ラズワルド、奴隷を買う

 ヤーシャールが東の貴族が住まう街に所持している邸は、人間側の一族から寄進されたものである。
 ペルセアでもっとも多く大将軍を輩出している家柄だが、血統に神の子が現れたのは初めてのこと。勇猛であり信心深い一族は、自分たちの血に現れた神の子ヤーシャールに事あるごとに寄進をしており、邸もその一つであった。
 白亜の壁と派手さのない邸だが、庭には池と噴水、そして緑が溢れかえっている。
 邸には三十名ほどの使用人がおり、普段はヤーシャールの部下の一人が常駐し邸を預かっている。
 ヤーシャールはよくアルサランをこの邸に招いており、酒を飲み交わしながら様々な話をしていた。
 またファルジャードが居た頃、夜遅くまで学術院で書を読みふけり、下宿に帰れなくなった時などよく泊まっていた ―― もちろんラズワルドが「泊まらせてやってくれ」と頼み、ヤーシャールが快諾したからこそできたことである。
 ファルジャードを泊まらせるよう依頼してきたラズワルド自身も、よくこの邸には泊まりにきており、神殿入りしてからも偶にバルディアーとハーフェズを連れて自分の家のようにやって来ては、好きに過ごしていた。

 ラズワルドたちが見つけた屍食鬼の討伐し王都に帰還し、諸々の処理を終えたカイヴァーンは、報告のためにヤーシャールが滞在している邸のほうへと足を運んだ。
 邸にいるヤーシャールは、紫色で袖がない上衣と薄緑色のズボンだけを身につけていた。風呂上がりで、髪はまだ濡れており、普段よりも頭髪の青みが強くなっていた。
 髪に香油を塗る所であったが、カイヴァーンが来たとの報告をうけ、それらを後回しにし、出迎えて労をねぎらう。
 しばし酒と料理と音楽を楽しんでから、給仕の酒姫を下げて、到着してすぐにヤーシャールの元を訪れたカイヴァーンに「なにかあったのであろう?」と話すよう促す。

「で、カイヴァーン。首尾はどうであった?」

 ヤーシャール自身、なにか嫌なものを感じている。上手く言葉にはできないのだが、看過してよいものではないことを肌で感じていたのだ。

「まったく問題なく討伐は終わりました、ヤーシャール公」
「討伐は……か。なにがあった?」
「ラズワルド公の仰せの通り、屍食鬼の一匹はレイラで御座いました。レイラはまだ人としての記憶もあり、話を聞いたところ、男に騙されたとのこと」
「男になあ。本人は男を手玉に取っているつもりだったのだろうが……」
「ただレイラが語った幾つかについて、気になる点がございました……少々レイラの話を後回しにさせていただきますが、あの場には雄と牝の屍食鬼がおり、数を増やしておりました。ただ成人した雄の屍食鬼が牝よりも一匹多かったのです。牝の屍食鬼は六匹。そのうちの一匹がレイラ、もう一匹はパラストゥー。パラストゥーは西の下町の食堂の看板娘だと、部下の一人がその食堂の常連で、顔を覚えておりました。王都に戻ってから、すぐに人をやり確認したところ、看板娘は行方不明になっておりました。こちらはレイラとは違い、身持ちが悪いということはありません。また容姿の特徴でございますが、黒髪で緑色の瞳の持ち主で、年の頃は十九だったとのこと」

 パラストゥーは実家が経営する看板娘ではあるが、既に結婚している。夫も実家の食堂で働いており、居なくなった妻のことを、暇をみつけては捜していた。そんな夫を慰めるためにもパラストゥーの遺髪の一房でも持って帰ってくることができるのならば良いのだが、屍食鬼になった物の体を欠片を持ち帰るのは厳禁。
 パラストゥーが屍食鬼になっていたことを伝えるかどうかは、彼ら討伐に向かった者たちには判断できない事柄。

「なるほど。その分では残りの四匹も、このナュスファハーンに住んでいた娘の可能性が高いというわけか」
「はい。レイラが語ったことですが、女は自分を含めて七名・・いて、うち一人が、レイラを騙した男に選ばれた・・・・とのこと。選んだ際、騙した男の側には、レイラたちと年格好が似ている女がいたそうです」
「身代わりということですか」
「そう考えるのが妥当かと。ただ、何のための身代わりかは分かりませんでした」

 レイラから情報を聞き出したあと、屍食鬼をすべて屠り、一帯に油を撒いて焼き帰還した。

「他の屍食鬼から、話を聞くことはできなかったのか?」
「それが出来ませんでした。レイラだけ特別だったようです……レイラはラズワルド公が手をつけた料理を食べていたことがあったので、その神性により知性が残っていたのではないかと、勝手に推察させていただきました」

 神の子が食べた料理を分けて貰うと良いことがあるとされている。ラズワルドが公衆浴場ハンマームに併設されている食堂で食事を注文すると、普通の三倍以上の量が出てくる。それを気ままに摘まみ、下げさせる。その残りを皆がありがたく貰うということがよくあり、その時ばかりはレイラが混ざっていても、誰も怒らなかった。
 その効果ではないかと、カイヴァーンや屍食鬼の討伐に向かった者たちは考えた。

「そうだとすると、ラズワルドがいたあたりで攫われたのはレイラだけということになるな。それと神殿や王宮勤めでもないか」

 同じことは神殿でも行われており、また王宮勤めの者もそのおこぼれに預かることができるので、屍食鬼になっていたとしても、レイラのように生前の記憶をしっかりと持ち、会話ができるということになる。

「そうではないかと」
「カイヴァーン。手間であろうが、先ほどの説明を、明日ファリドたちの前でもう一度してくれ」
「手間など思う筈、ございませぬ」
「そうか。さあ、あとは面倒ごとは忘れて、過ごそうではないかカイヴァーン」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 武装神官に入団した一年目の新兵、所謂見習いは、寮で寝泊まりし、朝食も寮で取り、座学や実技を行う。基本昼前に終わり、日当が支払われ、夕食までの時間は自由である。門限もあり夕食前までに帰ってこなくてはならない ―― ただしこれは、あくまでも一般的な見習い兵の一日であって、

「たくさん食わなきゃ、大きくならんぞバルディアー」
「は、はい」
「ハーフェズも、たくさん食べるんだぞ」
「はい。ラズワルドさま」

 神の子直属の家臣となると、自由は限りなく少ない。
 ただいま二人はラズワルドと共に朝食と夕食の間、この時代には馴染みのない昼食を取っている。
 もともとラズワルドにも昼食を取る習慣はなかったのだが、見習いたちの鍛錬風景を見たラズワルドは、バルディアーが周りの者たちに比べて、細くてなよなよしていることに気付いた。
 前身が男娼であるバルディアーは、あまり成長しないようにという名目で、満足な食事を与えられてこなかった。
 ジャバードに買われてからは、好きなだけ食べられるようになったが、長年の栄養不足は簡単には解決しない。男娼の事情など分からないラズワルドだが、体はある程度大きくないと武装神官としてやっていくのは大変だろうと、メフラーブにどうしたら良いと思う? と尋ねたところ「飯食わせろ。朝食と夕食の間に、肉と果物と乳を取らせて、昼寝をさせろ。多分それで大きくなる」と言われたので、自分も昼食を取り、そして昼寝にも付き合わせていた。

「……」
「どうしたんですか? ラズワルドさま」

 葡萄の葉で米を包んだドルメを手に、なにかを考えているラズワルドに、檸檬を絞りかけた羊肉を食べていたハーフェズが声をかけた。

「マリートのドルメが食べたいなと」
「多分そうだと思いました。明日帰ります? 届け出してきますよ」

 まだ見習いの彼らは、基本外泊は許されていないが、ラズワルドが実家に帰る場合は付き従う必要があるので、届を出すと外泊が任務として処理されるようになっている。

「凄い重要なことに気付いたぞ、ハーフェズ」
「なんですか?」
「アッバースに行ったら、マリートのご飯食べられないよな。サマルカンドに行った場合も同じことだろう」

 いまは前日に「明日帰るから。ご飯の希望は薔薇飯と……」などと手紙を出し、翌日気軽に帰れば、マリートの心づくしの手料理が食べられるのだが、王都ナュスファハーンより遙か南のアッバース、そして距離はアッバースの倍はあろうかというサマルカンドに、くっきりと皺が刻み込まれ、白髪のほうが多くなったマリートを連れまわすなど ――

「それはまあ、無理ですよね。マリートおばさん、連れていきます?」
「マリートはもう年だ。そんな無理はさせられない……そこで考えたんだ」
「なにをですか?」
「マリートの料理を継承させる」
「誰にですか? メフラーブさまは無理ですよ」
「安心しろ、ハーフェズ。メフラーブは最初から除外している」
「では誰に?」
「奴隷を購入して、マリートに教え込んでもらう!」

 奴隷を買うことに決めたラズワルドだが、どんな奴隷でもいいわけではない。まずは男性であること。これはラズワルドがサマルカンドやアッバースに伴うことが大前提なので、旅をしていても獣に襲われる可能性が低い男性に絞った。

「なんで女性は獣に襲われやすいんだろう。美味しそうなのかな?」
「不思議ですよねー」
「…………」

 女性が獣に狙われ易いのは、月の物による血のにおいが原因なのだが、神の娘には月の物は訪れないので、ラズワルドは知らない。
 またこの月の物中の女性は神の子に近づいてはいけないことになっており、当然その間は神の子が食する料理を作ることは許されない。このような事情から、やはり料理を作る奴隷は男性のほうが良い。

「わたしたちとそんなに年が離れていないのがいいな。長いこと一緒にいられるし。あとは文字の読み書きができれば、メフラーブの仕事も手伝えるよな。それとやはり旅するからには、自分の身は守れるほうがいいかなあ。そして……」

―― 読み書きが出来て、料理も作れる若い男か……高いだろうなあ

 ラズワルドが希望する奴隷は幾らするのだろうと、バルディアーはニラにタラゴン、ミントを混ぜた肉団子クーフテを食べ、そんなことを考えていた。
 昼食後、ラズワルドに付き合い二人も昼寝をする。目覚めると馬場へと向かい、乗馬の自主訓練に励む。ラズワルドも訓練された馬に乗り、武装神官にその馬を引いてもらいながら乗馬を楽しむ。
 ハーフェズとバルディアーは、一応騎乗で戦えなければならないので、両手を手綱からはなして馬を操る必要があり、二人は必死にその特訓をしていた。
 最近はただ走らせるだけならば何とかなるのだが、敵の攻撃をかわしながらとなると、かなりの技術が必要で、それを習得するにはとにかく練習しなかなった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ペルセア一の奴隷商ゴフラーブに、奴隷が欲しいこと、その用途、また直接見て選びたいので何人か用意するよう手紙に記し届けさせた。
 手紙を受け取ったゴフラーブは、ラズワルドが気付かない必要条件を備えた奴隷を十名ほど用意した。

「どんな奴隷かなあ」

 ゴフラーブは全員を神殿に連れて行くと申し出たが、アルサランを借りている上に、そこまでさせるのも悪いと ―― それだけではなく普通の奴隷取引場所である、奴隷市場を見てみたいというラズワルドの強い希望により出向くことになった。
 ハーフェズとバルディアーを連れ、四頭立ての馬車で取引場所に乗り付ける。
 奴隷市場には建物はなく、広場の至る所に薄っぺらい布で作られた天幕が建ち並び、天幕の周囲を見張りが巡回している。

「ごちゃごちゃしてて、中まで馬車では行けなさそうだな」
「ですね」

 自前の馬車を持っているような人物は、奴隷市場に直接足を運ぶことはない。
 ラズワルドは馬車から降り、通行の邪魔にならないように気を付けるよう馭者に言いつけて、身長よりも長い青のヴェールに銀細工の冠を被り、颯爽と歩き出した ――

「ラズワルドさま、待ってください」
「ラズワルド公、申し訳ございません。もう少しだけ歩みを……」

 身軽なラズワルドとは反対に、ハーフェズとバルディアーは銀貨や銅貨が詰まった背嚢を背負っているため、ラズワルドの駆け出すような歩みに付いていくことができなかった。
 往来でもたもたしていると、連絡を受けたゴフラーブが部下を引き連れ現れ、二人は背嚢を部下に渡して身軽になり、ゴフラーブの案内のもと、奴隷市場を競りを見学して周る。
 一通り競りや売り買いの方法を見てから、ゴフラーブの天幕に入る。薄汚れた天幕に不釣り合いな絨毯が敷かれ、ラズワルドには慣れた肌触りである絹のクッションに腰を降ろすと、炭酸水が注がれた緑色をした硝子杯が置かれる。
 天然の炭酸の感触をラズワルドが舌で楽しんでいると、新品の麻製上衣だけを着ている異国の少年や青年が並べられた。

「お好きなものをお選び下さい、ラズワルド公」

 奴隷を買う際には、体を隅々まで確かめるために全裸にするのが一般的だが、彼らはズボンを履いてはいないが、膝丈の上衣を着用していた。露わになっている両足首は一本の太い革紐で結ばれている。

「服を脱がせましょうか?」
「そういう細かな所は、ゴフラーブ、お前に任せているし、信頼しているから必要ない」

 ラズワルドは横一列に並んでいる十名の奴隷を一通り眺め、全員に自己紹介をさせた。彼らは自分を売り込む好機だと、出来ることや得意なことを熱く語った。唯一左から三番目の、暗い金髪の少年だけは、面白くなさそうな態度のまま、名前とペルセア語が出来ること以外は語らなかった。
 全員の自己紹介を聞き終えたラズワルドは、

「一番素直そうなのにするか。左から三番目の。そうお前だ」

 暗い金髪の少年を買うことに決めた。
 十人の中でもっとも反抗的では? と、バルディアーは感じ、買われた当人である暗い金髪の少年もバルディアーと同じことを思ったらしく、露骨に表情に出したのだが、

「”素直だと? 俺は一番反抗的だぞ”……とでも思っているようだが、お前は実に素直だ。なにせ自分の気持ちが全て表情に態度、口調に出ているからな。顔を赤らめて、当たったようだな。実に分かりやすい」

 反抗的な態度そのものを「素直」と見なしたのだ。
 ラズワルドは料金は要らないというゴフラーブに、腰に下げていた小袋を押しつける。中身は大金貨が五十枚程入っている。

「重いから持ち帰るの面倒。というわけで、そのくらいは受け取ってくれるよな、ゴフラーブ」

 こうして暗い金髪の少年をペルセア大金貨五十枚で買い帰ることに。

「拘束している革紐を切ってくれ」

 ラズワルドは麻製の上衣だけを身につけている奴隷を連れて、ハーフェズとバルディアーは重さの変わらぬ背嚢を背負い、馬車で実家へと向かった。