ラズワルド、封印される

 ラズワルドたちが魔の山を目指している頃 ―― 王都ではファリドが、ラクス・バラディーを舞う準備をしていた。
 黒いゆったりとしたズボンの上に青絹のスカート。上半身は裸で、黄金の首飾りを身につけ、両手には絹のファンベール。
 日が落ちすっかりと闇が王都を覆うと、ファリドは中庭に出る。
 人払いをしており、周囲には誰もおらず ―― 珍しいことに、ジャバードもかなり離れていた。
 音楽を奏でる者もおらず、乾燥した大地において富と権力の象徴である噴水の音を背に、ファリドは舞った。
 どれほど舞っていたのか、ファリドにも分からないが、突如物陰から拍手が聞こえた。ファリドは舞うのを止め、あたりを見回す。
 すると柱の陰から人の姿を取った・・・・・・・精霊王が現れた。

「いつ観ても美しいな、ファリド」

 月光の下で汗が滲んだ肌は、艶めかしさを増している。それを分かりながら、ファリドは髪をかき上げ、首筋から鎖骨に掛けて指でなぞり、精霊王に微笑む。

「あなたのほうが美しいと思いますが、精霊王」
「そうか」

 精霊王はファリドを背後から抱きしめ、右の首筋に唇を落とす。

「精霊王。一つお聞きしたいことがあるのですが」

 ファリドは全く気にする素振りを見せなかった。

「構わんよ。一つと言わず、幾つでも聞くがいい」
「随分と機嫌がよろしいようで」
「お前がわたしの為に舞ってくれたのが、嬉しくてな」

 ファリドの腰に回している手に腕に力を込め、自分のほうへと引き寄せ、首筋に舌を這わせる。

「そうですか。でもわたしが聞きたいことは、一つしかないのですけれど」
「つれないな」
「ラズワルドとあなたの関係から、つれない態度がお好きなのだとばかり思っておりましたが」

 自分の腰に回されている手に、自分の手の平を重ねて微笑むと、精霊王が少しばかり肩を震わせて笑った。

「ファリド。ラズワルドのあれは、つれないのではなく、限りなくわたしに無関心なだけだ」
「前途多難でいらっしゃいますね」

 精霊王は片手でファリドの腹筋をなぞり、上半身を愛撫する。

「まあな。ファルナーズのように人間の男にうつつを抜かすような神の娘ならば、簡単に籠絡できたであろうが」
「あなたがファルナーズのような神の娘を好むとは思えませぬがね」
「たしかに、わたしの好みはラズワルドやお前だからな」
「まったく。ではわたしがあなたの元に行くので、ラズワルドは諦めてください」
「……それは困った」
「どうしました?」
「あまりにも魅力的な提案なのでな」
「そういう態度だから、ラズワルドの関心を引けないのですよ」
「そうか? あれは、そのような類いのものではなさそうだが」
「まあ、考えておいてください。ラズワルドを諦めるのでしたら、わたしはあなたのお側に侍りますよ」
「体も開いてくれるか?」
「仕方ありませんが、確約いたします。どうぞお好きに」

 ファリドは精霊王の逞しい腕に、そっと手を添え、さも愛しいかのように手の甲をなぞる。それは甘やかで、誘うものであった。

「お前は本当にラズワルドを大切にしているな、ファリド。少しばかり、ラズワルドに嫉妬する」

 嫉妬すると口では言っているが、精霊王の表情は楽しげそのもの。

「あなたの大切なラズワルドだからこそ、わたしも大切にしているのに、それに対してあなたが嫉妬するのですか? あなたも、訳の分からない御方ですね」
「精霊など、そんなものだ」
「都合が悪いと、すぐにそれです。では本題です」
「座らぬのか?」
「クッションなど用意しておりませんので」
「質問に答えたら、すぐに帰れと?」
「もちろん」
「本当にラズワルドとお前は似ている。精霊王に立ち話をさせるとはな」

 精霊王は力尽くでファリドを横抱きにする。女にように抱き上げられたファリドは、少しばかり不満げな表情を作ったが、

「お前の感情がともなった表情はそそる」
「なにをそそっているのか、聞かないでおきます」

 すぐに表情を青き薔薇の君と讃えられる、いつも人々に見せている穏やかなものに戻した。

「もっと不快に感じてもいいのだぞ」
「嫌です。それでわたしがあなたにお聞きしたいのは、なぜ今回ペルセアに、このような混乱がもたらされたのかについてです」

 少年を思わせる柔らかな体付きからは想像できぬような怪力のファリドなので、暴れれば精霊王の腕から逃れることは可能なのだが、話を聞き出すことを優先し、精霊王の首に腕を回して、秀麗な顔を近づけて、口づけるかのような素振りを見せながら、甘えた声で尋ねる。

「もう少し具体的に聞かせてくれるか、ファリド。お前の声はとても心地良い」
「分かっていらっしゃるくせに。今回の出来事は、魔王の手下が贄となる王族を連れ出し、入れ替えたことにより起こりました。これに間違いはないですね?」
「そう考えるのが妥当だな」
「正式な贄を与えなかったことで、魔王が復活しかけた。こうなることは、一部の人間と、同じく一部の魔王の部下しか知らない」
「そうだな」
「なぜ今の時期に、そのようなことをしでかしたのですか? よりによってラズワルドがいる時に、魔王を復活させてどうなるというのです」
「魔王としては、絶対に復活したくはない時期だな」
「復活したが最後、ラズワルドに全てを吹き飛ばされて終わりですよね? もちろん倒しはしませんが、ラズワルドが力加減を間違ったら、魔の山ごと無くなりますよね」
あの小童魔王、ラズワルド相手では、手も足もでまい。お前でも同じことだがな、ファリド」
「まあ勝てるでしょうね。では何故、いま・・復活させようとしたのですか? わたしたちが、神の国に戻るまで待てないわけではないでしょう。なにより、フラーテスが年老いて、ラズワルドがまだ生まれていない時期に国王を殺害して、復活させたほうが余程効率良いでしょうに。これほど悪い時期もないでしょう」

 彼らはずっと・・・生きているのだから、もっと良い時期を見極められた筈。よりによって精霊王が后がねにと選んだ神の娘がいる時に、魔王とそれを取り巻く魔物たちが怪しい動きをしたらどうなるのか? 最初の神の子の力を知っている彼らが、なぜ動いたのか ――

魔王の僕マジュヌーンで風の精霊の一体が、お前に恋をしたらしいぞ、ファリド」

 理由は精霊王の腕に抱かれている青き薔薇の君ファリドにあった。

「……」
魔王の僕マジュヌーンには待つ時間は幾らでもあるが、神の子の寿命は人と同じゆえ、焦ったのであろう。お前たち神の子は人としての寿命を迎えたら、神として神の国に戻る。そうなれば、わたしですら手出し出来ぬのだ。あの風の精霊キデュルヌーン如きにはどうすることもできぬ。だから焦り、行動を起こさせたのであろうよ」

 神の子は「半神」として地上に降り「神」となり、故郷神の国へと戻る。地上に滞在できる時間は、人間のそれと同じ。故にファリドを欲する精霊たち・・は、彼の人としての寿命が尽きる前に手に入れなくてはならない。
 自分たちの世界へと連れ帰ることができれば、永遠に手元に置けるから ――

「軽率な」

 ファリドは目を伏せる。

「軽率ではあるが、当然の行動でもある。そして、大厄災ラーミンも同じ行動を取るであろうよ」
「わたしを手に入れるために? ですか」
「ああ、そうだ。お前が生きている間に、なんとしてでも手に入れなくてはならないからな。それにしてもメルカルトも、斯様に美しいお前に、不老の加護を与えるとは。すっかりと美しいまま、時が止まってしまったなファリドよ」

 ファリドは伏せていた目蓋を開き、冷たさいがい感じられる瞳で、精霊王を凝視した。精霊王は歪んだ愛を持ってその瞳を舐めた。

「……もうお帰りになった結構ですよ精霊王アルサラン
「そう言うな、ファリド」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドたち一行は、魔の山を囲む死の砂漠にいる。魔の山を中心に広がる砂漠は、オアシスが一切存在せず、人間だけでは魔王が封印されている魔の山へと近づくことはできない。
 だが神の子がいると事態は異なり、進行方向に馬や驢馬などが食む草が生え、清らかな水が湧き出す。
 彼らはそれを頼りに、食糧と天幕だけを持ち、人が住むことの出来ない砂漠を進んでいた ―― 死の砂漠を進む兵士は百人ほどで、あとは砂漠付近で待機している。
 人間を運ぶ馬や驢馬の食糧も、魔払香も明かり用の油も必要ないので、大量の人間用の食糧を持っての行軍。
 馬車では砂漠を進めぬので、ラズワルドも馬に乗り換えて、ひたすら進む。
 目覚め掛けている魔王から溢れる瘴気と、ラズワルドから常時発せられる神気が離れたところで衝突し、空に怪しく煌めく発光する赤や緑や青や橙のヴェールが発生している ――

「ラズワルドさま」
「見なかったことにしろ、ハーフェズ、バルディアー」

 魔と聖がぶつかり合い光で染め、星の輝きが微かにしか見えぬ夜空を一柱と二人は眺め、

「なにを見なかったことにでしょうか? ラズワルド公」

 バルディアーはラズワルドの言葉の意味が、理解が出来なかった。だがこのような状況下で、知らないことを知らぬままにしておくわけにはいかないので、素直に尋ねる。
 ラズワルドは空で揺らめく光の窓帷カーテンを指さして、

「あの辺り、少し光の窓帷カーテンの色が違うだろ」
 そう言ったのだが、夜空は広く、神の子と魔王の力がぶつかり合う幅も大きすぎて、正直バルディアーにはどこのことなのか分からなかった。

「えっと……」
「分からないと分かりづらいか。まあいいや、あの辺りから光が違うんだが、あの光はシアーマクと魔王の力がぶつかり合ってのものだと思われる」

 そう言われ、改めて夜空を見上げたバルディアーだが、やはり見分けが付かなかった。

「シアーマク公ですか」
「わたしはファリドから、シアーマクはナュスファハーンの西北側に行くと聞いたんだが」

 魔の山は王都より東北に位置しているので、全く反対側に来ていることになる。

「それは……」
「多分、魔王の僕と戦いたかったんだろう。だからサーサーンに替わってもらったに違いない。あとジャムシドにも”見なかったことにしてくれ”と頼んでいるはず」

 ジャムシドはペルセア国内であれば、僅かな間という制限あるが、どこまでも見通すことができる。その彼は王都に残り、神の子たちがいま何処にいるのかを確認し、ファリドに伝えている ―― 彼の目を欺くことはできないので、彼に最初から頼んで、こちらに来たと考えるのは当然であった。

「サーサーン公ですか」
「サーサーンだろうなあ。ホスローはシアーマクに言われても聞かないだろうし、シャーローンは話を持ちかけても理解してもらえないだろうから、サーサーンに交代してもらったと考えるのが妥当だ」
「あー……ばれたら叱られたりするんですか?」
「叱られはしないだろう。多分……でも、きっとアルダヴァーンには見つからないように動いているんじゃないかな? 怒りはしないんだろうが……どうなんだろう?」
「ラズワルド公が魔王の力を削ぐ前に、シアーマク公がしてしまったら?」
「わたしとしては構わない。誰がやったって良いだろう」
「そうですか」
「シアーマクのほうは、こっちにわたしがいるのを知っているのに、顔を見せないわけだから、素知らぬふりをしてやるべきだろうな」

 バルディアーとハーフェズは、近くにシアーマクの部隊がいることを、カスラーたちには告げなかった。

 水と緑を共にラズワルドたちは死の砂漠を進む。魔の山へと近づくと、なんらかの意思を持っているらしいが強くなり、それをラズワルドがはじき返すを繰り返し、魔の山の全体像をぎりぎり捉えられるくらいまでに近づいた。

「みんな、少し離れていろ」

 ラズワルドは魔の山をしばらく見つめてから、魔王を消し去らない程度の力を練り上げ ―― 途中に、突如空間が開いた・・・

「ラズワルドさま! 足下!」

 ハーフェズの声を理解したときには、ラズワルドの体は足下に開いた空間に飲み込まれ、太陽に照らされている眩しいばかりの青空が瞬くまに遠ざかり、そして空間が閉ざされた。
 白い靄がかかったような空間を、ラズワルドは仰向けのまま落下し続ける。

「とっ……」

 首を捻り下を覗くように窺うが、左右や上と同じく白い靄のかかった状態で、底は見えるなかった。
 勢いよく落下し続ける体と、

「か、髪が痛い……」

 顔にぴしぴしとぶつかってくる髪の毛の房。落下し続けながらラズワルドは、髪を両手でまとめて掴み周囲を見回す。

「……封印されたみたいだな」

 自分が封印されるなど思ってもいなかったラズワルドは、ひたすら落下し続ける空間で、どうやって脱出しようかと頭を悩ませる。

「封印ということは、内側から破るのは骨が折れる。それにしても誰だ? ラーミンか……いや、そうじゃなさそうだな。わたしの気配が消えたのをシアーマクが気付いて……気付かない可能性もあるな」

 神の子は精霊王が作った空間に封印されている宝剣ですら、感知することができる故、彼以下の能力でしかない相手が作った空間に封印されているラズワルドの気配を、察知できなくなる ―― などということはない。

「そもそも、なんでわたしを……人質にして言うことをきかせる? 精霊王にそんなことをしたら、終わりだろうし、メルカルトにだって通じないよな。メフラーブ? そんな訳ないだろう。ペルセア王家……でも、わたしを人質にする必要はないよな。わたしより捕らえやすい神の子のほうが多いというか、わたしが一番捕らえにくい。いや、捕らえやすいには捕らえやすいか。ヤーシャールだったりしたら、足下に空間が開くのに直ぐに気付いて飛び退くだろうし」

 ひたすらに無音で、落下し続ける空間で、どうしたものかと悩み続ける。

「ジャムシドが気付いて、ファリドが助けてくれるのを待つ……」

 落下する際の風を切る音すら聞こえない空間に、自分の声以外のものが微かに聞こえてきた。

『ひっく! ひっく!』
「ハーフェズ。泣き虫返上したんじゃなかったのか」

 聞き覚えのあるハーフェズの泣き声に、『ファリドに助けてもらうまで待ってくれよ』と何とも楽しげな笑みを浮かべたラズワルドだが ―― ふと、自分を封印した誰かがハーフェズたちに害をなさないという保証がないことに気付いた。

『らじゅわるよさま!』

 自分を呼ぶ声に、自分を封印した誰かが、ハーフェズたちと相対していることを察知し、笑みを浮かべていた口元は一転、歯を食いしばり、長い深藍色の髪を掴んでいた両手を広げ、魔を滅する力を加減して・・・・放った。

「これでは開かんか! ならば加減なしだ! 待ってろハーフェズ!」