ラズワルドたちは開かれた門から祖廟都市へと入った。祖廟へと至る大通りには、祖廟都市の住民たちが出てきて、国王の柩に頭を下げる ―― 都市内を進むときは駈歩ではなく常歩でゆったりと進む。
柩に座り正面を見ているラズワルドは、祖廟都市に入る前から、ある違和感を覚えていた。その違和感は、目の前にある祖廟を見て確信に変わった。
それは「善し悪し」ではなく「何故ここに、それがあるのだ」というもの。
―― 葬儀が終わったら聞いてみよう
「お待ちしておりました」
祖廟正面でラズワルドを出迎えたのは、この祖廟を管理している神殿長ジャラール。十歳のラズワルドからすると、何時死んでもおかしくないように見える老人。
彼の案内の元、ラズワルドは柩に座ったまま、屈強な兵士たちに担がれ、魔払香が焚かれている墓室まで運ばれた。
墓室には柩を収める槨が用意されている。この槨に収めるのは翌日で、それまで柩は墓室に置かれる。
まず第一の仕事が終わったラズワルドは、風呂へ行き旅の垢を落とし、中庭の池の側で水を飲み一息ついていると、
「大きくなったなあ、ラズワルド」
回廊奥から声を掛けられた。
「ん? …………ああ! ホスローか!」
誰かと声がした方と思しき方向を見つめると、額に神の文様を持つ背が高めな男性が現れた。ラズワルドには見覚えがない神の息子だが、向こうはラズワルドを記憶しているとなると、ウルクにいるホスローしかいなかった。
「そうだよ。ああ、本当に大きくなったなあ。会った時はこの位だったのになあ」
ラズワルドの隣に座ったホスローは、赤子だったラズワルドを抱き上げた時のように腕を動かす。
赤子だった頃の自分 ―― メフラーブが語るラズワルドは、なにをするにも、いつも豪快に涎を垂らしているが但し書きのようについていたことを思いだし、
「あれから十年経ってるからな! わたしは覚えちゃいないがな! ところでホスローは、なんでここに居るの?」
きっとホスローも涎まみれにしてしまったに違いない。そんな過去はなかったことにしようと、直ぐに話を切り替えた。
「王都に戻るのだよ」
「ホスロー帰ってくるのか! でも、
「必要はないが、急ぎでもないので、アシュカーン一行に同行したのだ」
「アシュカーン……って誰?」
「ゴシュターブスの弟エスファンデルの息子。アシュカーン王子だ」
「へーそいういう王子も居たんだ。その王子はなんでここに来たの?」
「葬儀を執り行う為だ」
「ふーん、スィミンが喜ぶような王子かな……なあなあ、ホスロー。ウルクのこと、教えてくれ!」
スィミンが「王子さま」という生き物に憧れていることを、ラズワルドは知っている。そしてラズワルドは「王子に会いたいから、連れて来い」と命じれば叶えられる力を持っている ―― だが、王都にいるアルデシール王子は、ラフシャーンの話を聞く分に美形なのは分かったが、スィミンが会いたい王子さまとは何が違う感じがし、明日即位するゴシュターブス王子も父親よりも年上ゆえ、スィミンが憧れる王子さまとは違うので、どちらも呼ぶことはなかった。
もっともアルデシールは、ラズワルドが神殿入りする際、輿を担いだ一人であったが、スィミンは担ぎ手など目もくれずラズワルドを見つめていたし、担がれていたラズワルドも担ぎ手のことは気にしていなかったので、まったく認識していない。
個人的に「王子」という生き物にとくに感心のないラズワルドは、アシュカーン王子には微塵も触れず、ホスローがしてくれるウルクについての話を楽しく聞き、ハーフェズやバルディアーについて語っていると、祖廟に赴任していたクーロスとヤーシャールがやってきた。
場所を移動し四柱で軽く飲み食いしてラズワルドは墓室へと戻った頃には、日もかなり傾いていた。
「じゃあ明日な」
「ハーフェズとバルディアーに、蒸し風呂に入って疲れとって寝るように言っておいてくれ、ヤーシャール」
ラズワルドは入り口が開けっ放しになっている墓室で、国王の遺体を守り一晩過ごすことになる。そしてハーフェズとバルディアーは例によって遅れており、まだ祖廟には到着していない。
「分かった。そうそう、ラズワルド。不寝番は同行していた中将軍殿に任せた」
「カイヴァーンとかじゃないんだ」
「カイヴァーンでも良いが、折角の機会だ。武人に色々と聞いてみたいだろうと思ってな。質問されたら答えるよう言っておいたから、答えられる範囲であれば、答えてくれるであろうよ」
「気が利くな、ヤーシャール」
「まあな」
国王の墓室に入ったラズワルドは、壁の装飾に触れてみたり、魔払香が敷き詰められている槨をのぞき込んだり、墓室内を隈無く見て回っていた。
そうしていると声が掛けられ、振り返ると開け放たれている入り口に、この葬列で一緒だった軍の責任者が膝をつき頭を下げていた。
「失礼いたします」
「ん? ああ、不寝番してくれる中将軍か」
「はい」
ラズワルドは国王の柩に腰掛ける。
「たしかバーミーンだったか」
旅の前に自己紹介していたので、ラズワルドも名前だけは覚えていた。
「公柱にお名前を覚えていていただけるとは、まことに光栄にございます」
だが祖廟にいたる三日間、バーミーンは立場を弁えて話し掛けてくることもなければ、近づいてくることもなかったので、話す機会はなかった。
「バーミーンは幾つだ?」
無論不寝番はバーミーン一人だけではなく、ラズワルドから見えないところに十名ほどが槍を持ち控えている。
「四十になりました」
バーミーンは跪いたまま、聞かれたことに答える。
「そうか。わたしは十歳だ」
「存じております」
「ははは、そうか。バーミーンは何処の生まれだ?」
「バスラ地方にございます」
「バスラって王都から見てどの方角だ?」
「南西の方角にある、ペルセア湾に面した、湾岸都市にございます」
「湾岸都市ということは、アッバースの近くか?」
「いいえ、かなり離れております」
「そうなのか? あそこもペルセア湾に面していると聞いたが」
「ペルセア湾は幅はそれほどではありませんが、長さはあるのですよ、ラズワルド公」
「そうなのかー。今度地図でも見せてもらおうかなあ。そうそう、湾岸都市出身ってことは、海軍についても詳しいのか? バーミーン。知ってたら教えてくれ」
「詳しいというほどではございませぬが、一通りのことは知っております。まず海軍はアッバースに駐留しております」
そこからしばらく、海軍に関しての説明が続いた。―― ラズワルドは書物でしか海を知らないし、バーミーンは詩人ではないので、軍船に乗って見るペルセア湾に沈む太陽の美しさを語られても、地平線に沈む夕日しか想像できないのだが、それでも感嘆の声を漏らした。
「アッバースに行ったら、軍船に乗れるかな」
「それは、わたくしめには答えられませぬ。公柱はアッバースに行かれる予定がおありなのですか?」
神の子に質問など褒められたことではないのだが、バーミーンは思わずラズワルドに尋ねてしまった。
聞かれたほうは、無礼もなにもどうでもいい雑な性格なので、行く理由込みで教える。
「ある……というか、力の制御をパルハームに教えてもらうために、アッバースに行かなけりゃならんのだ。力って
ラズワルドは無造作に手のひらに、先日ヤーシャールに「百万匹の屍食鬼がいても過剰だ」とされた球体の倍以上ある聖なる力を出した。
ずっと頭を下げた状態のバーミーンだが、自分の頭上から降り注ぐ、冷たさとはまるで違うのだが冷気としか表現できない、身を切るようななにかに、思わず呼吸が詰まる。
「公柱それを」
「仕舞ったぞ。どうにも力が強すぎてな。もう少し上手く制御できないと、人間にも被害が及ぶ。それを避けるためにも、アッバースにいるパルハームに習いに行くことになっている。いまはパルハームに習う以前の状態らしいがな」
「そうで御座いましたか」
話が途切れたところで、石造りの墓室が並ぶ回廊を歩く、子どもの軽い足音が聞こえ、
「お話中のところ失礼します。ラズワルドさま、無事到着し風呂にも入り食事もとりました。ご指示通り休みますので」
遅れて到着していたバルディアーとハーフェズが、顔を出した。
「しっかり体を休めておけよ。霊廟都市内を全部見て回るんだからな」
「お供はしますけれど、そんなに欲張らなくても。いずれ、定期交代で来られるんですから」
「それとこれとは別。バルディアーも休め。明日は二人とも早起きしなくていいからな」
「はい。お休みなさい、ラズワルドさま」
「先に休ませていただきます、ラズワルド公」
二人は不寝番の兵士たちに「お願いします」と頭を下げて、また軽い足音を立てて墓室から遠ざかった。
「もっと話を聞きたいところだが、わたしはあの二人とは違って、明日起きなくてはならないから、そろそろ寝るか。楽しかったぞ、バーミーン」
「勿体ない御言葉」
ラズワルドは墓室に用意されている寝具に横たわり、布団にくるまるとすぐに寝息を立てた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、ラズワルドは槨に収められるまで国王の柩に再び座り ―― 無事に収められたところで任務は終了した。
あとは神官長などが儀礼を執り行う。これらの儀礼は約一週間ほどで、それが終わると葬列の一団は王都へと帰還する。それまでラズワルドは自由であった。
「ラズワルドさま」
「ハーフェズに、バルディアー。どうしたんだ?」
「お腹空いたんで、目が覚めました。ラズワルドさまも朝食ですよね」
「まあな。じゃあ食うか!」
豪勢な朝食を取り終え、都市内の見取り図を見ながら、今日は何処に行こうかと作戦会議中のラズワルドたちの元に、ヤーシャールにホスロー、クーロスの三柱から、
「教えておかなければならないことがある」
「これさえ終われば、帰るまで遊びを満喫できるぞ」
「ラズワルドがここに来ることは滅多にないでしょうけれど、覚えておいて貰わないと困るので」
”これ”だけは済ませてから遊びに行くよう言われたので、ラズワルドは二人を連れて、彼らの後を付いていった。
連れて行かれたのは尖塔。
「ハーフェズとバルディアーは、カイヴァーンと一緒に待っていてくれ」
「畏まりましたヤーシャールさま」
そこに既に待機していたカイヴァーンに二人を預け、神の子だけで青い尖塔内に足を踏み入れる。
「……ん。ああ、コイツか! この壁を覆っている布の向こう側に、なんか変なものあるんだろ!」
入って直ぐ、ラズワルドはメルカルト紋が刺繍された大きな布で覆い隠されている、右側の壁を指さした。
「気付いたか」
「この町に入った時から、違和感があったんだ。で、この布の向こう側はなんなんだ? ヤーシャール」
「めくって見てみるといい」
言われた通りラズワルドが布をめくると、そこにはタイルで覆われてもいなければ、漆喰も塗られていない、透かし彫りの壁でもなければ、飾り窓もなにもない殺風景な石壁があるように「普通」は見えるのだが、
「なにこれ? 黒に近い濃紺で、赤くて橙で緑って、黒オパールみたいな。いやこれよりもっと輝きが……精霊王?」
ラズワルドは自分の黒オパールの耳飾りを触り、呆気にとられた表情を浮かべた。
「それに触れてごらん」
「分かった、クーロス」
言われた通り力強く、煌めく壁に触れると、それは消え去り、地下神殿の一室によく似た空間が現れた。
室内全体が淡い光を放ち、その中心には台座に刺さった剣がおかれていた。
「入っていいの?」
「もちろん」
突如現れた不可思議な空間だが、こういったことを怖がるラズワルドではないので「もちろん」と言われるや否や、躊躇い一つなく飛び込んだ。
その後ろにヤーシャールが付いてくる。
ラズワルドが壁に触れると、壁は光の波紋を描く。きょろきょろと辺りを見回しては、壁に触れるを繰り返しながら、ラズワルドはこの空間はなんなのか? 尋ねた。
「宝剣を保管しておく空間だ」
「宝剣……ってことは、初代ペルセアが魔王を封じた時に使っていた剣ってこと?」
「そうらしい」
初代ペルセア王は、宝剣を授かり魔王を封印したと伝えられており、その剣がいまラズワルドの目の前にある。
ラズワルドの膝ほどの高さまでの台座に、抜き身の剣が三分の一ほど刺さっている。
「へえー。台座から抜いてみてもいい?」
台座に刺さっているため、柄はラズワルドの頭より上にあるが、剣はやや湾曲している細身のものなので、ラズワルドでも抜いて構えられそうに見えた。
「わたしたちには抜けないぞ」
「なんで?」
「宝剣は人間以外には抜けないようになっている。わたしも初めてここに来た時、抜いてみようとしたが無理だった。というより、掴めない」
「ほー」
ヤーシャールの言葉を信じていないわけではないが「掴めない」とはどういうことかと、ラズワルドは台座に昇り柄に手をかけた。すると手が、ラズワルドの手は柄を通り抜け、柄の中心で握り拳を作っているような状態になってしまった。
「お? おお? おおお!」
「柄はそこに確かにあるのに、不思議だろ」
「うん!」
ラズワルドは刀身にも触れてみるが、柄と同じくラズワルドの手はすり抜ける。
「ラズワルドに覚えておいて欲しいのは、あの壁を開きこの空間とつなげることができるのは、我ら神の子とそこにある宝剣だけ。そして……閉じてくれ、ホスロー」
ヤーシャールに言われてホスローが入り口の空間を閉ざす。
「内側からは、わたしたちでも開けられない」
「宝剣を使っても?」
「おそらく」
開かないと言われた壁に、ラズワルドは先ほどと同じように手を触れる。だがその壁は全く開く気配がなかった。
「不思議だな」
「そうだろ」
「不思議と言えば、この宝剣。なんでこんな所にあるの? 宝剣なんだから、王宮に飾っておけばいいんじゃない? なんかこう、力とかあるんじゃないの? 場所が場所だから感じ取れないけど」
「それなんだが、この宝剣は精霊王が魔王を倒すために作ってくれたものなんだそうだ」
「なんで? あいつ人間嫌いじゃないか」
「そこに至る細かい事情は、ラズワルドがもう少し大きくなったら教えるが、宝剣を作ったのは精霊王で、魔王を倒せる
「ああ、
「宝剣はここに空間ごと出現したそうだ。だから最初はここに王宮を建てようかという話になったのだが、飲み水の問題から、ここはそれほど大人数が住める場所ではないので、祖廟とそれを取り囲む城塞を作り、少し離れた位置に王都を作ったとのことだ。わたしたちがここに来るのは、魔物が宝剣破壊を狙い軍勢を送ってこないとも限らないので、その対策としてだ」
「魔物は分かるが、
「たしかに倒せないわけではないが、倒すまでが面倒だな。まあ一応ラーミンも、神の子には手を出さないくらいの分別はあるらしいぞ、ラズワルド」
「なるほどね。ま、ラーミンの良識とか、真夏に振る雨よりなさそうなものだが、期待しておくとするか」
外にいたクーロスが機会を見て空間を開き、二人は外へと出た。