ラズワルドとハーフェズ、王都に帰る

 ラズワルドは王都に帰るまで、宣言通り祖廟とその都市内を遊び回った。お供は当然ハーフェズとバルディアー、そして各神の子たちの側仕えを数名。
 ここまでは予定の範囲内であったのだが、葬礼以外は暇にしているアシュカーンとその乳兄弟であるウセルカフにも声を掛け、彼らの護衛数名も率いることに。その他、バーミーンが率いてきた軍隊からも信頼おける者を選び、神の子たちに頼み同行させてもらっていた。

 そして ――

「王子はこのままウルクに帰るのか」
「はい」

 ラズワルドたちが帰途に就くことになった。

「そうか。王都を案内しようと思ったのだが残念だ」

 てっきり新国王に顔見せするものだと思っていたラズワルドだが、聞けば新国王の弟、アシュカーンの父親エスファンデルも王都に出向く予定はなく、アシュカーンも葬儀を終えた後、ウルクに戻るよう命じられているのだと言う。

「そのお気持ちだけで……」

 ペルセア王国は大きな国故、国王の即位を家臣一同が出向いて祝うという習慣はない。過去にはあったのだが、諸侯王などが皆王都に集まって祝っている最中、隣国が同盟を組み攻め込んできたことがあったので、以来全員が集まっての祝いはなくなった。
 現在は即位後三年間の間に、近隣の情勢を見極め安全を確保してから、国王に祝いを持ってくるようになっていた。

「でもまあ、今は子どもだから父親の意見に従わなければならないが、大人になったら自由に動けるようになるんだろ?」
「大人……はい、大人になったら、自分の意思で移動することが出来る筈です」
「じゃあ、大人になったら遊びに来いよ。わたしが案内してやる。まあ、王都にいるかどうかの確認はしてくれ。アッバースかサマルカンドのどちらかに居る可能性もあるからな」
「……はい! どこにおいででも、自由が利くようになったら、必ずやお伺い致します!」

 二度とラズワルドと会うことが叶わないと思っていたアシュカーンは、ラズワルドからの思わぬ提案に表情を綻ばせ、うわずった声で返事をした。

「それじゃあ」

 ラズワルドは”またな”と、馬車に乗り込むために車体に足を掛けた。

「ラズワルド公。一つだけお願いが」
「なんだ?」
「一度でいいので、アシュカーンと呼んでいただけないでしょうか?」

 また会ってくれるとは言われたが、そのまた会える日まで、頑張るので力を下さいという気持ちを込めて、アシュカーンはラズワルドに頼んだ。

「ん? ああ、いいぞ。アシュカーン」

 頼まれた方はそんな深い気持ちがあるなどとは知らず、軽やかにアシュカーンの名を呼んだ。

「ありがとう御座います、ラズワルド公」
「なんだかよく分からんが、そんなに畏まる必要はないぞ、アシュカーン。じゃあな。ウセルカフも元気でな」

 アシュカーンは涙を堪えてラズワルドたちを見送り、希望と思慕を抱えて自身も帰途に就く ―― 再会を約束したラズワルドと、再会を切望していたアシュカーンだが、神の子と王の子・・・は、この世界で再び会うことはなかった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドは行きでハーフェズが見つけた屍食鬼の巣をもう一度うかがい、まだ在ることを確認する。それ以外はとくに問題なく王都に無事到着する。
 城門には即位したゴシュターブス四世シャーハーン・シャーが大将軍を引き連れ待機しており、こうべを下げている王の前を、祖廟に向かった時と同じように一瞥することもなく、ラズワルドたちは真神殿へと帰る。
 真神殿に帰ったラズワルドは祖廟に到着した時と同じように、まず風呂に向かい旅の疲れを落とす。
 そして祖廟の時とは違い、急ぎ部屋へと戻って野営道具一式をまとめて担ぎ、片手に自分の旗騎兵が持つ予定の縦旗を持ち、城外を目指すために急ぎ足で真神殿を抜ける。

「ラズワルド、城壁外に行くのか」

 出口近くの大きな柱に背を預け、腕を組んでいたシアーマクが声を掛けてきた。

「うん!」

 ハーフェズとバルディアーは復路も一団について行くことができず、毎日遅れて到着しており、ラズワルドたちが王都に到着した本日も二人はまだ、馬を駆っている。
 彼らの技術から、城門が閉まる前に王都に到着するのは無理であることは明らかだが、日が暮れきる前に城壁まではたどり着けることも分かっているので、飲み水と食糧と毛布を各自に渡され ―― バルディアーとハーフェズは、最終日は二人きりで城壁の外で一夜を過ごすことになっていた。
 だがラズワルドが真神殿で黙って二人の帰りを待つなど、誰も思ってはいなかったので、シアーマクは野営道具を用意し待っていたのだ。

「よし、俺も一緒に行こう」

 シアーマクはラズワルドが用意したものより二回りは大きい野営道具を担ぎ上げる。

「ところでその旗をどうするつもりだ?」
「帰ってきた二人が見つけやすいようにするために」
「なるほど。それは俺が持とう」
「ありがとう、シアーマク」
「馬車も用意しているぞ」

 二人は城門まで青く塗られ、硝子窓が付いている市街を走る専用の馬車で運ばれ、門前で降りて少し離れた所まで歩き、街道を駆ける二人から見つけやすい場所に敷物を敷き、野営道具の隙間に旗を立てる。

「これで多分荷物盗まれないよな」
「大丈夫ではないかな。盗んだやつがいたら、ジャファルに追わせる」
「それは自業自得とはいえ、盗人が憐れになるな。さて、では水を汲んでくるか」
「飲み水は持ってきているだろう、ラズワルド」
「飲み水じゃない。ハーフェズとバルディアーの足を洗う水。城壁を入って直ぐのところに、水場はあるからな! ちゃんと銅貨と銀貨を持ってきた」

 ラズワルドは自慢げに腰に下げていた小袋を叩く。

「なにに水を入れるんだ?」
「浅くて広い形の桶」
「持ってきてないだろ」
「借りるんだよ。水場には貸し桶があるんだぞ。城壁の外に持ち出す場合、ちょっと貸し賃が嵩むが、それは仕方ないな」
「なるほど」

 神の子の旗が突き刺さった荷物を置き、金の他に必要な小物を入れた袋を手に、二柱は城門をくぐり王都に戻ると、隊商などがよく使う、城門近くの水場へと向かった。

「桶に水を張って持ち歩くのは大変だな。空のまま持っていって、汲み桶を両手に持って三往復ぐらいするか」

 ラズワルドが考えていた大きさの桶を借りることはできたのだが、これになみなみと水を張り、先ほどの場所まで持って行くには重すぎると判断した。
 ただラズワルドには重すぎるが、

「大丈夫だ、ラズワルド。ファリドやアルダヴァーンほどではないが、俺も力はある」

 神の子は人は持ち得ない能力を多々所持しており、神の息子の多くは怪力である。怪力とは古来より英雄が持つ力の一つで、腕力があるというのは、それだけで人々の尊敬を集めるものでもある。

「ファリドはなあ」
「ファリドだからなあ」

 青き薔薇の君天上の花と謳われるファリドは、その見た目に反して神の子の中でもっとも膂力が優れている。「神殿に入る前、七つほどの頃、盗賊が乗った馬ごと槍ですくい上げ、建物の三階に叩きつけた」だの「五つの頃、馬上から槍を投げたら、その槍が城壁を突き抜けた」など、人間には備わることがない力を発揮していた話を、ラズワルドも聞いている。
 その話をラズワルドにしてくれたのは、ファリドと双璧をなす怪力を持つアルダヴァーンで、その際に「見た目に反してと皆が言い、ファリドはそう言われるのを嫌がっているが……まあラズワルドの好きにするといい」と ―― その後ラズワルドが取ったのは、ファリドにアルダヴァーンの怪力がどのようなものか尋ね、似たり寄ったりの逸話をファリドから聞かされた。
 その二柱ほどではないが、シアーマクもかなりの膂力を持っている。

「ではシアーマクを信用して水を買うとして、その前に洗うか」

 ラズワルドは手に持っていた袋から束子と小瓶を取り出した。小瓶の中身は石鹸。この頃、石鹸は液体しかないので、持ち運ぶ際には小瓶に入れる必要がある。
 ラズワルドが持参した石鹸は、神の子の体を洗うために作られた上質なもので、水場の貸し桶を洗うような使い方をするものではないが、

「月桂樹の香りか」
「良い香りだよねー」

 二柱は気にすることなく、ラズワルドは腕をまくり上げて桶の内側を束子で洗い上げ、泡がなくなるまで丁寧に流してから、水を汲み桶に注ぎ入れた。

「任せてくれ。少しはこぼすと思うが」
「信頼してやるー」

 なみなみと水が張った桶を、ラズワルドと同じように腕まくりしたシアーマクが、桶を持ち上げる。

「あ、割と軽いぞ」
「本当にか?」
「ほら」

 シアーマクはラズワルドの頭に桶を無造作に乗せる。
 もちろん水が零れぬよう、シアーマクが平衡を取り、全ての重みを乗せられてはいないのだが、

「お、重いぞ! シアーマク」
「そうか?」

 ラズワルドには非常に重かった。
 シアーマクの努力により、水が零れることもなく、旗の効果かはたまた、

「お待ちしておりました、シアーマク公、ラズワルド公」

 金髪で青い目をした陽気で喧嘩っ早いシアーマクの側近ジャファルが立っていたからかは分からないが、荷物が盗まれることもなかった。
 虫や塵が入るのを防ぐために、桶を布でくるみ、野営の準備に取りかかる。とは言え野営慣れしているジャファルがいたため、ラズワルドが想像していたよりも早くに終わり、あとはのんびりと二人の到着を待っていた。
 日が落ち城門が閉まる頃 ―― 兵士は城門から見える位置に、神の子二柱がいるで門を閉じていいのかどうか悩み、最終的にジャファルがわざわざ「閉じてよし」と伝えなくてはならなかった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 葬列から離れるもひたすら馬を駆るハーフェズとバルディアー。
 城壁が見えてからしばらく経つが、二人はなかなか、城壁側までたどり着けないでいた。
 それもそのはず、ペルセア王国の首都であるナュスファハーンは人口約八十万人の大都市。それだけの人が住んでいる街を城壁が囲んでいるのだから、その大きさたるや ―― 二人はその巨大で堅牢な城壁に背中を預けて、眠る予定であった。
 カイヴァーンは若くて見目の良い子どもが二人きりになるのは危ないと、一緒に野営をしてくれると言ってくれたが、何時までも甘えているわけにはいかないとして断った。
 武装神官であることを現す青い上衣をはためかせ馬を駆る。
 暮れゆく空に、もう王都に入る門は閉じられているので、幾ら急いでも無駄だと分かっているが、なぜか手綱を握る手に力が入る。

「ハーフェズ、あれ」

 城壁だけを見ていたハーフェズに、バルディアーが声を掛ける。彼が指をさした方角を見ると、なにかが揺れているのが見えた。
 馬の足を緩め、確りと目を凝らして見つめると、旗騎兵が持つ縦旗が太陽の残り光を反射し、煌めいていていた。

「……まあ、いらっしゃると思ったんですけどね」

 旗を振っているのはラズワルドで、高いところで振ったほうが目立つとばかりに、シアーマクに肩車をしてもらいながら、旗を元気に振っていた。

「ラズワルドさま、シアーマク公!」
「待ってたぞ、ハーフェズ! バルディアー」

 ラズワルドに名を呼ばれたハーフェズは、嬉しさと悲しさが混ざったかのような不思議な感情に襲われ涙があふれ出しそうになった。
 ”泣き虫”なハーフェズが泣いたところで、ラズワルドは何時ものことだと、泣き止むまで側に居る ―― それは分かっているが、ハーフェズ涙を必死に堪えて馬から降りた。

「顔と手と頭と足を洗え」
「ほとんど全部ですね、ラズワルドさま」
「まあな」

 ラズワルドとシアーマクが用意してくれた水で、二人はまず顔と手を洗う。

「月桂樹の良い香りがします」
「分かるか? バルディアー。桶洗ったんだ」

 バルディアーが話しているのを聞きながら、ハーフェズは月桂樹の香りがする水に頭ごと突っ込み、そしてすぐさま顔を上げる。泣きそうだったのを上手く誤魔化せ、そして、

「えっと……ジャファルさまが?」
「いいや、わたしが石鹸をかけて束子で擦った」

 ラズワルドの声を聞き、落ち着きを取り戻す。

「ジャファルさまが束子握ってるほうが、違和感ありますけどね」
「だよなー。すっきりしたか? ハーフェズ」
「はい」
「頭拭いてやるぞ」
「自分で拭けますから! ラズワルドさま」

 最後に足を洗い桶をくるんでいた布で足を拭き、靴をはき直しハーフェズは二柱にお礼を述べた。

「気持ちよかったですありがとうございます、ラズワルドさま、シアーマク公」

 二人に「頭を拭かないで下さい、自分で出来ます」と固辞されたため、ラズワルドは二人の荷物を漁り、彼らに渡されていた、そのまま食べられる羊の燻製を焚き火で少し炙り、ラズワルドが持参したハーブやレタスと共にナンに挟んで渡す。

「あー美味しい。ねえ、バルディアー」
「うん」
「燻製そのままでも良いけど、温かい肉はいいよな。そうそう、シアーマク。祖廟でな……」

 ハーフェズたちに渡したものと同じようにナンに肉とハーブを挟んだものをジャファルに渡したラズワルドは、祖廟でアシュカーンに会ったことをシアーマクに教えた。そして彼が温かいものを食べたことが無かったことも。

「若い王子に会ったのは初めてだったから、新鮮だった」
「ラズワルドからすると、アルデシールは若くないか」
「アルデシールって、ゴシュターブスの子だっけ?」

 アシュカーンの名も存在も知らなかったラズワルドだが、アルデシールのことは名と存在は知っている。

「そうだ。たしか十八だから……ラズワルドより八つも年上だな」
「十八くらいなら若い王子でもいいが、会ったことないし」
「いや、会ったことあるぞ、ラズワルド」
「いつだ! シアーマク」

 自分の輿を担いだ一人がアルデシールだったとシアーマクから聞かされ、

「聞いておいて良かったよ、シアーマク。戴冠式の時に”初めてだな”とか言うの回避できて、本当に良かった」

 遠い将来、アルデシールが即位するときに恥をかかずに済んだと ―― アルデシールの戴冠は「ファルジャードをサマルカンド諸侯王にする」という条件付きでラズワルドに決まっている。

「ははは。アルデシールが戴冠するまで、会うつもりはないのか」
「別に会う必要ないし」
「まあ、そうだな」

 食後、ジャファルが持ってきた蜂蜜酒を飲みながら、今日は本当は城壁に背中を預けて寝る予定だったと聞かされたラズワルドは、

「こうやって三人で背中合わせで寝てみよう」
「はあ」
「畏まりました、ラズワルド公」

 それならばと、ラズワルドは座った状態で寝る訓練をしようと、三人で背中合わせで寝ることを提案し、二人は断りようがないので言われるまま ――

「寝るや否や崩れ落ちましたね」
「そうですね、シアーマクさま。俺が二人を寝かせますので、ラズワルド公をお願いします」

 二人と一柱は旅の疲れと、背中に感じる体温に安心し眠りに落ち、敷物の上に崩れた。こうなることは分かっていたので、ジャファルが寝床を整えて二人と一柱はそのまま朝まで眠り続けた。