そこで風呂に入り、食事の席でファリドから、任務を言い渡された。
「ラズワルドにはサマルカンドに行ってもらいます」
「サマルカンドは行きたいと思っていたから、嬉しいけど、あそこはフラーテスがいるよな? 行く必要ないのでは?」
ファルジャードがいるサマルカンドに行けるのは良いのだが、この話の前にジャムシドが国内を見渡した結果、ペルセア全土で魔物が確認されていると聞かされたので、自分と同等の力を持つ
「サマルカンドはフラーテスが居ますから問題はありませんが、そこに至るまでの道の安全を確保しなくてはなりません。東西の貿易の行路はアルダヴァーンとヤーシャールが、それ以外の主要行路はシアーマク、ホスロー、サーサーン、シャーローン、そしてラズワルドです」
「北はわたしに任せてくれるというわけか」
「はい。本来ならばラズワルドには南のアッバース方面を任せて、そのままパルハームの元に……とも考えたのですが、サマルカンドに向かう途中、魔の山に立ち寄って少しばかり威嚇して下さい」
現在地上に存在する神の子の中で最も力があり、自由に動けるラズワルドが適任であろうとされ、そのままサマルカンドまで北上することになった。
「……倒しちゃ駄目なんだよな」
「ラズワルドの力でしたら、苦もなく倒せるでしょうが、魔王は人間が倒さなければならない存在ですので」
魔王を地上に招いたのが人間である以上、人間が責任を取らなくてはならない ―― ラズワルドたちの父であるメルカルトがそのように定めているため、殺してはならない。ただし殺しては
「分かった。少しごりごりしてくれば良いんだな?」
「はい。くれぐれも、ごりごりし過ぎないで下さいね」
ラズワルドが言っている「ごりごり」と、ファリドの言う「ごりごり」がどこまで同じかは不明ではあるが。
「魔王が耐えればいいだけだ」
「確かにそうですが……魔王に期待することにします。それで詳しいことは、ラズワルドに同行する国軍の将、カスラーから聞いて下さい」
「国軍? なんで? カスラーは会ってみたいから良いけどさ」
「ラズワルドとハーフェズとバルディアーの三人で、北に向かわせる訳にはいかないのですが、事態が深刻で武装神官が足りていない状態なのですよ。そこで国軍に部隊を出すよう命じました。魔物はラズワルド、混乱に乗じて悪さを働く盗賊は国軍が倒します。あとは各地で有力者に会う際の調整なども、彼に任せておくといいでしょう」
ラズワルドの部隊はまだハーフェズとバルディアーの二人だけ。魔物を葬るだけならば、ラズワルド一人でことは足りるが、子ども三人で人気のない荒野などを含む2,500km以上を踏破する旅はさすがに無理だということで、国軍の一部隊が付くことになった。
同行するのは、今年中将軍になったばかりのカスラー。
カスラーのことは、ラズワルドも会ったことはないが以前から知っている。
まだファルジャードが下町に居た頃、武人であるラフシャーンと仲良くなったことで、武人の知り合いも幾人か出来た。そのうちの一人が「軍にも頭が良いのがいるんだ。名はカスラーだ」と楽しげに話していたことを、ラズワルドははっきりと覚えていた。
またアシュカーンに贈る地図を用意するよう命じた際、描いたのがカスラーであると聞いていたので、ラズワルドとしては「名前だけは知っている」人物であった ―― 彼が「
「ファリドは王都を守るのか?」
「はい」
「じゃあ、安心して行けるな。メフラーブのこと頼む」
ファリドとの会食を終え ―― 翌日、旅装を整え別室で準備を整えたハーフェズとバルディアーと合流して、真神殿に繋がる正門で迎えが来るのを待っていた。
「……というわけで、サマルカンドに行きがてら魔王を威嚇する」
そこでラズワルドは近所の肉屋に羊肉を買いに行くついでに、ちょっとスィミンの家に顔を出すくらいの話し方で、これからの予定を伝えた。
「あ、え……」
武装神官の心得としては”魔王に怯むな”とあるが、実際怯まないかどうかは別物であり、言葉を失っているバルディアーの反応はごく普通である。
「滅魔の力が強くて動けるとなると、ラズワルドさまですもんねー。魔王が封印されていたの、サマルカンド方面で良かったですね」
ハーフェズは何も恐れる気配はなかった。
「まあな。そんなに緊張しなくていいぞ、バルディアーなあに、恐かったら待ってていい。魔王なんて好んで近づくもんでもないしな」
「でもラズワルドさまの側にいたほうが安全ではありますよ。魔王も
「魔王もわたしには好んで近づかないからな。こっちからは近づくが」
「動けない分、魔王が憐れです。そうそうラズワルドさま、王宮で火事があって、かなり焼けたらしいです……今も焼けているとかいないとか」
「魔火が出たと言っていたしな」
ハーフェズとバルディアーの二人は彼らが城壁外にいた時、墓所から帰ってくるまでの間に、王都内で起こっていたことについて情報を集めていた。
彼らが手に入れた情報によると、王都は八割方鎮火したものの、まだ完全とは言い切れない状態。
ゴシュターブス四世は大火傷を負った模様 ―― この火傷は魔火によるものらしく、メフルザードが付いている。
祖廟のイェガーネフに関して、ハーフェズが懐いた懸念は、神の子たちも当然思い当たったため、ラズワルドが墓所に向かってから、滅魔の能力を持つ神の娘サルヴェナーズとマフナーズの二柱が交代の為に隊を率いて出ていった。
「なんか大変だなあ」
やれやれと言った口調で、バルディアーが注いでくれた水を飲んでいると、武器が甲冑に擦れる独特の音と共に、声を掛けられた。
「御前、失礼致しまする」
入り口で声をかけ平伏しているのは、ラフシャーンであった。
「おお、ラフシャーン。無事で何よりだ」
ラフシャーンの背後にいる兵士たちは、輿を担いだまま膝をついている。
「ありがたき御言葉」
「お前も一緒にサマルカンドに行くのか? ファルジャードが喜ぶな」
ファルジャードとラフシャーンは、会って別れの挨拶をしたわけでもなく ―― 二人に言わせると、改まって挨拶をするような仲でもなければ、男なのでいつかどこかで会えるだろうと、とくに手紙のやり取りもしていなかった。
「残念ながら、わたくしめのような若輩者は、公柱のお供を許されてはおりませぬ」
そして今回は「いつか」には、ならなかった。
「そうか」
ラズワルドは輿に乗り、少し離れたところに停められていた馬車に乗り込み、東門へと向かった。
到着するとすでに平伏して待っていた大将軍から、
「この者がカスラーに御座います。お好きなようにお使い下さい」
同じく平伏している黒みがかった茶色の頭髪しか分からない男を紹介された。その後、面を上げさせ顔を確認してから、ラズワルドたちはカスラーと共に、四日ほどかけて王都の北にあるハマダーン城へと入った。
馬車から出て輿に移動したラズワルドは、平伏する兵士たちの間を抜けて、普段は指揮官が出陣前に兵を並べ鼓舞させるために声を掛ける、四方を囲まれている広場へと向かった。
そこで輿を降ろさせ、両脇にはダマスカスの槍を持ったハーフェズ、ラズワルドの旗を持ったバルディアー。カスラーは平伏し ―― しばらくしてやって来た兵士たちも、続々と平伏する。
その数に見下ろす形になっているバルディアーは圧倒される。
ある程度の兵士が揃ったところで、カスラーの元に彼の副官がやって来て耳打ちをする。カスラーは頷き立ち上がり、大声で自分たちがラズワルドの供をし、サマルカンドまで向かうこと、その道中で魔の山にも立ち寄ることを告げた。
―― 訓練されている強兵ってやつかなあ
普段でも恐れられ人が近づかぬ魔の山に、ラズワルドが一緒とは言え異変を起こしているそこに、武装神官でもないのに近づくとなれば、混乱や恐慌状態になってもおかしくはないのだが、バルディアーには彼らから動揺の片鱗すら感じることはできなかった。
「皆の者、面を上げよ」
防衛拠点であるハマダーン城では珍しい、
―― ……動揺した。みんな動揺してる……気持ちは分かるけれど
指揮官より彼らに与えられた任務を知らされた時には見られなかった動揺が、ラズワルドの「皆の者、面を上げよ」の一言で、はっきりと現れた。
まだそこかしこに神のいた気配が残っているこの時代、神の子は篤い信仰心を集めると共に、畏怖される存在。
人間は神の子の命に背いてはならぬと、彼らは畏敬の念に押しつぶされそうになりながら顔を上げた。
そこに居るのは、降ろされた輿に座っている顔の半分以上が群青で覆われた神の子。
「魔の山に近づき魔王を威嚇するのに足りる力があるかどうか? 不安に感じる者もいるであろう。だから見せておこう……魔王を威嚇する力を、人間が間近にいる状態で出すことはできぬがな」
そう言うと、ラズワルドは自分の背後に、神の文様が浮かぶ青く光る壁を作り上げた。それはまさに神秘的としか表現のしようのないもので、人間が直視できる限界でもあった。
「さすがに魔王にはこの程度では済まさぬが、人間が直視できるのは、この位が限度だと聞いている」
出しているラズワルドとしては、力を出していると認識できるかできないか程度のものなのだが、
「ラズワルドさま、もうお収めしたほうがいいですよ。人間には辛いです」
ラズワルドの聖なる力には随分と耐性のあるハーフェズに言われたので、すぐに力の放出と視覚化を止めた。
「そうか。……見た目は小娘だが、能力はある。魔物相手には決して遅れを取らぬ故、わたしを魔の山の近く、そしてサマルカンドまで連れて行くのだ」
ラズワルドが言い終わると、カスラーを含む兵士たちは平伏ししばらく動かなかった。
「何時頃室内に連れて行ってもらえるんだろうな」
ラズワルドの呟きに、
「しばらく諦めてください、ラズワルドさま。俺とバルディアーが担げれば良かったんですけど」
ハーフェズは笑顔を向け、小声で答えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
畏怖のあまりに動けなくなった彼らにハーフェズとバルディアーが声を掛け、「そろそろラズワルドさまを仕舞わないと」 ―― 仕舞わないとはないだろう……とバルディアーは思ったが何も言わなかった。やっと輿が担がれ、用意されていた部屋にたどり着き、一息ついた翌日、
「申し訳御座いませぬ」
「どうした、カスラー」
朝の挨拶にやってきたカスラーから、謝罪の言葉を聞かされた。
「城を任せる将がまだ到着しておらず、出立までもう少しお時間をいただけませんでしょうか?」
本来ならば今日出発する筈だったのだが、そうも行かない理由が出来てしまった。
ラズワルドが詳しく話を聞いてみると、カスラーは元々国王の命でこのハマダーン城を預かっており、周囲の治安を守り、兵士の鍛錬を行っていた。
先日王都が魔王の赤い炎により取り囲まれ ―― すぐにラズワルドによって青い炎に変わったが、ただならぬ異変が起こっていることは分かったため、城を部下に預け百騎ほど引き連れ、急ぎ王都までやって来た。
そこで大将軍と合流し、現在分かっている
だが王都を守る重要な城を一つ預けられている身ゆえ、簡単に出立できない。大将軍が急ぎ引き継げる将を手配するとは言ったのだが、まだその人物が到着していなかった。現状を考えると、城を捨ててでも行くべきなのかも知れないが、そう簡単にもいかない ――
「それは仕方ないな。だが気にすることはない。しっかりと引き継ぎをしてから、向かおうではないか」
「ご温情、感謝の言葉も御座いませぬ」
ご温情もなにも……と思ったラズワルドだが、それには触れず、手紙を出したいので用意をするよう命じ、城にある祈祷室に作られた自分の部屋で、アシュカーン、メフラーブ、そしてラヒム宛の手紙を書いた。
メフラーブ宛の手紙は「気を付けて過ごせ。ラヒムの言うことは聞け。
「理解しているって分かってるなら、別に手紙なんて寄越さなくてもいいのにな」
そう言うも手紙を大事に巻いては開き、顔をほころばせて読んではまた巻きを繰り返し ――
「ラズワルドが言う通り、
ラズワルドが切望するマリートのご飯を食べながら、メフラーブは若干の奇行を繰り返すラヒムを眺める。
「旦那さま、ラズワルド公は大丈夫でしょうかねえ」
料理を並べていたマリートが、不安げに尋ねる。マリート宛の手紙がないのは、彼女は文字が読めないためである。メフラーブ宛の手紙に「マリートには心配するなと伝えておけ」と書いており、それを伝えたが、マリートの不安は拭いきれなかった。
「ラズワルドは大丈夫だろう」
人間が心配するような存在ではないことは分かるが、それでも生まれて間もない頃から見守ってきた
「でも、なんでラズワルド公が。ラズワルド公が王都に残って、ファリド公が行かれればよろしいのに」
ナスリーンの乳を飲んでは眠り、ハーフェズが泣けば必死に転がり近づき手を握り泣き止ませようとするラズワルドの姿を思い浮かべては、そんな危険な所に……と。
「マリートの気持ちも分からんではないが、多分ファリド公が一番そう思っているのではないのかな」
「そうでしょうかねえ」
精霊王が付いているから大丈夫だろう……言いかけたメフラーブだが、そもそも