ハーフェズ、武人として認められる

 ヤーシャールにアシュカーンを連れて狩りをし、肉を食べたいのだと頼んだところ ―― 偶々その場にヤーシャール、ホスロー、クーロスと、彼らの側近が各一名ずついた。
 ラズワルドから話を聞いた彼らは、それならば……と、全員立候補してくれたのだが、 神の子四柱と配下を引き連れ狩り場に行くのは、仰々し過ぎるので ―― 最終的にくじ引きでクーロスが同行することになった。
 クーロスとその部隊が狩りを行う間、狩り場の外れにある水場近くに、ラズワルドをぽつんと置いておくわけにはいかないので、同行していた軍のバーミーンに護衛を依頼することになった。

 翌朝、一行は近くの狩り場へと向かい、群青色の日よけの天幕を張り、厚い絨毯を敷きクッションが置かれ、ラズワルドは腰を降ろす。
 アシュカーンはウセルカフと共に、生まれて初めての狩りへ。二人だけでは心許ないので、もちろんクーロスの隊が一つ付いている。
 王子ともあろう者が、二人きりでやってきた理由は、アシュカーン付きの数少ない・・・・兵士たちが皆、一昨日女を買っていたのが理由である。
 男女ともに異性と情を交わしたら、一週間神の子に近づいてはならないとされているため、アシュカーンに付いて来ることができなかったのだ。
 異性との情交とは無縁のバルディアーはラズワルドに薔薇水を運んだり、絹を貼ったさしはで扇いだりと、心地良く過ごしてもらうために細々と動いていた。
 ハーフェズは念のために持ってきたダマスカス鋼の槍を持ってラズワルドの隣に立ち、会話をしている。

「男って、狩り好きなんだな」

 昨晩「連れて行ってくれ!」と頼んだ際、三柱は楽しそうに、そして彼らの側近たちの目の輝きといったら ―― 側近たちは誰一人として引かなかった。

「そうですね。俺も狩りは下手ですけど、やっぱり好きですよ」

 狩りは人相手の戦争や、魔物相手の戦いとは、全く違う楽しさがあるのだ。もっともラズワルドにとって狩りの楽しみは、獲物を焼いて食べること。その獲物を自ら狩る必要はない。

「今から狩りに行ってきてもいいんだぞ、ハーフェズ。護衛はバーミーンで足りてるだろうからな」

 天幕の周囲はバーミーンが選び抜いた兵士たちが囲み、少しだけ離れた場所では、運んできた煉瓦を組み、簡易のかまどが作られている。
 当のバーミーンはラズワルドの直ぐ側で、あたりの気配をうかがっていた。

「俺が護衛として、物の数に入ってないことは分かるんですけど、一応側にいないと駄目だと思うんですよ、ラズワルドさま」

 ハーフェズの偽らざる気持ちであった。もちろんハーフェズも、ラズワルドをしっかりと守る気持ちはあるが、バーミーンが率いてきたのは先鋭の不死隊アタナイトの一部で、ここに連れてきたのは、その中で選りすぐりの面子。

―― もしかしたら親衛隊オイ・メロポロイ かもしれません

 先日墓室前で、バーミーンと共にラズワルドを守っていた十名の姿もあった。そんな先鋭中の先鋭の中では、槍を持って走るのが精一杯な自分がいたところで、なんの役にも立たないとは思っているが、

「そうか。バルディアーもやってみたかったら、行ってきていいんだぞ」

 日陰でこうしてラズワルドと共にいるのが、ハーフェズにとっては楽しかった。

「いいえ。狩りはその……なにも獲れないと思うので」
「経験したことがないのか?」
「はい」
「興味はあるのか?」
「あります」

 「狩り」は猟師など生業にしている者以外にとっては、裕福層の娯楽ゆえ、バルディアーには縁の無いことではあったが、客の話題に昇り易く、話を聞き興味は持っていた。

「そうか。じゃあ帰ったら、ジャバードに習いに行こうか。あいつかなり狩り上手いからな」
「いあ、あの……」

 そんな感じで狩りに興味はあるものの、ジャバードにご出陣願い教えてもらうというのは、バルディアーにとっては大事過ぎる。

「本当にジャバードさまは上手だよ。この前も大きな狼を狩られていたよ」
「ハーフェズ、ジャバードに”さま”付けなくて良いって言われてなかったか?」
「言われてはいますけれど、いきなり”さま”付けないで呼び捨て、もしくは”卿”付けで呼べと言われましても。ラズワルドさまのことも、ラズワルド公って呼ばなくてはならないのも」
「わたしは”ラズワルドさま”で構わんから、ジャバードはジャバード卿って呼んでやれ」
「その台詞、そのままジャバードさまに言ったら、きっとジャバード卿って呼ばなくても許してくれそうですが」
「なんでだ?」

 心底理由が分からないといったラズワルドの脇で、バルディアーはなにも聞かなかったことにして、杯を持ち水場で冷やしている薔薇水を注ぎ入れ、ラズワルドの手元に置くと、さしはを持ち直しゆっくりと扇ぎ始めた。

「そうだ、バーミーン。一昨日聞きそびれた話を、いまここでしてもらってもいいか?」
「お望みとあらば」
「望むー、望んでるー。先日は海軍の話ばかり聞いていたが、ペルセアが誇る陸軍について聞かせてもらおうか。たしか中将軍が十二人いるんだよな。その一人がバーミーンなんだよな」
「はい」
「バーミーン、結構偉いんだな。あとわたしが知っている中将軍は、武装神官団団長のフェルドーズだけだな。あいつともそうは会わないけど。他の十人の名前、教えてくれるか」
「喜んで」

 一昨日バーミーンとの会話が途中で終わってしまったので、続きを強請って獲物が届くのをラズワルドは待っていた。
 そのラズワルドの隣にいたハーフェズが、槍を両手に持ち駆け出したかと思うと、膝をつき両手両足で確りと槍を斜め前方に固定する。直後、槍の穂先に獅子が突き刺さった。ハーフェズは獅子の重さと、凶暴な爪が出ている前足を視界に捕らえるやいなや槍を手放す。
 槍は獅子の重さで横に倒れたので、ハーフェズは下敷きにならぬよう跳ねるようにその場を離れ、腰に佩いていた短剣を抜き、ラズワルドの前に立ちはだかった。
 あまりにも見事なハーフェズの勇姿だったのだが、残念ながらラズワルドは見ることができなかった。その時ラズワルドは、バーミーンが身を挺して庇っており、

「……なにがあったんだ? バルディアー」

 さしはを持ったまま呆然としているバルディアーに声を掛けて、なにが起こったのかを尋ねなければ分からない状態だった。
 声を掛けられたバルディアーは、さしはを放り投げ、

「バーミーン卿のお側に居てください、ラズワルド公」

 剣を抜いてハーフェズの側へと近づく。

「大丈夫?」
「大丈夫ですよ……死んだのかな?」

 串刺しになった獅子が動く気配はなかったが、死んだと安心して近づくのも軽率である。
 座っていた体勢から、いきなり絨毯に押しつけられる形になったラズワルドに、

「失礼いたしました」

 庇ったバーミーンが非礼を詫びた。
 護衛の任務を果たしたのだから、非礼などではない ―― とは神の子相手には言えない。
 神の子の体に許可無く触れるなど以ての外。この場合、庇うのではなく敵を倒すのが正道。

「構わん。よく反応できたな、バーミーン。お前が罪に問われることはないから、心配する必要はない」
「ありがたき御言葉」

 立ち上がったラズワルドは、バーミーンの行動を不問にし、盾になるように立っている彼の背後から顔だけ出して、間近にハーフェズの槍によって、串刺しになった獅子がいることを知った。
 暫しの静寂のあと、ハーフェズは抜いていた短剣を鞘に収め、獅子から目を離さずに足下に転がっている石を拾い、獅子の鼻先目がけて投げる。
 ハーフェズの握り拳程度の大きさの石は、見事に獅子の鼻に命中した。
 獅子は声を上げる様子もなければ、体のどこかが動く気配もない。ハーフェズは自ら串刺しにした獅子へと近づき、木目模様が美しい槍に片手をかけて揺さぶる。獅子の特徴である見事なたてがみが揺れるも、獅子が動く気配はなく ―― 喉元を貫いた槍は、一撃で獅子の息の根を見事に止めていた。

「大丈夫ですよ、ラズワルドさま」
「よくやったな、ハーフェズ」

 バーミーンの背後から出てきたラズワルドが褒める。

「はい! 構えたところに、飛び込んできてくれましたよ」

 沈黙から徐々に驚きが広がる ―― 一人で獅子を倒した者は、軍人として一流であり、人々の尊敬を集める。ハーフェズはいま、この場にいる兵士から将校までの尊敬を一身に浴びていた。

「バーミーン。ハーフェズが仕留めた獅子、見に行ってもいいか?」
「ハーフェズ殿を信頼していないわけではありませぬが、わたくしめにも、獅子の死を確認させていただけますでしょうか?」
「ああ」

 バーミーンが獅子の死亡を確認し、ラズワルドは意気揚々と近づき獅子を見る。ペルセアでは獅子を食べるという習慣はないので、残念ながらハーフェズが仕留めた獅子をこの場で解体して焼くことはないが、

「今日はお祝いだな! 王都に帰ってからもお祝いしような!」

 獅子を一人で仕留めるというのは、まぐれであろうが武勇を褒め称える宴を開くのが慣わしである。
 獅子の死を理解していたが、まだ呆けていたバルディアーは、ラズワルドが宴を開くと言いだしたところで拍手をすると、護衛の兵士たちにも伝播した。
 その後、兵士たちの助けを借り、四苦八苦しながら獅子に突き刺さった槍を引き抜き、終わった頃、狩りに興じていた部隊が、獲物を持ち続々と戻ってきた。

「獅子を仕留めるとは」

 クーロスとその側近マージアールは、ハーフェズが仕留めた獅子を観察する。

「見事な獅子ですな、クーロス公」
「そうだな。年老いてもいない、若すぎでもない。まさに最も強い頃合いの獅子だ」

 ハーフェズが狩った獅子はかなり大柄で、肉付きも良く、たてがみは豊かで、肢体は若々しかった。このくらいの獅子を狩るのはかなり難しい。

「ハーフェズ、これ一撃で倒したんだぞ」

 獅子の死体を隠すよう新たな日よけが張られ、その下で、ラズワルドがたてがみをかき分けて、致命傷を与えた部分を見せる。

「素晴らしい」
「本当に凄いことだぞ、ラズワルド」
「お祝いするから、来てくれよクーロス、マージアール」

 自分の奴隷ハーフェズが偉業を成し遂げたのだから、主たるラズワルドが宴の席を設けるのは当然のこと。

「盛大に祝ってやらねばな。宴には是非とも。なあマージアール」
「神の子とご一緒するのですか……」

 神の子に心身を捧げているマージアールにとって、誘われるのは大いなる喜びだが、同時に神の子と共に酒杯を傾けるのは恐れ多く、出来ることならば、神の子とその側近たちは別々に宴を開いて欲しかった。後者の側近たちだけの宴の費用は、彼らが持つので ―― それが偽らざる気持ちであった。
 ”あとでハーフェズに取りなしてもらおう”と考えているマージアール。彼の視線の先にいるハーフェズはやっと引き抜けた槍についた、血脂を砂に吸い取らせ布で拭き取っていた。

「ハーフェズが……見事ですね」

 彼らより遅れ、手ぶらで戻ってきたアシュカーンとウセルカフも、新しく張られた日よけの下にいる獅子を見て驚きの声を上げた。
 王子たちが帰ってきた頃には、既に少し離れたところで、バルディアーが野鳥の羽を毟り、内臓を抜き火で炙っていた。槍の簡単な掃除が終わったハーフェズもやってきて、他の鳥の羽を毟る。

「凄いな、ハーフェズ。おめでとう!」
「そう? でもなにが起こったのか、全く覚えてないんだ。なんかあそこに槍の穂先を向けないと! って気持ちだけでさ」
「ジャバードさまから、ハーフェズは勘が良いと聞いていたけれど、言われるだけあって、本当に優れているんだね」
「俺、褒められてる……照れるな。バルディアー、褒めるの得意だよね」
「褒めるっていうか、事実だし……」

 鳥の足の関節を手際よく外しながら、ハーフェズは照れていた。
 そうこうしている間に鳥が焼け、

「まず最初のが焼き上がりました。どうぞ」

 麦酒で乾杯し、ハーフェズが焼きたての鳥腿の脛部分に布を巻いてから包丁で切り、アシュカーンへと渡す。

「熱いから気を付けてくださいね、王子」
「ありがとう、ハーフェズ」

 受け取ったアシュカーンは、ラズワルドの方を見て頷き、昨日してもらったように鶏腿に息を吹きかけてから、恐る恐る噛みついた。

「どうだ? 美味いか?」

 ハーフェズから肉を受け取っているラズワルドに声を掛けられたアシュカーンは、

「はい! 公柱」

 笑顔で答える。

「王子、公柱呼びは構わんのだが、ここには公柱が二人いるから名で呼び分けろ」
「あっ! 失礼いたしました、ラズワルド公」
「そこまで恐縮する必要はない。ほらほら、熱いうちに食え。そしてまだまだたくさんあるぞ!」

 焼きたての肉を頬張りながら、ハーフェズが仕留めた獅子に関する話題で盛り上がる。
 少し離れたところに建てられた日よけの下、他の獲物たちと共に横たわっている、話題の主でもある獅子を見ていたラズワルドは、辺りの警戒を担っているバーミーンに声を掛けた。

「バーミーン、子どもはいるか?」

 ラズワルドにもっとも触れて欲しくない話題を振られたバーミーンは、彼らしからぬ驚きを晒してしまったものの、事情を知らない者たちは、神の子に話し掛けられたので、当然のことと受け止め、バーミーンの動揺に関して違和を感じなかった。
 話し掛けて驚かれたラズワルド当人も、良くあることなので、なんの不信感も持たず ――

「この場で子持ちの可能性があるのは、お前だけだからなバーミーン」

 日よけのもと、焼きたての獲物を頬張っている面々に、子どもがいそうな年齢に達している者はいなかった。

「……あ、はい。子でございますか。息子が一人おります」
「ちょうど良かった。なあ、バーミーン。息子が一人で獅子を仕留めたと報告を貰ったら、嬉しいものか?」
「それは、とても嬉しいことにございます」
「そうか。じゃあサラミス宛の手紙に書くとするか。ところでバーミーン、お前の息子は名は? 年は幾つだ?」
「愚息は八つで、名はマヌーチェフルと申します」
「やはり武人になるのか?」
「おそらくは」
「そうか。ということは、いずれ会う機会もあるということだな」
「ラズワルド公のお目通りが叶う男になるよう、厳しく育てます」
「真面目だな、バーミーン。……で、ついに手紙を書くぞ。覚悟はいいか? ハーフェズ」

 バーミーンとの会話を終わらせたラズワルドは、焼きたての鹿肉を持ってきたバルディアーの腕を引き座らせ、肉を目の前においてから、ハーフェズに向き直った。

「俺の意見なんて聞く必要ありませんから、ラズワルドさま」
「お前の母親じゃないか」
「なんの話をしているのだ? ラズワルド」
「実はな、クーロス……」

 ハーフェズの母親ナスリーンが、未だにサラミスのことを好いているので、自分たちが神殿に入ったのを機に、ナスリーンをサラミスの元に送ろうと考えているのだと打ち明けた。

「サラミスが要らないって言ったら、それはそれで良いんだけどさ」
「毎年贈り物をしておきながら、要らないはないのではないか? ……多分だが」
「そうだよなー。あのさ、クーロス。もしもサラミスが、貰うって言ったら、ネジドまで連れて行くつもりなんだけどさ。その時、一緒に行きたいんだよ。サラミスには国境まで来て貰うことになるけど」

 神の子はペルセア王国から出ることはできないので、サラミスに国境まで出向かせる必要がある。

「そこに行くまでの隊を貸して欲しいと?」
「うん!」
「貸すのは吝かではない」
「じゃあ、期待してもいいと?」
「ああ。ただ国境まで行く際は、わたしも同行させてくれ」
「いいよ。でも国境で、ハーフェズが帰ってくるの待つはめになるけどな。ああ、王子。サラミスというのはな……」

 話が見えていないであろうアシュカーンに、サラミスがハーフェズの父親であることなどを教えた。