ラズワルドとハーフェズ、邂逅を果たす

 ちりり……と、灯芯が強く燃えた音でバルディアーは目を覚ました。

―― ここは、何処だろう

 寝起きではっきりとしない思考で、薄暗い天井を見つめ、自分がどこにいるのかをぼんやりと考える。
 再び灯芯が燃える音がし、橄欖油の匂いが鼻腔をくすぐった。

―― この匂い久しぶりだな……久しぶり?

 バルディアーは体を起こして辺りを見回すと、微かな灯りが机に向かっているカスラーの姿を浮かび上がらせている。鎧は着ていないが、着衣に乱れはなく、バルディアーからは見えないが、右側には鞘に収められている剣がおかれていた。
 なにかを書いているらしく、左腕が動いている。
 凜としたその後ろ姿を見ながら、

―― きっとお綺麗な文章を書くのだろうなあ

 練習しているのだが、いまだ流麗に文章を書くことができないバルディアーは、ため息交じりに見惚れ、唐突に自分の体を見下ろし、全裸になっていることに今更ながら気付く。そして自分がここで何をしていたのかを思い出し、赤らんだ顔を手で隠す。

―― あ、あ……カスラーさんに、あの……あああああ。恥ずかしい、あんなことされたの初め……

 天幕を貸して下さいと頼んだバルディアーにカスラーは、快諾どころか「相手をしよう」と言い出した。
 そんな迷惑はかけられない、一人でできますと辞退したのだが「指揮官カスラーの天幕を借ります、もちろん一人です」……なる報告をラズワルドにしたら「面白そうだから、一緒に行く」と言い出し兼ねないことに気付き、結局カスラーの言うことを聞くことにした。
 カスラーはラズワルドに「この先の行軍についてバルディアー殿と話し合いたいことがあります。少々話が長引くので、今晩はこちらに泊めたいのですが、よろしいでしょうか」と外泊許可を取った。「カスラーと仲良くなれるといいな、バルディアー」ラズワルドに耳元で囁かれた時、バルディアーは羞恥と罪悪感と、その他諸々の感情が去来し、自分の感情の波におぼれかけた。

「じっくりと話をしてみたいと、思っていたのだ」
「はあ……」

 ラズワルドに嘘をつくわけにはいかないので、カスラーの天幕を訪れると、まずは外泊理由である、行軍に関して意見をかわした。
 もっとも「かわす」と言っても、素人とかわりないバルディアーと、専門家の中でもとくに優れているカスラーとでは、師と弟子のような形にしかならないのだが、カスラーが話し上手なおかげで、バルディアーは当初の目的を忘れて話に聞き入った。
 用兵の基礎についての話を聞きながら、勧められた葡萄酒を一口、二口と運ぶうちに気持ちが良くなり ―― いつの間にかカスラーの腕の中で果てていた。

―― 初めての子どもみたいに、いやいや言ってしまった。今更、恥ずかしいもなにも……六年間も男娼していた、十四になる男がしていい仕草じゃないだろ!

 性的なことには慣れきっているバルディアーだが、彼は金を貰って奉仕する側であり、奉仕されることはなかった。よって、カスラーに労られながらされた行為は初めてで、心地良かったのだが、恥ずかしさも一入ひとしおであった。

「目が覚めてしまったのか?」

 バルディアーが目を覚ました時点で、カスラーは気付いていたが、まだ微睡みと覚醒の境を彷徨っているであろう気配に、再び眠りに落ちるよう声を掛けずに待っていたのだ ―― もちろんバルディアーの内心の照れには気付いていない。

「あ、はい」
「明るくしたのが不味かったか」

 灯芯が焼ける音で目を覚ましたのだから、カスラーが書類整理の為に火を灯したのが原因なのだが、バルディアーは「そうです」と言うような性格ではない。
 カスラーは書きかけの書類を机に広げたまま、灯りを消さず剣を持ちバルディアーに近づいてきた。

「明るさと言うより、灯芯が燃える音と匂いが久しぶりだったもので」

 カスラーはバルディアーの近くに腰を降ろし、枕元に置かれている水差しから杯に注ぎ手渡す。
 仄暗い室内で注意深く杯を受け取り、バルディアーは水を飲む。

「灯芯……ああ、そうか」

 机の上に置かれている灯皿の灯芯が、また音を立てた ―― ラズワルドの天幕は、光の精霊らしきもの・・・・・が明かりを確保してくれているため、明かり取り用の灯芯も橄欖油も置かれてはいない。
 とくに「人間は普通の火で燃えて死ぬ」と知って以来、危ないので調理は仕方ないが、明かりは全て精霊光にしようと言い出した程。結局、ラズワルドの天幕以外は、普通の照明器具で明かりをとることになった。そして、

「あと、この微かな魔払香の香りも、とっても懐かしい気がします」

 魔払香も焚かれている。

「公柱には必要のないものだからな」

 ラズワルドの天幕は、もちろん魔払香など焚かれてはいない。本来であれば兵士たちも焚く必要はないのだが、長年の習慣であり、この香りがしないと落ち着かないという者が大勢いるため、不必要なのは分かっているが、カスラーは魔払香を焚く許可を出し、補充も充分に行っていた。

「ハーフェズなんかは魔払香を嗅ぐと”余所のお家の匂い”って言いますから」
「公柱の乳兄弟ともなれば、そうであろうなあ」
「最近、ラズワルド公のご実家も魔払香の匂いがするので、少し寂しいとも言ってました」
「わたしなどは、この匂いがせねば落ち着かぬのだがな」
「分かります。ラズワルド公のお力のすごさは分かっているのですけれど……自分は人間なのだなあと実感します」
「そうだな」

 カスラーは空になった杯を、すっと取り上げ枕元に置き、バルディアーの肩を軽く抱き、自分と共に寝具に横になるよう促す。

―― こんな滑らかというか、上手というか……一流の男は、なにをしても一流なんだなあ

 気付くと天井を見上げている状態になったバルディアーは、ぼうっとそんなことをすら考えた。

「隣で休んでもいいかな?」
「あ、ああ! どうぞ。ここはカスラー卿の天幕ですので。邪魔なら俺は隅にでも」
「邪魔なはずなかろう」

 そう言い、カスラーはバルディアーの髪を撫でる。

「……」

―― 何故かは分からないけれど、死ぬほど恥ずかしい! 陰茎咥えているほうが、気持ちとしてはずっと楽。カスラーさんはきっとこの体格に見合った……だろうから、咥えたらきっと顎が大変だろうけど

 初めて経験する事後の雰囲気に、バルディアーは少しばかり震えた ―― 彼は金の絡まない性交の経験がなかった。

「寒いか」
「ああ、いえ。あの、ありがとう御座います」

 布を掛けられ髪を手で梳かれ、気恥ずかしさで、気怠さも眠気もなくなってしまったバルディアーは声が上擦る。

「それほど、緊張しなくても良い。なにより、わたしにも下心があるのだから」
「下心……口でしますね」

 やるのは苦ではないと、バルディアーは起き上がろうとしたのだが、そうではないと肩を押さえられた。

「わたしの下心とは、公柱はわたしに何を命じて下さるのか……公柱にとっては些事ゆえ、お忘れになっているやも知れぬが、気になってなあ。なにか仰っていなかったかな?」
「命令……ああ、あの火を触られた際の」

 ラズワルドが火傷しないことを知らなかったカスラーが、腕を少々乱暴に掴んだ ―― カスラーは無礼を働いたので、死なねばならぬと騒ぎになり、最終的にラズワルドが「あとでお前に命じたいことがある。それまでは死ぬな」と命令・・を下した。

「そうだ。なにか聞いておらぬか?」

 ラズワルドは雑な性格なので、カスラーが言うとおり、すっかり忘れていたのだが、

「ああ、それでしたら、聞いております」
「本当か?」
「はい。ラズワルド公は”カスラーが知りたいといったら教えてやれ”と……」

 バルディアーがカスラーと話をすると聞き、年齢も境遇もまったく違うので、話題がなくて沈黙になったら困るだろうと、急遽・・命令を作り出し、困った際に使えと命令と概要を教えた。

「教えてもらえるのか?」
「はい。自分から直接となれば、カスラーにも負担であろうから、軽くお前の口から伝えてやれと。お聞きになりますか?」
「もちろん」
「ラズワルド公は、数年来とある男性を捜しているのだそうです」
「……ほう」
「五年ほど前に、ハーフェズが街中で迷子になった際、保護してくれた男性で、手がかりになる上衣から背の高い貴族だろうと。その人物を探し出すよう命じる……とのことです。詳細なのですが」
「……」

 バルディアーの髪を梳いていた手が止まり、もう片方の手で口元を押さえる。

「……どうなさいました?」
「それに関して心当たりどころか、誰なのか知っている」
「え?」
「わたしだ」
「…………あ!」

 ラズワルドの言葉を反芻し、隣で横になっているカスラーを見る。

―― 三十歳前半で、背は高くて体格はメフラーブさまよりがっしりというか、体格としてはジャバードさま並。日の光の下で見た頭髪は黒みがかった茶色。顔の作りは彫刻のようで美しいけれど、知性が……嫌味にならない知性と上品さがあふれ出している!

「たしかに、ラズワルド公が仰っていた通り……。なんで気付かなかったんだろう」
「公柱が?」
「はい……えーとですね、”六年前に二十代前半から半ばくらいだったから、いまは二十代後半か三十代のはじめ。身長はメフラーブより高く、体格はメフラーブよりしっかり……ここはよく分からん。メフラーブよりがっしりしているなんて、普通のことだからな。頭髪はメフラーブと似たような黒みがかった茶色だったそうだ。顔だちは美形といって差し支えないそうだが、造詣の美よりも内側からあふれ出る知性が凄かったらしい。所作は身分卑しからぬ御仁という言葉通りだったそうだ。だからきっと貴族だろう。あとは優しい人間だと思われる。なにせ泣いているハーフェズを抱き上げて、わたしたちを捜してくれたのだからな”と……。どうなさいました?」

 仄暗くカスラーは明かりを背負っている形なので、バルディアーからはほとんど表情はうかがえないのだが、それでも困惑と羞恥の表情を浮かべているのが、はっきりと分かった。

「公柱の中で、わたしは随分と立派な男になっていて、申し訳が立たない」

 カスラーにしてみると、あれは奇妙な泣き声の子どもハーフェズを抱き上げ、羊肉の串焼きを持たせただけで、神の子に「優しい」などと言われるようなことはしていない認識である。

「普段も褒めていらっしゃいますよ。”カスラー凄いな”と」
「いやいや、神の御子が火傷するなどと勘違いしていた男だぞ」
「気になさって?」
「もちろんだ……わたしの失態はともかく、お知らせしないわけにはいかぬか」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 翌朝、バルディアーが戻ると、ラズワルドはハーフェズに長い深藍の髪を掴んでもらい、水で顔を洗っていた。
 絹で顔を拭き、「どうだった?」と、楽しげに声を掛けてくる。
 金で象られた神の文様に半分覆われた顔に浮かぶ興味。それは好奇心半分に、自分のことを心配してくれている気持ち半分と分かるもので ―― 行く前同様、バルディアーはなんともいたたまれない気持ちになった。
 悪いことはしていないし、またお世話になることもあるとは分かっていても、

「話面白かったのか。聞いてみたいものだな」

 この気持ちはどうしようもないのである。

「なに? もう見つかっただと?」

 朝食中、バルディアーからフェロザーの君が見つかったと聞かされてたラズワルドは、本気で驚いた。
 そして、

「お前だったのか! カスラー」
「はい」

 捜していた当人がすぐ側にいたことを知り、釈然としない表情を浮かべた。

「なんで言わなかった……もしかして、忘れていたのか! まあ五年も前のことだ、忘れていても不思議ではないか」

 十一歳のラズワルドにとって、五年前というのは、遙か昔の出来事である。

「あの日公柱を拝見していらい、一日たりとも忘れてはおりませぬ」

 だが三十歳のカスラーにとっては、昔というほど昔ではなく、またあの日は初めて真神殿に上がり、神の子たち・・に拝謁し、その後街中で泣いている子どもを拾い上げたら、精霊に取り囲まれラズワルドと遭遇するなど、人生において決して忘れられない一日であった。
 信仰心の篤いカスラーは、神の子に嘘をつくということはできないので、自分が名乗りでなかった理由を聞き、

「……ヤーシャール」

 直接口止めしたヤーシャールの名を呟く。

「ラズワルドさま、怒っちゃ駄目!」
「怒っちゃいねえよ。たしかに自分で捜すとは言ったがなあ」

 自分で言ったことなので怒るのは筋違いだが、まさか知っていたとは ―― その日の行程を終えてから、ラズワルドはカスラーから直接経緯について詳しく聞き出した。

「……なるほど。まさか、サータヴァーハナのお家騒動の話をファリドたちにした後、お家騒動の当人と会うとは思ってもいなかっただろう」

 ちなみに今日のハーフェズは、昨晩のバルディアーなみに恥ずかしそうにしている。まさか迷子だった自分に声を掛けてくれ、羊肉の串焼きまで買ってくれた人が、すぐ側にいただなんて……と、「自称」泣き虫を返上したハーフェズは恥ずかしくて仕方がなかった。

「はい」
「だから剣を佩いていなかったのか……それでな、カスラー。お前が見つかったら色々なことをするつもりだったんだ!」

 そう言うとラズワルドは立ち上がり、カスラーの側へと近づき、自分の右耳からフェロザーの耳飾りを取り外し、勝手に右耳に付けた。

「ほい。片方、お前にやる。もともとお前のものだしな。お守り代わりくらいにはなるだろう。それでだ、ハーフェズを助けてくれた礼をしたいのだが、なにか欲しいものとかあるか? あるなら、言ってみてくれ! 不老不死とかは、無理だけどな」

 カスラーは五年ぶりに帰ってきた、かつて自分の服を飾っていた釦の耳飾りに驚き、

「神の御子に人如きがこれ以上望むなど、不遜に御座います」

 望むものは無いと告げたのだが ―― それを聞いたラズワルドは「言えよ」とばかりの不満げな表情を浮かべた。