グィネヴィア[37]
 オーランドリス伯爵は悪口を言われても”割合”平気である。
 感情のほとんどが戦いに向いているから。
 覚えてもいない母親の悪口を言われても、
―― サロ兄は怒るだろうなあ。フェリ兄は……分からないかもしれない。分かったら、サロ兄よりも怒るだろうなあ
 気にはならない。
 戦争するしか脳がないと言われても、
―― 厳密には戦争じゃなくて殺戮。戦争は知能を使うし、やるのには相応の相手が必要。クレスタークが計画中。でもこの人たちには関係ないねえ。でも戦争するしか脳がないというのはちょっと訂正したい気持ちも。脳だけじゃなくて、全身戦争するためだけに存在してるんだけど……
 戦争するために生まれてきたのだから、そんなことを言われても気になりもしない。
 容姿は美しいが女性の魅力が足りないと言われても、
―― 女性の魅力……この人たちは足りてるんだろうなあ。ってことは、悪口を言う能力かあ。それは難しいなあ。敵の弱点は分かるし、実際攻撃することはできるけど、口で攻撃は難しい
 それについて悩んだこともなければ、欲したこともない。

 その滑らかな頬が歪むこともなく、震えることもない。視線を逸らすこともなく、その瞳が人間らしい感情に揺れることもない。

 人形のようであると言われるが、それすらオーランドリス伯爵にとってはどうでもよい。

 ただ相手もオーランドリス伯爵の反応は分かっていた。極端に感情が少ないことを、彼女たち ―― ケルレネス親王大公とクラバリアス親王大公 ―― は知っている。
 生まれてすぐに帝星に一時避難させられたオーランドリス伯爵。
 彼女は帝星に住む、もっとも近い血族である祖父に預けられた。その祖父はケシュマリスタ系の皇王族ゆえに、ケシュマリスタ系皇族の二人には逆らえなかった。
 生まれたての赤子を虐待するような真似を彼女たちはしなかった。自我のない ―― 実はその内側に、長くはない生涯を二度終えた自我《ザロナティオン》が存在していたが ―― ものに対しては、あまり攻撃を加えない。
 もちろん全く加えないわけではない。幼いころに言われたことは覚えていることは知っているので、美しい声で子守歌のような旋律に乗せて、呪詛を吐いたことがあった。
 赤子が恐怖するはずの”それ”だが、オーランドリス伯爵はなんの反応も見せなかったため「この子は感情の発露が少ないのだ」と、早々に興味を失った。
 ……いや興味を失ったというのは正しくはない。いずれ成長したら、精神を削り取ろうと ―― その”いずれ”が今である。

《こいつら、十五年くらい前から変わらんなあ》

 十五年前に悪口を聞き、理解していた帝王ザロナティオンは、向かって右側にいる「年を取っているが、自分よりははるかに若い美しい老婆たち」に対して、深い溜息をついた。
 ”若い美しい老婆”
 これはザロナティオンの意識が長年特殊な状況下にあるために現れた言葉。
 ザロナティオンは千年ちかく昔に存在した皇帝ゆえに、現在生存している者たちは全て「若い」のだが、ザロナティオン自身は三十代初めで死亡したため、自分が死亡した当時の年齢以上の者を見ると「年寄り」と感じることがある。

―― 変わらないの?
 普段はほとんど意識を出し、オーランドリス伯爵に声をかけたりはしないザロナティオンだが、今回ばかりは……と話しかけることにした。
《変わらんなあ。……普通は悪口ばかり言っている者たちは、年とともに容貌が醜悪になると言われているが……さすがケシュマリスタ。翳りはほんの微々たるものだ》
 オーランドリス伯爵は感情の起伏はほとんどないが、それは”ほとんど”であって”全て”ではない。
―― 翳ったんだ。綺麗だけどねえ
 オーランドリス伯爵の不快感が大きくなっていることに気付き、少しでも軽減してやろうと話しかけたのだ。
《比較対象がいなければ翳ったとは思わんな》
―― 比較対象って誰?
《向かって左側のケシュマリスタ貴族たちだ。美しい……若いからとは言わないぞ。なんというか……》
―― ビシュミエラに似てる?

 いまはもうない真珠のネックレスしか持っていなかったそれ(ビシュミエラ)と、歩くことすらできない狂ってようにしか見えない青年(ザロナティオン)

《…………否定しても仕方ないな、少々似ている。あの子供のままの娘がな。性格はお前のマルティルディの末のほうが似ているが》
 ビシュミエラとはザロナティオンの次の皇帝。
 ただ実子ではなくザロナティオンが手元に置いて育てた、ケシュマリスタ系の僭主の一人。ザロナティオンはビシュミエラ以外の一族を皆殺しにした。なぜビシュミエラだけ生かしたのか? それは愛していたからとされているが、
―― グレス、大好き。ザロナティオンも好きなんだね
 狂っていた青年はそれ以外に言葉を伝えることができなかった。
《バオフォウラーを思い出すから辛くなるときもあるがなあ》
 それ ―― ビシュミエラ、あるいはバオフォウラー ―― だけは知っていたが、決して語らなかった。
 それは二人だけが知っていれば良いことなのだ。

《どうしてバオフォウラーは黒髪の鬘を被ったのだ。金髪であったなら、このマルティルディの末と重なることもないのに》
 ザロナティオンの嘆きとは違う呟きに被さる、
「グレスと名乗るとはおこがましい」
「ほんとうに。グレスというのは愛されるために存在するものであって、嫌われるケシュマリスタ王族が名乗る名ではない」
 ゲルディバーダ公爵に対する悪口。
 それは先程まで並べられていたものと比べたら、とても慎ましやかなもであったがオーランドリス伯爵は我慢しなかった。
 長い袖に隠れている右腕をしならせ、弾き飛ばしにかかる。
 親王大公たちの護衛が身を挺する……余裕がなかったので、攻撃回避だけを目的に ―― それ以外の気持ちはきっとない。決してない。いままでの恨みを込めたなど、決して言えない ―― 突き飛ばした。
「よーし」
 オーランドリス伯爵が攻撃に転じたことで、保護者としてついてきていたイルギ公爵が自らの拳をぶつけて振り上げる。

 オーランドリス伯爵は機動装甲に乗っている時は無敵に近いが、白兵戦ははるかに劣る ―― これは正しいのだが、比較対象の名が隠されている。
 その比較対象はクレスターク=ハイラム。
 体重が三倍以上あり、身長も五十センチ以上大きい、戦いに特化した体を持つクレスタークと比較されるからこのように言われるのであって、戦う能力は低いわけではない。長い袖をしなる鞭のように上手く使い、体の小ささを長い上衣の裾でカバーし護衛を宙に舞わせ、肉を切り裂く。
「止めるべきなのじゃろうか?」
 常識としては止めるべきなのだが、イルトリヒーティー大公の生存本能が”こいつらがいなくなったら、楽になれるぞ”と耳元で甘美に囁く。
 それはあまりにも蠱惑的で、イルトリヒーティー大公の動きを阻む……が、蠢く影を見てあることを思いだし、
「避けろ! オーランドリス!」
 大声で叫んだ。
 オーランドリス伯爵は驚いた。それはイルトリヒーティー大公が自分のことを「オーランドリス」と呼んだことに対して。避けることは、言われなくても分かっていた ―― が、
「避けた」
 心配して声をかけてくれた相手に対して、最大限好意的に返事をした。
「おう」
 イルトリヒーティー大公が「避けろ」と叫んだものの正体は、やはり親王大公たち。
 二人の見た目は、さきほどまでの清楚で儚げな容姿とはまるで違う。顔から首、見えている肌全体に青筋が浮かび、身長よりも長い柔らかな金髪が、直径三センチメートルほどの束となり蠢く。
 親王大公たちの背中はぱっくりと開き、内側から左右に一枚づつ翼が現れていた。だがそれはクレスタークがゾローデに見せたものとは違い、骨と血管だけのもの。
 二人の翼の一枚が、もう一人の親王大公に突き刺さり血管が通い ―― 両者が一つとなる。

 最強といわれるナイトヒュスカ大皇が攻め倦ねた妹たち。

 青筋の浮いた顔、そして口をぱっくりと開けて胸まである長い舌を出す。
「気持ち悪いわあ」
「美しくないなあ」
「強さだけを追求していいのはエヴェドリットだけだろうに」
 ケシュマリスタ貴族たちは気にせず、口撃を続ける。
「お前たち、逃げろ!」
 イズカニディ伯爵が早く去れと叫んでくれるのだが、
「いやよ」
「不細工に負けるつもりはないね」
「ノルドディアクが攻撃しているが、負けそうだぞ。ほら、早く援護してやれオランベルセ。あいつらは帝国騎士であっても容赦無く殺すぞ」
 高みの見物とばかりに逃げようとはしない。
「うわ! 待て、ノルドディアク! イルトリヒーティー大公、エゼンジェリスタと殿下を連れて逃げてくれ!」
 全てに対して容赦しない《親王大公》から、あまり戦いが得意ではない二人を遠ざけようとしたのだが、
「皇太子妃、こちらへ……? フィラメンティアングス? フィラメンティアングス! どこに隠れておる!」
 グレイナドアの姿がなかった。
 そして最初に攻撃を開始したオーランドリス伯爵の姿も。

**********


「本気には、本気で立ち向かえ!」
「分かった」
 その時グレイナドアとオーランドリス伯爵は、ある場所を目指していた。

 戦っていたオーランドリス伯爵に対して扉近くにいたグレイナドアが、それは底抜けに馬鹿そうで、だがそこはとなく賢そうな笑顔で手招きしたので駆け寄る。すると腕をつかまれて、そのまま廊下へと出て走り ―― 上記の台詞である。

”本気には、本気で立ち向かえ!”

 グレイナドアは母親や伯父からケシュマリスタの二人が合体すると、怖ろしい生き物になることは幼いころから聞かされていた。怖さのあまりに寝られず、トイレに行くのも怖ろしくおねしょをしてしまう ―― などということはなかったが、怖ろしい生き物であることはよく知っていた。
 だから、
「大宮殿内の案内は任せろ!」
「まかせる」
 全力で叩き潰したほうが良いだろうと、オーランドリス伯爵をオーランドリス伯爵したらしめる力【機動装甲】の元へと案内することにした。

 大宮殿には”ある一種類”をのぞいては機動装甲は保管されていない。
 その一種類は、皇帝が乗るものでもなく、王が乗るものでもない。皇帝の騎士とされるオーランドリス伯爵のみが動かせる機体だけが保管されている。
 オーランドリス伯爵が登場する機体はすべて「ブランベルジェンカオリジン」と名付けられ、
「ここからなら、第三保管庫がもっとも近いぞ!」
「分かった」
 大宮殿内にブランベルジェンカオリジンは三体保管されている。
 二人は走り、そして、
「はぁ……はあ……疲れた」
 セックス以外の体力は普通のグレイナドアが、全力疾走十分で足をもつれさせて転ぶ。
「あんない」
 オーランドリス伯爵は前のめりになっているグレイナドアを仰向けにひっくり返し、足首を掴みそのまま力づくで引っぱり肩車の体勢にし……ようとしたのだが、グレイナドアは腹筋を使って上手に上体を起こすような芸当はできなかったので、
「安心しろ!」
 足を掴まれてぶら下がっているだけの状態になったが、
「うん」
「私は天才だから」
「うん」
「逆さの状態でも、お前を第三保管庫まで案内できるぞ! 任せろ!」
 まったく気にしていなかった。
「うん」

 そしてオーランドリス伯爵は全力で走り出した。引きずっている褐色の馬鹿王子のことなど、気にしていないかのように――

《大丈夫……なのか?》
 ザロナティオンが心配し、掴んでいる足からグレイナドアが考えていることを探ったが、

天才! 天才! 天才! 天才! 天才! 天才!
《……心配せずとも良いようだな》
 様々な悪意や哀しみ、高慢や虚飾を観てきた帝王だが”これ”はなかった。
「てんさい! てんさい! てんさい! てんさい!」
「おお! カーサー! お前も天才だったな! さあ! 私っ(舌を噛んだ)と、いっしょっ、天才、いうっ……ぞ!」
「分かった。てんさい! てんさい! てんさい! てんさい!」
「天才! 天才! 天さっ! 私はまけっ 天さぁっいで!」
《……》
 グレイナドア ――  それは帝王の従弟の血を引く父王と、帝王の血を引く母妃との間に産まれた、れっきとした天才王子である。

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