王家の墓所である祖廟は、周囲に城壁を巡らせた、城塞都市でもあった。
中心には王族の埋葬場所である祖廟と神殿、その周囲は豊富なわき水を使い農業と牧畜が行われているため、籠城することも可能で、過去何度か籠城戦が行われた。
祖廟には王の遺体と共に埋葬される高価な副葬品があるため、盗賊団の襲撃に備えて三百ほどの兵士が駐留しており、その彼らや神殿に勤めるものたちの食糧などは、城塞都市内でほぼ賄われていた。また彼らの食糧を賄っている者たちの食糧も、都市内でほぼ足りている。
また裕福な城塞都市でもある祖廟には、当然ながら商人たちが立ち寄ることも多く、彼らも野営地を使うことはあるのだが、基本こういった場所は軍隊などのほうが優先順位が高いため、国王の亡骸を祖廟へに埋葬するための葬列が滞在している場合、彼らは水だけ汲ませてもらい離れた場所で休む。
木々や下草がまばらに生えている二日目の野営地。天幕は張り終わり、夕食の準備もほぼ終わっている。
―― お腹空いたなあ
儀式用の服をまとい、長いヴェールを被ったまま柩の上で仰向けになっているラズワルドは、空腹を覚えながら黒から深藍に変わった髪を一房握り、まじまじと見つめる。
ラズワルドが空腹を我慢しているのは、ハーフェズとバルディアーがまだ野営地に到着していなからである。
「お腹空いた、お腹空いた」と空を見上げながら、心の中で呟き続け ―― 馬蹄の音が聞こえると、ラズワルドは勢いよく起き上がり、自分たちが来た方向に視線を向ける。
そこにはハーフェズとバルディアーに、遅れた二人が道に迷わぬように随行してくれた、ヤーシャールの部隊の武装神官が五名がやっと姿を現した。
葬列からかなり遅れて到着した二人は、ラズワルドがいる所までやってきて馬から降り、遅れたことを詫びた。
「今日も遅くなりました」
「明日こそは遅れないように頑張ります」
「オフムエル隊、ありがとうな」
「勿体ない御言葉」
ラズワルドは同行してくれたオフムエルの隊に感謝を告げてから、柩から飛び降りる天幕へと向かう。
「馬に餌と水やったら、食事運んできてくれ。お前たちの分もな」
祖廟は王都から北に三日半ほどの所にあるのだが、この三日半は馬の駈歩での距離を指す。国王の葬送に従う五百の武装神官団、それとほぼ同数の国軍、全てが騎兵で構成されている。
国王の葬列ゆえ、どの兵士も乗馬の技術に長けている ―― そんな一団の中、馬は立派だが乗馬技術の足りないハーフェズとバルディアーは、その一団を形成する一員でいることができず、前日もかなり遅れて到着していた。
騎兵としての経験がない二人なので、こうなることはヤーシャールも分かっていたので、遅れたら補佐するよう隊に指示を出しているので、とくに問題なくここまでやってきた。
「ラズワルドさま」
「どうした? ハーフェズ」
「あっちのほうに、変な気配を感じるんですけど、ラズワルドさま分かります?」
”ラズワルドが空腹を我慢して待っていることを知っている”ハーフェズが、食事を取ることよりも先に、西の方角を指さした。
ハーフェズがそう言ってくるのだから ―― 言われたラズワルドは、そちらを向き目を閉じて気配を探ってみたが、特に何も感じなかった。
ただラズワルドは自身の力が強大なため、小さな変異を見落とすことが多い。
「魔物の気配がする……ということか?」
「魔物に遭遇したことがないので、はっきりとは分からないんですけど、人間ともラズワルドさまたちとも違う
ハーフェズは乳飲み子の頃から「泣き虫」だったのだが、その半分近くは、この勘の良さからなる得体の知れない恐怖であった ―― 無論ハーフェズも覚えていないが、とにかく違和感を察知する能力に優れていた。
そんなハーフェズだが、魔物そのものを見たことはない。
なにせいつもラズワルドの側についているため、魔物が近寄って来ないので、見ようがないのだ。ラズワルドの側にいる限り、魔王直属の魔物どころか、魔王ですら目視で確認できるかどうか。
そして先日、ラズワルドと共に地下神殿の最下層までたどり着いた彼は、その能力に磨きがかかった。
むろん、かけてくれと頼んだ覚えもなければ、かかった覚えもないのだが、とにかく遠くの魔物の気配に気付けるようになった。ただ気付けるのだが、
「結構遠くまで平原だよな」
「そうですね」
「あの山の向こう側とかか?」
「どうでしょう」
それがどこなのか、さっぱり分からないのが難点であった。
「でも、ハーフェズがそうだって言うんだから、なにか居るんだろう。待ってろ」
ラズワルドはそう言い、今度は目を凝らす。すると
「この辺りか?」
ラズワルドが独り言を呟くと、
「もう少し左です、ラズワルドさま」
ハーフェズが答えた。
「ハーフェズも見えてるのか?!」
「はい! あれ? ラズワルドさま見せてくれたんじゃないんですか?」
「この力を使ったのは初めてだから、よく分からんが……まあいい、左だな。ゆっくりと動かすぞ…………おっ! ヤーシャール! ヤーシャール! 屍食鬼の巣穴があるぞ。卵が一杯ある! 凄いじゃないか、ハーフェズ!」
「うわ、気持ち悪い……でも、多分
ヤーシャールも目を凝らし、辺りの気配をうかがうも、彼もラズワルドと同じく神聖な力を所持しているため、小さな魔物の気配には疎い。
「屍食鬼の巣があるのか。退治したいが、場所がはっきりと分からぬことにはな」
屍食鬼の巣があることは信じているが、ラズワルドがどの辺りを見ているのか、見当も付かないので、ヤーシャールも少しばかり困り顔であった。
「倒しておくな!」
見つけたラズワルドは体感で「この位の距離なら」と、魔を屠る力を手のひらの上に遊ばせる。
「ラズワルド、屍食鬼が百万匹いても、その力は過剰だぞ」
渦巻く青白い球体を見て、ヤーシャールが頭を振る。
「ええー。随分小さいよ」
「ハーフェズ。屍食鬼は何匹いるのだ?」
「大人っぽいのが十五匹くらいで、小さいのが八匹くらいです」
「そうか。ラズワルド、その程度の屍食鬼を倒すとしたら
ハーフェズから数を聞いたヤーシャールが、右人差し指に魔を屠る力を乗せた。ラズワルドの手のひらと同じく、渦巻く青白い小さな球体が現れたのだが、それでも屍食鬼を屠るには大きすぎる力であった。
「ヤーシャール、よくそんなに小さくできるな」
「訓練しているからな。ラズワルドも、半年で随分良くなったが、でもそれは駄目だからな。そんなもの放たれたら辺り一帯が大惨事だ」
「まあ、ヤーシャールのそれでも強すぎるというのなら……小さくなれ、小さくなれ!」
「ラズワルド、小さくしようと力を込めるせいで、大きくなってるぞ」
「言うこと聞かない!」
握り拳大であった球体は、見る間に成人男性の頭部ほどの大きさに膨れあがった。それと共に流れ出す青白い光の濁流が増す。
「屍食鬼など神の子自らが屠るようなものでは御座いませぬ。そちらは我らメルカルト神に忠実なる僕にお任せください。その貴きお力を拝見できたことは望外の喜びでは御座いますが、人の身には強すぎますゆえ、お収めいただけると幸いにございます」
ヤーシャールの側近であるカイヴァーンが代表して、収めて下さいと懇願した。
ラズワルドは力を握り締めるようにして収め ――
「あっ!」
「あ……」
野営地よりかなり離れた場所を視ているハーフェズとラズワルドが、同時に驚きを含んだ声を上げる。
「どうした? ラズワルド」
「んー。あとで話すよ、ヤーシャール。お腹空いたから、夕食食べよう!」
国王の柩を乗せている馬車の荷台も一緒に収容できるよう、ラズワルドが宿泊する天幕はかなりの大きさがある。
絨毯が敷かれた天幕で食布を広げ、チャイブにコリアンダー、ディルにセロリが入ったオムレツ。そのオムレツ同様さまざまなハーブをかけて焼いた羊肉。焼きたてのナンに、羊肉に玉葱、大蒜が入った秋葵の煮物などが並べられ、
「ラズワルドも飲むか?」
「少しだけもらうとするか!」
ヤーシャールが硝子の杯に葡萄酒を注いで差し出す。ラズワルドは一口葡萄酒に口を付けたが、葡萄酒では腹一杯にならないと、杯を側に置き勢い良く食事を口に運ぶ。
腹が落ち着き「そういえば!」と思い出したように葡萄酒を飲み、一息ついたところで、先ほどの驚きの声について説明を始めた。
「レイラ?」
「そうだ、レイラだ。よく盗みを働いていた、あのレイラだ。ヤーシャールも知ってるだろ」
「勿論覚えている」
ラズワルドとハーフェズが先ほど屍食鬼の巣を眺めていたところ、見覚えのある顔があり、思わず声が上がったのだ。
「屍食鬼は姿を変えることもできますが」
「レイラの姿になってなんか得することあるか? カイヴァーン」
ヤーシャールと共に下町に来ることが何度もあったカイヴァーンも、レイラの評判の悪さは記憶にある。
「たしかにそれは御座いませぬな、ラズワルド公」
「誰かがレイラに成り代わり、下町でレイラの評判を上げていたりしたら、それはそれで恐い話だがな」
”帰ってくるぞ”とメフラーブに告げていたラズワルドだが、国王の葬列に参加するために必要な儀礼を習得したり、先ほどヤーシャールに「惨事が起こる」と言われた魔物を屠る力の使い方を学んだりと忙しく、神殿に入って以来、メフラーブのところには一度も帰っていないので、下町に偽レイラが現れていたとしても分からないが ――
「葬儀が終わったら、一度メフラーブ殿の所に顔を出したらどうだ?」
「そーだなー」
「早ければ来年の今頃には、パルハームのいるアッバースに行くことになるかもしれないのだぞ?」
「それもそうだな……」
一人「レイラ」が誰か分からないバルディアーに、ハーフェズが簡単な説明をする。
「メフラーブの所には顔出す。それでまた屍食鬼の話に戻るんだが、なんか奇妙だった」
「奇妙とはなんだ? ラズワルド」
「レイラって下町じゃあ綺麗だったよな」
人の美醜に無頓着なラズワルドだが、他人が綺麗と言っている者を覚えることは出来るので ―― 「盗癖さえなければ、容姿がいいから良いところの妾になれるのに」とレイラを知るものが、そんな話をしているのを聞いて、レイラは美人だと認識していた。
「まあ容姿は麗しい女だったな」
ラズワルドほど容姿に無頓着ではなく、美しい女性と接する機会の多いヤーシャールも、レイラの容姿については同意する。
「下町に限ったことかもしれないが、多数の女の中にいると、一番に目に付くじゃないか」
「たしかにそうだな。国王の
「それ! それだよ、ヤーシャール」
「それ? それがどうしたのだ、ラズワルド」
空になったヤーシャールの杯に、カイヴァーンが葡萄酒を注ぐ。まさに武人といった容貌のカイヴァーンなのだが、その動きは ―― 以前酒姫などがいる所で生活していたバルディアーが見ても優美なもので、正直着飾った酒姫が注ぐよりも、ずっと美しいものであった。
「さっき巣を見た時、すぐにはレイラだとは気付けなかった」
カイヴァーンがヤーシャールの杯に酒を注ぐ姿など、見慣れているラズワルドは、そちらには一切気にせず話を続ける。
「レイラだとは思わなかったからではないのか?」
「違う。ぱっと見どころか、かなりじっくり見ても、全員が同じだった」
「全員レイラの顔だったのか?」
「それがな、違うんだ。違うけど似てるんだ。なんて言うのかな、雄の屍食鬼の見た目はてんでんばらばらなんだが、牝……おそらく元は全員人間だろうが、牝の屍食鬼は全員特徴が同じなんだ。それも特徴だけじゃなくて、容姿も似ていて、全員綺麗だった」
「特徴か。どんな特徴だ?」
「まず美人。そして年の頃は、きっとレイラと同い年くらい。白い肌に黒髪で、瞳は濁っていて色の差違もあるが
「それは確かに奇妙だな……ラズワルド、先ほどのところまで視界を移動させることはできるか?」
「できるぞ。待ってろ……ほい、たどり着いた」
バルディアーの隣でハーフェズが「速い……」と呟く ―― 今回ももう一つの視界をラズワルドとハーフェズは共有していた。
「此方から向かわせた視界そのままだな?」
「うん」
「では左を向いて」
「向いた」
「そのまま王都城壁まで行ってくれるか?」
「分かった…………たどり着いた! ああ、この場所を覚えておけばいんんだな! あとでここからまっすぐ討伐に向かうんだな!」
「そうだ」
「分かった。この辺りに、精霊の跡を付けておく……ここは西門近くだ」
「そうか。では王都に戻り次第、場所を教えてくれ。それにしても、頼んでおきながら言うのもなんだが、一流の精霊使いですら出来ぬようなことを、易々とやってくれるなラズワルド」
視界が元に戻ったハーフェズが、「なんであんなに速くなるんだろ」と苦笑する。
「そうなのか? ファルディンとかボゾルグメフルとかアルマガーンとかパルヴァーネフならできるんじゃないの?」
王宮の精霊使いの名を適当に挙げたラズワルドに、
「無理だな。とくに今ラズワルドが名を挙げた四人は、偵察はあまり得意ではない。その四人は攻撃や防御が専門だ。偵察はシャーラームやマフシードの専門だ」
ヤーシャールがそれは無理だと首を振る。
「そうなんだ。得手不得手とかあるんだ」
「人間はそれほど多くの精霊とは契約できないそうだ。そして契約できた精霊が、偵察に使えるかどうかとなるとな」
「わたしだって、契約しているのは一人? 一匹? 一柱? よく分からんが、精霊王だけだぞ」
「ラズワルドにかかると、精霊王も形無しだな」
「ヤーシャールは精霊王と仲良いからなー」
「まあな。そうだ、その
ラズワルドの耳には、四つの
現在ラズワルドが身につけているのは「いつか見つけ出してみせる、フェロザー!」ことカスラーが献上した上衣の釦を加工した、フェロザーの
そして右耳に
「うん。神殿入りのお祝いだって。半年くらい経ってからってのが、精霊王らしいよなあ」
「三百年、五百年を”ついこの間”と言う精霊王が、誤差半年で贈ってきたのであれば、上出来ではないか」
「また庇うー。いいけど……あれ? 二人とも寝ちゃった」
ハーフェズとバルディアーは移動の疲れから、当人たちも気付かぬまま眠りにおちていた。