ラズワルドとハーフェズ、伝承の姿になる

 ラズワルドが神殿に入ってから四ヶ月後、国王ファルナケス二世は死去し、それから一ヶ月後葬儀が執り行われた。
 ファルナケス二世の柩が夜更けに霊廟に向かい ―― その日の朝、新国王の戴冠式が行われる。
 華やかな戴冠式を見てみたい言っていたラズワルドだが、ファルジャードがサマルカンド諸侯王の跡取りと知り、そして命を狙われると聞かされて考えを変え、ファルナケス二世に「柩に乗ってやる。その代わりサマルカンド諸侯王はファルジャード以外は許さない」と告げた。
 ラズワルド自身は「取引」を、ファルナケス二世にとっては「ペルセア王国の浮沈がかかる神との契約」がかわされ ―― ラズワルドは厳かなる葬列の中心、ファルナケス二世の豪奢な柩に座り、まっすぐ前を向いていた。
 道の両脇には明かりを持った民たちが出てきて、葬列を見送る。
 その中にメフラーブやマリート、ナスリーンにスィミンたちがいるのを確認したが、柩に座っているラズワルドがそちらを向くわけにはいかないので、そのまま通り過ぎた。
 見送りにきたメフラーブたちも、ラズワルドがこちらを見るなどとは思っていなかったので、特に気にはしていない。
 千を越える騎兵からなる壮麗なる葬列が王都を出てゆき ―― 速歩で三時間ほど進んだところで、一団は止まり朝まで休憩となった。
 明かりを持ってはいるが、天幕を張れるほどではないので、ほぼ全員が野宿となる。明かりに関してはラズワルドが「昼間のようにともせるぞ」と名乗りを上げたが、神の子の手を患わせるようなことはできないということで、普通にかがり火が焚かれた。

「ラズワルドは馬車の中で寝ていいのだぞ」
「三日間、馬車に乗り続けるんだから、降りられる時は降りたい!」
「まあ、そうだろうな。カイヴァーン」

 ヤーシャールが手を叩き、側近の名を呼ぶと、彼は部下たちに号令をかけ、ラズワルドが乗っている柩入りの馬車ごと幕でぐるりと囲う。上の覆いはなく出入り口に当たる箇所は幕が重なってはいない。
 そこにかがり火を焚き、不寝番が付く。
 幕の内側では、ハーフェズがバルディアーと共に、まず赤い毛氈を敷き、その上に白薔薇の図柄が美しい青い花氈を乗せる。
 巻かれた毛皮に絹を被せ枕にし、薄いながら綿入りの掛け布団を広げる。

「さあ寝てください、ラズワルドさま」
「じゃあ二人とも、一緒に寝るぞ。カイヴァーンも不寝番とか要らんぞ。きっと精霊王が見守ってくれているはず! いや、見守れ精霊王。さあ、寝るぞ。どうしたバルディアー。気にするな、この毛氈はかなり大きい」

 ラズワルドは儀式用の上衣を脱ぎ、自分で丁寧に畳んで、馬車に放り込んだ。ハーフェズはというと、毛皮を丸めた枕を両脇に抱え、先ほど自分たちが敷いた毛氈の上に置く。

「いや、でも」

 神の子に「一緒に寝るぞ」と言われたバルディアーは、あまりのことに戦いたのだが、ラズワルドの意見を覆すことはできず ―― ヤーシャールであれば止めることはできたであろうが、彼も止めようとはしなかったので、三人で一緒に寝ることになった。
 十歳のハーフェズとラズワルド、十三歳のバルディアーの三人が横になっても、余裕がある毛氈。並びはハーフェズが真ん中で、バルディアーとラズワルドが両脇。

「寝起きにラズワルドさまの顔を見たら、バルディアーも吃驚して悲鳴を上げてしまいますから」
「そうか。ゆっくり休めよ、バルディアー」
「御意……」

 まだ子どもと言ってよい二人と一柱は、横になり目を閉じると直ぐに眠りに落ちた。

 ラズワルドに振り回されているバルディアー。
 彼はラズワルドの護衛部隊の一人である。もっとも護衛部隊と言っても、現時点ではハーフェズとバルディアーの二人しかいない。
 ラズワルドの身辺護衛の責任者になることが確定しているハーフェズだが、まだ武装神官見習いでしかなく、経験もないので、彼が他の部隊などで経験を積み、隊長職が務まるようになったところで、正式に隊が組まれることになる。それまでの間は、他の神の子を守る武装神官団から、必要に応じて武装神官たちが派遣される。
 なにより神の娘は神の息子と違い、精々王都とこれからラズワルドたちが向かう祖廟の往復くらいしかしないので、部隊が組まれていなくてもあまり困りはしないのだ。
 そのようなラズワルドの護衛部隊に入ることになったバルディアー。彼がなぜここに居るのかというと、経歴に少々難があったことが原因である。

 まず彼は五歳頃、親に捨てられた。捨てられた場所は街道脇で、辺りには人の気配はまるでなかった。一緒に捨てられた乳飲み子だった妹をどうにかしてやりたかったが、場所が場所なので、助けを求めることもできず、妹は彼の腕の中で息絶えた。
 そしてバルディアー自身行き倒れかかっていた所に、人攫いが通りかかり、生きていたバルディアーは拾われて売られた。妹の死体は薪の足しにと火にくべられ ―― 屍食鬼にならなくて良かったと、彼は泣くほど喜んだ。
 人攫いたちに売られた先は花街の一角にある男娼を揃えた公衆浴場ハンマーム。客の体を流し、必要とあらば体も売るという形態の店であった。
 以降バルディアーは、いつかは普通の公衆浴場ハンマームで働き、生計を立てられたら良いなと思いながら、一生懸命仕事に励んだ。
 そんな彼に転機が訪れたのは十一歳の時。「今日は上客が来る」と店主が言っていたのを、バルディアーは小耳に挟んだ。もっともバルディアーは上客を相手にできるような閨の技術も、客を喜ばせる芸事も、風呂で体を流す技のいずれも持ち合わせていなかったので関係の無い話であった。
 上客は「金髪が好きだ」とも聞き、黒髪のバルディアーはますます関係のないことだと ――

「バルディアー。お呼びだ」

 何故か上客にバルディアーは呼ばれ、店主に連れて行かれた先には、金髪の男娼を五人ほど侍らせている男がいた。精悍な顔つきで引き締まった体を持つ、その人物は、バルディアーに近づくよう指示する。言われた通りにしろと店主に小突かれ、バルディアーは近づいた。
 男はしばらくバルディアーを見つめ、優しく問いかけてきた。

「年は幾つだ」
「たぶん……十一だと思います」
「そうか。名前は?」
「バルディアーです」
「バルディアーか。唐突な話だが、御主には魔物を屠る力が備わっている。ゆえに、武装神官として御主を買い取りたい」
「武装神官……ですか」
「そうだ。ただ武装神官は危険に晒されることも多いので、怖ろしかったら断ってくれてもいい」
「武装神官って剣とか振るえるんですか?」

 とくに人生に希望などなかったバルディアーだが、剣を自在に操り戦うということには、年頃の少年並に淡い憧れを持っていた。

「もちろん。馬にも乗れる。わたしが責任を持って教えよう。ああ、遅くなったがわたしの名はジャバードだ」

 バルディアーはこうしてジャバードに買われ、武装神官団に入るために必要な知識を、ジャバードの付き人をしながら学び、二年後に入団した。
 バルディアーの経歴は秘匿はされていないので、知っている者もおり、その者たちが新入団した者たちが言いふらし ―― ハーフェズが戻って・・・くるまで、彼は若干ながら孤立していた。

 「戻ってきた」ハーフェズについてだが ―― 神に仕えるため神殿入りを果たすためには地下神殿を降り、石版を読まねばならない。
 この地下神殿は、人の手によってできたものではない。特に有名なのが、明かりを灯しても信仰が足りなければ暗がりの先を見ることができないというもの。
 入ったばかりの者は、大体一階から地下三階くらいまでしか行くことができず、暗がりが広がると引き返す。
 この地下神殿は地下五百階は続くとされており、三百階以降は神の子以外は到達は不可能とされていた。神の子であっても、最初は五十階程度が一般的で、徐々に親交を深め知識を蓄えて、年に一度の割合で地下神殿を降り、更なる地階を目指す。
 バルディアーが武装神官団に入ったペルセア王国歴三二一年、神の子が三柱、地下神殿へと入った。イェガーネフは地下四十階、シャーローンは地下八十階まで到達した。この二柱は、単独で地下へと降りたのだが、ラズワルドだけはハーフェズを連れて降り ―― 実に三週間、二人は地下神殿から戻ってこなかった。
 地下神殿に入っている間は、空腹や喉の渇きもなく、睡眠も必要ないとされている ―― それを知ることができるのは、神の子のみであるが。
 地下神殿の最下層は冥府であるとされ、主神メルカルトが支配する世界でもあった。

「メルカルトが返してくれなかったら、どうしましょう」
「さすがにどうも出来ぬな……精霊王が話を付けてくれるかも知れぬが」
「それは精霊界につれて行かれるだけですよね、アルダヴァーン」
「そうとも言うな、ファリド」

 二週間を越えたあたりから、他の神の子が地下神殿の入り口に集まり、戻ってこないラズワルドと地下深くまで連れて行かれたであろうハーフェズのことを心配していた。
 そんな彼らの心配など何処吹く風、三週間後ハーフェズと手をつなぎ、軽やかな足取りで戻ってきた。

「ファリドにアルダヴァーン、ヤーシャールもどうした! 三人とも地下に行くのか!」

 これ以上ないくらいに元気な声を上げて戻ってきたラズワルドの姿を見た三柱は、歓声を上げた。

「ラズワルド、最下層までたどり着いたのですね」
「分かるか、ファリド」
「分かりますとも。顔の文様が銀ではなく金になっていますから」
「目と同じ感じになったのか」

 メルカルト文様が金で描かれるのは、最下層までたどり着いた証。ラズワルドと同じく群青で鼻筋が覆われている過去の二人も、最下層にたどり着き銀の文様が金に変わった。あとの一人、最初の神の子は地上に現れた時から金で文様が描かれていたとされている。

「そうですね」
「ラズワルド」
「なんだ、アルダヴァーン」
「髪の色も変わっているぞ」

 ラズワルドは黒髪だったのだが、最下層から帰還したところ深藍に変わっていた。

「髪の色って変わるの? アルダヴァーン」
「初めて聞いたが」

 最下層まで自力で到達したラズワルドと、ラズワルドと手をつなぎ ―― 付属物として連れていかれたハーフェズ。彼も容姿に変化があった。

「ハーフェズ。金髪ではなく黄金色の髪と瞳になっているぞ」
「え? そうなんですか? ヤーシャールさま。ラズワルドさまだけじゃなくて? 連れて行かれただけの俺まで?」

 ハーフェズは自力では地下五階の最初の石版までしか読むことはできず、その先は暗闇になっていた。以降はラズワルドに手を引かれ、なにを書いているのかさっぱり分からない石版を一緒にのぞき込み、室内の壁に書かれている文章の説明を受けたりしながら、最下層まで連れていかれた。

「ラズワルドの力を借りたとしても、最下層に到達できたのならば、たいしたものだ」

 こうしてラズワルドとハーフェズは「伝承に残る姿」になった。―― というわけで、ハーフェズは他の普通の武装神官見習いたちより、三週間遅れで戻ってきて、遅れに遅れて入団を果たした。
 その頃には、切り結びの稽古のための組は決まってしまっていた。そんな中、元の経歴が「男娼」ということで、他の新入りと組めず教官と組んでいたバルディアーに、

「遅れてごめん!」

 ハーフェズは自分が三週間も帰ってこなかったので、バルディアーが教官と組んで訓練しているのだと考えて声を掛けてきて、そのまま組むことになった。
 ハーフェズにわざわざバルディアーの前身を教えてくれた者もいたのだが、ハーフェズは気にせず、またそれをラズワルドに告げた所「未知なる世界」が大好きなラズワルドの琴線に触れ、訓練で組むだけではなく、自分の隊に入れたいと言いだした。
 バルディアーはこの時点ではジャバードが購入した奴隷なので、ジャバードの家臣で彼の隊に入ることが決まっていたのだが ―― 

「良かったな、バルディアー」
「ありがとうございます、ジャバード卿。でもいいんでしょうか……」
「公柱がお望みなのだ。顔を上げろ、胸を張れ」

 ラズワルドの希望通り、バルディアーはジャバードの家臣からハーフェズの家臣に替わった。……筈だったのだが、

「俺、部下とかまだ分からないんで、ラズワルドさま直属の部下ということでいいですか」
「構わんぞハーフェズ。バルディアーもいいな!」

 いきなり部下を付けられても分からないハーフェズは、自分の主であり人を使役することになれているラズワルドにバルディアーの管理を頼むという、バルディアーにしてみたら暴挙としか取れない行動に出たが、ラズワルドが「よし」と言った時点で、もはや決まったこと。

 ジャバードはそのことを非常に喜び、馬を一頭贈ってくれ、武器や防具も一通り用意し、栄達した家臣のために宴も開き、さらにはラズワルドの元へと行きバルディアーのことを頼んでくれるまでしてくれた。
 ジャバードの信頼に応えるため、そして何故か自分を気に入ってくれたラズワルドのため、バルディアーは今まで以上に他人を気にせず頑張り ――

「バルディアー。そろそろ起きろ。朝飯食わんと、体が持たんぞ」

 目覚めたバルディアーは、視界に飛び込んできた青と金と深藍に、自分を揺すり起こしたのがラズワルドだと気付き、野営地に朝から絶叫を響かせた。