ラズワルドとハーフェズ、殿(しんがり)を務める

 シャーローンに追いつくことは不可能であろうサッタールと部隊をラズワルドは見送った。

「ラズワルドはカイヴァーン隊と一緒に向かってくれ」
「ヤーシャールは?」
「オフムエルを連れて行くから大丈夫だ」
「そうか?」
「現時点では、魔の山にもっとも近づくのはラズワルドだ。カイヴァーンのことを、守ってくれよ」
「仕方ないなあ」

 ラズワルドがヤーシャールとそんな話をしている間に、向かう準備が整えられる。もともと三日後 ―― 既に日付がかわっているため、二日後になるのだが、ラズワルドはアッバースに行くための準備を整え終わっていたため、それをそのまま持ち出すことで、準備が随分と簡単に済んだ。

「今回は頑張って付いてこいよ、ハーフェズ、バルディアー」

 ラズワルドは馬には乗れるが、最速の行軍などは出来ぬ為、用意していた旅用の丈夫な馬車に乗り込む。徒歩で半日かかる自由民墓地だが、騎馬では一時間足らずで到着することができる。ただラズワルドが乗っている馬車がもっとも重要なので、騎馬のみで進むよりは時間は掛かるが、一時間と少しくらいで到着することができる。

「任せてください、ラズワルドさま。部隊の最後尾に食らいつきますから。ねえ、バルディアー」
「ああ、ハーフェズ。ラズワルド公、乗馬練習の成果をお見せ致します!」
「そうか。ラヒム、メフラーブとマリートのこと頼んだぞ」

 野営の荷物を門兵の助けを借りて運び込んだラヒムに声を掛け、

「分かった」

 その返事を背に馬車の扉を閉じ、揺れで扉が開かぬよう内側から閂を掛けて備える。

「では行って参ります、ヤーシャール公」
「頼んだぞ、カイヴァーン」

 ラズワルドを乗せた馬車とそれを囲むカイヴァーン隊、そして後ろにハーフェズとバルディアーが付き、王都から徒歩半日でたどり着ける自由民の墓地へ、騎兵が全力で向かった。
 ラズワルド一行が出たのを確認すると、ヤーシャールが号令を掛け、彼らも目的地へと駆け出した。

「しっかりと葬られたはずの死者が」

 馬車が墓地に近づくと、広原を縦横無尽に動きまわる死者の集団が彼らの目に入ったのだが、直後一斉に崩れ落ちる。

「魔物の力で蘇らせられたようだな。可哀想なことだ」

 ラズワルドの力で崩れ落ち、肉塊、あるいは骨の塊になりはてたそれらを乗り越え蹴散らし、自由民の墓地にたどり着いた。

「腐肉に囲まれている、あの建物に立てこもったんだろうなあ」

 道中と同じくラズワルドの到着で、魔物に変えられてしまった死者の体は崩れ、それに混じり人間を襲う指示を出していたであろう魔物は逃げそびれ、壁の高い位置に、落としたハルボゼメロンが弾けたかのような跡を残していた。
 ラズワルドは無数の青い炎聖火を作り、立てこもっている者たちに声を掛けるよう指示を出す。
 カイヴァーンたちの声に聞き覚えがあった武装神官が、防塞を除け ―― 青く照らされる大地を見て歓声を上げた。

「可哀想だが、聖火で焼き尽くすか」

 変わり果て崩れ堕ちた肉塊と骨を、ラズワルドは聖火で焼き尽くし浄化した。

「怪我人はいるが、死者はいないと。上出来じゃないか。なあ、カイヴァーン」
「そうですな」

 突然蘇った死者に、幾分の混乱はあったが、駐留している武装神官の誘導、防塞が上手く運び、死に至るような重傷を負う者は出なかった。

「ラズワルド公が起こしとなれば、もう怖ろしいものは御座いませぬ」

 墓所に詰めている武装神官の言葉を聞いた頃には、ラズワルドは眠気が再び襲ってきていた。

「そうか。とりあえず、そろそろ寝た……」

 他の者は魔王の気配や、蘇る死者に神経が高ぶるが、ラズワルドにとっては恐いものではないので眠気のほうが勝る。
 そろそろ横になりたいなと思っていると、ハーフェズから新たなる報告がもたらされた。

「ラズワルドさま! 井戸の中に、なんか潜んでいる模様です」

 怪我人の治療のため、ラズワルドたちが乗ってきた馬のためと、とにかく水が必要な状態なのだが、その水を汲む場所に近づいた武装神官たちが、異変を感じ急ぎ戻ってきた ―― カイヴァーン率いる部隊ともなれば、魔を屠る能力は充分で、魔物退治の経験も豊富な熟練揃いなのだが、魔王の力がいたるところに現れている現在、少しばかり慎重になっている。

「ふああ……井戸まで案内しろ、カイヴァーン。ハーフェズ、バルディアー、寝床の用意をしておくんだ。大部屋に寝具を運べ」

 子どもの頃から世話になっているカイヴァーンの部下を危険に晒すわけにはいかないと、ラズワルドは欠伸をしながら案内を命じたカイヴァーンの隣を歩くのだが、その足はもつれ蛇行している。
 眠気のあまりよろよろすしているラズワルドをカイヴァーンが抱き上げようとするのだが、

「今抱きかかえられたら寝てしまうから、むしろこうやって……」

 目を覚まそうと廊下の壁に、神の文様で覆われている額を叩きつけた所、

「御免。あとでお怒りは受けますので」

 カイヴァーンに抱き上げられ、井戸へと連れて行かれた。ほんの僅かな距離だが、カイヴァーンの肩にもたれ掛かり、至福のうたた寝を味わったラズワルド。だが井戸の側に到着すると、眠気と戦いつつ起こされることなく、自力で目を開いた。

「……さすがに、これはわたしでも分かゅ……らーみゅんめ」

 眠気でろれつが回らなくなっているのだが、井戸の奥底、地下水脈に魔王の盟友である、水の精霊ラーミンの分身のようなものが蠢いており、水を汚していることに気付く。

「降ろせ、カイヴァ……ふぁぁ」

 欠伸をしながら井戸の縁に手をかけ、もう片方の手を少しだけ持ち上げる。手の平に青く光る球体が現れる。それは以前屍食鬼を見つけた時に「倒しておくな!」と言い出現させた球体よりもやや大きめであったが、ラーミン相手なのでこの位は必要なのだろうと、カイヴァーンは黙っていた。
 光球は目視できぬ速さでラズワルドの手元を離れ、音もなく井戸から地下水脈へと入り ―― 轟音と共に井戸から水が噴き出す。

「このちゅいみゃくの、らーみゅんは消えた。もう飲んだり食べたりできりゅ……墓地はわたしが力でかこんでおきゅ……あとはおまえたちゅも、やしゅめ……」

 ラズワルドは舌足らずながらカイヴァーンにそう言い残すと、眠りの国へと旅立った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「…………」

 ラズワルドが目を覚ますと、墓地での作業はあらかた終わっていた。

「おはようございます、ラズワルドさま」
「はやいか? ハーフェズ」

 室温からすでに朝ではないだろうと、ラズワルドが尋ねる。

「もうじき昼になりますけど」
「起こせよ、ハーフェズ」
「俺が起きたのも、つい先ほどなんで。ね、バルディアー」
「あ、はい。済みません、ラズワルド公。すっかりと寝過ごしてしまって」

 二人と一柱は深更の移動と、魔王や大厄災ラーミンの欠片の排除などで、すっかりと疲れ果てぐっすりと眠ってしまったのだ。 

「ラズワルド公のお力で、全てが最良の形で終わりました」

 顔を洗い口を濯ぎ、良い香りが漂ってくる食堂へと向かう途中でカイヴァーンたちと合流し、ずらりと並ぶ料理を前にカイヴァーンとその腹心、墓地を預かっている責任者たちから感謝を述べられた。

「それは良かった。ところで、カイヴァーン。頼みがあるんだが」
「このカイヴァーンめにできることでしたら、なんなりとお申し付けください」
「少しばかり銀貨を貸してくれ。ここに来て、硬貨一枚も持ってきてないことに気付いたんだ」
「手持ちの銀貨を全て寄進させていただきますが」
「そこまで要らん。銀貨三枚くらいでいいぞ。ここの食堂はそんなに高くないはずだからな」
「ラズワルド公?」

 ラズワルドは料理を頼む金を持ち合わせていないことに気付き、自分もそうだが部下である二人を空腹のまま過ごさせるわけにはいかないと、カイヴァーンから金を借りようとしたのだ。

「我々人間の為にご足労いただいた神の御子から、お金をいただくなどできませぬ」

 その後、目の前に並んでいる料理はラズワルドの為に作られたものであり、料金は必要ないと聞かされ”それじゃあ”と空腹を満たした。
 ラズワルドが満腹になったところで、墓地でしなくてはならないことは全て終了し、あとは王都に戻ることになる。

「王都に向かう一団の最後尾にはわたしがつく」
「ですが」
「なんの力もない庶民が、魔の山を背に王都を目指すのは怖ろしいものだろうからな。カイヴァーンは先に戻って、報告を済ませておいてくれ」

 当初は馬車に乗り、カイヴァーンたちと共に最速で王都に帰還する予定だったのだが、墓地にいた庶民だけで王都に帰すわけにはいかないと、彼らの最後尾をラズワルドは守ることにした。

「負傷した武装神官は、わたしの馬車に乗せろ。血で汚れるかもしれない? 構わん。わたしはハーフェズと一緒に馬に乗る。バルディアー、先導頼むぞ」

 カイヴァーンと数名が王都へ報告に向かい、ラズワルドたちは墓地を守っている武装神官や雑役夫などを引き連れて、美しい青空と禍々しい赤が混在するペルセアの大地を進む。

「魔王はどうなるんでしょう?」

 ハーフェズは馬上で自分の腰に手を回しつかまっているラズワルドに、この先について尋ねた。ただそこに不安は微塵もなかった。ハーフェズはペルセアにいる人間の中で、もっとも魔王に対し恐怖を持ってはいない。

「ペルセア王族が封印するんだろ」

 理由は「ラズワルドさまがいるから」 ―― それだけだが、それは揺るぎない絶対であった。

「上手く行きますかね?」
「それは分からないが、魔王やラーミンが望んでいた程、時間は稼げなかったから、こっちが有利じゃないかな」
「言っちゃあなんですけど、墓地の惨状なんかを見ると、随分と後手の気もしますが」

 ラズワルドがハーフェズの耳元で「距離を取れ」と小声で指示を出す。ハーフェズは不自然にならない程度に馬の歩みを緩める。

「ハーフェズ。祖廟で宝剣を封印していた空間を覚えているか?」

 少しばかり距離が取れたところで、距離を取れと命じた時と同じようにラズワルドは耳元で囁いた。

「もちろん覚えておりますよ」
「城壁を取り囲んだ赤い炎魔王は、あれと同じだ。内側からは破れん」
「……あれは、魔王の精霊としての力でしたか」

 魔王は元は精霊王であり、まだ精霊としての力も有しているので、現精霊王と同じことが出来ても不思議ではない。

「まあ、闇のあいつ精霊王が作った宝剣の空間よりは、よほど脆い。練りが足りない焼き菓子よりも脆い」

 ”脆い”に力を込めて言い切るラズワルドに、

「魔王が少しだけ憐れです」

 ハーフェズは「ラズワルドさまはいつも通りだなあ」と笑いながら、魔王を心から憐れんだ。

「現状、魔王を憐れめる人間は、お前だけだと思うぞハーフェズ。それでな、時間を稼げなかったというのは、王都を取り囲んでいた魔王の欠片が、すぐにわたしによって破壊されたことを言ったんだ。通常であれば、祖廟にいる神の子、今ならイェガーネフが異変を察知し、王都に戻って……となる筈だったのに、野宿していたわたしとシャーローンがいたたため、魔王の欠片は憐れになるほどすぐに壊され、即座に対応するためにこうしてわたしたちが四方に出ることができたから、奴らにとっては予定外だったろうよ」

 脆いが内側からは破壊することはできない ―― 

「ラズワルドさま」

 祖廟には宝剣が収められている、精霊王が作った空間がある。そこは魔王や大厄災ラーミンも襲うことはできないが、王都と祖廟は約三日半ほど掛かる。その距離をどう乗り切るか?

「なんだ?」
「イェガーネフさまが、王都を目指して急いでいるときに、魔物たちに襲われたら厄介ですよね」

 イェガーネフは滅魔の能力を持っていない神の娘である。
 もちろん魔物に対して絶対の防壁を持つが、足止めはされてしまう。イェガーネフが足止めされ、ラズワルドやシャーローンも王都に居たら、ペルセアは一体どうなってしまうのか? 怖ろしい考えに取り付かれてもおかしくはないのだが、適にの緩く自分の腰に捕まっているラズワルドがいるだけで、ハーフェズの心に恐怖が這い寄る隙はなかった。
 
「……そうだな。とくにイェガーネフは、これといった武装神官が付いていないからな。子どもの頃から一緒にいるセペフルとかいうのも、あまり強そうではないしな」

 ラズワルドは、それはよろしくないな……と、少しばかり難しげな表情を作る。ただし、顔の半分が群青で覆われ、金でメルカルト文様がびっしりと浮かんでいるため、ほとんどの人間は表情を読むことはできない。

「これといった武装神官が付いていないのは、ラズワルドさまも同じことでは」

 イェガーネフに故郷から付き従ってきたセペフルという、五つばかり年上の男は忠誠心はあるものの、それ以外は総じて足りておらず、イェガーネフの最側近になることはないと、他の最側近たちは既に見切りを付けていた。
 彼らは能力がない者に対して容赦はしない。ただし、どこか優れている所さえあれば、それを褒める寛容さを持っている。そんな彼らが一年で能力と人となりを見限ったのだ。

「いやいや、ハーフェズとバルディアーは、出来るぞ。自信を持て。他のメルカルトの子もお前たち二人は、出来る子だと褒めているぞ。セペフルが褒められてるのは聞いたことないけど」
「それ、ラズワルドさまの前だからじゃないんですか?」
「そうでもないぞ。みんな褒めるよ。褒めるに値する場合は。ジャバードなんか、いつも褒められてるし。パルヴィズもみんな信頼してるって、いつも言ってるぞ」

―― 馬鹿なこと言ったなあ。神の子はお世辞なんて言わないって、ラズワルドさまで知ってることじゃないか……

 神の子たちの人物評は、人間よりも更に容赦がなかった。むろん神の子たちは、そんなつもりはないのだが、俗世のことなど我関せず、人間の些末なことなど知る必要なし。されど悪意はない彼らにとって、人は良いところがあれば褒める。褒めるに値するものがなくとも貶めることはないし、見限ることもない ―― それは純粋で残酷でもあった。

「なるほど……褒められるように頑張りますね」
「ん? 頑張んなくても、褒めるぞ。大泣きしたって褒めるぞ」
「やめてください、ラズワルドさま。俺は泣き虫を返上したんですから」
「わたしは受け取った覚えはないが? 馬の歩みを速めろ、ハーフェズ」
「泣き虫受け取ってくださいよ! ラズワルドさま」

 あちらこちらで死が沸き返っている王国で、この二人はいつもと変わらず。そして無事に王都にたどり着いた。