ラズワルドとハーフェズ、奴隷に新たな名を与える

「ただいま、メフラーブ!」
「どうしたラズワルド」
「今日から、メフラーブの世話もする奴隷!」

 ラズワルドから奴隷を連れてきた事情を聞かされたメフラーブは、麻の長上衣だけを着ている暗い金髪と灰色の瞳を持つ、ラズワルドより少し年上であろう少年を一瞥する。

―― ラズワルドが出した条件に合う男となると……ハーディムか

「ラズワルド」
「なんだ、メフラーブ」
「買う時、全裸にしたのか?」
「してないよ。ゴフラーブのことは信用してるからな」
「そうか」

 ラズワルドとメフラーブのやり取りを脇で聞いていた奴隷の少年は、自分がなんの目的で買われたのかを理解した。

「と言うわけでマリートの料理を覚えてもらう。期間は一年弱。わたしがアッバースに行く時につれて行くから、それまでに料理の腕を磨け……ところでお前料理できるのか?」
「出来ません」
「だよなー。ところで、どこの国出身」
「分からん」
「そっか。顔の感じからすると、ヘレネスよりも更に北に住んでるような気がするんだが。ゲルマン人?」
「本当に分からんというか……スカンディナヴィアとか呼ばれていた気がする。もっとも俺が売られたのは、三、四歳頃の頃だから、あとでそうだったと周りの連中から聞いただけだが」

 彼が生まれた地方は貧しかったため、幼い頃に売られ、さらに売り物になるよう「手を加えられ」南へと連れて来られた。

「そうか。スカンディナヴィアかあ……メフラーブ、知ってる?」
「俺も詳しくは知らないが、ラティーナ帝国の北、アマゾン海の北沿岸がサルマチア地方。そのサルマチア地方の西側がゲルマニア地方。ゲルマニア地方にはヴァンダリ国、スエビ国なんかがあって、そのゲルマニア地方の北がスカンディナヴィア地方になる。住んでいる人間はゲルマニア人が多いらしいな」

 メフラーブは詳しく知らないが、ペルセア王国やラティーナ帝国でスカンディナヴィアのことを知識人に尋ねても、メフラーブが答えてくれたこと以上のことは返ってこない。

「相当北ということか」
「だな」
「バフマン爺さんも行ったことがない国から来たと」
「爺さんはサルマチアまでは行ったと言っていたが、ゲルマニアには行ったとは聞いていないから、スカンディナヴィア地方は未踏だろう」
「ペルセアに来るまでに、色々な国を旅してきたんだろ。どんな旅してきたのか、聞かせろー聞かせるんだー」
「聞かせろって言われても……」

 どんな旅をしてきたのか語れとラズワルドが騒いでいると、玄関扉が叩かれた。

「ラズワルド公、居る?」

 扉の向こう側から声を掛けてきたのはスィミンで、バームダードが正式に騎士に叙任され、ウルクに赴任することが決まったので、小さなお祝いを開いているので、ラズワルドもどうか ―― 

「おめでとう、バームダード」

 ラズワルドは買ったばかりの奴隷も伴い、お祝いをしている小さな酒場にやってきた。

「ありがとうございます、ラズワルド公」
「ウルクに行くのか。そう言えばバームダードはウルクの出身だったな」

 バームダードは五年ほど前に父親の移動に伴いウルクから王都へとやって来た。

「はい」
「生まれ故郷に帰るの、楽しみか?」
「楽しみです」

 バームダードは突出した才能はないが、何でも真剣に取り組む真面目さと、曲がったことを嫌う芯のまっすぐな性格を持っていた。

「良かったな。そして父親のような立派な騎士になれよ」

 良い騎士とはどんなものか? ラズワルドは記憶を探り ―― バームダードの父親以外で出てきたのは、ラフシャーンとバーミーンの二人だけで、どちらも第一印象は真面目で、印象通りどころかそれ以上に真面目だったので、バームダードは派手さはなくとも信頼される立派な騎士になるだろうと、ラズワルドは心から応援した。

「努力いたします! ……あの、ラズワルド公。後ろにいるのは?」
「ああ、さっき買ってきたばかりの奴隷だ。名前はロルフ。スカンディナヴィアから来たんだぞ! 凄いだろ!」

 下町で一番の知識人であるメフラーブが、あの程度しか知らない場所スカンディナヴィア ―― その地名を聞かされたところで、一般人はどこを指しているのか全く分からず。
 漠然と遠くから来たんだろうなと、麻服だけを着た裸足の少年に、笑顔を向けた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 バームダードの門出を祝い、メフラーブにロルフにかかる費用を渡して真神殿に戻る途中、

「王子に”そっちに幼馴染みがいくから、よろしく”って手紙でも出すか」

 ラズワルドは軽い気持ちでウルクに行くバームダードのことを、アシュカーンに教えようかと口にした。

「よろしいんじゃないでしょうか」
「ついでに、王子の好きな食べものでも聞いてみようかな。いつか王都にきた時、案内しやすくなるしな」

 以前サラミスがやってきた際、歓待したのだが、基本とも言える「好きな料理。好きな酒」などの情報は、ナスリーンが知っていたので、その情報をもとにし何を選ぶのも簡単で、さほどの労力を使わずともサラミスたちを満足させることができた。

「それもいいですね、ラズワルドさま」

 労力を割くのが嫌なわけではないが、歓待する方としては、できることなら準備万端で歓待したい。となると情報はあったほうが良い。

「王子は羊肉と羊の脳みそ、どっちが好きか聞いてみるか」
「え、その二択限定なんですか、ラズワルドさま」

 そんな話をしていると真神殿に到着し、二人はラズワルドの宮まで送り届けてから、馬に乗って寮へと戻った。
 門限は過ぎていたのだが「任務」ということで見張りのいる門を通り抜けることはできたが、食堂はすでに閉まっていた。

「夕食抜きだね、バルディアー」

 真っ暗になっている食堂をのぞき込んで、ハーフェズは肩をすくめる。

「バームダードさんのお祝いで、少し食べたから大丈夫じゃないかな」

 仕方ないねと部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、

「お勤めご苦労」
「ジャバードさん」
「ジャバードさま」
「俺はこれから夕食なのだが、一人で取るのも味気ないので、付き合ってくれないか」

 部下を伴っていたジャバードが、二人を外食に連れ出した。
 ジャバードにつれていかれた、個室のある高級料理店で美味しい料理を楽しむ。
 夕食……と言っていたジャバードは、酒杯を片手に、食べている二人を微笑んで見つめている ―― 空腹を満たすことを優先していた二人も、ジャバードが夕食を取りそびれた自分たちの為に、わざわざ連れてきてくれたのだと理解した。

「気遣って下さり、ありがとうございます。ジャバードさん」
「わざわざ済みません、ジャバードさま」
「気を使わせてしまったな。年を取ると、料理より酒のほうにばかり手が伸びてしまってな。では酒に付き合ってくれるかな? ハーフェズ、バルディアー」

 二人は視線を交わし頷き、ハーフェズは杯を掲げ、バルディアーはジャバードに侍り給仕をしながら酒を飲み、夜遅くに寮へと戻り寝具に滑り込み即座に眠りに落ちた。

 翌日 ――

「手紙書いた。箱はなにが良いと思う?」

 二人と一柱はいつも通り、青い食布を広げラズワルドだけがクッションに座り、二人は敷物なしで胡座をかいて昼食を取った。
 満足行くまで食べたあと、ラズワルドは手紙を入れる箱について二人に尋ねてきた。

「それは俺たちに聞いても分かりませんよ。こういうのは、他の神の子に聞くのが一番ですよ。あ、でも箱には乳香オリバナムを忍ばせたらどうでしょうかね? ラズワルドさま、乳香オリバナム好きですし、王子も良い香りと言っていましたから」
「なるほど」
「それと、手紙を出すの少し待って下さいませんか。俺とバルディアーもウセルカフに手紙を出したいので」
「うえ?!」

 水を飲んでいたバルディアーは、いきなり手紙を書くことになる、思わずおかしな声を漏らしてしまった。
 昼寝をして、ラズワルドの宮へと行き、ベフナームと箱を選んでいる部屋の隅で、ウセルカフ宛に手紙を大急ぎで認め始めた。

「ウセルカフ宛に、なにを書くつもりだ? ハーフェズ」

 祖廟では会話もしたが、手紙を書くほどの仲になったつもりのないバルディアーが尋ねると、

「補足ですよ、補足。ラズワルドさまが二択を書いていたら、王子はその二択から絶対選ぶでしょうけれど、本当に好きかどうかは分かりません……ので、ウセルカフに王子の嫌いな物を尋ねるんです。接待の際は、嫌いなものを排除しておけば上手く行くと、ファルジャードが言ってました」

 ハーフェズの言葉にバルディアーは、昨日馬車で「羊肉か羊の脳みそか」という二択を出していたラズワルドの姿を思い出し、さらに祖廟で過ごしたアシュカーンの、淡い恋心を秘めた優しすぎて柔弱と言われそうな笑顔が思い浮かんできた。
 幼い頃から仕えている乳兄弟に尋ねたほうが、たしかに良さそう……と、目の前にいる黄金髪の紅顔の美少年を見つめ、神に最も近い存在について尋ねた。

「ハーフェズはラズワルド公の嫌いな物知ってる?」
「…………あれ? ラズワルドさまって嫌いなもの……」

 文字を綴っていた手が止まった ――

「ラズワルドさま、ベフナーム公、箱をお選び中のところ済みません」
「なんだ? ハーフェズ」
「ラズワルドさま、嫌いなものってなんですか?」
「何の話だ?」
「ラズワルドさまが嫌いなもの、俺思い浮かばないので、お尋ねを」
「ハーフェズが分からないなら、わたしに嫌いなものは無いんだろ。お前はわたしのことを、わたし以上に知っているからな」
「ラズワルドさま、大好き! 一生お仕えしますから、解放しないで!」
「しない、しない」

 その後無事に手紙が書き上がり、箱の選定も終わりアシュカーンへ手紙が送られた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

『ロルフを改宗させて、神殿召使い用の公衆浴場ハンマームを使えるようにしてやってくれ』

 ラズワルドの元にメフラーブからの手紙が届いたのは、ロルフを買ってから半月ほど経ってからのこと。
 手紙を読んだラズワルドは、メフラーブが何を言っているのか分からず、素っ気ないこの短い文面を何度も読み直した。
 だが何度読み返しても、わざわざ改宗させる必要性が感じられないので ―― 手紙だけでは分からないと、メフラーブに会いに実家に帰った。

 ラズワルドはロルフに「マリート味の料理を覚えること(期限一年弱)」「マリートの手伝いをすること」「メフラーブ家の家事を全て執り行うこと」「メフラーブを二日に一回は公衆浴場ハンマームに連れていき、三助ケセジに体を洗わせるよう手配すること」「出来るならメフラーブの仕事の手伝いをすること」「出来ないことや、分からないこと、困ったことがあったらすぐに連絡を寄越すこと」の六つを紙に書いて渡した。
 受け取ったロルフは仕事内容が書かれた紙をメフラーブに見せ、その通りに生活をしていたのだが ―― メフラーブに何故改宗させる必要があるのだと尋ねたラズワルドは、

「ハーディム……は? ロルフ、ハーディムなのか?」

 買った奴隷が、普通の奴隷ではなかったことを知らされ愕然とした。
 ロルフは男性器を切除している宦官ハーディムと呼ばれる存在であった。宦官ハーディムそのものは、ラズワルドの周囲にもいるので宦官それがどのような存在であるかは知っているのだが、

「え? でも? わたしは去勢されたハーディム男奴隷を寄越せとは言ってないが」

 ゴフラーブに依頼した際には、そのような条件を付けてはいなかった。だが信心深いゴフラーブにとって、必要条件を満たすのは去勢されたハーディム男奴隷しかいないと、手持ちのなかから選び出した。

「お前が口にする料理を作らせるのが、購入の最大の目的だろ」
「そうだけどさ」
「若い男を条件に出しただろ?」
「まあな。若い男なら一緒に旅する時も楽だろうから」

 ラズワルドが出した条件は、毎日料理を作らせる。旅につれて行くので男。物事を覚え易い若いの。そしてマリートはペルセア語しか分からないので、ペルセア語がしっかりと使えることであった。

「お前が出した条件は完璧だったさ、ラズワルド。だがな、お前は神の子だ。人間が神の子に侍るには、色々な条件を満たさなくてはならない。お前の料理を何時でも作れる若い男。この条件を満たすのは男性器を切り落とした男だ」
「なんで?」
「若い男は、女を抱くだろ。女を抱いたら、一週間はお前の料理を作れないんだぞ。その点、宦官は女を抱けないから毎日料理を作ることができる。ゴフラーブはお前以上に、神の子に仕える者の条件を知っているから、完璧な人選だった」

 間違って異性との性交渉をしてしまい、料理ができないなどということがないように ―― なによりも大事な条件を満たすのは宦官ハーディムしかないのだ。

「あー……」

 ラズワルドの前に並べられたロルフを含む十名が、異国人であったのは宦官ハーディムであった為である。自国の男を去勢して奴隷として売るのは、罰金刑で済むとはいえ犯罪になるのだ。

「ロルフの奴は陰茎しか切られていないから、肉体仕事も出来る。旅向きだな」

 宦官ハーディムは、男性器を全て切除する完全去勢と、陰茎のみ、あるいは睾丸のみを切除する不完全去勢の三種類があり、ロルフは陰茎のみを切除された宦官ハーディムであった。ロルフのような陰茎のみの切除の場合は、男性らしさや力強さが失われないという特徴がある。

「ゴフラーブはこちらの条件を完璧に満たした奴隷を売ってくれた、ということだな?」
「そうだ」
「わたしにとって完璧な奴隷であるロルフを、どうして改宗させて神殿の公衆浴場ハンマームに入れるようにしなくちゃならないんだ?」
宦官ハーディムは、下町なんかにはいないもんだから、目立つし、奇異の目で見られるんだ。ラズワルドには分からんだろうが、男にとって陰茎が切られた箇所を、じろじろと見られるのは屈辱なんだ」

 去勢という処置を施された奴隷を求めるのは、貴族や王宮や神殿、或いは男娼専門妓楼だけで、そこで働く宦官たちは、その施設に併設されている浴場を使うので、公衆浴場に来ることはない。
 もちろん刑罰として宮刑に処されたペルセア人などが下町に住んでいることもあるが、異国の去勢された少年は、公衆浴場ハンマームでは悪目立ちする。
 かといって神の子の食事を作るために買われた奴隷を、薄汚れたままにしておく訳にはいかないので公衆浴場ハンマームには通わなくてはならない。

「ほー。なるほど……事情は分かったが、改宗してもいいのか? ロルフ」

 異教徒であるハーフェズの実父サラミスとも普通に手紙のやり取りをし、自分の奴隷ナスリーンを貸し出すことにも抵抗のないラズワルドにとって、誰がどの神を信じていようが構いはしないのだが、神殿の設備を使わせるとなるとそうも言ってはいられない。

「改宗する機会がなかっただけだ。それに、俺は自分が生まれた地方の宗教など、覚えてはいない」

 滑らかなペルセア語を話す宦官ロルフ。
 彼は自分が生まれた国の言葉すら覚えていない。物心ついた時には「オリエント方面に売る奴隷」としてペルセア語が使われる集団で生活してきた。ただ漠然とオリエント方面に売られる奴隷という扱いだったため、これといった宗教を教えられることもなかった。買った主人が奉じる宗教を、苦もなく信じるように ――

「そうか。改宗の慣例として、名前を変えるけどいいか?」

 ロルフも改宗をすんなりと受け入れた。

「もちろん」
「じゃあラヒムで」

 返事を聞いたラズワルドは、気負いの欠片もなくロルフに新たな名を付けた。

「ラヒムか」

 ロルフとしては「ロルフ」という名に愛着がないとは言わないが、ラヒムと呼ばれることに対して拒否感もなかった。

「メフラーブ、紙と筆記用具」

 紙と筆記用具を受け取ったラズワルドは、まずラヒムと綴り、

「これがお前の新しい名だ」

 覚えるようにと言い、続いて「これはラズワルドの奴隷ラヒム。我が父メルカルト神の忠実な僕である。神殿の公衆浴場を使用させよ」と書き付け「ラヒム」に手渡した。

「ほらよ」

 あっという間にメルカルト神の忠実な僕となったラヒムは、焦ったように書き付けとラズワルドの顔を何度も交互に見る。

「……あの、改宗は?」
「終わった」
「なにもしてないような気がするのだが」
「わたしが認めたらそれで終了」
「……」
「わたしは神の子だから……ああ! 仰々しいのしたかったのか! じゃあ、しようか。ハーフェズ、ファリドに改宗式の用意するよう伝えてきてくれ」
「そこまでご大層なのは!」

 ラヒムは叫ぶも、既にハーフェズは階段を駆け下りた後であった。

「待て! ハーフェズ!」

 階段を駆け下りてハーフェズを止めようとしたのだが、紅顔の美少年ハーフェズは憎らしいほど華麗に馬に飛び乗り、下町を駆け抜けていった。