ラズワルド、アシュカーンに贈り物をする

 「王子は少しばかりの遠出でも、色々と準備に時間がかかるらしいですよ」 ―― ハーフェズは一言も嘘はつかず、ラズワルドは「そんなもんか」と納得し、アシュカーンはエリドゥに向かうまでの時間を稼ぐことができた。

「……こんなので、よろしいのですか? 王子」
「ああ」

 アシュカーンは乗馬の訓練に勤しみ、そして神命を果たすのにしばしの時間をもらうので、その穴埋めになにかを献上したいと考え、ラズワルドに贈ってよいものはなにかをハーフェズに尋ねた。
 返事の手紙はウセルカフ宛に届き、内容は「ウルクの古代王ビルガメスに関する口伝の昔話を色々と集めて、書き記したものが良いでしょう。清書などは必要ありませんし、四行詩にする必要もありません」と書かれていた。
 読んだウセルカフは、本当にそんなものでいいのか? と、思ったのだが、ハーフェズが良いと言っているので信じ、アシュカーンに打ち明けた。
 聞いたアシュカーンは呆気にとられたような表情になったものの、ウセルカフ同様ハーフェズを信じ、乳母や宮の女官などから話を聞き、書き留める。
 だがあまり種類が集まらなかったので、アシュカーンは訓練の合間を縫って街へと出て、食べものと引き替えに下町の者たちから話を聞くことにした。
 すると同じ話だが、部分部分に聞いたこともないような逸話が入っている話と、多く遭遇した。
 話を書き留めているウセルカフも、驚きながら文字を綴る。

「ところで王子さま、なんでこんな話を、書き記すんですか?」

 美しい文章に仕立てられたもの以外は、残されることがなかった時代に、口語をそのまま書き留めるというのは、かなり不思議な行動であった。

「尊き神の御子であるラズワルド公に献上するのだ」
「こ、こんなもんをですか!」

 自由民の子どもが幼いころ母親から聞かされる話を、神の子が欲するなどと、誰も思わない。

「わたしもそうは思ったのだが……神の国に戻られたら同じく半神であるビルガメスに、地上に残っている彼の評判を教えてやろうと思われているのかも知れない」
「あ……違う神さまでも会えるんですかね?」
「聞いたことはないので分からぬが、そういう可能性もありえるであろう」
「神の子ですものなあ」

 アシュカーンはまだ寒さが残る中、ウセルカフとバームダードが所属する隊を伴い、必死に話を集め、自らの手でまとめて王都へと送った。
 寒さに負けず乗馬の訓練をし、春が訪れ ―― アシュカーンが住むウルク太守府に来客があった。

「シアーマク公の側仕えジャファルと言う。よっ、バームダード」

 ウルクにかつてはハーフェズと同じ色合いと言われていた金髪を持つ、神の子の側近ジャファルが数名の部下と共にアシュカーンのもとを訪れた。

「ジャファルさん……ジャファル卿」

 いつの間にかアシュカーンの護衛隊員の一人になっていたバームダードは、王都での馴染みの顔に思わず表情が綻ぶ。

「ジャファルで構わんぞ、バームダード」

 下町に行ったら人を殺してしまいそう……と、メフラーブの私塾に通うのを拒否したシアーマクだが、豪快に涎を垂らしながら転がるラズワルドの姿が思いの外面白く、気付けばヤーシャールに次いで下町に通っていた。そんなシアーマクの最側近である、ジャファルも当然下町によく足を運んでいた。

「シアーマク公の最側近とお聞きしておりましたが」
「まあ、あの御方と不思議と性が合う……が、俺自身はただの奴隷だから、気にすんな。いや、俺が王子を気にしなきゃならんのか」

 陽気さと強さを兼ね備えたジャファルは、一通り笑って話したあと、突然表情を引き締め襟元を直す。

「ラズワルド公の使者として参った。アシュカーンに渡すものがある」

 アシュカーンは驚き、どうしたものかと ―― バームダードが所属しているアシュカーン護衛隊の隊長が必死に頭を働かせ、神殿の祭儀場で話を聞きましょうと、太守府内の神殿へと移動する。
 祭壇前に立ったジャファルは、目の前で膝をつき頭を下げているアシュカーンに、巻子を入れる箱のような大きさの、群青色の布で包まれたものを恭しく掲げて、

「ラズワルド公よりの御下賜品だ。心して受け取れ」

 アシュカーンへと手渡した。
 下賜品を受け取り祭儀場を辞したアシュカーンは、包まれた横長の箱らしきものを持ち、周りに助けを求めるが ―― 神の子からの下賜品など、触れるものではない。

「仕事終了。場所移動しようぜ」

 祭儀場から出てきたジャファルに促され、賓客用の部屋へと向かい、そこで下賜品を震える手で丁寧に開く。群青色をした布の中から現れたのは、象嵌細工の箱。
 その箱だけでも価値があるのは、芸術品に触れたことなどない者でも分かる一品。
 アシュカーンはその箱の蓋を開け ―― 中身は丸められた羊皮紙であった。アシュカーンはその羊皮紙を開き、

「これは!」

 長年一緒にいるウセルカフですら聞いたことのない叫び声を上げた。

「このようなものを、わたしめが貰ってよろしいのですか!」
「よろしいらしいぞ。物が物だから、自由が利く俺が責任を持って運ばせてもらった」

 ジャファルのいう「自由が利く」とは「芸妓を抱いて、神の子のお側に仕えることができないので、遠距離任務を請け負う」というもの。彼は偶に半月くらいシアーマクに近づくことができないようなことをし、パルヴィズに叱られることが多々ある。

「ウセルカフ、地図だ。ナュスファハーンとウルクとエリドゥ近辺を精密に描いた地図だ!」

 ただ今回は下賜品であり、一部分だけではあるが、かなり精密な地図なので、信頼がおけ、襲われて命ごと盗まれるようなことを避けるため、妓楼で遊んだため一週間はシアーマクに近づくことができず、だが腕が立ち裏切ることのない男ことジャファルが選ばれた。

「すごい……」

 地図を見せられたウセルカフは、その精密さに言葉を失う。彼らはエリドゥに向かうため、地図を見せてもらってはいたが、アシュカーンが手にしているのは都市名だけではなく川や平原の名、山の高さなども記されており、彼らが見ていた地図とは比べものにならないものであった。

「王子が準備に手間取っていると聞かされたラズワルド公が、ご自分で言い出したことだからと、地図を用意して下さったのだ。”一番いいやつを”と命じられたので、軍でもっとも地図を描くのが上手い、中将軍になったばかりのカスラーが担当した。さすが兵站と作戦には定評のある男、まあ素晴らしい地図だな。出来上がった地図を見たラズワルド公が”ほんと、一番いいやつだ、これ”と、感心しておられた」

 このジャファルが言う「中将軍になったばかりのカスラー」とは、迷子になったハーフェズを保護してくれた男であり、ラズワルドとハーフェズに「フェロザーターコイズの君」と名付けられ、いつか見つけてやると言われている男である ―― ハーフェズが迷子になった数日後、ヤーシャールが私塾へとやってきて、迷子になったこと、そして立派な青緑色の上衣を着ていた貴人っぽい人物が保護してくれていたことを聞かされた。
 その日、その格好のカスラーと会っていたヤーシャールは、寄進された服を見てすぐに誰なのか分かり、教えようとしたのだが、ラズワルドが「いつか自分たちで見つけ出す! 精霊王の力も拒否させてもらった!」 ―― 精霊の力を使ったのだから、精霊王の知るところでもあり、その精霊王が教えてやろうとしたのだがラズワルドに拒否されていた。
 そして忘れないように、釦に使われていたフェロザーターコイズを、耳飾りにし、メルカルトの忠実なメルカルト僕では、誰のことか分からないので「フェロザーターコイズの君」と名付けていると。
 その話を聞いたヤーシャールは「それならば……」と、後日カスラーの元へと出向き保護してくれた礼を述べ、恐縮しきりの彼にラズワルドの希望を伝え「ラズワルドに見つかるその日まで、壮健でな」と言葉をかけた。

 それから五年の歳月が流れたわけだが、ラズワルドの興味はあちらこちらを向いていて、真剣に捜す気配はない。カスラー自身としても、捜されたいとは思っていないので、気にはしていなかった。

「はあ……地図だ」

 自分専用の地図など夢のまた夢であったアシュカーン。それが部分地図とは言え、神の子ラズワルドから下賜されたとなれば、彼の感動は当然のことであった。

「まあ、頑張って下さいな、王子」
「は、はい! 必ずやエリドゥに行き、ラズワルド公にその姿をお伝えいたします!」

 初めてウルクにやってきたというジャファルたちを、アシュカーン自身も知らないことが多いながら案内をした。
 案内した一つに神殿ジグラットがあり、その神殿内でジャファルはそう言えば……と、ラズワルドのことで、あまり一般には知られていないことを教えた。

「ラズワルド公が、この種の神代に建てられた神殿ジグラットに刻まれている楔形文字に手を触れられると、文字が光って浮かび上がるんだぜ。神の子の中でも、それが出来るのはラズワルド公だけだ。バームダードはラズワルド公が楔形文字が刻まれた粘土板を、楽しげに読んでる姿覚えてるだろ?」
「はい。ラズワルド公は習わなくても、神の子なら読めると仰ってました」
「それ、本当なんだよな。でも神の御世の建築物に、神が居た頃の輝きを取り戻せるのはラズワルド公だけ……まあ、凄いもんだ。光祈で奇跡には慣れたつもりだったが、あれを拝見した時は、腰抜かすかと思った」
「ジャファルさまでも?」
「俺は至って普通の人間だからな」

 ジャファルがそう言うと、彼の部下たちが一斉に大声で笑い出した ―― そんな彼らはウルクに一週間ほど滞在し、アシュカーンの礼状を持ち王都へと帰っていった。
 アシュカーンは夜、露台に出て地図を眺め、そして朝目覚めると地図を開きと、それは恋文を読んでいる表情そのもであった。
 ジャファルたちが帰途についてから数日後、準備を整えたアシュカーンたちはエリドゥへと向かった。ウルクからエリドゥまでは、かつて整備された公道が整備されているため、片道約100kmエイほどならば、半日で踏破することはできるが、どうせならば、道すがらのことも報告しようと、ゆったりと進むことになった。
 アシュカーンは馬上で頬を撫でる風を感じ、芽吹いた緑が眩しい大地を愛おしげに見つめる。

「馬上から美しい景色を眺めることができるのも、ラズワルド公の思し召しがあったからこそ。わたしは幸せものだな、ウセルカフ」
「そうですね」

 いにしえに作られた街道を進んでいると、彼らは西からやってきた、茶色い馬に乗った一人の男と遭遇した。長い黒髪を一本に結い、緑色のターバンを巻いた、荷物に竪琴がのぞいている男は、アシュカーンたちを見てその端整な顔だちに驚いたような・・・表情を作った。

「おやおや、こんな所で高貴な一団と出会うとは」

 朗々とした声が滅多に人が通らぬようになった道に響く。

「御主は吟遊詩人かな?」

 閉ざされた世界で生きている者にとって、見聞きした異国の物語を語ってくれる吟遊詩人は非常に喜ばれる。

「そうですな」

 アシュカーンは吟遊詩人に急ぎでなければ、エリドゥへ同行してはくれぬかと頼んだ。護衛の者たちは難色を示したが、エリドゥを見て四行詩を作ってもらうのだと、アシュカーンは譲らず ――

「わたしはアシュカーン、ウルクの太守エスファンデルの息子だ。御主の名は?」

 吟遊詩人にもその熱意が通じたのか、同行を承諾した。

「アーラマーンと申します。ではしばしの間、ご一緒させていただきますぞ、王子」

 彼こそがアルデシール三世が十二将の一人として、数えられることもあるアーラマーンである。彼は最古の英雄譚に名が残っているのだが、他の者たちと一つだけ大きな違いがある。それは英雄譚を記したのが彼であるということ ―― 自分を英雄譚の登場人物にするという、なかなかに大胆不敵な男であった。
 彼はアルデシール三世を讃える英雄譚の他に、ラズワルドを讃える叙事詩を残しているのだが、彼が吟遊詩人であったことからも分かるように叙事詩のほうが出来が良い。
 そんな彼を連れ、アシュカーンはエリドゥに到着する。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 アシュカーンがラズワルドに送った「エリドゥに関する」手紙、その返事が返ってきたのは一ヶ月半後のことであった ―― 普段であれば三週間もかからずに返ってくるのだが、アシュカーンの手紙がラズワルドの元に届いた日、大きな出来事があったため、神の子と王族の間で交わされる手紙すら滞ったのだ。


『エリドゥについて詳しく書いてくれた手紙、楽しく読んだ。アシュカーンの記憶が鮮明なうちに、色々と尋ねたいことがあるのだが、ただ残念なことに、今あの手紙は手元にない
この手紙はハマダーン城で書いている
アシュカーンも知っての通り、王都より北東に騎馬で四日ほどのところにある、王都北の最終防衛線だ
なんでわたしがハマダーン城にいるのかというと、どうもゴシュターブス四世が魔王の封印に失敗したらしく、ペルセア一帯に魔物がわき出た
アシュカーンが住んでいるウルクでも魔物がわき出ただろう
怪我などしてなきゃいいんだが
ちなみに王宮の大火事はその一つだ
かなり強力な魔物も現れたらしいので、神の子があっちこっちに出向いて魔物を狩ることになった
わたしはこれからハマダーン城を出て魔の山まで行って、ちょっと大人しくしろって魔王を威嚇してから、サマルカンドまで行ってくる
魔物のことは心配すんな、アシュカーン
わたしが魔の山でごりごりやったら、すぐにこの騒ぎは収まるから
そうそうアシュカーン
なにかエリドゥのことで語り忘れていたことや、その他のなにかあったら、気軽に手紙を寄越すといい
旅をしているわたしは、届いた手紙をすぐには読めないが、神殿に戻ったら、全部目を通すからな

そんな訳で、魔の山と最果てまで行って来る』