ハーフェズと主、未来に胸を膨らませる

 ペルセア王国歴三二○年。この年はラズワルドたちにとって、大きな出来事があった。
 この年の夏の初め、遂にペルセア国王シャーハーン・シャーの元に、告死魔の襲撃があり、シアーマクが見事にそれを葬った。

「……というわけで、あれが現れると国王は一年後には死にます」

 それらの事後処理を終えたファリドが、ラズワルドのもとへやって来た。
 そして家人に少しばかり隣家に移動してもらい、二人きりになって、国王ファルナケス二世が死ぬことを教えた。

「そうなんだ」

 王家の暗部などについては詳しいことは、もう少し成長してから教えると言われたラズワルドは、分かる範囲で納得してみせた。

「それで一年後といいますと、ラズワルドはもう神殿にいますから、国王としては自分の棺に乗って欲しいと希望することでしょう」

 既に四十歳を越えているゴシュターブス王太子は、この二三年、病床の国王に代わり国政を担っているので、国王が崩御しても、恙なく権力の移行がなされる道筋は出来ており、政治が混乱するようなことは起こらないと誰もが安心している。
 よってあとはしっかりと死を迎えるだけでよい。

「えー。戴冠式とかいうの見てみたい」
「そうですか」

 ファリドとしても無理強いをするつもりはなく、嫌だというのであれば、行っても良いという別の子に任せるだけのこと。誰もいなければ、ファリド自身が葬列で棺を守っても良いと考えていた。

「わたしでも良いのですが……かなり大きくなってしまいましたからね」
「棺に座るんだっけ?」
「そうですよ。馬車に積まれる迄はいいのですが、祖廟に到着し馬車から棺を降ろして墓室に運び込むまで、乗っている必要があるのです。棺は大きくて座りやすいのですが、その分重いので、上に乗るのは出来るだけ軽い神の子にしてやった方がよいかと」
「あ……気がむいたら考えておく」
「そうですか。まあ、あまり気にする必要はありません。それ……おや? なんでしょう」

 二階のこの部屋に唯一繋がる外階段を、成人男性がのぼってくる足音が聞こえてきた。

「誰だろ?」
「ジャバードの知り合いで、武装神官でしょうね」

 ファリドに人払いを命じられたジャバードが、その命を守らずに通したのだから、身元がはっきりしており、急を要するかなり重要な案件の知らせであろうと ――

「ファリド公、ラズワルド公、ご歓談中のところすんません! シアーマク公のところのジャファルっす。お二人に急ぎの知らせを持って参りました」

 二柱は顔を見あわせて頷き、ラズワルドが扉に近づき開いてやった。
 ジャファルは一段下がった狭い階段で跪拝の姿勢を取っている。

「落ちる前に入れ」
「ありがとございっす、ラズワルド公」

 ごくごく普通の階段幅しかないのに、よく成人男性が跪拝姿勢で居られるものだと、ラズワルドは感心しつつシアーマクの側近ジャファルを眺める。
 金髪で青い瞳を持つジャファル、身分はハーフェズと同じ軍人奴隷で、主たるシアーマクに似て、争い事が好きな性質であった。

「知らせを持ってくるのがあなたとは、似合いませんね」

 使者などを務めることは滅多にないジャファルの登場に、ファリドは青いクーフィーヤの端を持ち口元を隠し笑う。
 ジャファル自身、柄ではないと分かっているので、苦笑しつつ主より預かった巻物を差し出す。
 ファリドはそれを受け取り開き目を通し、床に広げてラズワルドにも読ませた。

「ジャファルは手紙の内容知ってるのか?」

 巻物は遠くサマルカンドからの急使が届けた手紙で、差出人の名はフラーテス。

「いいえ、存じやせぬ。これに目を通したアルダヴァーン公と我が主シアーマク公が、急ぎお二人に伝えるよう指示されましたゆえ、取る者も取らずにこうしてやって参りました」

 色の褪せた絨毯の上に広げた巻物を、のぞき込むようにして読んでいたラズワルドは、かなり興奮していた。

「なるほどな。声に出して読んでやるよ! この手紙、フラーテスからの手紙でな」
「わたくしめになにか関係することなのでしょうか?」

 神の子フラーテスが神の子たち宛てに書いた手紙の内容など、人間が知っていいものかどうか? 恐いものなど何もない、武装神官としては不信心な部類に入るジャファルでも、及び腰になるのは仕方のないこと。
 腰が引けているジャファルという珍しい状態なのだが、ラズワルドはそんなことには気付かず手紙の該当箇所を指さし話を続ける。

「関係するぞ。神の子が見つかった」
「……ラズワルド公がいらっしゃるのにですか?」

 ラズワルドのように顔半分、そして鼻筋を鋭角な二等辺三角形に覆い隠されているような神の子は滅多に産まれず、生まれるとそれからしばらくの間、神の子は産まれない。
 魔王を封印し、建国を果たしてから三二○年経ったペルセア王国。
 初代国王の手助けをした最初の神の子は、建国より二十五年前に現れた・・・とされている。
 その最初の神の子が五十を過ぎた辺りになって、初めて神の子たちが現れた ―― 彼らは最初の神の子ほど大きな文様は持っていなかった。
 鼻筋まで青で被われる神の子が次に現れたのは、ペルセア王国歴百五○年頃で、やはりこの神の子が生まれた後、四十年以上神の子は現れなかった。
 そして今から百年弱ほど前に、フラーテスが誕生し ―― やはり四、五十年の間、神の子は誕生しなかった。

「違う違う。わたしより後に生まれた子ではなく、わたしより前に生まれてたのに見つからなかった……ああああ! こいつだ! こいつ! やっぱり居たんだよ、ファリド!」

 手紙を声に出して読んでやると言っていたラズワルドは、話ながら先を読み進めていたところ ――

「どうしました? ラズワルド」
「こいつだよ! ファルジャードとセリームに加護を与えたの! 間違いない!」

 神の子の名は「シャーローン」と記されていた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 王都ナュスファハーンに手紙が届く二ヶ月前 ――

「ばあちゃん、いままでありがとう」

 サマルカンドの外れで目元以外、頭部を隠している少年が、いままで自分を育ててくれた老婆を弔っていた。
 老婆と少年は血縁関係はなく、少年は自分の親についてはなにも知らない。
 老婆は知っていたようだが、少年に教えることはなかった。少年も両親のことをそれほど知りたいと願ったことはなかった。
 馬を巧みに操り、流れるように弓を引き、一本の矢で獣を射殺す老婆と共に、乾いた大地での生活は楽しい日々であった。

「……よし、じゃあ行ってくる! ばあちゃん」

 老婆の弔いを終えた少年は馬に跨がり、老婆が死ぬその時まで騎乗していた馬を引き、言われた通りに武装神官を捜す。
 王都より遙か北にあるサマルカンドの夏は、すでに終わりを迎えており、抜けるような青空のもと、少年は馬を進めた。

―― 昔ばあちゃんと戦った人が、俺の兄弟って不思議だなあ

 速歩で乾いた大地と透き通る青空の間を進んでいると、自分の方へと向かってくる武装神官の一隊と遭遇した。

「済みません!」

 軽快に馬を走らせて武装神官の一隊に近づいた少年は「ばあちゃん」の指示通り、まず隊長の名前を聞く。

「この隊の隊長さんは誰ですか」
「俺だが」

 三十歳前後の無精髭を生やした男が、なんの用事だと尋ねる。

「お名前は」
「ジャバードだが」
「ジャバードさんですか。ジャバードさんは、武装神官ですか?」
「一応そうだが」
「俺シャーローンっていうんですけど」

 シャーローンはそう言いながら顔を隠している頭巾を外し、癖の強い黒髪をかき上げて、額を露わにした。彼の額はきっぱり二色の分かれていた。

「これ神の文様ってやつなんですか? 武装神官さんに見てもらえって、ばあちゃんに言われて……」

 彼の額は三等分されており、中心部は人間の肌色だが、両脇が特徴的な青で被われ、煌めく銀でメルカルト神の文様が描かれていた。

「え、あ……もう少し拝見してもよろしいでしょうか?」
「どぞどぞ」

 武装神官の隊長ジャバードは恐る恐るその文様を確かめ、毎日見て祈りを捧げている文様であることを確信すると、急ぎ馬から下りて平伏する。
 部下たちも一斉に馬から下りて、地面に頭をこすりつけ平伏した。

「このジャバ……この神の忠実なる僕ハミルカル、公柱とは知らず失礼いたしました」
「ジャバードさん、顔上げて。頼みがあるんですよ」
「なんなりとお申し付けください、公柱」
「サマルカンドの神殿にいるフラーテスっていう人に会いに行きたいから、連れていってくれませんか? ばあちゃんが、絶対に会いに行けって言ったからさ」

 シャーローンはジャバード隊と共に、サマルカンドの侯都の神殿にいるフラーテスのもとへと向かい、五日ほどかけてサマルカンドの侯都にたどり着いた。

「お待ちしておりました、公柱」

 ジャバードが部隊の一人を先触れに出しておいたため、侯都にたどり着いた時には、諸侯王自らが出迎えに上がった。
 シャーローンはそのまま神殿へと向かい ―― ジャバード隊はお褒めの言葉と、特別給金としばしの休暇をもらい、

「任務に戻ります」
「連れてきてくれて、ありがとうございました! ジャバードさん」
「ジャバードで結構でございます、公柱」

 通常の巡回業務に戻る前にシャーローンに挨拶をして、侯都を発った。

 ジャバード隊に侯都の神殿につれてきてもらったシャーローンは、

「ばあちゃんが、フラーテスっていう、顔が青いお爺さんにこれ渡せって」

 神の子最高齢にして、現時点ではラズワルドよりも大きな神の文様を持つフラーテスに、老婆から渡すよう指示されていた巻物を革袋から差し出した。
 受け取ったフラーテスは、それを開き目を通す。

「シャーローンがいう”ばあちゃん”の名前は、トミュか」
「…………うん! トミュだったはず」

 長いこと”ばあちゃん”としか呼んでいなかったシャーローンは、かなり考え、昔老婆の名を聞いた時のことを思い出し、何度も首を振って頷く。

「トミュがなあ」
「フラーテスじいちゃん、強かったんでしょ。ばあちゃんが”唯一引き分けた男だ”って褒めてたよ」
「ははは、それは嬉しいの。じゃが、あれは引き分けを譲ってもらったようなものよ。儂は槍の名手として名を馳せておった。その儂が弓の神業を持つと評判だったトミュに、槍で勝負して引き分けだったのじゃよ。あれは、本当に強かった」
「ばあちゃん、すげーよな」
「ああ。儂の長い生において、あれより強い人間に会ったことはない」

 シャーローンを育てた老婆トミュ。フラーテスの知り合いでもあるこの老婆は、元はマッサゲタイ王国の女王だった人物で、後に王位を退き国を捨てて流浪の旅に出た。
 草原で生きる遊牧民族であるトミュにとって、流浪の旅とは昔からしている生活となんら変わらない。
 気ままに馬を走らせ、各地を旅して歩いた。
 だがやはり故郷の気候が体にもっとも合うので、マッサゲタイ王国と国境を接しているペルセアの北サマルカンドや、アンチオキア王国のあたりを好んで旅していた。
 そのトミュが今から十年ほど前に、とある事情を経て二、三歳くらいの子どもを育てることになった。

「事情に関しては書かれておらぬな」
「ばあちゃん、それは教えてくれなかった」
「気になるか?」
「全然! 俺の親はばあちゃんで、兄弟はフラーテスじいちゃんなんでしょ」
「ああ、そうだ。きっと御主はラズワルドと話が合うであろうよ」
「ラズワルドって誰?」
「儂のように顔の半分が神の文様で被われている娘じゃよ。活発で楽しい娘だと、よく手紙に書かれておる」
「へえー。会えるの?」
「会えるというよりは、会って貰わねばならぬ」

 フラーテスは事情を説明し、

「そっか。でも俺十歳越えてると思うけど、いいの?」
「十歳は目安だから、気にする必要はない」

 聞いたシャーローンは、王都に行くのを楽しみにしていた。
 フラーテスは手紙をしたため、早馬が王都を目指し出発する ―― ラズワルドたちが読んでいる手紙はこれである。
 旅に出るまでの間、シャーローンはフラーテスから「ばあちゃん」の伝説を聞いたり、狩りに出たりして過ごし、シャーローンのお供を務めるサマルカンド諸侯王の一団の準備が整うと直ぐに王都へと旅立った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「もうしばらくすると到着するらしい。で、シャーローンって覚えあるだろ?」

 ファリドたちは真神殿に戻り、学術院での勉強を終えて下宿に帰ってきたファルジャードに、ラズワルドは巻物を開き見せる。

「……多分、あいつだろうな」
「間違いなくそいつ。ファルジャードとセリームに、神の子がかける、旅の安全の加護がついてたんだ」
「付いてたのか」
「誰なのか分からなかったけど、まだ会ったことのない神の子じゃあ、当然だよなあ。シャーローンが来たら会いに行こうぜ!」
「……俺たちも礼を言いたいから、会わせてもらえるのなら」
「楽しみだな。もうじきイェガーネフも来るしなあ」

 ペルセア王国歴三二○年の夏 ―― 翌年神殿に入ったラズワルドが、直ぐにファルジャードに薫絹国留学の推薦を出し、新たな国王の戴冠式をみんなで眺めて遊ぶという未来が待っていると誰もが信じていた。