ラズワルド、先を越される

 翌朝 ―― 城門が開くまで、城壁の外側でのんびりと朝食を取り、バルディアーとハーフェズの二人はシアーマクから剣の指南を受けたりして過ごす。
 開門の鐘が鳴り、重い城門が開かれると、腰に剣も佩かず、サンダル履きで、水筒も持っていない、危険極まりない格好で痩せた男が一番に外へと出てきた。

「メフラーブ!」

 食べかけのプラムを持ったまま、ラズワルドが駆け出し、ジャファルがその後を付いて行く。
 城壁の外に出る格好ではない痩せた男ことメフラーブは、ラズワルドに手を引かれ、野営場所まで連れて来られた。

「どこかに行くつもりか? メフラーブ」
「いやいや、お前に渡すものがあるんだ、ラズワルド。真神殿まで行かなくて済んで良かった」
「なんだ? 渡すものって」

 メフラーブは小脇に抱えていた黒い長細い箱を差し出した。

「巻子が入ってる箱か?」
「中にネジド公国のサラミス卿からの手紙が入ってるそうだ。俺はその箱を開けてないから分からないが、持ってきた奴がそう言っていた」
「ハーフェズの父親からの手紙?」

 ラズワルドが黒檀製の箱を開け、手紙を取りだそうとすると、シアーマクが手で制して、

「一応、中の安全を確認しないとな。ジャファル」
「はい、シアーマク公。よろしいすっか? ラズワルド公」
「お前、こういう作業向いてなさそうだけど、大丈夫か?」

 ラズワルドは箱をジャファルに手渡す。

「ご心配、ありがとう御座います」

 ジャファルが少し離れた所で箱を開け、巻子の紐などにもおかしなところがないことを確認してから、ラズワルドに膝をつき差し出す。
 黒檀製の箱の中には、手紙の他に伽羅の香木が入っていた。
 錦糸の紐を解き、ラズワルドは豪快に巻子を開く。そして ――

「先を越された!」

 非常に残念そうに叫んだ。
 その手紙の内容だが、近々ハーフェズの父サラミスが、ネジド公国の使者として、新ペルセア国王に祝いを述べるために王都までやってくる。その際に十年ぶりにナスリーンに会いたい。そして出来ることならば、ナスリーンをネジド公国へ連れて行きたいと考えている ―― といった内容であった。

「わたしの奴隷のまま、サラミスが借りる形を取りたいと……考えていたことが、全部書かれてる」

 ラズワルドは後手に回ったことを悔しがったが、サラミスもナスリーンを希望しているのならば悪いことにはならないと、先を越された悔しさをぐっと飲み込んだ。

「メフラーブの家に寄ってから、神殿に戻るな」
「三時頃に迎えの馬車をやる」
「ありがとう、シアーマク。さてと、じゃあナスリーンの気持ちを聞かないとな」

 手紙を巻き直して黒檀の箱に入れて蓋をしラズワルドは立ち上がり、メフラーブの手を引いて、慣れ親しんだ下町の家を目指す。その後ろをハーフェズとバルディアーが馬を引きながら付いていった。
 歩き慣れた道を抜け、懐かしい我が家にたどり着いたラズワルドは、すぐさまナスリーンにサラミスからの手紙を見せ、行きたいかどうかを尋ねた。
 ナスリーンは少し躊躇ったが、もう一度会サラミスに会いたいと、それは幸せそうな笑顔で答えた。

「まさか、ナスリーンを嫁に出すことになるとは」

 マリートお手製のピスタチオのロクムを食べながら、ラズワルドはしみじみとそうメフラーブに語る。

「まあな」

 部屋にはメフラーブしかおらず、一応親子水入らずの状態。
 この親子は周りに人が居ようがいまいが、とくに気にはしないのだが ―― 護衛のハーフェズは一階で塾の掃除を、バルディアーは玄関前に控えていた。

「話は変わるが、メフラーブに二つほど聞きたいことがある」
「なんだ? ラズワルド」
「まず一つ目は、最近レイラを見たか?」
「最近……この一週間は確実に見ていないな……いや、一ヶ月くらいは見ていないな」
「そうか。事情も経緯も分からんが、レイラが屍食鬼になっているのを発見した……最初見た時は、人違いならいいなと思ったが残念だ」
「そいつは確かに残念だな」
「近々征伐隊が向かうことになっている。言わなくてもメフラーブは吹聴したりはしないだろう」
「もちろんだ」
「二つ目の質問だが……」

 ラズワルドは宝剣と精霊王が作った空間のことをぼかしながら、メフラーブに宝剣の柄で魔王を封じた話を誰から聞いたのか尋ねた。

「あの話か。あれ本に書かれていたし、その本は家にあるぞ」
「あるのか!」

 ラズワルドはメフラーブの語りで覚えていたので、まさか書物として残っているとは思ってもいなかった。

「食糧庫にあるはずだ」

 メフラーブは自宅一階にある炊事場を、錬金術の実験室に改良しており、その実験室には、様々な書物が保管されている。

「原本があるとはな。その原本、誰からもらったんだ? それともメフラーブが自分で考えて書いたのか?」
「まさか。俺には物語を作る才能なんぞない。あの本は…………あまり良い由来ではなかったから、もしかしたら、お前の力で吹き飛んでるかも知れないな」
「どういうことだ?」
「あの本の持ち主、名前はなんと言ったか忘れたが……今から五十年ちかく昔に、魔王の僕となった神官の家にあったものだ」
「はい?」

 ラズワルドは話が意外な方面に向いたことに驚く。

「昔な、魔王の僕になった神官がいた。その元神官の家の後片付けに、学術院の生徒が数名駆り出された。その一人が俺で、手伝い料として、その神官の所蔵を幾つか貰った。その中にあった一巻に、お前に聞かせた話が書かれていた」
「あれ、ちょっと待て。五十年近く昔に魔王の僕になった奴の家を、いつ片付けたんだ?」
「俺が学術院に入って間もないころだったから、二十五年くらい前だな」
「じゃあ、二十五年くらい、その家は放置されてたの?」
「隠れ家だったらしくて、たまたまなんかの弾みで見つかったそうだ。室内には、おぞましい死体の数々が放置されていた。それで武装神官がやってきて、そこからかつて神官だった男の隠れ家だったと判明した」
「ふーん。なんでメフラーブが駆り出されたの?」

 神官が魔王の僕になるなど醜聞で、神殿側としては隠したい出来事故、あまり外部の人間など使わないのではないか? ラズワルドはそう考えた。

「片付けを担当したのがその元神官の同僚で、その同僚はサーム師の旧知だったんだ。サーム師に片付けを依頼した理由は、元神官の家には見事な蔵書があったんだが、魔王の僕となった男が持っていた本なんて、寄付するわけにもいかんし、神殿で引き取るわけにもいかないが、然りとて捨てるのは勿体ないだろ。実際、良い本がたくさんあった、全部そいつの手で写されたものだが、読みやすいし誤字の類いもない、それこそ家が買えるくらいの本がごろごろとな。立派な神官だったんだろうよ」
「それは確かに処分するのはもったいないな。でも神官としては、処分しないとなあ」
「そこで学問を学んでいる俺たちに、駄賃としてくれてやるという形を取ったそうだ。あとそんな曰く付きの家を片付けてくれる奴がいなかったというのもある。その点俺たちのような学問馬鹿は、本がもらえるなら、魔払香を焚いてだが、そんな奴の家にでも足を踏み入れるからな」
「へえー。ちなみにその元神官の同僚の名前とか覚えている?」
「覚えているもなにも、お前、四日前まで一緒にいただろ。祖廟を預かっている神官長ジャラール殿だ」

 ラズワルドは今日何度目かの驚きに、目を見開いてメフラーブを凝視する。

「ああ……たしかに老人だった。五十年前に神官でもおかしくないな、ふむふむ。ところで、そいつが祖廟の神官長を務めていることを知ってるってことは、交流があったのか?」

 世情に疎いメフラーブが、神殿の一つを預かる神官長の名を全て覚えているはずがないことをラズワルドは良く知っている。それ故、いままで交流があったのかと尋ねたのだが答えは違った。

「二十五年前の後片付け以来、まったく交流はなかったし、名前も存在も忘れていたが、ファルナケス二世が亡くなったあと、ジャラール殿から突然手紙が来た」
「何が書かれていたんだ?」

 突然届いた手紙に、すごく重要なことでも書かれていたのだろうか? と、ラズワルドは身を乗り出したのだが、

「お前が好きな食い物とか、嫌いな食い物があったら教えて欲しいとか、好きな色や好きな香とかも聞かれたな。祖廟を預かる神官長としては、神の子が快適に過ごせるようにすることがなによりも重要だからな。祖廟の飯はどうだった?」

 内容は大したことはなかった ―― ラズワルドにとっては、だが。

「料理は好きなものばかりで美味しかったし、部屋に焚かれていたのも乳香オリバナムで……ジャラールに聞けば、その元神官の名前とか分かるかな?」

 そんなつまらないことか……と、あからさまに肩を落とした。むしろラズワルドとしては、行った先で口に合わない料理であろうが、好きな香が焚かれていなかろうが、それが味だと楽しめ、また期待するのだが、人としては神の子にそのような不自由をさせてはいけないと、人脈を使い情報を集めて準備するのは当然のことである。

「おそらく分かるんじゃないか」

 その後階下に降り、実験室の一角にある本が積まれている棚から、宝剣でどのように魔王を封印したのか書かれた本を見つけ出す。

「灰燼に帰してなくて良かった。これ、借りていいか?」
「構わないぞ」

 ラズワルドはその本を持ち、神殿へと戻った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

祖廟を預かるジャラールに御座います

ラズワルド公柱の養父殿と、わたくしめが知り合った経緯はその通りでございます

ラズワルド公柱がお求めの男の名はテイムールにございます

テイムールが魔王の僕になった理由は分かりませぬ

質問にお答えできぬことをお許し下さい

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドがハーフェズの父親サラミスからの手紙を読んだ約一ヶ月後、ネジド公国の使節一行がペルセア王国を訪れる。
 国王との謁見の前に、ペルセア側が用意した邸で体を休める。
 彼らの案内を担当したのは若い文官であった。彼が邸と召使い用の奴隷の手配に、滞在中の雑事などを全て取り仕切る。
 ぶつかり合うと厄介な大国の使者ではないので、気楽な仕事だった筈なのだが、若い文官が用意した邸の前に、群青の長上衣を着た黒髪の少年 ―― バルディアーが、馬から降りてサラミスの到着を待っていたことで、若い文官は焦った。

 神の子の使者を往来で待たせているということに ――

 若い文官の焦りなどまったく気付いていないバルディアー。彼はラズワルドから命を受け、サラミスに言伝をするためにやってきたのだ。
 本来ならばハーフェズの担当だったのだが、直前になって「一人で父親に会うの無理」などと言いだした。
 生まれて一度も会ったことのない父親と、前置きもなければ、周囲に誰もいない状態で会うのはなかなか複雑な心境だろうと、替わりにバルディアーがその任を引き受けた。

「ネジド使節団で、褐色の肌の奴らの中で一番偉そうなのに声を掛ければ良いだろう。まあ伽羅が好きだから、伽羅の香りがしてるらしい」

 ラズワルドから黒檀の箱に入っていた伽羅の香木を受け取り、公柱の使者であることが一目で分かるよう、群青色の長上衣をはおり、紫のサッシュベルトを巻き、金で塗られた支柱が目立つ騎兵旗を持ち、バルディアーは馬を引いて歩いてやってきて、邸の前で待っていたのだ ―― 騎兵旗を持ち、馬を引いて歩いてきたのは、旗を持ったまま馬を駆ることができない、バルディアーの乗馬技術の足りなさが原因である。
 壁に背を預け、ぼーっと邸前で待っていたバルディアーは、ペルセアの文官と共にやってきたネジド使節団を見て驚いた。

―― ハーフェズからナスリーンさんの特徴を抜いたら、きっとあんな風になる!

 近づいて来る一行の中にあって、一際人目を引く褐色の肌の美丈夫を見つけて、彼がハーフェズの父親に間違いないと確信する。
 対するネジド使節団は、邸の前に青に金でメルカルト文様と、ラズワルドを現す石榴の枝と花と実が刺繍された騎兵旗を持っている少年バルディアーに気付き、全員下馬しサラミスだけが近づいた。

「ネジド公国のサラミス殿でいらっしゃいますか」

 近づいたサラミスに、バルディアーが話し掛ける。

「そうで御座います。もしかして貴殿はバルディアー卿かな」
「バルディアーで御座います。公使殿に卿付けされるような身分でも」
「ラズワルド公柱のお側仕えの騎士殿が、そのような身分ではないと言われてもな」
「よくご存じで」
「ラズワルド公柱が手紙に書かれていた」

 なんと書かれているのか、気になったバルディアーだが、そんなことを聞く場ではないので、ラズワルドからの言伝をしっかりとサラミスに伝える。

「そうでしたか。ああ、お時間を取らせて済みません。ラズワルド公より言伝を預かって参りました」

 馬に積んできた、青い布でくるまれた巻子が入った紫檀製の箱を降ろそうとすると、

「いや、お待ち下さいバルディアー卿。ラズワルド公柱より使わされた方を、往来で立って待たせていただだけでも失礼なこと。我らが邸ではございませぬが、まずは邸へ」

 邸の方へと招かれた。”お気になさらずに” ―― 偉い人の家に公式に案内されるなど、堅苦しくて嫌だ……と断ろうとしたバルディアーだったが、顔色を失っているペルセアの若い文官に、

「メルカルトの貴き御子が遣わした正式な使者殿を、往来で待たせた上にそのまま帰したとなれば、わたしども一族はただでは済みませぬ。お助け下さい、お願いいたします。どうか邸でお話を!」

 断末魔に近いような声で縋られ、断り切れず邸で歓待されることとなった。
 上座に座らされ、氷入りの水が入った硝子杯を差し出され、居心地悪くそれを一口飲んでから、ラズワルドからの言葉を伝えた。

「ラズワルド公の御言葉ですが”会って全てを話す。そちらの良い日時を指定せよ。面会はゴフラーブの邸で行う”でございます。返事を持って帰るよう言いつかっております。急ぎませぬので、そちらのご予定を鑑みてお返事をください」

 言伝を伝えたあと、先ほど往来で馬から下ろそうとしていた、同じことが書かれている手紙が入った巻子入りの箱を差し出した。
 手紙には大きな余白があり、そこに返事を書きバルディアーが持って帰ることになっている。
 バルディアーの当初の予定では、往来で伝え返事を貰うまで、厩で馬と干し草とともにのんびりと待つつもりだったのだが、

「今すぐにでもと言いたいところですが、このような姿で拝謁するわけには参りませぬ。ペルセアの官吏殿、国王陛下への謁見を遅らせることは可能かな」
「もちろんに御座います」
「では今すぐ返事を書かせていただきます。少々お待ちください、バルディアー卿」

 彼が想像していたよりも、かなり早くに終わった。