ラズワルドとハーフェズ、十一歳になる(ペルセア王国歴三二二年)

 ラズワルドの二つ年上であるバームダードが、初の赴任地である地方都市のウルクに到着したのは、ペルセア歴三二一年の終わり頃であった。
 現在十二歳の彼は、五年前に父親の転勤でウルクから王都へ引っ越し、そしてまたウルクへと戻ってきたことになる。

「久しぶりだなあ」
「お前、ここの出身だって言ってたな」
「そうだよ」

 バームダードは他の地方からも集められた新兵と共に、ウルクの街へと入った。

「昔住んでいた時は感じなかったけど、地味だよなあ」

 ”ナュスファハーンは世界の半分”とまで謳われる王都から、歴史はあれど今では一地方都市でしかないウルクに帰ってきたバームダードがそう感じるのは当然のことである。
 王都での騎士見習いの頃と同じく、兵舎で寝泊まりし、自由時間には昔住んでいたところまで足を伸ばして、昔馴染みに会ったりと、バームダードは極々普通の生活を送っていた。


 そしてバームダードは自分の全て・・となる人と出会う。


 年が明けペルセア王国歴三二二年のまだ寒さが厳しい頃、バームダードのいる鍛錬場にウセルカフを伴ったアシュカーンがやってきた。

「エスファンデル殿下と、まったく似てないな」

 誰かがそう呟き、バームダードも言葉にはしなかったが、同じことを思った。
 バームダードは以前ウルクに住んでいた頃には、一度もアシュカーンを見たことがなかった。

「母親に似てるんだろう」

 巌のような大男である武人のエスファンデルと、女装したほうが違和感のなさそうなアシュカーン。容姿だけでは親子だと知っていても親子には見えないくらいに、似ていなかった。
 剣など握らなさそうな出で立ちの王子は、彼らの鍛錬を楽しげに終わるまで眺めていた。

「バームダード。殿下がお呼びだ」
「はい? ……あっ、はい」

 鍛錬が終わったところで、バームダードはアシュカーンに呼ばれた。
 ラズワルドとアシュカーンが知り合いであることを知らないバームダードは、自分が呼ばれた理由など分かるはずもなく、アシュカーンの前で、膝をついて頭を下げる。

「バームダード、少し時間をもらいたい」
「御意」
「わたしはウルクの太守エスファンデルの息子アシュカーンだ」
「存じ上げております」
「御主、ラズワルド公の旧知だと聞いたのだが」
「…………誰からお聴きになりましたか?」
「ラズワルド公ご自身からだ」

 バームダードは心の中で「ラズワルド公!」と叫んだものの、面に出すわけにはいかないので、必死に心を落ち着かせ、知り合いであることを認めた。

「ラズワルド公からお手紙をいただいたのだ」

 幼馴染みの新米騎士バームダードがウルクに赴任する。真面目で良い奴なので、見かけたらよろしくな ―― 

 王子に宛てられた手紙を読んだバームダードは、非常に困惑した。そのバームダードの表情に気付いたウセルカフが、場を変えてゆっくりと話しましょうと提案し、バームダードが所属している隊の面々も呼び、一席が設けられた。

「あっ! 王子とはアシュカーン王子のことでしたか。てっきりアルデシール王子だとばかり」

 ラズワルドとアシュカーンがファルナケス二世陛下の葬儀の際、祖廟で知り合ったのだと教えられたバームダードは、祖廟から帰ってきたラズワルドと話をしたスィミンが言っていた「ラズワルド公、王子さまと会ったらしいよ」の意味を取り違えていたことに気付いた。

「そう考えるのが普通だな」

 アシュカーンは気を悪くすることもなく、当然だと柔和な表情のまま頷く。そしてバームダードにラズワルドとの思い出を、教えてくれないかと頼んだ。

「わたしが七つの頃、父が王都に赴任することになり、家族でナュスファハーンに引越ました。わたしの父は騎士ではございますが、裕福ではありませんので、下町に居を構えました。父はわたしを私塾に通わせようと、近所の人に話を聞き、近くの私塾へと向かいました。私塾に入門し、帰ろうとした所、一軒挟んだ隣に住んでいたラズワルド公と鉢合わせ……と申しますか、元気に階段を駆け下りてきたラズワルド公と対面し、親子共々腰を抜かし、恐れ多くもラズワルド公に介抱されたのが出会いに御座います」
「幼い頃から、ラズワルド公は闊達でおられたか」
「それはもう闊達でいらっしゃいます。わたしが王都に越す前の出来事ですが、隣家の老人が亡くなり、身よりのない老人の埋葬のため、当時六歳のラズワルド公が奴隷であるハーフェズを伴い……」

 その後、三つほどラズワルドについてバームダードは語った。

「ラズワルド公について、また後日聞かせてもらってもいいか?」

 ラズワルドと自分の関係について、バームダードは語るようなことではないと黙していたが、王子から直接尋ねられるとなると ――

「はい」

 少々悩んだが、ラズワルドが直筆の手紙を送った相手ゆえ、聞かれたことは答えようと、はっきりとした返事を返した。

「そうか、楽しみだ。ところでバームダード、頼みがある」
「わたしで出来ることでしたら」
「エリドゥ行き、遺丘を探索してきてくれないか。もちろん一人では危険ゆえ、しっかりと隊を組んで貰うが」
「エリドゥ……とは何処でしょうか?」
「ウルクの南にあった小さな都市国家だ。十数年前に父上によって滅ぼされている」
「はあ……」

 王子からの命ともなれば、任務として引き受けることは簡単だが、任務の内容が敵を払うような武力が必要なものではなく、遺丘の調査という、ごく普通の騎士である自分に課せられるような役目ではない、学者のような適任者がいるはず、その者を護衛しろというのであれば ―― バームダードがそう思ったとしても、なんらおかしなことではない。
 そんなバームダードの疑問に、アシュカーンはラズワルドからの手紙を開き説明を始めた。

「ラズワルド公の手紙にな……」

 地図というのは貴重品で、精度が高いものは、国の中枢にいるごく僅かな者しか見ることができない。
 ラズワルドはごく僅かの部類に入る故、祖廟でバーミーンの話を聞いてから、俄然地図に興味を持ち、バスラやアッバース、そしてウルクの場所などを地図で調べ、描かれている街道を指でなぞり、思いを馳せて楽しんでいた。
 真神殿にある最新鋭の地図を読んでは、楽しんでいるラズワルドに「そんなに気に入ったのでしたら、古いものですが、差し上げますよ」と、ファリドが神殿に収められた前国王ファルナケス二世が即位以来、書き足して使っていた地図をくれた。
 地図は非常に重要なものでありまた高価なもの故、情勢に変更があった場合、新しいものに変えるより、書き足しされて使われることのほうが多いのだ。
 滅多に寄進物には興味を示さないラズワルドだが、歴史ある地図は喜んで受け取り、部屋にハーフェズやバルディアーも招いて、じっくりと地図を読み話に花を咲かせる ―― この時代、書を読める人間も少ないが、地図を読める者はもっと少なかった。
 いずれ行くサマルカンド、そして来年には行く予定であるアッバース。それらの街へゆく経路を調べたり、ネジド公国の場所を確認して、どんな道を辿ってナスリーンはネジドに行ったのかなど、飽きることなく地図を眺め楽しんでいた。
 そうして眺めているとアシュカーンがいるウルクの南西、バーミーンの故郷バスラの北西の中間あたりに×印が付けられていることに気付き ―― この×印はなんだ? と尋ね、その×印はエリドゥという都市国家があった場所で、ラズワルドが生まれる数年前にペルセアによって滅ぼされたと教えられた。
 好奇心の塊とも言えるラズワルドは、エリドゥのことを調べ、古い歴史があったこと、遺丘があることなどを知った。
 なきエリドゥとウルクの距離は片道100kmエイ程なので、祖廟とウルクよりは遙かに近く、また100kmエイ程度、馬を駆って半日弱で踏破できなければ、一人前のペルセアの男ではないとも言われているので、アシュカーンも行けるだろうと軽く考えて「王子が見てきて教えてくれ」と ――

「王都にある書だけでは足りなかったご様子で、足を運び詳細をお伝えせねばならぬ」

 事情を聞いたバームダードは、首を振り否定する。

「それは殿下が行って見て、書き記した手紙を読みたいと言うことであり、私どもが代理を務め、書いたものをラズワルド公にお届けしても、なんの意味もないことと思います」
「……」
「誰でも良いのでしたら、ラズワルド公は既に、大勢の者を派遣していることでしょう。ウルクにも武装神官はおりますし、殿下のお父上に命じ騎士を編成して向かわせてもいい。ラズワルド公で御座います、陛下に命じることとて簡単なことです。ですがそうなさらずに、王子に出向き見て送れと命じられた。これは王子に対して下された命であり、余人が代わりに務めてよい任では御座いませぬ。王子がその任を果たす際の旅路の護衛は喜んで務めさせていただきますが、王子がエリドゥに足を運ばぬのは、よろしくありませぬ」
「そ、そうだな。ありがとうバームダード。わたしは報告を焦るばかりに、ラズワルド公より下された神命を読み違えていた。なんとわたしは愚かな。ああ、だがわたしはあまり乗馬は得意ではないから、特訓をせねばならぬし……」

 ラズワルドはアシュカーンは騎馬で祖廟まで来たと思っているのだが、実はアシュカーンは乗馬が出来ず、全行程馬車であった。

「すぐにご報告をなさろうとするお気持ちは尊いことでございます。殿下が神命を果たすために特訓が必要ならば、そのことを正直に手紙に認め送られてはいかがでしょうか? ラズワルド公はゆっくりと待って下さるはずでございます」

 もちろんウルクから滅んだ都市国家まで馬車で向かっても良いのだが、手紙に「馬を走らせたら半日足らずで行けるらしい」と ―― ペルセアの若く健康な武人が馬車に乗るというのはまずないこと。
 そして王子という存在は正式な神官でなければ、武人であるのが当たり前なので、ラズワルドがアシュカーンを武人だと考え、馬に乗れると解釈するのは当たり前であった。

「待たせても、よろしいものか?」
「わたしはハーフェズではないので、明言はできませぬが、ラズワルド公の心中を誰より理解できるハーフェズに、手紙を出してみてはいかがでしょう。王子からの手紙となると仰々しので、ウセルカフさまが代理で」
「任せてよいか? ウセルカフ」
「喜んで」

 こうしてラズワルドとアシュカーン、ハーフェズ、バルディアーとウセルカフの文通が始まった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「こっちからウセルカフに手紙出しておいて良かったね、ハーフェズ」

 バームダードの提案に従い、ウセルカフはハーフェズとバルディアーに、以前の手紙の返事という形で、アシュカーン側の事情を書いた手紙を送った。
 受け取った二人は、アシュカーンがろくに乗馬もできないことを知り ―― この時代、読み書きができない王子はいても、乗馬ができない王子などありえない・・・・・。なにせ王子というのは武人であり、軍隊を預かる身故、馬に乗れなくては話にならないのだ。
 そのような立場にあるはずの王子に乗馬を教えないとはどういうことだ? と、二人は互いに首を捻り、無言のまましばし見つめ合ったが、王族の考えなど分からないとばかりに、それに関してはすぐに頭から追いやった。

「うん。ラズワルドさまの手紙の内容見ていなかったけど、まさか王子に廃墟の探索に行けって言ってるとは……」

 ラズワルド直筆の手紙で「エリドゥ見てきて、面白いことを書け」と命じられたアシュカーンだが、上記の事情から軽く出向けない。
 ウセルカフからの手紙は、無理を承知でお願いするが、王子の名誉のためにも、乗馬ができないことをラズワルドに知られないようにしつつ、時間をいただけないだろうか? と。

「でも王子、やる気出してるらしいじゃないか」

 また、王子がラズワルドからの神命により、かねてより希望していた乗馬の訓練ができるようになったことに、ウセルカフは感謝の言葉を重ねてもいた。

「まあねえ。ウセルカフからも”ありがとう”って書かれてたから、良いんだろうけど……ラズワルドさまの欲しそうなものかあ」

 すぐに命を実行できないことを詫びるためにも、なにか贈り物をしたいので、ラズワルドが好むものを教えて欲しいと書かれていたのだが、これが難題であった。

「ラズワルド公は、なんでもお持ちだからな」

 ラズワルドは大きな部屋が埋まるほどの財宝を持ってはいるが、持っているだけでとくに興味を示すこともない。

「世界の半分って言われる王都におわして、欲しいと言えば何でも手に入る御方だからなあ。むしろ金銀財宝とか興味を持たないし。興味がありそうと言えば異国の地図とか、異国語の辞書とか……」
「理由は知らないけど、乗馬訓練さえさせてもらえないような冷遇されている王子が、用意できる品じゃないよね、それ。ラズワルド公なら、それすら望めば手に入りそうだけれど」
「そこなんだよなあ。アシュカーン王子の財力とか権力とかで、無理なく用意できる品となるとなあ。……俺たちよりは金持ちだろうけどね」
「そりゃそうだろ、ハーフェズ。王子が見習い武装神官より貧乏だったら、悲しすぎて泣けてくる」
「王子の懐事情がそうだとしたら、かつて泣き虫と呼ばれた俺なんか、号泣しちゃうよ」

 見習い武装神官の日当は銅貨十五枚である。