歳で王都に来て以来、ファルナーズはその往復しかしていなかった。
 そんな神の娘が、いきなり遙か遠き北の侯都まで行くなど、あまりにも唐突で無茶な話であった。

「それに関しては、わたしも委細は分かりません。公柱が話し合いでお決めになったことですので」

―― その話し合いに、ファルナーズ公はいなかっただろうな……

 公柱が話し合って決めるの「公柱」は、アルダヴァーンとファリドの二柱のことを指し、事情によってはそこにアルダヴァーンよりも年長の神の子や、ヤーシャールやファルロフ、ジャムシドやシアーマクが入るだけで、全員で話し合って決めるということはない。

「パルヴィズ卿、時間がないのは分かっておりますが、幾つか聞いておきたいことが」
「なんですか? シェプセスカフ卿」

 ファルナーズと共に王子に同行する神の息子ファルロフの側近シェプセスカフが、危険が伴う移動に関して、パルヴィズに幾つか疑問をぶつける。

「我がファルロフ公護衛部隊が攻撃を主に、ファルナーズ公護衛隊は防衛を専門に……ということでよろしいか?」
「わたしとしては構いませぬが、シャープール卿もそれでよろしいですか?」
「はいパルヴィズ卿。守備のほうは任せてください、シェプセスカフ卿」
「物資の護衛も任せた。ところでパルヴィズ卿、王子は我ら二部隊が責任を持って、サマルカンドの侯王にお届けすればよろしいのか?」
「違います。王子には軍が付きます」
「数は?」
「王子と知られるのを極力防ぐため、また魔物に襲われた時に普通の軍隊では役に立たないので、邪魔にならぬよう三百騎ほど。率いるのは中将軍バーミーン卿。王子の身の回りのことは、彼に任せてよいでしょう」
「了承した。ではサマルカンドには、どの道を通って行けば良い? 王都より最短でサマルカンドを目指せば、魔の山の近くを通ることとなる。魔物を払うのは我ら武装神官の責務ゆえ、魔王相手でも喜んで戦うが、負傷した王子連れとなると勝手が違う」
「ファルロフ公、ファルナーズ公より先にラズワルド公がサマルカンドに向かわれるそうです。その際に魔の山方面にも足を伸ばし、魔物を全て払って下さるとのこと」
「そうか。それならば安心だな」
「ええ」
「……だがパルヴィズ卿、ラズワルド公は武装神官で組織された部隊をお持ちではないはずだが」

 神の子が移動する場合、武装神官団が護衛するのが一般的である。
 神殿に入って一年、ラズワルドの部隊はいまだ組織されていない。
 いずれ部隊を率いることになるのはハーフェズだと、誰もが認めている。そして元ジャバードの奴隷で、現在はラズワルドのものとなっているバルディアーは、ハーフェズをよく補佐してくれるであろうと ―― だが二人はまだ見習いのような状態。
 フェルドーズの部下でも借りて行くのだろうかと、シャープールが考えていると、

「普通の軍隊を率いて行かれるそうです」

 思いもよらぬ言葉がパルヴィズから返ってきた。

「それは」

 シェプセスカフが言いよどむのも無理はない。
 ラズワルドはペルセア王国において、もっとも危険な行路を進む。その補佐が、魔物との戦いに対し経験もなければ能力も知識もない軍となれば ――

「ファリド公が大丈夫だと仰ったのですから、なにも問題はないでしょう」
「分かりました」
「パルヴィズ卿!」

 報告と指示が行われている室内に、ジャバードが駆け込んできた。

「どうしました? ジャバード卿」
「王子を匿っていた邸が襲われた! シェプセスカフ卿は至急部隊を編成して、準備が整い次第ハマダーン城を目指せ。シャープール卿はファルロフ公とファルナーズ公の準備が終わったら二柱をハマダーン城までお連れせよ」

 魔物がなぜこれほどまで執拗にアルデシールを狙うのか? シャープールには分からなかったが ―― ジャバードとパルヴィズは理由を知っていることは、感じ取ることができた。それをわざわざ聞くかとなると、また別の話ではあるが。

「武装の程は?」
「ハマダーン城にはすでにラズワルド公がご到着なさっている故、魔物による襲撃はほぼないと言っていいだろうシェプセスカフ卿。だが気は抜くな。パルヴィズ卿、アルダヴァーン公は出発を早めるそうだ。後のことは任せて行け」
「お願いいたします、ジャバード卿。それでは」

 書類をジャバードに手渡したパルヴィズが、風のように部屋を後にし、

「シャープール卿。ファルロフ公のことをお頼みします」
「ご心配召されるな、シェプセスカフ卿」

 続いてシェプセスカフも駆け足で部屋を出ていった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 シャープールたちは王都ナュスファハーンを急ぎ出て、負傷している王子アルデシールと合流し、ハマダーン城でアルデシールの体調が落ち着くまで過ごした後、サマルカンドを目指しひたすら旅を続けた。
 ラズワルドが先行している彼らの旅は順調であった。途中、魔の山近辺でラズワルドが何者かと大規模な戦闘をしているのを見て、少しばかり歩みを遅くしたが、概ね予定通りに進み、何事もなくサマルカンドに到着する。

「アルダヴァーン公がお呼びだ」

 サマルカンドにはアルダヴァーンも来ており、シャープールは彼に呼び出された。

「フェルハトを諭したな、シャープール」

 言われてすぐに、なにを言われているのか分かったシャープールは平伏姿勢であったが、更に額を床に押しつけるようにして詫びた。

「申し訳御座いませぬ」
「構わぬ。いやお前が諭すのは分かっていた・・・・・・シャープール。わたしは知りながら、無視するようパルヴィスに命じた。これでフェルハトを無視したら、その程度の人間だと見限ったが、御主はメルカルトが見立てた通り、立派な男だなシャープール」

 平伏している彼にアルダヴァーンの表情は分からなかったが、口調からは怒りなどは感じられなかった。

「シャープール。ラズワルドはこの通り活発な娘だ。御主も苦労するであろうが、よろしく頼むぞ・・・・・・・
「御意」

 アルダヴァーンの前を辞したシャープールは、自分がどれほどあがこうが、未来は変わらないことを痛感した。