ハーフェズ、宝剣を抜く(すぐに戻す)

「この青い尖塔は、俺たち神の子と、神の子が認めた者以外は立ち入ることはできないことになっている」
「ここに宝剣があることを覚えておいてくれ」
「わたしたち以外に、宝剣の在処を知っているのはペルセア王と王になる者、そして祖廟を預かる神官長。この壁が異なる空間に繋がること、開けることが出来るのは我々と宝剣だけであることを知っているのは、神官長だけとなっている。神官長が死に代替わりした際に、我々が教える形を取っているから、ラズワルドが神の子の長になった時には、教えてやるんだぞ」

 ヤーシャールたちから説明を聞いたラズワルドは、

「分かった! あのさ、ハーフェズにあの宝剣抜かせて、あのオパールに似た壁が本当に開いて、そして閉じられるのか確認したい!」

 本当に宝剣にそんな力があるのか、この目で見てみたいと言い出した。

「確認なあ」

 宝剣はペルセア王家の宝で、おいそれとは他者に触れさせるわけにはいかないのだが、

「わたしが一人だけになってから、何らかの事情で”宝剣で開けられるぞ”と教えたのに、実際は開きませんでしたじゃ困るだろ? 一人だから魔物退治に出向いていることだって考えられるしさ」
「ラズワルドの言い分も一理あるな」

 いずれ一柱きりになる可能性があるラズワルドにとって、宝剣が持つとされている力が本当にあるのかどうか? 確かめておきたいと考えるのは、ごく普通のことと言える。
 そこで ――

「ハーフェズ! 重要な任務がある。中に入れ。カイヴァーン、バルディアー、さらに確りと見張っていてくれ!」

 ラズワルドは有無を言わせず、ハーフェズの腕を掴んで尖塔に引き入れた。そのまま引っ張られ、足をもつれさせながら、ハーフェズは布が掛けられている壁の前までたどり着く。

「その布を捲るんだ、ハーフェズ」
「分かりました、ラズワルドさま……壁があります」
「じーっと見てみろ」
「分かりました……………………壁は壁です。この塔内では浮くくらい殺風景ですけど」
「なにか感じないか?」
「とくに何も感じません」

 武装神官団でただ一人だけ、遠くの屍食鬼に気付いたハーフェズだが、さすがに人が住む場所ではない所にあるものの存在を、察知することはできなかった。

「そうか。見てろ、ハーフェズ」

 神の子たちには黒オパールによく似た壁に見えるそれ・・に、ラズワルドが触れ、先ほど同様に空間が開ける。

「うわあ! なんですか、これ!」
「精霊王が作った空間。中心にあるのは、ペルセアが魔王を封印するために使った剣。聞いた話によると、宝剣を作ったのも精霊王」
「へー。凄いですねー。でもこれって、俺が知っちゃ駄目な話では?」
「実はな……」

 ラズワルドは先ほど神の子たちから聞いた話を、怒濤の如く語り、

「俺はあの剣を抜いて、この空間をこちら側・・・・から閉じられるか? そして開くことはできるのか? を確認すればいいんですね」
「そうだ」
「畏まりました! でも宝剣ってペルセア王家の血を引いていない人間でも抜けるんですか?」

 子ども向けの物語では、宝剣を使えるのはペルセア王族のみとされていることを思い出したハーフェズが、まずもって台座から抜けるのか? と、ラズワルドに尋ねたが、

「さあ」

 返ってきた答えはいつも通り。

「さあ……って、ラズワルドさま」
「それも確認できるじゃないか。なにより、それを確認するのに、お前ほど適任者はいないぞ、ハーフェズ。王家といえばご落胤はつきもので、市井には王家の血が流れている者がいるとかいないとか……等と言う話は昔から語られている。だがハーフェズはペルセア王家の血は一滴も入っていないだろ」
「でしょうねえ」

 ハーフェズの父親はサータヴァーハナ王国の名門貴族の出で、自国の王家から嫁を貰うことのあるほどの名家だが、サータヴァーハナ王家がペルセアを含む外国の王女を娶ったことは一度もない。
 ハーフェズの母親はアマゾン海の遙か北、サルマチア地方の生まれ。王女は当然嫁いでいないし、王子が行ったという記録もない。ラズワルドが語ったように、落胤がアマゾン海の北まで渡った可能性は否定できないが ―― ペルセア王家の血が流れている可能性は限りなく低い。

「もしもハーフェズが宝剣を抜けなかったり、抜けても言い伝え通り入り口の開け閉めができなかったら、ホスローが言ってたアシュカーン王子でも連れてくるさ」
「その王子さま、どこから連れて来るんですか?」
「ここに居るらしいぞ」
「そうなんですか。……王子さまといっても、特別な気配がするとかないんですね」

 ラズワルドがアシュカーンについて聞いていた頃、ハーフェズとバルディアーは必死に馬を操って祖廟都市を目指しており ―― 到着後は、食事と風呂で精一杯で、話を聞く余力などなく眠りに落ちたため、アシュカーンという王子が祖廟に来ていることを知らなかった。

「というわけで、付いてこい、ハーフェズ!」
「分かりました、ラズワルドさま!」

 下町にいた頃、近所に遊びに行く時の掛け声と返事そのままに、二人は異なる次元へと飛び込んだ。

「すっごい煌めいている空間ですね、ラズワルドさま……ラズワルドさまの耳飾りイヤーカフって、この壁材なんですかね?」
瑠璃石ラピスラズリフェロザーターコイズも壁を飾っているんだから、精霊王が不思議な壁材で耳飾りイヤーカフ作っても、問題はなかろう」
「そうですね。じゃあ宝剣抜きますね」

 ハーフェズは台座に昇り、柄の根元を両手で握り、背伸びして宝剣を引き抜く。

「わりとあっさり引き抜けたな」

 ハーフェズが台座から宝剣を引き抜く際、眩い光が現れるなどということはなく、ただ滑らかに「つるん」という音がしそうなくらい、抵抗なくその刀身を現した。

「そうですね」
「よし、ハーフェズ。それを持って戻り、閉じてみろ。わたしはこっちから、先ほどと同じかどうか確認する」
「分かりました」

 ハーフェズは宝剣を持ち、元の世界へと一人で引き返し、直ぐ近くにいるが、実際はペルセア王国の端から端よりも、遙かに遠いところにいるラズワルドに向き直る。

「ラズワルドさま、宝剣を使って、どうやって閉じるんですか?」 
「……」

 宝剣で空間の境を閉じることができるとは言われていたが、どうやって閉じているのか?

「……」
「ヤーシャール、どうやって宝剣で閉じるの!」

 ラズワルドに聞かれたヤーシャールは右隣にいたホスローの方を向く。群青に金が遊ぶ瞳はどちらも泳ぎ ―― 彼らの後方にいる、神の子の中でとくに知識が豊富なクーロスのほうを見る。
 二人に見つめられたクーロスは、首を小さく振り、知らないと意思表示をする。彼らは「そういうものだ」とは聞いていたが、人間を連れてきて宝剣を抜いて試してみることまではしていなかったのだ。

「済まない、ラズワルド。分からん」

 ラズワルドを含む彼ら神の子は、宝剣がなくても開け閉めできる上に、宝剣を掴むことができないので、細かいことは知らなくても良かった。

「そうか。ハーフェズ、思うがままにやってみ……いや、ハーフェズ宝剣の柄、刀身の反対側に、石か何か埋め込まれていないか?」
「とくには」

 宝剣は柄は黒一色、刀身は細身でやや湾曲しており、刃の輝きには何者をも寄せ付けぬ強い光を持ちながら、妖しさも感じさせるものではあるが、装飾などは全くない ――

「いや、ハーフェズ。柄頭に、なにかあるぞ」
「そうなんですか? ヤーシャールさま」

 ただ人間の目にはなにもないように映るだけで、それ以外の者にはまた別の姿を見せていた。
 その一つが柄頭に埋め込まれている橙色の石。その奥の方で光が揺らめいているのが、神の子には見えたが、持っているハーフェズには、ただの黒一色の柄にしか見えない。

「ハーフェズ、ヤーシャールが言った柄頭の方で、境界線を叩いてみろ」
「分かりました」

 ハーフェズは柄の上下を逆にして、刀身を後ろに柄頭をラズワルドが居る方角に向け、違う世界との境を突く。色とりどりで無数の円環が突如現れ、そして入り口はハーフェズからは、石の壁にしか見えないそれになった。

「開ける時も柄頭で突けばいいんでしょうか?」
「……試してみてくれ、ハーフェズ」

 柄頭で突いても、刀剣で切る真似をしても、入り口が開くことはなく、結局クーロスが境界線を開いた。

「宝剣、返してきますね」
「おう」

 空間の境が開くとハーフェズは直ぐに宝剣を台座に戻し、そして二人で宝剣の置かれている空間から出て、境界線を閉じた。

「開けられないのか」
「そのようだ」

 そしてラズワルドに宝剣は「封じる」ことはできるが「開く」ことはできなかったことを伝えた。

「王族なら閉じられる……という可能性はないか?」
「クーロスが言いたいことは分かりますが、そもそも開く能力は必要ないのでは?」
「どういうことだ? ホスロー」
「宝剣は魔王を封印する為のものですからね。封印を解く力を持たせる必要はないのでは? もっと言いますと、精霊王は人間のことを信じていませんから、封印を解く力を与えるとは考え辛い」
「なるほど……たしかに、戦い封じる力は与えても、解放する力を与える必要はないな。ところでラズワルド、先ほどなぜ柄頭に石が埋め込まれているのではと発言したのだ?」

 ラズワルドの八歳年上にあたるクーロスは、知識欲が旺盛で、ファルジャードとも話がよく合ったくらい、神の子の中でも「人間の社会」または「人間が住む世界の法則」などに関して、良く知っている。
 そんなクーロスが知らなかったのに、何故かラズワルドには心当たりがある ――

「それか。クーロスはペルセアが魔王を封印する話を幾つ・・聞いた・・・ことがある?」
「幾つ聞いた? ……聞いたことはないな。書を目を通しただけだ」

 クーロスの頭脳は優れており、また生まれてすぐに神殿に入ったこともあり、ラズワルドのように、物語を聞くことはなかった。

「ペルセアが魔王を封印した話、これは大筋は同じでも、口伝だから随分と異なるもんだ。とくに話の構成がな、仲間集めに重点を置いているもの、魔王との戦う場面が長いものなどでな、重点を置いてないところは、簡単に終わってしまう。大体魔王封印の物語りは、いま言った二つが主軸になるんだが、一つだけ魔王を封印する場面が、丹念に語られた物語があったんだ。戦う場面はほとんどなくて、仲間集めも特になくて、すごく変わった魔王封印話だなと、記憶に残った。その話の中に、柄頭に封印に必要な石がはめ込まれているとあったんだ」

 この時代は識字率は低く、書物は知識層のものであったため、物語を文字で記して残すという発想はなく、子どもたちが聞く物語はすべて口伝であった。そのため、重要な部分が消え去っていることも多いが、稀に公式記録には必要無いと省かれてしまったものが残っていることもある。

「重点……ああ、なるほど。わたしが読んだのは歴史書ですから、ペルセアが魔王を封印したことを知らしめるためのもので、どのように封印するのかなど、周知する必要のないものは、省かれてしまったのですね」
「そうなんじゃないか?」
「ちなみに、魔王の封印について、詳しく語っている話をしてくれたのは誰ですか」
「メフラーブ。メフラーブが言うには、仲間集めの場面が雑だから、女の子に人気は無く、戦う場面もおざなりだから、男の子にも人気のない話だったから、徐々に廃れたらしいよ。でもメフラーブは、この話が好きだったんだって! メフラーブに言わせると、もっとも重要な部分だって。まさか、本当に重要だったとは、聞いた時は思いもしなかった!」
「では、メフラーブ殿は誰から聞いたのですか?」
「ん? ……スィミンは知らなかった。リリおばさんは聞いたことないって言ってたし」

 ラズワルドは指を折りながら心当たりの名前を挙げるが、思い当たる節は浮かんでこなかった。

「ハーフェズは覚えているか?」
「知らないです……けど、メフラーブさまって、子どもの頃、昔話とかまず聞かない子だったって、お祖母さま言ってませんでしたっけ?」

 ラズワルドは旅行記を聞くのも好きだが、物語を聞くのも大好きで、メフラーブの母親が語ってくれる物語を熱心に聞いていた。その好奇心に満ち、目を輝かせている姿に、メフラーブの母親が笑いながらそう教えてくれたことがあった。

「そうだったな。ナスリーンじゃないのは確かなんだよな」

 ハーフェズの母、ナスリーンはゴフラーブに見込まれていたので、男の子の乳母となるべく、男の子が好む物語を覚えており、彼女が語る魔王に関する物語は戦う場面の多いものであった。

「帰ったら、メフラーブさまに聞いてみたらいいのでは? メフラーブさまなら、覚えていますよ」
「それもそうだなー。クーロス、ちょっと待っててくれ」
「ああ」

 そんな話をして彼らは尖塔から出で、当初の目的である街へと散策に向かった。