ラズワルド、天から舞い降りる

 ラズワルド上昇の理由は、力を使いすぎたこと。

「力を使えば使うほど、神に近くなってしまうのですよ。とくにラズワルドは、人の部分が極端に少ないため、一度に使える力の量も多いので、人間の部分が減るのも非常に早い」

 砂漠を抜けてもラズワルドの意識が戻ることはなく、馬車に乗せると馬車ごと持ち上がったり、幾ら声をかけても目蓋が開かれることもなく ―― シアーマク一行と共に北を目指していると、途中でアルダヴァーンと彼の率いる部隊と遭遇した。
 シアーマクはアルダヴァーンにラズワルドを預けて、魔物狩りへと戻り、預かった方はそのまま北へと向かい、サマルカンド侯領との境に建つアルサケス城へと入った。
 アルサケス城を預かっていた中将軍のナヴィドは剛胆な男だが、さすがに宙に浮いている神の子を前にして驚きを隠すことはできなかった。
 浮かんだまま、隙あらば故郷天国へと帰ってしまいそうなラズワルドの意識が戻るまで、アルダヴァーンはラズワルドと共にアルサケス城に滞在することになった。

「それにしても、馬鹿な精霊です。ハーフェズを無理矢理連れて行こうとするなど。”ラズワルドがいるところに連れていってあげるから、一緒に行こう”と言えば、あの子は喜んで付いていったのに」

 ラズワルドを胡座に乗せたまま、カスラーから当時の事情を聞いたアルダヴァーンが、そのように漏らす。
 何も喋りはしなかったが、隣で聞いていたパルヴィズもアルダヴァーンの意見に同意であった。
 そのハーフェズはというと、ラズワルドの側にやって来ては泣き、ラズワルドは意識はないが泣き止むまで頭を撫でるを繰り返していた。

 ラズワルドの意識が戻らぬまま、二週間ほどが過ぎたころ、ヘナで書いているハーフェズの名前が薄くなっているのにバルディアーが気付き、指摘した。
 これが消えてしまったら、どうしよう ―― ハーフェズにとって、額に書かれている「メフラーブの娘で神の子でもあるラズワルドの奴隷ハーフェズ」は、何よりも重要なものであった。
 パルヴィズの部下が警備についている礼拝堂で、宙に浮いているラズワルドの元へと行き、

「ラズワルドさま。おでこに書いてもらっていた、名前が薄くなったってバルディアーが。また迷子になったら、なったら……うわああん!」
「なんで文字が薄くなってるんだ? ハーフェズ。というか、縮んだのか?」

 喋っている最中に泣き出したハーフェズに、何事もなかったかのようにラズワルドが話し掛け、そして何時ものように手を伸ばして頭を撫で ―― ようとしたのだが、手が届かなかった。

「ちょ! ハーフェズ。なんで、わたし浮いてるんだ!」
「らじゅわるよさま、大好き!」

 ラズワルドの問いに答えず、ハーフェズは涙を流したまま、腰に抱きついた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……あー、そんなことになってたのか」

 アルダヴァーンに押してもらい、ラズワルドは見た目だけは、クッションに腰を降ろしているような状態になった。
 腰に抱きついたハーフェズは離れないのでそのまま、遅れてやってきたバルディアーに「反対側に抱きついていいんだぞ」と告げると、おすおずとだが抱きつき、泣き出し ―― 両方に泣いている少年を抱えたまま、アルダヴァーンから、何が起こったのかと、今までについての話を聞いた。

「そもそも、あいつはなんでわたしを封印したんだ?」
「ファリドを手に入れる為の人質といったところだろう」

 ラズワルドは口をぽかんと開いてから、

「…………身の程知らず?」

 そうとしか言えなかった。

「そうだな。ラズワルドを人質に取ろうとした魔王の僕マジュヌーンは、半分は精霊だったと報告を受けている。精霊王に聞けば名前は分かるかと」
「別に要らない。ところでアルダヴァーン、この浮いている状態、どうしたらいいんだ?」

 ラズワルドはそんな奴キデュルヌーンなどどうでもよく、現在自分が置かれている状況のほうが余程気になっていた。
 アルダヴァーンの説明によると、現在ラズワルドは半神半人ではなく、九神一人とでも表現するのが相応しいほど”人間”が失われている。そのため、気を抜くと本人の意思とは関係なく、天へと帰ってしまう。
 黙っていても放出される神性は構わないが、意図して神の力を使うと、ふわふわと天へと昇ってしまう。
 それを避けるためには、まず食べること ――

「食事の重要性は知っているけどな」

 神の子は食事を取らなくても死ぬことはないが、何も食べなければ通常・・一週間ほどで神の国へと戻ることになる。
 彼らは人間が食べているものを食べ、人間部分を維持している。

「とにかく食事。あとは浮遊が収まるまで、人に抱えられるなどして移動することだ。食事さえ取っていれば、一週間ほどで浮遊しなくなるだろう」
「じゃあ、歩けるようになるまで、ここに滞在していたほうがいいのか? ちなみに、ここ何処?」
「そうだ。ここはアルサケス城だ」

 地図を見て楽しんでいたラズワルドにとって、アルサケス城の位置を脳裏に描くのは、簡単なことであった。

「いつの間に、そんなサマルカンド近くまで、移動してたんだ」
「ラズワルドの精神が、神の国と地上を行き来している間に」
「そりゃそうなんだけどさ」

 アルダヴァーンと話をしている間に、次々と食事が運ばれてきたので、麺入りハーブスープアーシュ・レシュテを取り分けさせ、嬉々として口へと運んだ。匙で一口頬張った時、ラズワルドは衝撃を受けた。

―― 全く口に合わない! ハーブの配分も、キャシュクの味も、どれもこれも、口に合わない! でも、楽しい!

 ハーブスープの味付けに使われるハーブは、これといって決まったものがある訳ではなく、分量も作り手によって違うので、味の振れ幅は大きい。
 また味付けやトッピングに使用されるキャシュクは、羊や山羊、牛などの乳で作ったヨーグルトに水を加え沸騰、撹拌させ、脂肪分を取り除いてから乾燥させたもので、原材料の乳の種類によって味が大きく異なり、どの乳でも非常に癖が強い。

―― これだよ、これ! 旅の醍醐味って、これだよ!

 怖ろしく口に合わない麺入りハーブスープアーシュ・レシュテを、ラズワルドは満面の笑みで啜った。
 この他にも経験する必要はなかったであろう、独特な味が強いキャシュクの茄子の煮込みホラーケバーデンジャーンを食べては感動しながら、アルダヴァーンから、この先についての説明を受けた。
 アルダヴァーンたちは明後日、アルサケス城を出て、サマルカンド侯領の西側に進路を取り、遠回りしてサマルカンド侯都に入る。
 ラズワルドたちはアルサケス城を出たら、最短距離で侯都を目指す。
 カスラーたちがラズワルドに付いて行くのは侯都までで、王都へはアルダヴァーンと共に帰ることにな ―― など、諸々について説明を受けた。

「ファルロフとファルナーズも、サマルカンドに? なんで」

 アルダヴァーンの到着前に、神の息子ファルロフと神の娘ファルナーズがサマルカンドに到着するだろうと聞かされたらラズワルドは、何故北のサマルカンドにこんなにも神の子が来るのだと、心底不思議であった。

「運ぶものが色々あったのですよ」
「色々って?」
「一番は、王子妃の遺体です」
「…………? 王子妃の遺体って、アルデシールの妃?」
「そうです。アルデシールは王宮が焼けた日、妃を迎えていたのです。その妃はサマルカンドの娘」

 アルデシールが迎えた妃は、ファルジャードの異母妹。
 ファルジャードを殺害しようとした女が産んだ娘でもある。

「あ、そうなんだ。遺体を故郷へ?」

 奴隷の子であろうとも、王の子であれば玉座を得る構造の国では、正妃の価値はほとんどない。実際、ペルセアと同じ継承形態の近隣諸国では、外戚が政治に口を出すことを疎んじ正妃を迎えるなどということはしていない。
 ペルセアも外戚の口だしを嫌い、封印の贄以外の子を産ませることは稀で、跡取りは奴隷の子が多い。
 そんな中、アルデシールは珍しく正妃が産んだ一人息子・・・・で、後宮ハレムの女奴隷たちが産んだ王の子は全員女児。
 そのため、アルデシールの即位は、ほぼ確実であった。

「そういうことです。かなり魔火に焼かれていたので、浄化しながら故郷へ帰すことになったのです」

 そんな彼の正妃がサマルカンド諸侯王の娘に決まった経緯は、ファルジャード即位を希望するラズワルドに考慮してではなく、生け贄にするための子どもを作るための地位故、出来るだけ自分たちの血縁だけで片付けようという考えから、ペルセア王女の娘でもあるサマルカンド諸侯王の娘を選んだのだ。
 娘はそれらの経緯は知らず、そして初夜を迎えてすぐに、火事に巻き込まれ焼死した。
 王族とは男性のみを指すペルセアでは、正妃は祖廟ではなく、故郷に埋葬されるのが慣わしのため、娘はサマルカンドへと返されることになった ―― もっとも魔火に焼かれたとしても、神の子が付きそう必要はないのだが。

「ふーん。なんか、色々運ぶものがあったのか。ハーフェズ、そろそろ一緒にご飯食べよう! バルディアーも」

 ラズワルドの興味がそこで終わってしまった為、重傷を負ったアルデシールも同行していることを告げそびれたアルダヴァーンであったが、大したことではないと、酒を飲みながら、子どもたちが食事をしている様子を楽しげに見つめていた。
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドが一応復帰したので、アルダヴァーンはアルサケス城を後にし ―― 浮かなくなるようになるまで、人の手を借りて移動することになったラズワルドだが、とにかく暇であった。
 旅を急ぐ必要があるので、はやく地面に足を付けて移動できなければ困るため、我慢はしているのだが、元来闊達なラズワルドにとって、動くなというのはかなり辛いものであった。
 カスラーやアルサケス城を預かっているナヴィドに、抱えて移動してもらい、城内の散策などもしたが、自分で動けないので、とにかく暇であった。
 むろん暇を解消するめに、手紙をしたためたりなどもしたが、半日ほどで終わってしまった。

「ああ、暇だ」

 絨毯の上を転がりながら、ラズワルドはこれでもかと言う程に暇をもてあましていた。

「輿に乗って城下に出ますか?」
「輿に乗ってるだけってのが、暇だ。城下には行きたいけど」 
「ですよね」

 十二名で担ぐラズワルド専用の輿があるのだが、ラズワルドとしては座って景色を眺めているだけなので、退屈具合は城内の整えられた一室にいるのと、ほとんど変わらない。

「体を動かしたいんだ! 動かせないがな!」

 ハーフェズとバルディアーは考え、丈夫で大きな麻布でラズワルドを包み、太めの長い糸杉の棒に吊すように縛り、両端を二人で担いでみた ―― 街中で資材を似たようなもので運んでいたので、試してみたのだ。

「すっごい、揺れる」

 ラズワルドの体重は軽いほうで、尚且つ現在は若干浮き気味なので、重さらしい重さはないのだが、運ぶ二人は初心者のため、棒を担いで呼吸を合わせて進むということがうまく出来ず、蹌踉つき気味になり、吊されているラズワルドは大きく揺れる。

「やっぱり輿にしますか? ラズワルドさま」
「いいや、これはこれで楽しい。お前たちが大丈夫なら、もう少し移動したい」
「大丈夫ですよ、ラズワルド公」

 麻布の肌触りは悪く、非常に揺れるが、すぼまった縛り口から顔を少し覗かせて、辺りを見るのは、何とも言えず楽しかった ―― 視線が輿とは違い、低い位置にあるので、歩いているのに近い感覚で見られることを、ラズワルドはとても気に入った。
 二人はアルサケス城の外へと出て、ふらつきながら散策を行う。

「麻布の中に、神の子がいるとは思うまい。ふふふふ」

 麻布の隙間からあたりを窺うラズワルド、それはそれは「ご満悦」であった。
 だが残念なことに、その幸福感は絶叫により霧散してしまう。

「……ハーフェズ、叫び声の主を保護しろ」
「分かりました」

 二人は息を合わせてラズワルドを道路にゆっくりと置き、バルディアーは木の棒を支え、ハーフェズは走り出した。

「助けてくれ! 俺は盗んじゃいない!」

 絶え間なく聞こえてくる男の叫びを頼りに、ハーフェズは走り ―― 人が群がっている場所に突き当たった。その先から声が聞こえてきていると判断したハーフェズは、細身をいかし前へと進み、斧で今にも腕を切り落とされそうな男を発見した。

「済みません! その人、助けます!」

 いきなり現れた褐色の肌を持つ少年を、斧を構えていた男が睨みつける。

「もう一回言います。その人、神の子が助けろと言いました! だからやめて下さい!」

 ハーフェズは新しく額に書かれた「メフラーブの娘で神の子でもあるラズワルドの奴隷ハーフェズ」の文字を指さす。
 斧を振り上げていた男は、おずおずと降ろし、周囲は騒がしさから一転、水を打ったような静けさとなった。

「ハーフェズ」

 人の波が割れ、カスラーに抱きかかえられたラズワルドが現れる。

「ラズワルドさま! この人でいいんですよね!」
「そうだ。で、こいつはなんの罪で刑を執行されそうになっていたんだ?」

 盗んでいない、助けてくれと叫んでいたのは、二十半ばくらいの男で、罪状は窃盗。ラズワルドが罪状が書かれた書類を出せと命じ、直ちに届けられた。

「んー。なになに、こいつは肉屋から金を盗んだと……盗まれた金は、使い切っていたので残っていなかった。ふーん。この報告書は嘘だな」

 ラズワルドはカスラーに書類を手渡す。ざっと目を通したカスラーは、奴隷の左腕を確認する。
 彼の左腕は二の腕の中程までしかなく ―― 書類には、以前も窃盗を働き、腕を切られたことがあると書かれていた。

「ふざけたことを。この腕は生まれつきだ。切られた跡などない」

 手がない者は盗みを働き、処罰を受けた者が多いが、怪我や生まれつきなどで腕がない者もいる。処罰としての手の切り落としで、二の腕から切ることはなく、切り口は焼かれるので ―― 罪人とされた彼の腕に、火傷の跡はなかった。
 もっともラズワルドが「無罪」と言った時点で、彼の無実は証明され、彼を罪人として処理した者たちは、自動的に犯罪者となる。

「お前は晴れて無実だ」

 処刑台に座っているラズワルドと、台から降りて平伏している片腕の男。

「あ、ありがとう御座います! あの、あの」

 片腕の男は、涙を流しながらラズワルドに感謝を述べたが、それ以上に尋ねたいことがあった。

「なんだ? 言いたいことがあるのなら、言っていいんだぞ」
「ありがとう御座います。感謝しております。でも、どうして奴隷の俺なんかを助けて下さったのですか?」

 片腕の男にそう尋ねられたラズワルドは、ふわりと浮かんで、当たり前のことを告げた。

「わたしたち神の子は、人間が泣くから地上にやって来た。お前は人間で、泣いていた。だから、神の子であるわたしがやってきた。おかしいことあるか?」

 魔王が地上で権勢をふるっていた頃、人々は涙に明け暮れていた。愚かな彼らは泣いて神に祈り、祈り続けて死んでいった。だが彼らを憐れと思った一柱が、半分だけ人の姿を借り地上へと降りてきた ―― 魔王討伐の始まりであり、人々が勝利を約束された瞬間でもあった。

「……」
「罪のない人間が絶望の淵で泣いていたら、助けてやる。それが神の子だ。そのために天からやってきたのだ!」

 宙に浮いているラズワルドは高らかに宣言し、その場にいた者たちはみな跪拝した。