ラズワルドとハーフェズ、ナスリーンを見送る

「あいつら、ゴシュターブス四世に即位の祝い持ってきたんじゃないのか」

 バルディアーからサラミスの返事を聞き、書面でも確認したラズワルドは、国王への謁見を後回しにして自分のところに来ると知りそう言ったが、脇で聞いていたハーフェズは「そうなりますよねー」と内心で呟いた。
 ハーフェズはサラミスに会いたくない訳ではないのだが、いざ会うとなると喜び以外の感情が先に出て来てしまい ―― 複雑な気持ちになってしまい、彼自身非常に困っていた。

「バルディアー、サラミスさん、どんな人だった」
「サラミスさんは、そうだなあ……格好良かったよ。肌はハーフェズと同じで褐色だけど、サラミスさんの方が少し色が濃いかな。瞳と髪はサータヴァーハナに多い黒だったよ。顔だちは言うに及ばず、俺が見たことのあるサータヴァーハナ人の中では、群を抜いて格好良かった。仕草の一つ一つから育ちがいいのが伝わってきたな。なんていうかな、パルヴィズ卿とかジャバードさまとか、カイヴァーン卿とかシャープール卿のような雰囲気」
「それ全員、名門の息子さんたちですよね。自分の父親が名門の雰囲気を漂わせているとか、なんか恥ずかしい」

 なにが恥ずかしいのかバルディアーには分からないが、言っているハーフェズ自身もよく分かっていない。

「サラミスさん、名門の出なんだろ?」

 バルディアーはハーフェズの父親が名門の出なのは、先日祖廟でアシュカーン王子との会話や、噂から知ってはいるが、何分他国のことなので、どのくらい名門なのかははっきりとは知らない ―― もっともバルディアーは「何国の何処に住んでいる、何氏」と聞いた所で、その人が名門の出かどうかはほとんど分からない。
 彼が聞いて分かるのは、精々諸侯王くらい。
 話は戻るが、ハーフェズの父親はネジド公国の重職についていることは知っているので、偉い人であることは知っているものの、軍人奴隷という特殊な階級にいてこその重職ゆえ、出自については詳しくは分からない。
 同僚の父親についてそれほど知りたいというわけでもないのだが、その立場から知っておかなくてはならない類いのものなので、どうせ聞くならば当人から聞こうと尋ねてみた。

「そうらしいですよ。サータヴァーハナでは絶対宰相になれるお家柄の出らしいですね」
「ハーフェズのお父さん、そんな名門に生まれたのに、なんで故国を出たんだ?」
「それですか……聞いた話によりますと、サラミスさんには親子ほど年の離れた兄がいるそうで。このお兄さん、べつに無能じゃないんですが、サラミスさんより出来が悪かったらしくて、サラミスさんを跡取りにしてはどうかという、頼んでもいないのにお節介な一派が誕生して、知らぬところでお兄さんとの確執が生じ、身の危険を感じたので、十四の時に軍人奴隷となり故国を出たと……武装神官になってから、アルダヴァーン公が教えて下さいました。その他の情報ですが、サラミスさんの兄はヤシュパルさんと言い、その娘は王子妃になっているとか。でもヤシュパルさんには男児がいないので、跡取りを巡ってなんか厄介なことが起こっているそうで、知らないうちに俺まで巻き込まれ気味なんだって。嫌ですよね、サータヴァーハナなんて知りませんよ。だから、ラズワルドさまに絶対に解放しないでって、改めて頼みました」

 ラズワルドもその時ハーフェズと一緒に話を聞いており「うん、うん、解放しないからな」と ――

「大変だな……」

 一気に話しきったハーフェズに、バルディアーがそう呟くのも無理はないことである。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 そして三日後、ゴフラーブの邸でサラミスとナスリーンの再会、そしてサラミスとハーフェズの初親子対面が行われた。
 ちなみにゴフラーブの邸が使われたのには、幾つかの理由がある。
 まず第一に、サラミスはメルカルト教徒ではないので、真神殿に招かないほうが良いというもの。ラズワルドを含む神の子たちは、神殿に異教徒がやってきても気にはしないのだが、神殿には敬虔な信徒が大勢いるので、諍いが起こらないとは限らないので、それらの危険を排除すべく、別の場所で面会することにしたのだ。
 次にナスリーンはラズワルドの奴隷のまま、サラミスに貸し出される形を取ることになっている。これでもしサラミスに何かあったとしても、ラズワルドの手元に戻って来ることができる ―― これらは口約束では、なんの効力もないので、正式な契約書の作成が必要。これら奴隷の貸し借りに関する契約書の類いは、取扱業者であり専門家である奴隷商に任せるのがもっとも確実ゆえ、ラズワルドはゴフラーブに依頼することにし、彼の家を使うことにした。

 あともう一つ理由があるのだが ――

「ハーフェズ、隠れてないで出てこい」

 ゴフラーブの邸で、サラミスとナスリーンが十年ぶりの再会を喜んでいるのを、入り口アーチから顔半分だけ出して見ているハーフェズに、ラズワルドが声を掛ける。
 ラズワルドに呼ばれたら行かない訳にもいかないので、

「失礼します……」

 複雑な表情で部屋へと入り、

「初めまして、サラミス……父上……」

 恥ずかしそうにサラミスを父と呼んだ。呼ばれた方は大喜びで、ハーフェズを抱き上げて、

「顔を良く見せてくれ。ああ、わたしが思っていた以上に佳い男だな」

 喜びを露わにした。

「ナスリーンの金髪だと聞いていたのだが……黄金だな」
「ラズワルドさまに連れられて、地下神殿の最下層まで行ったら、髪と目の色が変わったんで」
「そうなのか。そしてこれが、ラズワルド公柱が描いて下さっているというメヘンディか。名前も所有して下さる方もしっかりと描かれていているし、模様も美しいな」

 六歳の時に迷子になって以来、ハーフェズの顔には所有者ラズワルド当人の名前ハーフェズがヘナによって描かれているのだが、最近は「せっかくメヘンディを施しているのだから、美しい模様も描こう」と ―― バルディアーが、何気なく「模様を入れても似合いそうですね」と呟いた結果であり、図案を考えるのはバルディアーの仕事になっている。

「これは、ラズワルドさまが描いて下さっているもので、植物図案のアラベスクはお気に入りで……」
「そうか」
「あーこの前、ラズワルドさまが前国王の埋葬に立ち会われて、祖廟に行ったんです。で、祖廟近くで狩りをして、獅子を狩りました。あの、いただいた槍で」

 ナスリーンが欲しいかどうかをサラミスに尋ねる手紙に、ハーフェズの初武勇を記す予定だったのだが、サラミスから先に手紙が届いたので、行き違いになることを考慮し手紙を出していないため、ハーフェズが獅子を狩ったことは知らなかった。

「一人でか?」
「はい。まぐれだとおも……」
「それは見事だ! 獅子を一人で仕留めるとは! ハスドルバル、祝いの宴を開けるか!」
「御意にございます。ですがサラミスさま、ラズワルド公のご許可をいただかないことには」
「そうであったな」

 そんなサラミスを見て、ナスリーンは幸せそうに笑っている。

「構わんぞ。滞在中、親子水入らずで遊びに行って来い」
「ええー。ラズワルドさまもご一緒に」
「一緒に行ってもいいなら行くが、親子三人で過ごせるのは今だけだぞ」
「そうなんですけど。い、嫌じゃないんですよ。ただ……なんというか……」

 初めて家族が揃った幸せな風景をバルディアーは見守っていた。
 そうして一通り再会を喜んだ後、サラミスとラズワルドとゴフラーブで、ナスリーンに関する書類を確認し、各々署名をして貸し出し契約が成立する。

「ナスリーンに護衛を付ける。アルサラン」

 ゴフラーブの家で契約した最後の理由は、アルサランを借りるため。

「お初にお目に掛かります、サラミス卿。アルサランと申します」

 ラズワルドに呼ばれて現れたアルサラン。上下黒の服に、腰には赤いサッシュベルト。佩いている剣は飾り気のないシャムシールだが、その柄にアルサランの手が掛かっているだけで、刀身に妖しさすら感じられる。
 癖のない黒髪に、白い肌。黒曜石を思わせるほどに黒い瞳。そしてどの国にも属さないが、どの国でも美しいと言われる顔だち。
 彼の怖ろしいまでの美しさによく似合う、ラズワルドとお揃い・・・の、赤が強く煌めく黒オパールの耳飾りイヤーカフが左耳を飾っている。

「サラミスのことは信用しているが、わたしの安心の為だと思って、こいつを同行させてくれ。アルサラン、強いんだぜ。あ、あと人嫌いだから、男も女も言い寄らせないようにしてくれ。ナスリーンは分かってるよな」
「はい、ラズワルドさま。サラミスさま、アルサランさんは、ラズワルドさまに忠実な人でして、他の人といいますか、人間はあまりお好きではないのです」

 ラズワルドとナスリーンの言葉に、アルサランが微笑む。愛しい妻ナスリーン可愛い息子ハーフェズが側にいるのだが、思わずサラミスはその表情に見惚れる。

「そ、そうなのか。ナスリーンが言うのだから、そうなのだろうな」

 同時にこの男アルサランはなにか危険だと ―― 彼の美貌の奥に潜む危険ななにかを探るのを止めた。

「帰りはこいつ一人で大丈夫だ。なにせ強いからな! とは言っても心配だから、わたしの旗を持っていけ。帰りはそれを掲げて帰ってくるといいぞ、アルサラン」
「ありがたき幸せ」

 ラズワルドからの命令を断る権限はサラミスにはないので、ナスリーンの護衛としてアルサランを伴い帰国することになった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 親子の感動の対面後 ―― サラミスは本来の任務である、ペルセア国王への祝辞と貢納を済ませる。他の小国も幾つかやって来ており、彼らをまとめてもてなす宴が催された。
 サラミスはネジド公国隣国の使者たちと、互いの近況や貿易、国防について雑談を交わす。

「正直ペルセアの新国王がゴシュターブス四世で良かった。王弟はペルセアの武力を使うことを殊更好む、好戦的な御仁だからな」と、プント国の使者は言う。

「それに関しては同意する。あの御仁は戦争をするために生まれてきたような御方だからな。もっとも自分の国の将軍であれば、心強いことこの上ないが、大国に存在されると、海を挟んでいるとはいえ安心はできぬ」と、ヒムヤル国の使者は言い。

「十数年前にいきなりエリドゥを攻めたと聞いた時は、次は我が国かと焦ったものだ」と、ナバテア国の使者は言った。

 彼らは雑談をしながら、他国の情報を集め、自国の弱点が漏れていないかを注視する。

―― ユィルマズ殿下の奇行はまだ他国には届いていないようだな……奴隷制度を廃止するなど、近隣大国の耳に入ったらどうなることか

 サラミスは内心で、公国が代替わりしたらどうなることかと考えながら、変わらぬ表情で他国の使者と様々な話題に花を咲かせ ――
 国王への謁見を済ませたサラミスは、帰国まで時間を作ってハーフェズとナスリーンを連れ、あちらこちらに足を伸ばした。
 誰が見ても立派な父親であるサラミスと、嬉しそうに笑っているナスリーンに挟まれ、照れと困惑と喜びで混乱しつつもハーフェズは、親子として日々を過ごした。

「ラズワルドは両親に会ってみたいと思うことはないのかな?」
「興味無いな、アルダヴァーン」

 ハーフェズがサラミスと過ごしている間、ラズワルドは「心配せずに遊んできていいぞ」と安心させるために、アルダヴァーンの元にいた。

「そうですか」
「アルダヴァーンの両親は見てみたいがなあ」
「わたしの両親は、見せることはできますが……いいのですか? ナスリーンは国外に出てしまうのですよ」

 神の子はペルセア国外に出ることは出来ない。ナスリーンがネジド公国へと行ってしまえば、もう会うことは叶わない。
 だがそれは望むところでもあった。

「そうだな。二度と会うことはできないかもしれない……だが良いんだ。むしろ二度と会わない。それがナスリーンにとって幸せなことだ。まあ、ナスリーンが会いに帰って来るのは歓迎だけどさー。でも旅には危険がつきものだから、会いたいけどやっぱり会わないほうが良いと思うんだ。とくに女は、街中でも誘拐されるもんだし」
「そうですか。話は変わりますが、カイヴァーンが屍食鬼を討伐して帰ってきたそうですよ」
「カイヴァーンたちは無事か?」
「もちろん。屍食鬼の百や二百、カイヴァーンの敵ではありませんからね」
「だろうけどな」
「レイラ似の屍食鬼ですが、ほとんど人間だった頃の記憶はなくなっていたので、なにも聞き出すことはできなかったそうです。詳しいことを知りたければ、カイヴァーンを呼びますが。どうします」
「カイヴァーンの武勇伝でも聞いてみるか!」

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ネジド使節団が帰国する日がやってきた。
 ラズワルドはサラミスの元へと行くナスリーンの為に、薫絹国の絹や伽羅、色とりどりの宝石、そして生活に不自由しないように大量の金貨を幌付きの荷馬車に積み、アルサランに無事届けるよう指示した。

「ネジドはペルセア金貨が使える筈だから、これで好きな物買って良いからな。でもぼったくられるかも知れないから、買い物行くときは、できるだけサラミスと一緒に行くんだぞ、ナスリーン」

 ラズワルドは青い神官服ではなく、ナスリーンが仕立てた、赤が鮮やかな民族衣装を着て見送りにやってきた。
 ハーフェズも同じくナスリーンが仕立てた白いズボンに緑の上衣に、サラミスから貰ったダマスカスの槍を持ち、いまにも泣き出しそうな顔で使節団から視線を外している。

「はい……ラズワルドさま、いままでお世話になりました」
「世話になった記憶はあるが、世話した覚えは微塵もないぞ、ナスリーン。サラミス、ナスリーンのこと任せたぞ」

 ナスリーンは馬車に乗り込み、サラミスたちが挨拶をして、城門から出て行き、ネジド使節団が見えなくなるまで見送った。

「行っちゃったな、ナスリーン」
「はい」
「ハーフェズは、会いたかったら会いに行っていいんだぞ」
「ネジドまで行くの面倒ですよ」
「そうか」
「ラズワルドさまと一緒なら楽しいと思うんですけどね」
「そうか」

 その日ラズワルドとハーフェズは、真神殿ではなくメフラーブの家に戻り、メフラーブに抱きつき「なしゅりーん、なしゅりーん」と泣きながら眠りに落ちた。