ラズワルドとハーフェズ、アシュカーン王子と出会う

 街の四分の一ほどを探索して帰ってきたラズワルドは、今度は祖廟内の墓室が並ぶ区画へとハーフェズとバルディアーを連れて向かった。

「朝みた時に思ったんだ。これ、滑り降りるのに丁度いいだろうって」

 ラズワルドは滑らかな曲線を描いている、大きな階段の手すりを叩く。

「滑り降りるんですか」

 生きている者の気配がほとんどない空間で、ラズワルドは遊ぶのだと言う。

「そうだ」
「少しずつ距離伸ばしましょうね、ラズワルドさま」

 バルディアーは危ないから止めたかったのだが、ハーフェズは少しずつ距離を伸ばしながらやろうと ―― 生まれた時からの付き合い故、止めたところで後でこっそり一人でやってきて、最上部から滑り降りをしでかすことくらい、ハーフェズには分かっているので、ラズワルドの希望に添いつつ、自身の希望も述べる。

「少しずつか……分かった! まずは、階段八段目くらいから行くぞ!」

 ラズワルドは余程でもない限り、無視するようなことはしないので ―― 階段を滑り降りないという選択肢はきっと無視するであろうが。
 手すりに抱きつくような形で、臀部を進行方向に向け、手すりを掴んでいた腕の力を抜き、ずるずると手すりを滑る。

「次は十五段くらい上から」
「待って下さい、ラズワルドさま。俺たちが安全を確認しますから」

―― え、俺たちって。俺も?

 そうは思ったバルディアーだが、ラズワルドの為に安全を確認するのは、護衛の役目と不満はなかった。彼の心中はどちらかと言えば驚きによるものである。その後、ハーフェズとバルディアーも混じり、幾つもの墓室が並ぶ空間に、楽しげな叫び声が響く。

「なんの声であろうか、ウセルカフ」

 ”ウセルカフ”に話し掛けた少年は、灰色の髪が肩口に掛かる程の長さで、深みのある青色の瞳を持っていた。肌は日に当たったことがないのかと思う程に白く、重い物など持ったこともなさそうなほど、線が細かった。

「子どもの笑い声のように聞こえます、アシュカーンさま」

 ”アシュカーン”に話し掛けられた少年ウセルカフは、黒髪に黒い瞳とペルセアで最も多い色彩を持ち、アシュカーンよりも背が高く、体付きもしっかりとしていた。そうは言ってもまだ少年なので、その年に見あった体格でもある。

「なぜこんなところで、子どもの笑い声が」
「分かりませぬ」

 亡き王のために祈りを捧げ、祈祷部屋から出てきたアシュカーンは、墓室が並ぶ空間とは思えぬ、生気に満ちた声に驚き、乳兄弟であるウセルカフも分からないとは分かっているが、思わず尋ねてしまった。
 滅多に人が立ち入れぬ祖廟で祈りを捧げていることから分かるように、アシュカーンは王族である。彼の父は明日即位するゴシュターブスの弟エスファンデル。
 母親は彼を産んで直ぐに亡くなったものの、正妃であった。そんなアシュカーンの側には乳兄弟のウセルカフしかおらず ―― 王家の墓室がある場所は、立ち入りがかなり制限されているので、王族といえども付き人は一人が限度なので、仕方の無いことだが、同い年乳兄弟が一人というのは些かおかしくもある。

 王孫ともなれば、もっと腕の立つ武人がつくもので、同い年の騎士見習いが、腰に佩いた剣の柄を握って辺りをうかがうのは、異様ともいえる。
 アシュカーンとウセルカフは注意しながら、笑い声のする方へと ―― 近づきたくはなかったのだが、生憎と出口はそちらにしかないため、どうしてもそちらへ行かなくてはならないのだ。
 警戒しながら向かった二人が見たものは、もの凄い勢いで手すりを滑り降りて来た神の子ラズワルドだった。
 ラズワルドは勢い余って手すりから飛び出し宙を舞う。深藍の長い髪が大きく広がり、首をも完全に覆っているメルカルト文様が露わになり ―― 空中で止まり、ゆっくりと床に降ろされた・・・・・

「精霊王、ありがとう。お前たちは、誰だ?」

 ラズワルドが降ろされた目線の先にいたのはアシュカーンとウセルカフ。二人はしばらく呆気にとられ、そして急いで跪拝する。

「申し訳ございませぬ、公柱。決して不埒な気持ちで此方に足を運んだでのはなく」

 神の子が途轍もなく不思議な力を使って遊んでいた所に、断りもなく立ち入ってしまったのだと、二人は心から謝罪する。

「それは構わん。で、お前たちは誰だ?」
「あ、あ……アシュカーンと申し」
「いいえ! メルカルト神に忠実なハミルカル僕です」

 ウセルカフが名乗ってはいけませんと、急いで声を被せた。

「気にするな。アシュカーンは王子だったか。それで王子の隣のハミルカルの名は」

 聞かれたからには名乗らねばと口を開いたウセルカフであったが、声よりも先にアシュカーンの腹の虫が大声で鳴き ――

 ラズワルドとアシュカーン王子の出会いであった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 死者に祈りを捧げる際は、半日近く食事をしないので、腹の虫が鳴くのはごく当然のことなのだが、神の子の前でそれをしてしまったことに、アシュカーンは恥じて顔を真っ赤にした。
 おそらく神の子が、同い年の女の子ラズワルドでなければ、アシュカーンもそれほど恥ずかしがらなかったであろう。
 ラズワルドは腹の虫が鳴こうが気にはしないが、そろそろ夕食の時間だったので、二人を食事に誘った。
 恐れ多いと辞退したかったアシュカーンとウセルカフだが、然りとて神の子からの誘いを断るなど、人如きに許される行為ではないので、ラズワルドたちと食事を取ることになった。
 ラズワルドは一段高い所に座り、ハーフェズとバルディアーと料理が並べられる食布を挟んだ向かい側にアシュカーンとウセルカフが腰を降ろす。
 召使いたちが料理を一皿ずつ、ラズワルドの前に運び、ラズワルドはそれを一口食べて、下に降ろすよう指示を出す。それを何度も繰り返し、四人の少年たちの前にはずらりと料理が並んだ。

「ラズワルドさま、まず何を持って行きましょうか」
牛肉の甘酢煮込みシクバージ
「はいはい」

 料理を運んできた者たちを下げ、あとはハーフェズが給仕の真似事をする ―― 普段であれば、同じところに並んで、自分で器に好きな料理を取って食べるのだが、一応王子を招いたので、正式とまではいかないが、それらしい席次でそれらしい食べ方を取ることにした。
 ハーフェズは牛肉の甘酢煮込みシクバージを盛り、ラズワルドの前に置くと自分の席へと戻り、同じく牛肉の甘酢煮込みシクバージを盛りつけ匙で口へと運ぶ。
 普段召使いが給仕しているため、料理を口に運ぶことしかできない王子は、どうしたものかと ―― ウセルカフはしたことはないのだが、先ほどのハーフェズの真似をして石榴のスープを器に盛るとアシュカーンに差し出す。
 受け取ったアシュカーンは、その器に口を付け ―― 吹き出した。
 ”噎せたのか”とラズワルドは軽やかに立ち上がり、アシュカーンの側に駆け寄り背中をさすったのだが ―― どうも、そうではないことに気付いた。だが彼が何故吹き出したのか? ラズワルドには分からなかった。

「味が合わなかったのか」

 アシュカーンは両手で口を押さえたまま”違う”と首を大きく振る。

「どうした?」
「申し訳御座いませぬ、公柱。悪いのは全てこのウセルカフですので、王子のことはお許しください」

 唐突に平伏して「王子を許してください」と言い出したウセルカフ。
 ラズワルドは首を傾げ、つられるようにハーフェズも首を傾げる。

「心当たりはあります」

 彼の性格上、かなり勇気の要ることではあったが、混乱した食卓を収めるべく、バルティアーが口を開いた。

「ほう! なんだ、バルディアー」
「まずは席にお戻りください、ラズワルド公。お食事が冷めてしまいます」
「そうか。あ、ハーフェズ。石榴のスープを」
「はい、分かりました」

 ラズワルドはアシュカーンが食べて吹き出した石榴のスープの味を確かめながら、バルディアーの話に耳を傾ける。

「間違っていたら、訂正してください」

 バルディアーはアシュカーンにそう言って、話し始めた。

「ラズワルド公、アシュカーン王子はおそらく温かいものを食べたことがないのです」

 羊の肉団子を食べていたラズワルドは、先ほどと同様に首を傾げる。

「なぜ、そう思ったのだ?」
「貴人は食事の前に毒味をします」

 バルディアーがかつていた男娼館にやってきた、それなりに身分のある者たちは、買った男娼に料理を食べさせ毒味をさせていた。

「それは聞いたことがある。毒を盛られていないかどうかを確認する係が居るんだろ」

 ラズワルドなど神の子には毒味はついていない。毒を盛られることもなく、もしもなにか危険なものが混じっていたとしても、彼らの目の前に並べられる前に、人智の及ばぬ力で排除されるようになっている。

「はい。その毒味の為、冷えてしまうのです」
「毒味を隣りにおいて、確認されたら直ぐ食べればいいのでは?」

 ラズワルドは聞いた物語で毒味係の存在を知っているが、それがどのように毒味をしているのかは知らないので、てっきり隣りに毒味係がいて、毒味が終わるとすぐに主が食べられるものだとばかり思っていたのだ。

「王宮などは、調理場と食事をする場所はかなり離れているはずです。料理を運ぶだけでも冷めてゆき、更にその間に何度か毒味が入るので、おそらく冷え切っているかと」
「なんだそれは」
「それに……これは想像なんですが……」
「想像でもなんでもいいぞ、バルディアー」
「王子はおそらく初めて熱いものを食べて、口内を火傷したと思われます。でも食べ慣れている俺たちでも、偶に火傷することがあります」
「火傷な、ふむ火傷。火傷なあ……話を続けてくれ、バルディアー」
「はい、ラズワルド公。それで王子が火傷をすると、責任問題とかになると思うんですよ。俺はあんまり詳しくありませんけど、多分そうではないかと。ですから、王子には火傷をしない、冷たいものを食べて貰ったほうが、召使いたちとしては楽なのではないかと」
「自分で食事をして負った口内の火傷なんぞ、自分の責任だろうが……それで、王子。バルディアーの答えは合っているか?」

 初めての衝撃から立ち直ったアシュカーンは、

「はい、その通りです」

 火傷の痛みを堪えながら答えた。

「なるほどな。王子はこれでも熱いのか。息を吹きかけて食べれば……したことないか」

 マリートが調理しているのを脇で見て「ラズワルド公、お味見をしていただけますか」と出来たての料理を食べていたラズワルドにしてみると、結構な距離を運ばれてくる料理は、食べやすい温度ではあるが、熱い料理には感じられないので、まさかアシュカーンが熱さに驚いてスープを吹き出したとは、思いもしなかったのだ。
 ラズワルドはアシュカーンの隣に移動し、桜桃と羊の肉団子の炊き込みご飯を器に盛り、匙ですくい息を吹きかけて、アシュカーンの口の前に差し出した。

「少し冷ましたから、食べられるはずだ。ほら、口を開けろ」
「あ、あ……は、ぎょ、御意」

 向かい側からマルメロの煮込みを食べながら、バルディアーは「うわああ」という気持ちを必死に押し隠した。
 そしてちらりと隣りのハーフェズをうかがうも、彼は全く気にせず麺入りハーブスープアーシュ・レシュテをすすっている。

 その後「もうできますので、公柱もお食事を」などとアシュカーンが言うも、隣に座って給仕をしながらラズワルドは食事を取り、

「温かい料理はどうだった?」
「とても美味しかったと……思います」

 食後尋ねられるも、神の子に給仕された衝撃で、味はほとんど分からなかった。ただ何時もの食事と違いとても楽しく、食の細いアシュカーン王子としては珍しく大量に食べた。

「それは良かった。ところで王子は狩りなんかはしないのか?」
「狩りですか……したことはございません」

 食事をしながら、焼きたての肉食べたことはないと聞いたラズワルドは「王子ならば、狩りをしてその場で捌いて食べるのでは」と ―― ラフシャーンがアシュカーンの従兄であるアルデシールとよく狩りに行き、獲物をその場で焼き、食べるのを好んでいると聞いていた。
 その話を聞いた時、ラズワルドは「楽しいもんな」としか思わなかったが、アシュカーンの話を聞き、アルデシールも冷たい料理よりも、野趣ではあるが温かい料理を食べたいのではないかと。そして王子ならば、狩りで焼きたての肉を食べることができるのではないか ――

「……というわけだ。おそらくアルデシールも食事に関しては似たような状況だろう。だからこそ狩りをして、獲物の肉をその場で焼いて食べているのだろう」
「狩りとは、そういうことをするのですか」
「そうらしいぞ。わたしも狩りはしたことがないから、聞いただけだけどな」
「ラズワルドさま、じゃあ明日は狩りでもしますか? もちろんラズワルドさまは、見ているだけになりますけれど」

 薔薇水を飲んでいたハーフェズが、祖廟都市の近くには狩り場があること、祖廟に参った王族の男子は、そこで狩りをよくしていることなどを伝えた。

「近場で遊べるところも、バルディアーと一緒に捜しておいたんですよ。狩りはラズワルドさまの興味の対象外かなと思ったんですけど、どうします?」
「そうだな。狩りを間近で見るというのも、悪くはないな。どうだ? 王子も来るか」
「ご一緒してもよろしいのですか?」
「ああ。獲物はその場で捌いて、焼いて食べる。焼きたてというのを一度経験してみろ。火傷には気を付けてな。王子が口内に火傷を負っても、わたしは責任取らぬからな!」
「そんな怖ろしいこと」
「冗談だ」

 室内にアシュカーンの笑い声が響いた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 ラズワルドはアシュカーンを誘ったあと、ハーフェズとバルディアーにもっとも重要なことを尋ねた。

「ところでハーフェズ、バルディアー。お前たち二人で、確実に獲物を仕留められるか?」

 アシュカーンに獲物を振る舞うと約束した以上、確実に獲物を仕留めねばならない。

「確実は無理ですね」

 ハーフェズは弓の訓練をしているものの、とくに重要視されていない。それというのも、ハーフェズは弓を使う場面がほとんどないのだ。
 ハーフェズはラズワルドの護衛であり、ラズワルドから離れることはない。例えばどこかで野営をすることになり、食糧が乏しいので狩りをする……となった場合でも、ハーフェズが出向くことはない。彼はその際でもラズワルドの側にいなくてはならない。
 どちらかと言えばハーフェズは、ラズワルドをさっとすくい上げ、自身の馬に乗せて逃げるような乗馬技術や、後々隊長となることが決まっているので、配下を使う指揮官としての能力を磨くよう教育されているため、弓は後回しになっていた。

「弓は苦手でして」

 バルディアーはハーフェズよりも弓は苦手であった。彼は十一歳まで馬に乗ったこともなければ、文字も書けなかったので、武装神官になるために必要なこの二つを、二年間重点的に学び乗馬は人並みになった。
 文字に関しては十を超えてからの手習いは、かなり大変なことだが、バルディアーは買ってくれたジャバードの信頼に応えるべく、必死に努力をしてまだ若干怪しいところはあるが、非識字者からはなんとか脱した。
 またジャバードはバルディアーを買った際に「剣とか振るえるんですか」と聞かれ「もちろん」と答えたことを忘れてなどいなかったので、まず第一にバルディアーに剣術を教えてくれ ―― こちらも弓は後回しにされていた。

「そうか。よーし、ヤーシャールに頼みに行くぞ」

 ヤーシャールに、明日狩りをし絶対に獲物を仕留めて食べたいので、付き合ってくれと頼みに行った。