ラズワルド、アシュカーン王子に懸想される

「サータヴァーハナの宰相家の血筋でしたか」
「全く関係はないんだがな」

 サラミスとハーフェズについて、またナスリーンに関しての説明を聞き終えたアシュカーンは、水場で冷やしていた麦酒の瓶を持って帰ってきたハーフェズを見て、羨ましそうな表情を浮かべた。

 ラズワルドは全く知らないことだが、アシュカーンと彼の父エスファンデルは不仲で、それを知っている者たちは、アシュカーンの前で父親に関する話を話題にすることはなかった。乳兄弟のウセルカフも、その母である乳母も、彼らの父であり夫である人の話は一切しなかった。
 気遣われていることはアシュカーンも理解しているので、周囲の心遣いを黙って受け入れていた。

「ハーフェズは、お父上とは会ったことはないのか」
「俺が生まれる前に、任期が終了して帰国しましたからね」

 だが心のどこかで、そのような気遣いを受けずに、自由に話をしてみたいとも ――

「会いたいと思ったことはないのか?」

 アシュカーンに話し掛けられたハーフェズは、マージアールのほうに視線を向けた。その視線を受け取ったマージアールが微かだが頷いたので、話をすることにした。

「会ってみたいと言うよりは、ラズワルドさまに一度は見せておこうという気持ちの方が強いです」
「そうか。そのダマスカスの槍も、お父上からの贈り物か」
「そうです。昔の伝手を頼って、サータヴァーハナでウーツ鋼を集めて、作らせたそうです」
「きっと君は、お父上自慢の息子なのだろうな」
「らしいです。自慢し過ぎて、アサドさまに頻繁に呆れられていると、ハスドルバルおじさんが言ってました。アサドさまというのは、ネジド大公の甥の一人ですが、跡取りではありません。ハスドルバルおじさんは、サラミスさんの乳兄弟で、一緒に故国を出て軍人奴隷になったそうです」
「サラミスさんと呼んでいるのですか」
「なんかその……お父さん呼びするのは、ちょっと。本人を前にしたら、お父さんと呼ぶつもりではありますが……父上のほうがいいのかな……でもなあ」

 形の良い目を細めハーフェズは苦笑いを浮かべるが、その笑いはどこか楽しげであった。それを見たアシュカーンは、心から羨ましいと ――

「俺の父親の話だけじゃなくて、他の人……マージアールさんのお父さんって、どんな人なんですか?」

 会ったこともない父親について語っていたハーフェズは、他の人も語ってくれと、不特定多数に話を投げようとしたのだが、会話をしていた感じ・・からアシュカーンと父親が不仲であることを察し、またバルディアーの父親については知らないが、前身からして話を振るのは不適と判断を下す。ウセルカフはアシュカーン以上に情報がないので下手なことを言ってはいけないと考え、そして気安い関係ではあるが、神の子ラズワルドに語ってもらうよう促すのは臣下としては正しくないということで、無難そうなクーロスの側近であるマージアールに話をつないだ。

「わたしの父親か……ハーフェズの父君のような逸話などない普通の人だが……そう言えば……」

 アシュカーンとエスファンデルの不仲を知っているマージアールは、よくぞ自分に振ってくれたと ―― そのような気持ちはおくびにも出さず、むしろ水を向けられて困ったといった表情を作り、父親の失敗談について面白可笑しく語る。
 マージアールの話術が巧みであったこともあり、ラズワルドを含む子どもたちは話を楽しんだ……までは良かったのだが、

「なぜ叔父さんの、そんな楽しい話をわたしに教えてくれなかったのだ、マージアール」
「いえ、あの、その。一応失敗談ですので、父の名誉といいますか、伯父さんの耳に入ると恥ずかしいといいますか」
「父に言わぬよう言えば、わたしは言わぬぞ。わたしが信じられないのか、マージアール」
「そんなことは御座いません。わたしほど、クーロス公を信じている者はいないと自負しております」

 初めて聞くマージアールの父親の楽しい話に、なぜ今まで教えてくれなかったのだとクーロスが詰め寄る。

「あとできっと取っておきを教えてもらえるさ、クーロス」
「そうかな、ラズワルド」
「そうだとも。クーロス、お前がマージアールを信じないでどうする」

 助けと呼んで良いのか、やや怪しいがラズワルドが間を取り持ち、クーロスからのどうして教えてくれなかったのだ……は、なんとか収まった。
 その会話が終わった頃、祖廟都市に戻るに頃合いになったので、日よけの撤去や、獲物を運ぶために荷台に積んだり、火の後始末をしたりなど撤収作業に入る。
 撤収作業を手伝いたくとも、手伝いをさせてもらえないラズワルドは、同じく手伝いをしたくてもさせてもらえないアシュカーンと、手伝うつもりはないクーロスに話し掛ける。

「今夜ハーフェズが獅子を狩った祝いをするから、その宴に参加してくれるか? 王子」
「よろしいのですか?」
「よろしいから誘ってるんだが。用事があるなら無理しなくていいぞ」
「是非とも参加させていただきます! ラズワルド公」
「そうか。まあ、宴って言っても、飲んで食うだけだけどなー。祖廟都市に吟遊詩人でもいたら、引っ張ってくるところだが」

 詩を吟じ音楽を奏でる吟遊詩人は、ペルセアでは人気がある。音楽が一般的ではなかったこの時代、楽器を奏でることができる人は稀で、更に識字率が低いので、詩など物語を吟じることができるとなると喜ばれた。また才能があり容姿に優れている吟遊詩人は金持ちや貴族、王宮などに招かれることも珍しくはなかった。

「祖廟都市に吟遊詩人は来ていないぞ」

 祖廟都市に滞在しているクーロスも吟遊詩人がやって来たら、自分の所に招くよう指示を出しているので、いるか、いないかは分かっているので ―― 現在ここに音楽の神に仕える者はいなかった。

「そうか。ハーフェズの勇姿を詩にさせたかったから残念だ……が、まあいいか! 踊り子とかは居るんだろ」

 吟遊詩人がいないのならば、踊り子だと ―― 一行は祖廟都市へと引き返した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「その場に居られなくて残念だった」

 ハーフェズが獅子を一人で仕留めたと聞き、武術の基礎を教えていたカイヴァーンは、その姿を見られなかったことを非常に残念がった。

「十年も経つと、そんなに立派に成長するものなのですね」

 ラズワルドと一緒に毛皮に包まっていたハーフェズの姿を思い出し、ホスローがしみじみと言う。

「子どもの成長は早いというが、まさかこんなにも早くに独り立ちしてしまうとは。まだまだ子どもだと思っていたのに、寂し限りだ」

 ヤーシャールは喜びと寂しさがない交ぜになった表情を浮かべる。

「ハーフェズに教えを請わねばな」

 赤子だった頃のハーフェズを見たことがないホスローの側近イフサーンは、楽しそうにハーフェズの杯に酒を注ぐ。
 クーロスとマージアールもハーフェズを取り囲み ―― 主賓の周囲は神性はあふれ出しているものの、華がない状態になっていた。

「なんというか、宴の席というより、成長を見守っていた近所の兄さんたちが、しみじみ思い出を語り合う場になってるなあ」

 少し離れたところに居るラズワルドは、取り囲まれているハーフェズを見てそんな感想を漏らした。
 宴席にいるバルディアーは、神の子三柱に取り囲まれていながら物怖じせず、杯に注がれた蜂蜜酒ミードに口を付け、気軽に受け答えしている紅顔の美少年ハーフェズの大物ぶりに「とおで獅子を仕留める男は違う」とひっそりとため息を吐く。
 そんなバルディアーを見ていたバーミーンが、言葉には出さなかったが心中で同意していた。
 バーミーンは護衛ではなく、宴に招かれた客である。
 ラズワルド直々に誘われたので、バーミーンに断るという選択肢はなかったのだが、何故誘われたのかは気になった。
 むろん質問するような無礼な態度は取らなかったが、後で「ハーフェズが獅子を討ったところを見ていたのは、バーミーンだけのようだから、ヤーシャールたちに語ってやってくれ」と頼まれ、宴に出て最初にハーフェズの武勇を語り、その後ラズワルドの側に控えていた。
 宴故に酒杯を手にし、少しは口を付けているものの、完全に素面であたりに注意を払っている。その姿にもう少し楽にしてもいいのだが……とラズワルドは思ったが、これが性分なのだろうなとも感じたので、酒を勧めることもせず、楽にするように言うこともしなかった。

「王子は珈琲カフヴェは好きか?」
「初めて飲みましたが、なかなか美味しいものですね」

 ラズワルドは酒ではなく、遠きアビシニア国から輸入された高級嗜好品、珈琲カフヴェを飲んでいた。手元には様々な焼き菓子 ―― 巴旦杏粉と卵白と砂糖で作った生地に、小荳蒄カルダモンと薔薇水を加え、形を整えて焼いたものや、米粉と薔薇水を練って形を整えたものなど、ハーブを使った焼き菓子が皿に盛りつけられている。

「王子は初めてだったのか。となるとウセルカフも初めて飲むのか?」

 宴なので酒 ―― でも良かったのだが、温かいものを飲み食いしたことがないと知ったラズワルドが、酒は何時でも飲め、かつ冷たいほうが美味いので、ここは温かいほうが美味いものを出してやろうと考え、珈琲カフヴェを運ばせた。

「はい。美味しゅう御座います、ラズワルド公柱」
「それは良かった」

 珈琲カフヴェを片手に話に花を咲かせていると、宴の席には欠かせない楽団と踊り子がやってきた。
 楽団と踊り子が所定の位置につくと、全員がそちらの方に視線を向ける。
 亀の甲羅で作ったリーシャピックで弦を弾き奏でるバルバット、椀形の胴に薄い皮を張った胡弓カマンチェは鉄製の脚がついており、これを軸にして奏者は自在に向きを変えることができる。
 細い棒で弦を叩き、音が広がるサントゥール ―― それらが奏でる音楽に音楽に合わせて、ラクス・バラディーを踊るのは鍛えられた男たち。
 裸の上半身を吊るし飾りが美しい金の首飾り、鎖で指輪と繋がっている銀の腕輪などで飾り、ズボンはかなり下がった位置で穿き、腰回りをしゃらりと音のなる金属製のベルトで巻いている。
 鍛えられた体を存分に生かし、男たちは踊りでラズワルドたちの目を楽しませた。

「楽器の奏者も踊り子もみな男とか。まったく華のない宴になってしまったが、楽しんでいるか? 王子」

 踊り終わった男たちは、酒姫となり優美に酌をする。その姿を見ながら、ラズワルドは”なんか、ちょっと思ってた宴と違う”と ―― 内心で思ったが、それは言葉にしなかった。

「とても楽しゅうございます、ラズワルド公柱」
「本当に地味で済まんな。料理だけはあるから、楽しんでくれ」

 宴といえば綺麗な女が出てくるものだとばかり思っていたラズワルドは、料理を運ぶ者たちまで男性なのに、若干どころではなく「えー」という気持ちになっていたが ―― 

「神の子が四柱もおわす場が地味など、とんでもない! お招き下さり、ありがとう御座います、ラズワルド公」
「それなら良いんだ」

 アシュカーンは楽しんでおり、主賓の筈のハーフェズは、

「ラズワルドさま、もう一杯珈琲カフヴェになさいますか? それとも”騙しやがったな蜂蜜酒ミード”になさいますか? それとも葡萄酒?」

 ラズワルドの給仕をしていた。

「ハーフェズ。騙しやがったな蜂蜜酒ミードじゃなくて、正しくは騙しやがったなアルダヴァーンだ。飲み物は薔薇水でいい」
「薔薇水ですね。はい畏まりました。そして正しい台詞は覚えていますが、俺がその台詞を正しく言うわけにはいきません。ラズワルドさまが言っている”アルダヴァーン”ってアルダヴァーン公のことなんですよ。言える訳ないですよね。ウセルカフやバルディアー、バーミーンさんなら分かってくれるはず」

 そう言うとハーフェズは薔薇水を取りに行き、

「騙しやがったな……というのはな、アルダヴァーンが蜂蜜酒は甘いと言っていたのを信じて飲んだら、たいして甘くなかったことに対して、わたしが発した言葉だ。ふふふ、アルダヴァーンのやつ、焦ってたなあ」

 硝子の杯に入れて大急ぎで戻って来た。

「アルダヴァーン公を焦らせるなんて、ラズワルドさまかファリド公しかできないと思います」
「ファリドと一緒にされるのは心外である」
「それを言うとファリド公が悲しむから、やめてくださいラズワルドさま」

 神の子と、額にアラベスク模様と共に「メフラーブの娘で神の子でもあるラズワルドの奴隷ハーフェズ」と描かれている少年との会話を聞き、

「楽しいな、ウセルカフ」
「そうですね、王子」

 アシュカーンは心より楽しんでいた。

 アシュカーンは父であるエスファンデルと不仲 ―― というよりは、エスファンデルは息子に対し無関心であった。
 アシュカーンが生まれたと聞いた時も、とくに言葉を発することもなく、名付けもしなかった。アシュカーンを産んだ妃が産褥熱で死亡したと聞いても、まるで赤の他人が死んだかのような態度を取っていた。
 アシュカーンは自分が父親に嫌われるなにかをしてしまったのか? と考えたこともあった。自分を産んだことで、妃が死んでしまったので、疎まれているのではないかと悩んだこともあったが、それは違った。
 母親に対してもエスファンデルは無関心であった。そもそもエスファンデルは女には興味がない ―― 根本的に男にしか性的興奮を覚えない。そんな彼が正妃を迎えたのは、単純に王族が少なかったためである。
 兄であるゴシュターブスの所に王子が一人だけでは心元ないので、息子を一人もうけろとの指示があり、無害な女を娶り子どもを産ませた。結果一人目でアシュカーンが誕生し、エスファンデルはあとは知らぬと。そうして父から省みられることのないアシュカーンは、王宮の隅でひっそりと生きてきた。
 今回の葬儀に関しても、いきなり「行け」と命じられ、僅かな供を伴って向かうことになった。
 そんなアシュカーンの運命が少しだけ変わったのは、出立直前に、ホスロー側から、王都に帰る前に祖廟都市に向かうので、同行しないかと連絡をもらい、同伴させてもらったことが切欠である。
 アシュカーンが遠目ながらホスローを見たのは、この時が初めてであった。
 ホスローはアシュカーン誕生後、ほぼウルクに居たのだが、顔を合わせたことはなかった。ラズワルドが王都にいながら、ペルセア王家の者たちと会ったことがないのと同じようなものである。

 祖廟都市に到着し、ホスローの側近に感謝を述べてから、アシュカーンは祖廟を預かっている神官長ジャラールから儀礼の仕方を習い、今回の旅で唯一親身になってくれる乳兄弟ウセルカフと共に、会ったことがなかった祖父王に祈りを捧げ ―― 軽快に手すりを滑り降りて、飛んでいたラズワルドと遭遇した。

 代わり映えせぬ、なにも起こらなかったアシュカーンの人生において、ラズワルドとの出会いは衝撃であり、出会ってたった二日で、彼の心に様々な感情を深く刻み込んだ。
 アシュカーンは橙花水で満たされた杯を手に持ちながら、楽しげに話す顔の半分以上が神性なる文様で覆われているラズワルドの顔を見つめる ―― 神の子の顔を凝視するなど、してはならぬことなのだが、アシュカーンは目を離すことができなかった。

 出会った時、アシュカーンにとってラズワルドは確かに神の子であり、今も神の子であることは変わらないのだが、そんな彼の心中に不意に「神の子でなければ」という感情が浮かぶ。
 初めて仲良くしてくれた同い年の女の子だから ―― というのには、ラズワルドは少々無理がある。
 なにせ顔の半分を覆う群青、そこに細かく金で描かれているメルカルト神の文様。正面だけではなく、地下神殿最下層まで到達したことで、首から背中にまで至った・・・文様。そして背中の中程まである黒から深藍となった髪。
 その類い希なる神性から、最近では「ラズワルド公は最初の神の子と同じように、人間の両親を持たずに生まれてきたのではないか」とまで言われている存在に懸想する ――

「どうした? 王子」

 神の子に声を掛けられたではなく、ラズワルドから声を掛けられたことに、心が高揚する自分に ―― アシュカーンは己の愚かさを嗤いながらも、

「神の子に話し掛けていただけるばかりか、こうして宴にまで招いてもらい、……王家に生まれ、初めて人よりも恵まれていると実感しておりました」

 幸せを確かに言葉にする。

「そんなに楽しんでもらえるとは、宴を開いて良かった。なあ、ハーフェズ」
「そうですね。バルディアー、楽しんでる?」
「それはもう……」

 その日の宴は夜遅くまで続いた。