プロローグ 死を切望した六人の女と、意味が分からぬまま殺害された一人の女と、自分が何者なのか分からず消えた一人の女

 レイラは寒さに目を覚ました。そして自分がなにも身につけていないことに気付く。周りを見回すが、伸ばした手の指先すら見えないような暗い空間では目で見ようとするだけ無駄というもの。
 二日酔いがもたらす頭痛に、こめかみを強く押しながら座っている周りを手で探り、この状態になる前になにをしていたのかを必死に思い出す。

―― なんで服を着ていない……たしか……あれ、ああ! そうだ。抱かせる代わりに飲み食いしたんだ

 仕事がなく身寄りもないレイラは、一夜と引き替えに食事を得ており、彼女の記憶で昨日・・は「初めて見る顔」の男に声を掛けられた。
 自分のことを知らない男なら、行為のあと金も盗めるかもしれないと考えて、男についていった。
 男は馬車に乗るよう指示した。「馬車を借りられるなんて、お金持ちなんだね」と ―― レイラが乗り込むと、そこには鶏とプラムの煮込みにナン、羊肉の香草焼きが並ぶ皿が座席におかれていた。
 男は「好きにどうぞ」と言い、レイラはそれらを貪った。男は杯に注いだ葡萄酒を何度か差し出し、レイラは酒精も相まって食事が進み、いつの間にか意識を失って今に至る。

「ねえ、ちょっと!」

 金は盗れなかったが、食事と酒には満足していたので、意識がない間に体を自由にされたところで不満はないが、服がないのは非常に困る。

「ねえ、誰かいないの! ここ何処よ!」

 声を上げる度に、レイラの頭痛は増し、そして答えてくれる者は ――

「あなた捕まったの?」

 弱々しい女の声が返ってきた。

「ここ何処よ! ねえ、あんたなんか知ってる! 知ってること全部教えなさいよ!」
「知らない。気付いたらここに居た。ねえ、あなたこそ、なにか知らないの?」
「知るわけないじゃない! ちょっとここ何処よ」
「知らない! あなたの名前は! わたしはパラストゥー」
「あんたの名前なんて、どうでも……あたしはレイラよ!」

 ここが何処なのか? 今が昼なのか夜なのかも分からない ―― どれほど時が流れたのか、二人には知る術もないが、突如女性の叫び声が聞こえてきた。
 二人は耳を澄まし、

「ここ何処なの!」
「なんで、こんな所に!」
「あなた誰!」

 自分たちと同じように、連れて来られた女が他にも居ることを知った。

「いやああああ!」
「ぎゃああああ!」

 恐怖に戦く絶叫が、先ほど叫んでいた女性たちの叫びかどうか? 二人には聞き分けがつかない。
 その叫び声の隙間を縫うように、足音が近づいてくる。
 二人がいる場所を閉鎖していたのであろう何かを押しのける音が聞こえ、明かりが現れた。

「あんた!」

 明かりを持っていたのは、レイラを馬車に招いた男。

「い、いやあああ!」

 パラストゥーの絶叫が響き渡る。
 何事かとレイラがパラストゥーの視線の先をうかがうと、そこには目も鼻も耳も口のない、人の形をしたものが立っていた。
 尻餅をつくレイラと、泣き叫ぶパラストゥー。人の形をしたものは二人に近づき、抱え上げ運び出した。
 我に戻った二人は、降ろせと叫び体を激しく動かすが、人の形をしたものの腕から逃れることはできなかった。
 レイラとパラストゥーは洞窟から連れ出され ―― 昇った太陽が辺りを照らしだす。

「ここ、何処よ」

 そこは見渡す限り平原。一箇所遠くになにか建物らしきものは見えたが ―― 王都にいた筈の自分がなぜこんな所にいるのか? レイラやパラストゥー、そして他の女性たちにも理由など分からなかった。

「好きなのを選んで下さい」

 男が誰かにそう言うと、一人の女性が馬車から降りてきた。年の頃はレイラたちと同じくらい。
 女性はレイラたちを見てから、

「自分の顔などはっきりとは分からない。お前が似ていると思った者が、一番にておろうよ」
「そうですか。ではそれ・・でどうでしょう」

 女性を抱えている人の形をした一体が進み出る。それ・・はレイラでもパラストゥーでもなかった。

「それで良い。ところで残りの六名はどうするのだ?」

 男と女性のやり取りを聞き、レイラはこの場で抱えられている女たちが、黒髪にオリーブ色の瞳を持つ二十歳前後であることに気付いた。また客観的に見ても、女たちは皆容姿が優れていた。

「屍食鬼にくれてやりますよ。一ヶ月もしたら卵を産むでしょう」

 人の形をしていたものが屍食鬼で、自分たちは屍食鬼の慰み者になるのだと気付いた彼女たちは絶叫したが、その声は誰にも届かなかった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 一人選ばれた女は、気付くと豪華な部屋の寝台に寝かされていた。
 裸だった筈なのに、いまは肌触りは滑らかで、色鮮やかな服を着ている。
 何が起こったのか理解できず、呆然としていると、唯一の出入り口である扉が開き、数名の騎士がやってきた。

「家に帰して下さい!」

 選ばれた女が叫ぶも、誰も女の言葉には耳を貸さず、腕を掴み乱暴に選ばれた女を引きずる。

「放して! 放して!」
「ねえ! 何するの!」
「家に帰して!」
「いや! 放して!」
「わたしモルヴァーリード ! 人違いよ!・・・・・ 違うのよ!」

 騎士たちは全く話を聞かず、あまりに選ばれた女モルヴァーリードが叫ぶので、猿ぐつわを噛ませ馬車に押し込み ―― 選ばれた女モルヴァーリードは手足を縛られたまま男二人に担がれ、月のない夜、どこかの洞窟へと連れて行かれた。
 所々に松明が焚かれ、岩肌が暗い赤色に照らし出される。
 選ばれた女モルヴァーリードは、既に何人かの人がいる祭壇の前に降ろされた。
 猿ぐつわをされたままだが、必死に人違いだと叫ぼうとした選ばれた女モルヴァーリードであったが、彼女を担いできた二人の首が飛ばされ、首が転がるのを見て声を失い震え出す。

「苦しませはせぬ」

 祭壇に俯せに置かれ、背中を押さえられた選ばれた女モルヴァーリード。その首が落とされるまでは、見ている者や落とした者にとっては、ほんの僅かな時間であったが、選ばれた女モルヴァーリードの感じた恐怖は永遠にも近いものであった。

 そして選ばれた女モルヴァーリードの首が転がった。

「ペルセア王国のために。諸王の王シャーハーン・シャーのために」

 選ばれた女モルヴァーリードの首を落とした、背が高く髭ずらの厳つい男はそう言った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 男は女に言った「あなたはペルセアの王女である」と。女は安易にそれを信じ、男の手を取った。
 長いこと邸から一歩も出ることを許されず ―― 男が救いの手・・・・を差し伸べてくれなければ、叔父・・に殺されているところであった。
 もっとも本当に叔父に殺されるのかどうは? 女には本当かどうかは分からなかった。
 男は女の身代わりを用意し、一人の女を女と入れ替えた。
 
「入れ替えはうまく行きますよ。あなたに長年仕えている人はいませんから」

 男は言う。女に長年仕えて、情が湧き逃がすような者が現れると困るので、短期間で召使いを入れ替えるのだと。
 女はその言葉に頷く。女の側には、いつもよそよそしい者しかいなかった。

「では行きましょうか」

 女はどこに連れて行かれるか分からなかった。女はほとんど教育を受けてこなかったが、それでも男に付いてきたことに後悔した。

「魔王陛下の無聊を慰めよ」

 女は魔王の元へと連れて来られた。体の自由がほとんど利かぬ魔王に腰を振れと ―― 処女だった女は最初は分からなかったが、男に折檻されながら必死に覚え半年ほどが過ぎた。
 その日、女は発狂するほど全身が熱くなり死を覚悟した。どうすることも出来ない熱に意識を失った女は、次に気付くと何処とも知れぬ荒野に捨てられていた。
 女は歩き出し、人が住む村にたどり着いた。村人は女を見ると恐怖に戦き、男たちは木の棒などを持ち襲いかかってきた。女はそれを手で払いのける。すると村人の体が切れた。
 女が気付くと村は死に絶えていた。なぜ村人たちが自分に襲い掛かってきたのか、女には分からなかった。ただ自分の姿を見て、酷く恐れていたことだけは分かったので、地面にどす黒い血が広がっている村の中を歩き、見つけた水鏡で姿を見る。そこには黒髪と橄欖オリーブ色の瞳をした、二十代前半の美しい女の姿はなく、眼球が飛び出し口が頬まで裂けて、鋭い乱杭歯が剥き出しになっている、魔物の姿があった。
 女はなにが起こったのか理解できず ―― 発狂した。
 自我を失った女は空を飛び、魔物の本能のままに人を襲った。

「ジャバード隊長」
「逃げろ!」

 少しは歯ごたえのある五人組を襲い、体格のいい無精髭が生えている男の首を刈ろうとした時、突然体が凍り付くかのような冷たさに襲われた。

「よし、うまく行ったぞ! ハーフェズ」
「襲われていた武装神官たち、無事なようですね」
「落馬してるが無事だ。すまんが助けに向かってくれないか?」
「もちろんに御座います、ラズワルド公柱」

 自分の身になにが起こったのか分からないまま ―― 魔物は消え去った。